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さらに翌日、純子は研究所からは累だけを連れ、他には月那美香と七号、砂城来夢と安生克彦の計六名で、闇の安息所を訪れた。毅は仕事があり、みどりも今日は気分的にお休みするとのこと。
安息所でのメンタルケアを目的とするのは、累以外では七号と克彦で、美香と来夢はその付き添いというポジションだ。
「もうすぐツクナミカーズのセカンドシングルが出る! 是非聴いてくれ!」
徒歩で安息所へと向かいながら、美香が自信満々に宣伝する。
「正直、美香の歌は好みじゃない。元気と明るさと善意の押し売りって感じ。くどいし暑苦しい」
きっぱりと告げる来夢に、美香の表情が強張る。
「ひどいにゃ……面と向かって言うなんて……あんまりにゃ……」
泣きそうな顔になる七号。
「構わん! 人の好き好きはそれぞれだ! しかし参考なまでにどう嫌いなのか聴いておこう!」
気を取り直して取り繕いつつ、美香が来夢に問う。
「元気と勢いばかり、肯定的な面ばかり、人間賛歌ばかりってのが受け付けない。人には暗い面、弱い面もあるのにさ。でもこれは俺の好みの問題。だから深く考えなくていい。そういうのが好きな人もいるから売れてるんだろうし」
自分の考えも述べたうえで、一応フォローも入れておく来夢。初対面の人間にも遠慮の無い来夢の言葉を、克彦は横ではらはらしながら聞いている。
「そうだな! しかし今私が歌いたいのは、そういった歌ばかりだ! それによって聴いた者がハッピーな気分になれば、私としては最高だ!」
「俺と美香のハッピーは随分と違うみたい」
少し不愉快そうな面持ちで来夢は語る。
「じゃあ君はどんな事がハッピーだ!?」
「今までわからないものがわかって、今まで見えなかったことが見えた時。あとは克彦兄ちゃんと遊んでいる時」
美香の問いの答えに対し、自分の名を引き合いに出され、克彦は恥ずかしそうにそっぽを向く。
「沈んでいる人間は、美香の歌を聞いて元気出す人もいれば、鬱陶しくてますます欝になる人もいて、極端に分かれると思います」
累が私見を述べる。
「人間賛歌も度が過ぎると、逆効果なんですよ。人が織り成す世の素晴らしさ、人の素晴らしさ、生の素晴らしさを歌うと、自分はその中にはいない。加われないという気持ちを強く意識してしまい、ますます欝になったりとかするものです」
「なるほど! 参考になる! 次はその辺も考慮に入れたうえでの歌詞も書いてみよう!」
累の率直な意見に、無難な受け答えではなく、真摯に受け止めたうえでの答えを返す美香であった。
***
純子達が来る以前に、闇の安息所に通っていたのは、管理者の東村山ペペロンチーノ、狛江誠、八丈啓次郎とその付き添いの八丈勝美、檜原華子とその付き添いの檜原真菜子、そして今日初めて純子達の前に顔を見せた青海ユマの、計七人であった。
現在安息所にいるのは、ペペと檜原姉妹とユマの四名であったが、純子がこれから新しい人を連れてくると、前もって連絡を受けてある。
「ここ、いきなり人が増えたのよ。しかもさらにもっと増えるって」
あまり嬉しく無さそうな顔で華子が言ったので、ユマは不安になった。新しい人の中に、嫌な人でもいるのだろうかと。
あるいは単純に、華子の性格からして、人が増えた変化についていけないのかもしれないと、勘繰る。そういう所は、ユマにもある。
「華子は今の人が増えた状態が嫌なの?」
姉の真菜子が問う。
「楽しそうな人達ばかりだし、いい刺激だと私は思うわ。若い子も多いし」
「お、お姉ちゃんがそう言うなら……私もそう思うことにする」
華子の強引な合わせ方に、ユマは何とも感じない。いつものことだ。華子は姉の言うことに何でも従い、姉が反対意見を口にすれば、何も考えずに己の意見も捻じ曲げる。
それに対して真菜子も何も言わないところを見ると、諦めているのか、あるいは真菜子自身が華子にそうしろと強要したのではないかと、ユマはどうしても考えてしまう。
青梅ユマは二十歳になったばかりであるが、闇の安息所の古株であり、ペペがこの施設を作った頃からここにいる。何人もの人間がここを入れ替わり訪れ、去っていったのも目の当たりにしている。症状が良くなって自然と離れた者もいたが、ユマが観察した限り、来なくなる理由の大半は、利用者同士の相性の問題に見えた。
ユマはそれを知っているため、人が増えれば増えるだけ衝突の火種になりそうで嫌だった。ユマにとっても嫌な人は今までいたが、ここを離れたくないので、我慢していた。最近は落ち着いていたので、余計な波風は立って欲しくないと、心から願う。
(最低でも、私の気に入らない人だけはこないで欲しい)
勝手なことだと思いつつも、そう願わずにいられない。自分はここに心穏やかな時間を求めて通っているのだから。
(本当勝手よね。他人と交流したいという気持ちがありながら、その他人に対しては自分の好みを全て押し付けるとか、最低。そんな奴と誰が仲良くなりたいっていうの?)
ユマの頭の中で響く、ユマだけに聞こえる声。頻繁に己を嘲弄する声。
ユマは被害妄想持ちだった。よく自分を嘲笑い、罵倒する幻聴に悩まされる。他人の話し声に対しても、自分を罵倒しているかのように聞こえて、我慢ならない。笑い声に至っては、全て自分を嘲る声に聞こえる。
(新たに来る人が、自分と相性の悪い人だとは限らないもの。もし相性悪い人が来ても、今まで通り我慢すればいいだけよ……。私はちゃんと自分を抑えてみせる)
そう自分に言い聞かせた丁度その時、部屋の扉が開き、リビングにぞろぞろと六人もの新人が入ってきた。
「こんにちは~」
「こんにちは」
「はじめまして!」
「はじめまして」
「はじめましてにゃー」
「部屋の中での挨拶で叫ぶとかうるさい。鬱陶しい」
六人が一斉に挨拶をする。いや、一人挨拶とは違う発言をする者もいたが。
現れた六人の中に、よくテレビで見る顔があったので、ユマは眩暈を起こしそうになった。ユマが日頃から大嫌いな人物――月那美香だ。
ユマは非常に嫉妬深く、卑屈な性格でもあり、明らかに優れた人間や目だった人間が羨ましくて憎らしくて仕方がない。自分を底辺と認識したうえで、恵まれた人生を送る人間全てを憎悪しまくっている。
月那美香などは正にその対象であった。裏通りの住人でありながら、表通りでもミュージシャンとして活躍し、ついこの間、裏通りが叩かれまくった時には、まるで裏通りの代表だか救世主のような扱いを受け、時の人となっていた。
同じ人間なのに、どうしてここまで違うのだろうと、世の格差と理不尽がムカついて仕方がない。
「初対面なんだし、部屋の中で大声とか、少しは考えようよ」
「うぐぬぬぬ、これが私なんだ!」
「そんな私は改めよう。初めて会う人とか、いきなり大声で叫ばれて驚くだけだよ?」
「ぐぬぬぬぬ……しかしそれを私から取ってしまえば、私でなくなる!」
「来夢、ちょっと言葉選べって……」
その月那美香が、まだ小学生くらいと思われる美少年と言い合いをしている。
同じくらいの年頃の美少年がもう一人いたが、こちらは金髪翠眼で、人種的にはどう見ても白人だ。美少年が二人、美少女が三人という、物凄く派手な組み合わせを見て、ユマはそれだけで嫉妬の炎がめらめらと燃える。
(どうせこんな奴等は、幸せな人生を送っているんでしょ。何でこんな所に来たの? 場違いでしょ。それとも私達を笑いにきたの?)
優れた人間や幸せな人間は、全て死ねばいいとユマは思っている。彼等はたまたま運がよかっただけ。自分達はたまたま運が悪かっただけ。しかしそのたまたまで全てが分かたれる、このふざけた世界。一体何度壊れてしまえと思ったことか。
(そしてあいつらはきっと、自分より運の悪いその他大勢を、見下しながら生きているに違いないのよ)
ユマが負の念を募らせていることに、気がついた者がいた。累と純子、それに来夢だ。しかし理由がわからないし、ユマとも初対面なので、特に触れようとはしない。
「それじゃあまた自己紹介していきましょう」
ペペが促す。
「安生克彦です。今、雪岡純子さんのところに通って、ドリームバンドで性格矯正している最中です。よろしくお願いします」
「砂城来夢。克彦兄ちゃんの付き添い」
「月那美香だ。よろしく。こちらにいる七号の付き添いだ。七号は見ての通り私のクローンだ」
美香がホルマリン漬け大統領のクローンビジネスを潰し、売られたクローン達を救ってまわっていることは、裏通りでも表通りでも有名な話なので、特に驚く者もいない。
「月那美香七号ですにゃー。七号と呼んでくださいにゃー。毎日レイプされまくってすっかりPTAになっちゃったにゃー。よろしくですにゃー」
しかし七号のこの自己紹介には、全員面食らった。いや、室内が凍りついた。
「七号! 少しは言い方をボカせ! それにPTSDだ!」
思わずまた叫ぶ美香。
「ご、ごめんなさいにゃ、毎日犯されまくったPTAがLSD吸ってんにゃー」
「まだボカしが足りん! それにPTSDだ! それに、ますますおかしくなっている!」
「ご、ごめんなさいにゃ……ますますおかしくなったPTAがますますおかされまくって……」
「犯すがダメだ! それとPTAから離れろ! P・T・S・Dだ!」
「性的暴行されまくってPTSDになっちゃってるのにゃー」
「大分マシになったし、PTSDは正解になったが、そもそもその性的暴行の部分がいらん! ドン引きされるだけだから、そこは黙っておけ!」
「は、はいにゃ……ごめんなさいにゃ……」
涙目で謝罪する七号。
「お騒がせして申し訳ない。この子は情緒不安定というか、躁鬱が激しいが、協調性はちゃんとあるから、多分人の輪の中に入っても、やっていけると思う」
美香が深々と頭を下げて謝罪しつつ、声のトーンを落とし、七号のフォローをする。
そんな美香の様子を、意外そうな目で見るユマ。テレビでも目上の人間に敬語の一つも使わない月那美香は、極めて傲慢で、唯我独尊を地で行き、人に頭など決して下げない人物のイメージであったというのに、今目の前にいる月那美香は、誠実で謙虚な人物のように映る。
「それじゃあこちらも自己紹介していきましょうか」
いち早く硬直から回復して気を取り直した真菜子が、固まった空気を溶かさんとして促した。




