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薬仏警察署署長桜田音二郎は悲嘆に暮れていた。
彼は今、マフィアの拠点と思しき場所の前にて、武装して立たされている。署員も全て集められて、彼の前にいる。完全に戦闘行為想定の陣容と装備だ。
「どうしてこんなことになった……」
暗黒都市の警察官という危険な役目も、誰かが勤めなくてはならない。
そして運悪く配属される者達。しかし他の都市の警察署より少し給料がいい程度で、死の危険に晒される。極めて馬鹿げた話。
しかし何十年も前から薬仏警察署署員達は、そのふざけた運命を拒んできた。マフィアと取引し、彼等の行いには一切干渉しなかった。市民を守るという役目も放棄した。自分達だけが命がけで仕事を行うなど、そんなババを引かされて、真面目に従事しなくてはならないなど、あまりに馬鹿げている。ここに配属された多くの警察官はそう思っていた。
中には正義感にとらわれ、真面目に仕事をしようとした者もいた。そうした者は、殺される前に別の部署へととばしてやるのが、署長の務めであった。桜田なりの優しさであった。
薬仏警察署に、真面目な警察官などいらない。自分達にとっても害悪だし、彼等にとっても危険だ。薬仏警察署の署員は、ただの置物でなければならない。それが薬仏警察署の不文律だ。
だが今、薬仏警察署員全員が死地へと借り出されている。
何故警察が命がけで市民を守るために戦わなければならないのか? どうして今更そんなことをしなければならないのか? ここにいるほぼ全員が、同じ思いを抱いていた。
「どうして俺達の時なんだ……」
誰かが忌々しげにぽつりと呟く。
「俺達の前の代の奴等は、危険も無く、大した仕事もせず、のうのうと暮らしていたのに、俺達もそれでよかっただろうに、何で俺達が急にこんなことしなくちゃならないんだよっ」
納得がいかず、別の誰かが叫ぶ。
想いは皆同じだ。受け入れがたい理不尽。有ってはならない不条理。予期せぬ災厄。筆舌し難い不幸。
「何で今更、市民様のために命がけで戦うんだ? この戦いに何の意味があるんだ」
泣きそうな顔で、震える声で、また別の誰かが呟く。想いは皆同じだ。
「お、俺やめる……一抜けた……」
恐怖と混乱のあまり、一人が集団から離れた。
「馬鹿っ、戻ってこい!」
桜田署長が怒鳴る。しかし声が届く前に、逃げ出そうとした警察官の腹に、文字通りの大穴が開いた。
「はい?」
自分の腹に、向こうの景色がみえるほどの穴が開き、風が吹きぬけていくという事実を脳が受け入れることができぬまま、その警察官は崩れ落ちる。
(くそっ、これで三人目だ!)
歯噛みする桜田署長。実際、三人の亡骸が、警官隊の後方に転がっている。逃げ出そうとすると、不可視の攻撃が繰り出され、体に大きな穴が開けられて殺される。
「さっさと号令出してくれないと、また逃げ出す奴の処理が増えるねえ」
眉一つ動かさず、敵前逃亡した警官の処刑をしてのけた黒斗が呟く。
指揮官は別にいるが、中々攻撃準備が整ったという報告をしてくれない。いろいろと手間取っているようだと、黒斗は判断する。
『これより魂魄ゼリー本拠地と思われるビルに、薬仏警察署警官隊の突入を行う。SATは外に出てきたマフィアを確保するように』
無線を通じて指示が来た。黒斗は思わず笑う。一応は確保と謳っているが、SATがマフィア確保するつもりなどない。マフィアが出てきたら、問答無用で銃殺する構えだ。そうでないと、こちらが危ない。これは殲滅作戦だ。
『薬仏警察署警官隊! 突入!』
無線より号令が発せられ、ビルの前方で待機していた警官隊が、一斉にビルに向かって突入していった。
***
魂魄ゼリー本部内。胡偉の私室。
『警察が動きました。中に入ってきます』
「見ればわかる」
内線での報告に、最上階の窓から二十階建てのビルの下を見下ろし、胡偉は面白くもなさそうに告げた。
「狙撃はまだしなくていいぞ。SATが動き出したら一斉にやれ」
『了解しました』
内線が切れる。
「まさか真っ先に警察が攻めてくるとはね。しかも俺の潜伏先も突き止めて……」
舌打ちする胡偉。
「忌々しいったらありゃしねえ。警察だぜ、警察。俺の糞大っ嫌いな警察だ」
四十年前の忌まわしい思い出が、嫌でも蘇る。
「四十年前は市民がどんなに苦しんでいても、黙ったまんま何もしなかったゴミ共が、今回に限っては動いて、しかも俺に刃向うだと? ふざけやがって……」
ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「ビル内に入った薬仏の警察官は一人残らず殺せ。絶対に一人として逃がすな。生かすな。こいつらは万死でも生ぬるいが、殺す以上のことはできんからな。生かさず殺さずで拷問し続けるような悪趣味さは、俺には無いしよ」
窓の外から地上を見下ろしつつ、胡偉はひとりごちる。
「しかし……最近の警察は敵前逃亡やらかしたり、その敵前逃亡をした奴を処刑したりするのか。おっそろしいなあ」
窓の外から、逃亡しようとして黒斗に殺された薬仏警察署署員達の亡骸を見て、胡偉は笑った。警官が逃げる現場も殺される場面も、しっかりと見ていた。
***
黒斗が見ろ苦慕殺立ち去ってから数時間後。見ろ苦慕殺周辺には、大量の外国人が押し寄せ、本部建物を完全に包囲していた。
人種的には白人、ヒスパニック系、ラテン系が入り混ざっている。東洋人はあまり見当たらない。全員得物を携帯し、襲撃の号令を待っている。
見ろ苦慕殺の構成員達は、建物の中で恐々としていた。いくらなんでも敵の数が多すぎる。自分達の何倍いるかわからない。
「かつてない規模だな。この前よりひでえ」
阿久津が手鏡を使って窓の外を覗き、呻く。
「芦屋が片付けてくれるからこりゃ安心なんていう、都合いい展開にはならなかったか。こっちに来るとはねえ」
一方バイパーは、堂々と姿を晒して窓の外を眺めていた。
「確かにこの数の多さは厄介だが、何とかならないものでもないな」
「マジかよ……」
真が口にした台詞に、阿久津は引きつった笑いを浮かべてしまう。頼もしいことこのうえないが、現実離れした認識でもあると感じられた。
「僕一人ではちょっとキツいかもしれないが、バイパーもいるし。バイパーがかき回してくれれば、大分楽になる」
「何だそりゃ、俺が敵引き付けて痛い思いしまくってこいってのか? 俺だって弾が当たれば痛いんだぞ」
真の言葉に微苦笑をこぼすバイパー。この場で口には出さなかったが、関節等に銃弾を受けると、バイパーもそれなりのダメージを受けるので、バイパーとてリスクはそれなりに有る。
銃声が鳴り響く。先に包囲しているマフィアの方が仕掛けてきた。
「来やがった。しゃーない、行こうぜ」
「適度に援護してくれると嬉しい」
バイパーと真はそう言い残し、外へと向かった。
まずバイパーが飛び出し、銃弾の雨の中を駆け抜け、最も近くの曲がり角に隠れて銃を撃っていた白人二人組に肉薄する。
二人の頭部が同時に脊髄ごと引き抜かれて、高く放り投げられ宙を舞う。その光景に、襲撃していたマフィアの手が思わず止まり、呆気に取られていた。
その隙を狙い、本部入り口に現れた真が、真専用かつ雪岡純子特製のマシンピストル『じゃじゃ馬ならし』を撃ち、瞬く間に三人を仕留める。
我に返り、マフィア達が真めがけて一斉に乱射するが、真はすぐさまその場を動いている。
銃を撃つマフィアの横から、高速で何かが飛来し、マフィア二人の胴と腹を横に両断した。バイパーが投げたマンホールの蓋だった。
「あらよっと」
バイパーが笑顔で、停めてあったマフィアが乗ってきた車を軽々と担ぎ上げ、近くにいるマフィアへと歩いていく。
「ひいぃやぁっ!? のぉおぉっ!?」
両腕で車を高々と頭上に掲げて笑顔で迫るバイパーに、そのマフィア構成員は泡をくって銃口を向けるが、撃った瞬間殺されそうな予感がして、恐怖に固まってしまい、撃てずにいた。
「どーしたァ? 怖いのか?」
にやにや笑いながら質問した後、バイパーはそのマフィアに車に振り下ろし、叩き潰した。
バイパーは車を再び上げると、思いっきり振り回して、側にいたマフィアに向かって投げる。マフィアがひきつり顔で腰を抜かした直後、飛来する車に押し潰された。
次から次へと壮絶な方法で同胞を惨殺するバイパーに、マフィア達は恐怖もしくは呆然として、すっかり動きが鈍くなっていた。そこに真の銃撃が降り注ぎ、マフィアの構成員を立て続けに撃ち殺していく。
「派手な奴だ」
バイパーの豪快な暴れっぷりを横目にしつつ、真が呟いた。
「おいおいおい、すげえ勢いで敵が死にまくってるぞ。まるで時代劇見てるみてーだ」
「時代劇でもあんな凄い立ち回りはしませんよ。あの二人が味方にいて助かりましたね」
「全くだよ。でなけりゃ俺達ここで死んでたかもだ」
阿久津と毒嫁は、バイパーと真による無双っぷりを見て、呆気に取られていた。
見ろ苦慕殺の構成員達も参戦し、数のうえで圧倒的有利であったはずのマフィア達が、その数をみるみるうちに減らしていく。最早どう見ても見ろ苦慕殺側の勝利は確実と見えた。
「親分、大変です」
電話をしていた毒嫁が、珍しく青ざめた顔で、阿久津に声をかける。
「見ての通り外は大変だが、まだ何かあるのか?」
「魂魄ゼリーと抗争中のほかの組織も同時に襲撃を受けているそうです。しかも……敵は魂魄ゼリーだけではなく、薬仏市内に居を構える――おそらくは全てのマフィアが、魂魄ゼリーと共同戦線を張って、襲ってきているそうです」
「はあっ!?」
毒嫁の報告を聞き、阿久津は顎が外れるかと思うくらい大口を開け、素っ頓狂な声をあげた。




