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夕方。闇の安息所を出たユマは、重い足取りで帰路に着こうとしていた。
赤猫の経路が安息所にあったドリームバンドだと言われ、さらにはペペが露骨に疑われていたのを見て、かなり気疲れしている。
(安息所なのに、全然安息できてないし。もういい加減、早く平和な日々に戻って欲しいよ……)
ユマが心からそう願ったその時、向かいから見知った顔の人物が歩いてきた。変装しているが、見間違うことは無い。
「あ、美香」
ユマの方から声をかけると、美香は目深にかぶった帽子のつばを上げ、顔を見せた。
「応!」
「仕事はもう終わったの?」
「うむ! しかし七号は疲れているようなので、先に事務所に帰らせた! 私は買い物だ! そっちは安息所帰りか!?」
「ええ」
美香の問いに、言いづらそうに頷くユマ。
「何か進展は!? いや、立ち話ではなく、喫茶店でゆっくり話そう!」
二人はカンドービルに入り、一階にある喫茶店『キーウィ』へと入った。
ユマは今日あったこと全てを美香に話した。自分がペペに疑念を抱いた事は口にはしないでおいた。
「随分と濃い一日だったようだな!」
「悪い意味でね……。でも、赤猫騒動が終息に向かうために必要と、前向きに考えることにする」
やや強がりも込めて、ユマは言う。美香を前にしていると、気分も大きくなってしまうし、弱い所は見せたくないと考えてしまう。
「雰囲気が悪かったか?」
美香が声を潜めて尋ねる。
「うん。あの場に美香がいたらどうだったかなーとか、思わず考えちゃった」
「私は君が思ってるほどムードメーカーじゃないぞ」
ユマの言葉を受け、美香は微苦笑をこぼした。
「あの……これ、言っておきたい。なるべく早いうちに……」
ふと思い立ち、ユマは勢いに任せて告白した。
「私ね、実は凄く弱い人間で、強い人間とか、いろいろと持っている人間を羨んで、憎んでいた。美香にも同じような想いを抱いていたし、妬んでた。でも、美香と直に接してね、そんな自分が恥ずかしくなった。だから美香に……美香なら、変な意識持たずに普通に会話してくれそうな気がしたし、声かけてみたんだ」
「なるほど……しかし……」
必死に伝えたユマの言葉に、美香があからさまにトーンダウンして表情を曇らせたので、ユマは猛烈な不安と後悔に包まれる。
(こんなこと口にしちゃ駄目だったんだ。私ったら舞い上がって調子に乗って……)
そう思いかけたユマであるが、美香がこれまで見せたこともないような消沈した面持ちを見せている事に、自分の言葉で不機嫌になったのではなく、何か別の原因があるのではと思う。
「私は最初から強かったわけじゃない……」
ユマから視線を外し、苦虫を噛み潰したような顔で、美香は話しだした。
「それどころか、弱くて、愚かで、僻みっぽくて、意地悪で、承認欲求が激しくて、人を見下して、それなのに他人を羨んで、最低な人間だった」
美香の口から出た想像もしなかった言葉に、ユマは驚いた。
(私と同じ……? そんな……あの月那美香が?)
ユマからするとそれは、驚天動地の驚きだ。親しみやすい子だとわかったとはいえ、ユマから見て美香は、人格者で偉人のような感覚があったからだ。
「だから私は、弱い人間の気持ちがよくわかる。だからこそああいう馬鹿みたいに前向きな歌ばかり歌っている。弱い心を強くし、元気づけ、立ち向かう勇気を詩にしている。思うに……最初から強い立場にいる者には……生まれがよくて恵まれている者には、全部が全部そうとは言えないが、弱い人間の気持ちというのを理解しがたいんじゃないか? 生まれつき恵まれている人間だからこそ、懐が深く心の広い者というパターンもあるがな」
美香の話を聞き、何となくわかる気がするユマ。
「私は駄目な奴だった。何も無かった。見下されていた。だから何もかも欲しかった。だから強い立場になって、威張り散らして逆に見下してやりたかったんだ。だから……弱い人の気持ちは凄くよくわかる」
「でも今は違うじゃない」
ユマの指摘に、美香は寂しい笑みを浮かべる。
「私も有名になりたての頃は天狗になったんだよ。だが……すぐにその気持ちは消えた。目的を達成して満足してしまったという部分もあるが、それ以外にも理由がある。途轍もなく嫌なものを見てしまってな……」
「嫌なもの?」
「私には尊敬する女性アーティストがいた。テレビCMやドラマ等の露出も激しく、スキャンダルも多かったが、歌手としては尊敬していた。私と同じ事務所であったから、知り合いにもなった。しかし彼女は……人としては酷い有様だった」
美香の顔が苦渋に歪んだ。
「上昇志向と自己顕示欲と承認欲求の塊。自分にしか興味が無く、欲望が果てなくあるだけ。歌の才能はあったが、歌への情熱があるわけではない。自分の欲望を満たすための道具でしかなかった。それでも多くの人を感動させているのだから、本人がどんなに人格破綻者でも、関係無い……という考え方もあるがな。実際、天才は性格的に難の有る人間が多い。しかしそれにしても彼女はひどい俗物だった。常に自分が脚光を浴びてないと気が済まず、周囲の人間はそのために利用するだけの道具という認識でな。結婚や離婚さえも話題作り、夫となる者も自分のステータスのため、アクセサリー代わりという認識だったよ。最期は麻薬漬けで、変死体となってマスコミを騒がせて終わりだ。文字通り死ぬまで脚光を浴び続けたというわけだ」
ユマも一応はテレビを視ているので、それが誰であるかすぐにわかった。何年か前にテレビを騒がせた事件と人物だ。
「私はそれを見て、自分は絶対にああなりたくないという気持ちが強く働き、反面教師にした。あの人には悪いが……そういう面で感謝している部分もある。それに……幻滅した一方で、あの人はどうしてあんな風になってしまったのかと、いろいろ考えもしたよ」
窓の外に顔を向け、カンドービルの外を行き交う人々を見ながら、美香はそこで少しの間、言葉を切った。
ユマは美香の話を聞き入っていた。自分より年下だし、その問題の人物が存命中、美香はおそらく十二歳か十三歳くらいであったはずだ。裏通りに堕ちたのもそれくらいだという話であるが、そんな歳から、相当に豊富な人生経験を積んできた彼女は、同年代の女子となど比べようがないのはもちろんのこと、下手な大人よりずっと、人としての経験値が多いのは間違いない。
そう考えると、やはり月那美香はつくづく超人だなとユマには感じられる。凝縮された濃すぎる十代を過ごしたからこそ、それに見合う積み重ねがあったからこそ、このような超人になれたのだろうと。
「その人だけではない。私が音楽関係以外で芸能界とは距離を置いているのは、あの業界の嫌な噂を沢山聞き、実際に自分の目で、欲望に狂っている人を沢山見たからという理由だ。いや……少し関わっただけで、沢山見えてしまった。もっと深く踏み込んだら、きっともっと見えてしまうんだろうな。これ以上は見たくも知りたくもないから、音楽活動だけに留めている。CMとかバラエティー番組とかのオファーは、そういう理由で全て断っている。この前は討論番組に出て、酷い目にあったけどな」
気恥ずかしそうに笑う美香であるが、その後、裏通りの代表を背負って戦い、討論番組のリヴェンジもしっかり果たしたことを考えれば、あんなのは恥でも何でもないとユマには思える。
(酷い目にあっても、人前で凄い恥をかいても、それでも負けたままで終わらせる事無く、裏通りの存亡のために戦って勝ったじゃない)
口に出して褒めたい気分であったが、美香の話の途中であるし、そもそも口にして褒めるのも恥ずかしかったので、心の中でこっそり称賛するに留めておく。
「私はもっと強く、大きくなりたいと思っている。私は動機こそ自分のため……自分のためだけに、力を求めた。そして望み通り力を得た。でも今は自分のためだけではなく、自分以外の誰かの支えになるために、力を使いたい。裏通りの仕事では困った人を助け、表通りでは音で人の心を楽しませる。もちろんその行為に対して、自己満足の気持ちもあるというのが、正直な所だがな」
そこまで喋って、また照れ笑いを浮かべる美香。
「偽善者と笑う奴もいるだろうが、笑われようがこれが私の本心! 傲慢と批難されようが、私はできるだけ、誰かに何かを与える者でありたい。特に……弱い立場の人や困っている人にはな」
表通りの住人が裏通りのトラブルに巻き込まれた際の、解決を担う始末屋として活躍している美香の台詞であるが故、強い説得力を帯びて聞こえる。
「ついこないだまで私は美香のアンチだったのに、今はファンになっちゃいそう。何か不思議……」
「是非なってくれっ! 一人でもファンが増えると私は嬉しいし、一人一人に楽しんでもらいたい!」
自分の言葉に、喜びを露わにする美香を見て、ユマは今まで勝手に捻くれて僻んで美香を見ていたのが、馬鹿馬鹿しくさえ感じられた。
(積み重ねたうえでの、月那美香があるのね。最初から持っていたわけでない。私の積み重ねは……今……いや、これからはどう積み重ねていく?)
しっかりと意識していけば、自分も美香のように大きくなれるのではないかと、ユマは考えていた。




