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常に誰かに殺意が向けられ、命と命がぶつかりあい、片方の命が消えていく裏通り。
誰かが誰かを邪魔者ないし危険であると判断したら、消すことによって、利益と安全を図る。この世界での殺人の理由の多くはそんな程度だ。もちろん純粋な憎悪からという動機もあるし、見せしめのための報復や、けじめの一種などで行われる殺人もある。
その時間、その場所で、命を狙われる事となった者は二名。年配の男女だった。
男は五十代。女は四十代といったところか。殺される心当たりは無数にあるので、二人共それなりの覚悟は出来ていた。
男女は違法ドリームバンドの製造を生業としていた。市販されている物よりも、トリップの度合いが強烈で危険な代物だ。
頭に巻きつけるとゲーム目的ではなく、トリップするためだけに映像を見ることができる。脳にはかなりの負担を強いるし、違法ドラッグをも凌ぐ依存性を与える。しかしその需要は大きい。国内よりも国外が主な販売先である。
二人はどこの組織にも属さずに、フリーで手広く販売を行っていた。そのせいで同業者の組織に目をつけられた。
組織は最初から二人を始末しようとは思わなかったが、組織の出した調停案に、二人は応じる事が無かった。
話の通じない邪魔者は始末するしかなくなる。組織に属さないフリーな立場の者は、こうした時に弱い立場となる。
だが組織の放った刺客は、男女によって全て返り討ちにされた。仮にもフリーで危険な橋を渡ろうとする者であるから、それなりに腕が立たねば話にならない。そうでないとフリーな立場でこの世界を生きられない。
組織の側もそれは承知していたが、予想を上回る腕利きであったがため、組織の人員の損失は避け、大金をはたいて殺し屋を雇うという選択肢を取ったのだ。
「逃げるの?」
窓からマンションの外へと出ようとする男に、女の方、石坂友美が訝る。
「ああ、逃げるさ。たった今情報屋が教えてくれた。どうやら奴等、掃き溜めバカンスを雇ったらしい」
男――石澤航の言葉に、友美は蒼白になる。
「いくら俺達でも相手が悪すぎる。海外に脱出する手筈は取った。しかし……情報を仕入れるのが遅すぎたな。不味いかもしれん」
マンションの一階に仕掛けた監視カメラが、高校生らしき見慣れぬ少年を映したので警戒していたが、丁度その時、掃き溜めバカンスのメンバーの顔写真付きの情報が入ったのだ。
監視カメラに映った制服姿の少年は、送られてきた顔写真の中にあったものと一致した。
「逃げ切れないことも想定しておいた方が……いいかもね」
友美がそう言って、部屋の中に幾つも投げ散らかされたドリームバンドの一つを取って、装着する。窓から逃げようとしていた航も、部屋の中へと戻り、友美と同じように、ドリームバンドを頭につけて、再び窓から出ようとする。
「定番だよね。窓から逃げ出そうとするのってさ」
その窓からひょこっと頭を出し、笑顔でそう告げる少女に、石澤は度肝を抜かれる。
(おいっ、ここは七階だぞっ)
鉤フック付きのロープを射出して上ってきたとも考えられなくもなかったが、突然すぎて狼狽してしまう。
制服姿の女子高生が窓から室内へと乱入し、人間の動きとは思えぬ速さで石澤に襲いかかる。徒手空拳である。
異常な速度であったが、石澤はそれに反応できた。首根っこを掴まえようとして伸ばしてきた彼女の手を、航大きく後方に跳んでかわし、中腰になって身構える。
「掃き溜めバカンスの森田真奈美か」
少女を見据えて石澤が呻く。
「その速さ――おじさんも普通じゃないみたいね。違法ドリームバンドの力って所かな」
真奈美の指摘は当たっていた。石澤と友美は違法改造ドリームバンドの暗示作用によって、人体そのものを強化している。
フリーで生きていくからには、それなりの力が必要だ。そのための力は自らの技術と知恵でもって得ている。
しかしその代償もあった。自分達の脳を実験台にしてこれらのドリームバンドを作ったが故に、その悪影響によって通常よりも早く老化している事が、実験を繰り返している最中に発覚した。誰が見てもそう見えないが、二人共実年齢は三十代前半である。
「なるほどー。人間の反応速度と動きを越えているね。これじゃあ普通の奴じゃ返り討ちにされるわけだわ」
真奈美が言う。余裕に満ちた笑みを浮かべながら。
直後、玄関の扉が開かれる音がした。
「でもね、悪いけれど私達もフツーじゃないんだ。遅いよ、卓也―」
「開錠に時間かかってね。じゃあ、お仕事といきますか」
カメラに映っていた少年が、爽やかな笑みを見せる。掃き溜めバカンスの一人の佐治卓也。常に森田真奈美と二人組で行動しているという話だ。
(なめやがって、目にもの見せてやる……)
追い詰められている事を自覚しながらも、はるかに年下の未成年の二人組に余裕ぶられて、石澤は闘志の火が灯る。
真奈美が再び石澤めがけて迫る。と、同時に銃声が鳴り響く。石澤が友美の方を見ると、あっさりと頭部を撃ちぬかれ、友美が大きくのけぞって倒れる場面が見えた。
戦いの最中に相手から目を離すという愚考を犯した石澤の命運も、あっさりと決まった。
真奈美の手が今度こそ石澤の首を捕らえる。少女のそれとは思えない驚異的な握力。石澤は両手で真奈美の手首を掴むが、びくともしない。
ドリームバンドの暗示作用で肉体を強化している石澤の力をはるかに上回る怪力。一体どのようなタネがあるのかと、命の危機に瀕した状態で、純粋に疑問に思う。
その疑問の答えはすぐに明かされた。真奈美は石澤の首筋に顔を寄せると、大きく口を開き、頚動脈めがけて牙を立てたのだ。あふれ出る血を、音をたててすする。
(吸血鬼……)
声に出さずに呟く石澤。この時代、吸血鬼はフィクションの産物ではない。現実として存在する。
世界三大人造ウイルスと呼ばれる、極めて特殊な性質を持つウイルスが存在する。
雪岡純子が作り、空気感染し体中に湿疹を作り痒みをもたらすため、暴徒鎮圧用の生物兵器として扱われているレッドトーメンター。
文字通り肉体を完全に異性へと変化させてしまう性転換ウイルス。
そして伝説さながらに、吸血鬼の如く血を求め、常人を貼るかに凌ぐ怪力と俊敏性を備えることが出来る吸血鬼ウイルスの三つだ。
吸血鬼ウイルスは、日本国内のマッドサイエンティストの中でも特に悪名高い、『三狂』と呼ばれるうちの一人、草露ミルクが作り出したウイルスである。それがある時、世界最大の環境保護団体『グリムペニス』子飼いの過激派『海チワワ』によって盗まれ、世界中にばら撒かれた。
海チワワはエコロジーブームにおける『人命より環境の保護優先』を実践すべく、人類と人間社会そのものを敵視し、あらゆるテロ活動を行う組織だ。
彼等が行うテロの内容は、環境を傷つけずに、あくまで人間だけに害悪を振りまく事が基本方針である。人間を吸血鬼に仕立てあげ、人間を襲わせる事は、彼等の美学に適ったものと言えよう。
ウイルスの感染源は主に輸血である。接触程度では感染しない。テロリストが病院内に紛れ込み、患者に輸血する直前の血液に、ウイルスを混ぜるのだ。
感染者の数は発覚しているだけでも、世界中で年間一万人以上と言われる。日本における被害は今の所は少ないが、皆無というわけでもない。日本にも海チワワのメンバーが紛れ込んでいる。
「ねー、この人達恋人同士だったのかなー?」
出血死によって絶命し、床に崩れ落ちた石澤を見下ろして、真奈美が口元についた血をぬぐいながら言う。着ている服に血をこぼさずに、うまいこと血を吸う術を心得ているため、服には全く血がついていない。しかし唇には若干血がついてしまう。
「一緒に暮していたんだし、そうなんじゃないかー。おっ、恋人の証発見~」
卓也がにやりと笑って、ベッドの脇に置いてあった箱を、真奈美に向かって放り投げる。真奈美はそれを受け取って、顔をしかめた。
「わざわざ投げてくんなっての」
使いかけの避妊具の箱をそのままゴミ箱へと放り捨てる真奈美。
「恋人同士だったんなら、こんな稼業してないで、表通りでつつましく暮してりゃいいのにね。こんな不幸な最期を遂げなくて済んだかもしれないのに」
「それを言うなら俺らだって同じだろう。人それぞれ事情があって、こっちに堕ちてくるんだよ。何かしら不幸な事情があっていやおうなしに、とかさ。俺らみたいに、さ」
「不幸、か……。もう私は自分を不幸だとは思ってない。感じてもいない」
うつむき加減で小さく微笑む真奈美。
「掃き溜めバカンスの人ってさ、皆どこか似たりよったりじゃない。だから安心できるのよね。傷の舐めあいかもしれないけれど、それでも毎日笑いあえる。この仕事だって別にもう嫌いじゃないよ? 私達にはこれしかないんだし」
「そうだな。睦月だって、俺達と出会った時はひどかったしな。あの時はひどい顔してたけれど、今ではいい顔して笑ってるし」
「でも、ボスがこの前私にこっそり言ってた」
真奈美の顔から笑みが消える。
「睦月はまだ救われてないって」
「そうだな。俺達は掃き溜めバカンスに入って救われたけれど、あいつは……まだ憎しみから解放されていない」
卓也も真奈美に同意し、重い息を吐く。
少女を見ると殺人衝動を抑えきれない睦月。数少ない例外が真奈美であるが、睦月はその真奈美も、最初は殺そうとしてきた。
その時は睦月の力も大した事が無くて、卓也と真奈美の二人で返り討ちにして、そのまま掃き溜めバカンスに引き込んだのである。
それ以降、睦月は真奈美に対してだけは、殺人衝動が一切沸かなくなったらしい。
「私に対してだけは平気になったって事は、睦月を縛る憎悪の拘束から解放する鍵が、何かあるはずなのよ」
「多分、真奈美の事を一個人として認めたからなんだと思う。それ以外に対しては、女イコール憎むべき存在っていう大雑把な捉え方なんじゃないかな」
「私もそうだと思う。私、あの子が完全に救われる方法も幾つか思いつくんだけれどね。でもそれは、私達がしてあげられる事じゃない。私達は、睦月と一緒に安息と刺激の時間を共有するだけが精一杯かも」
「そんな難しく考える事もないよ。真奈美は真面目すぎ」
卓也が微笑み、からかうように言った。
「精一杯とか言うけれど、一緒にいろんなところに遊びに行って、あいつに世の中の楽しさってものを教えてやることは、すごく大事だと思うよ」
これは冗談ではなく、本気でそう考えている卓也だった。
「何しろ、外に出てからまだ数年で、それまではずっと閉じ込められた生活送ってきたっていうんだからさ」
「可哀想よね。私達なんかよりもずっと」
「俺達と比べても仕方ないだろ」
真奈美の言葉に、卓也の笑みが、何とも言えない寂しげな苦笑いへと変わった。




