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アジ・ダハーカ一階の酒場で、食事中の真と亜希子に声をかける者があった。
「二人揃って凶相だ。こりゃあ十分な注意が必要だな」
怪しい教祖様か占い師といった格好をした禿頭の中年男が、真と亜希子のいるボックスの前で、笑いながらからかう。
「えーと、恋愛運も相性悪し。付き合ってたらさっさと別れた方がいいぞ。付き合うのもやめとけな。特にそっちのゴスロリねーちゃん、あんたは気が強すぎて相手を苦しめかねない。女は従順が一番だぜ。坊やの方は……と。うわ、ここまでひどい女難の相は見たことねーや。すげえな、顔だけはモテそうなのによ」
「客の飯を不味くするなら、営業妨害として対処するぞ?」
占い師風の男の後ろに凶次がやってきて、ドスの効いた声を発する。
「おお、怖い怖い。一応俺も客だし、凶運を見つけたから指摘してやっただけなんだがね」
おどけた口調で言い、占い師風の男はカウンターの席に座った。
「気にするなよ。あいつは不吉なことばかり言って人を煽る阿呆野郎だ。ここいらでは鼻つまみ者だよ」
凶次が占い師風の男を親指で指し、真と亜希子に言った。
「煽られて、キレて殺しにかかるのだけはやめとけよ。それが奴の手口なんだ。キレて襲ってきた奴を返り討ちにするために、煽ってるんだ。そういう悪趣味な奴だ」
「髄分な言い方だな。趣味は良くないと自分でも思うが、占いには自信あるぞ。それにな、俺は悪い占い結果だけを口にするが、俺の占いを信じ、備えて用心すりゃあ、俺はいいことをしたことになるだろ? それよりマスター、さっさと俺の注文も聞いてくれ」
占い師に呼ばれ、凶次は渋面でカウンターへと戻る。
「あいつは一つだけ当てたな。適当ぶっこいてただけの偶然かもしれないが……」
「何が?」
占い師を見やりながら呟いた真に、亜希子が尋ねる。
「ひどい女難……。僕は女と付き合うと僕もろくな目に合わないし、相手の女もろくなことにならない……。何度もひどいことがあって、もう女と付き合うのが怖くなってしまった」
「悪いことが積み重なると、そういう考えになっちゃうよね~。でもナンセンスよ。たまたまの話なだけよ」
慰めつつ、ふと亜希子は、あることを思い出す。
「前から思ってたけどさ、真は純子のこと、今も好きなのよね?」
「自分から振っておいてなんだが、その話はやめてくれ。触れられたくない」
「私、ママから真のこと全部聞いたよ。純子とのことも。ママがやったことも」
真の拒絶を無視して、亜希子は話を続ける。
「でも……真は今、何をしたいの? 純子の側にい続けて、純子を守ったり純子に背いたりしてさ」
「矛盾は何も無いと確信している。あいつの悪事は止めたい。あいつに危険が及ぶなら守りたい。あいつを超えることで、その両方を完璧に成し遂げたい」
亜希子の問いに対し、真は酔っている勢いもあってか、己の真情を吐露した。
「私は最初、ママを殺してやろうと……思いっきり残酷に復讐してやろうと思って、近づいたのよ。私のこと閉じ込めて、そのうえあんなことして……」
真の話を聞いただけでは――知っているだけでは不公平なので、亜希子も少しだけ自分のことを語る。
「どうせママも、いつか私を裏切って殺すつもりなんだって思ってた。でもママって、身内になった人間には甘いし、裏切ることができないのよ。何でだか、わかるでしょ? 多分ママ自身わかっていないか、あるいは……わかろうとせずに目を背けているみたいだけど」
「ああ……」
その理由がわからない真でもなかった。
「私はこの先も、あのママの元にいる。家族として。だからいつか……真とも本気で敵同士になるのね。真もママも互いに、いつか必ずぶつかるつもりでいるんだから」
「できれば亜希子と事を構えるのは避けたい所だし、なるべく避けるように努めるさ」
「……うまくいくといいね」
そこで二人の会話がしばらく止まり、ちびちびと酒を呷るだけの時間が流れる。
真の電話が震動する。ポケットから出すと、相手は純子だった。
『真君、悪いけどこっちに来てくれないかなあ』
電話を取ると、純子が困ったような口調で、そんな台詞を口にしてきた。
***
「おやおや、一人死にましたわね。あのマウス、随分と強力に作ってしまったようで」
早苗が惨殺される場面を物陰から見ていた百合が、おかしそうに言う。睦月と白金太郎も当然側にいる。
「厄介そうですが、俺ならきっと勝てますよっ。いつで行いけますっ」
逸る白金太郎に、笑みを消して冷たい視線を送る百合。
「行ってどうするのですか。今その機で無い事くらいわかりませんの? 気分を台無しにしてくれた罰が必要ですわね」
「いぎゃあぁぁっ! 痛い痛い痛い!」
小指を取ってひねりあげられ、白金太郎が騒ぎ立てる。
「木島の一族って、話聞いてると可哀想だねえ。国に認められたいばかりに、無理しちゃってさぁ。純子の玩具にされて、殺されちゃって」
睦月が言う。
「あれは自ら愚かな選択をしているのですから、同情に値しませんことよ」
冷たく切って捨てる百合。
「国のお抱えの戦士であらんがためという、そんな馬鹿馬鹿しいこだわりのために、命をかけて無理をしている。正にお馬鹿さんの所業でしてよ。他に生き方が無いわけでもありませんのに。あの手の輩は、その結果命を落とそうと、何かを守るために戦って死んで本望だと言って、自分を慰めているのがパターンですのよ。度し難い愚劣さですわ」
単純にディスっているだけではなく、百合は心底軽蔑しきっていた。
「馬鹿なら余計に可哀想だと思うけどねえ、俺は。かつての俺だって馬鹿だったし。人間皆どっか馬鹿じゃない? 百合だってそうだよ。あはっ」
「きっさまーっ! 百合様に向かって何ということを! 謝れ! 百合様に謝れ!」
「確かにその通りですわね。皆どこか欠けていて不完全。逆に欠点の無い聖人君主のような人間の方がぞっとしませんわ」
「流石百合様! お言葉の重みが違うっ!」
「だったらその欠点を安易に罵るのも、どうかと思うけどねえ」
「きっさまーっ! 百合様にまだ立てつく気か! 居候の分際で、口を慎めげえっ!」
「私も他者に闇雲に罵っているわけではなくってよ。特別に嫌いなものや、格段に愚かしいものに限って、罵っているのですわ。それは何もおかしなことではないでしょうに。それと白金太郎、貴方は学習機能が欠如しているのかしら? しかるべき施設にでも送りましょうか?」
「むごごごご……」
睦月と喋っている最中に、いちいちうるさく囃したてる白金太郎の頭を片手で掴み、もう片方の手を口の中に突っ込んで栓をする百合であった。
***
純子が真に電話をかける三十秒ほど前。
「教授……いきなり強くしすぎだよー。しかもこっちは弦螺君との約束もあるから、殺したくないのになあ」
早苗の亡骸を見やり、純子が腕組みしつつ壁に寄りかかり、溜息混じりに呟く。
「早苗ええぇぇっ!」
愕然とした顔で絶叫したのは幹太郎だった。敵に堂々と隙を見せて早苗の方に顔を向けている。
「愚か者め」
歯噛みして呟き、樹が幹太郎と敵の間に立ち塞がる。幹太郎は動けなくなっていた。小さな頃からずっと一緒だった同胞の一人を殺され、ショックのあまり戦意すら失っていた。
「戦であるぞ! 殺しもすれば殺されもする! 何をひるんでいる!」
幹太郎と違い、樹はそれなりに実戦経験もあるし、これまでにも同胞を失う経験も幾度と無く体験済みだ。
(普段強がりしとは裏腹の、何も脆弱な心よ)
腕はともかく、メンタルな部分でいろいろと問題があったので、樹はこれまでの間、幹太郎の実戦投入を控えていた。そして樹の危惧は、早々に現実のものとなりかけている。
「真君、悪いけどこっちに来てくれないかなあ。樹ちゃん達を援護してほしい。教授が加減しそこねて早苗ちゃんが殺されちゃったしさあ」
『こっちはこっちの目的があって動いてるんだがな』
「今来れば、教授も近くにいると思うし、望君も教授と一緒に行動していたとしたら、会えるんじゃないかなあ?」
『相変わらず人を誘き出すのは上手いな。そもそも今からで間に合うのか?』
「真君と亜希子ちゃんの居場所はわかってるもの。わりと近くにいるって」
マウスの体内には全てGPS受信機が仕込まれているので、人工衛星を通じて、居場所は全て把握できる。マウスではないが、真も同様だ。
『場所は?』
「転送するね」
地図に自分の場所と真達のいる場所を移して転送する。
『目と鼻の先か。すぐ行く』
電話が切れる。一方で樹と森造が怪人と交戦している。それを見やりつつ純子は、今度は霧崎に電話をかけた。
「あのさあ教授。ちょっとは加減してよー。やりすぎだってばー」
『ふむ。たまには刺激になってよいかと思ったが、自分でもちょっと後悔している』
怪人側は負けるようにするのがお約束となっていたため、怪人系マウスは意図的にやや弱めに作っている二人である。
イボマンが樹めがけて高速で触手を振るう。
「明太子シールド!」
樹の叫びと共に、樹の目の前に人がすっぽり入るほどの巨大なピンクの物体――文字通り明太子の盾が出現し、触手を防がんとする。
しかしイボマンの触手は明太子シールドを横に切断し、二本の斬撃は樹にまで届いた。
明太子の盾とスーツの防御力のおかけで、かなり威力と速度は殺され、樹は危うい所で身をひいて、致命傷を受けずに済んだが、それでも腹部と胸部をばっさりと横に斬られる。
イボマンがさらにもう片方の腕の触手を振るわんとしたが。
「自然の優しさを知れ! グリーンジャージの世界!」
森造が叫ぶと、イボマンの足元から大量の草が物凄い勢いで生え、イボマンの体をそのまま上へと3メートルほども押し上げた。
バランスを失い、落下するイボマン。
「姫っ!」
「敵に集中せよ、森爺」
気遣う森造に向かって、傷口を押さえて顔をしかめて言い放つ樹。
「神眼のカルボナーラっ」
樹の手から麺が大量に溢れ出し、傷口にへばりつく。回復効果のある技だが、回復しきるには少々時間がかかる。
「こやつはかなりの強敵也。勝てぬとは言わぬが、全く犠牲無しで勝てるとも思えぬ」
身を起こすイボマンを見据え、樹は判断した。つまり誰かが身を挺して囮になる覚悟が必要だと促している。
「ならば私かな。やれやれ、早苗は順番を違えおって。これだからオカマは信じられん」
森造が言いつつ、無造作にイボマンの前に進み出る。
イボマンが森造を攻撃している隙をついて、樹は一気に畳みかける所存であった。
イボマンが森造向けて触手を振るわんとした刹那、銃声が響いた。
銃弾を腹部に受けて崩れ落ちかけたイボマンであったが、踏みとどまる。
「案外近くだったな」
声と共に、樹達の広報から、一組の少年と少女が現れた。真と亜希子である。
「いくよ、火衣」
小太刀を抜いて構え、亜希子がいつにも増して殺気を漲らせる。望をさらわれて改造されて、ここの所ずっと不安で仕方なくていて、ストレスも溜まっていた。ここで全部それが噴出しそうだと、自分でも思っていた。
***
「あらあら、亜希子と真がこのタイミングでお出ましとは。少々時期尚早ではなくて?」
二人の姿を見て、また上機嫌に戻る百合。
「霧崎が近くで亜希子の彼氏と一緒にいて、様子を伺っている可能性もあるから、いいアピールなんじゃないかなあ?」
睦月が言う。
「それなら私達も真と純子と霧崎へのアビールを兼ねて、機があったら乱入しても構いませんわね?」
「あはっ、当初の予定と違うけど、ノリ次第でそれもいいかもねえ」
百合の提案を聞き、睦月の体からそれまで抑えていた闘気が立ちのぼり始めた。




