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魂魄ゼリー本部ビル。訓練場。
普段は構成員でにぎわっている場所だが、今日は立ち入り禁止とされた。何故なら、ボスである胡偉が使用するからだ。暗殺者が紛れ込んでくることも警戒しての、ボス貸しきりである。
黄強、他護衛一人と共に行われる訓練。ペイント弾を使っての撃ち合いと近接戦闘、そのどちらも二人がかりで行われたにも関わらず、黄強ともう一人の護衛は、一度として胡偉から一本も取れなかった。
胡偉の並外れた戦闘力に感服する黄強であるが、当の胡偉は渋面だ。
「ダメだな……思うように体が動かねえ……。ブランクもあるが、やっぱり歳の影響がどうしてもでかいな」
自分の力がひどく落ちている事に、愕然とした胡偉であった。老いによる低下も著しいが、毎日デスクワークばかりで、定期的なトレーニングが適当なものであった事も大きい。
「自分を磨く努力を怠ったせいで負けて死ぬとか、最高にダサいよなあ。しかしこのままじゃそうなる可能性が無きにしもあらずだ」
ふと胡偉は、まだ自分が相沢鉄男という名前だった頃の事を思い出す。純粋に強くなる事を志して、がむしゃらに力を磨いていた時代を。
かつての相沢鉄男は、全てにおいてひた向きで、真っ直ぐな男だった。恥ずかしいくらいに熱血漢だった。馬鹿らしいくらいに正義感の塊だった。
鉄男は最初からヤクザ者だったわけではない。それどころか警察官になる事を志していた。
しかしマフィアに蹂躙される薬仏市の惨状に、全く対処しようとしない警察に幻滅したうえで、マフィアと戦っているのが普段市民を脅かしていたヤクザという、皮肉な構図を目の当たりにしたことで、鉄男は生まれ育った町を守るため、ただそれだけのためにヤクザになるという道を選んだ。
(臭いようだが、自分以外の誰かのためだからこそ、俺は必死になれたんだ。でももう、あの頃の気持ちには戻れねえよ。今の俺は……ただ、捧げるだけだ)
そう思う一方で、揺れている自分を意識する。
(何で今更こんなこと……。おかしいぞ、俺は……)
今までこんなことをいちいち意識などしなかった。昔のことなど忘れていたし、振り返るようなことも無かった。
「なあ、お前らは何でこんな世界に足を踏み入れたんだ?」
自分の気持ちから目を逸らすかのように、護衛二人に話を振る。
「ダチに誘われて……。そのダチはもう死んじまいましたが……」
護衛の一人が答える。
「自分は……言うとボスは怒るかも」
躊躇いがちに黄強。
「そんな言われ方すると余計に興味抱くわ」
胡偉が微笑をこぼす。
「俺は元々警官でした」
黄強の言葉に、胡偉の笑みが凍りついた。胡偉の警察嫌いは、組織の者なら誰もが知っている。
「上司が汚職警官で、その罪をなすりつけられ、職を取り上げられ、ムショ送りです。そっからまあ……いろいろ考える所あって、こっちに来ました」
「何をどう考えたってんだ? ヤケになっただけじゃねーのか?」
「……」
胡偉に問い詰められ、黄強は押し黙る。こんなこと、人前で話したいことではない。
「ま、喋りたくねーならいいわ」
露骨に話したくない話題のように見えたので、それ以上突っ込んで聞くのも大人気ないと思い、胡偉は訓練場を出ようとした。
「それまでは守ることを信じていた。でも裏切られて、自分を守ってくれる者は誰もいなかった。壊す側に回りたかった。そして自分も最後に壊してしまいたかった……そういう動機です」
扉に手をかけたその時に、黄強が口を開いてマフィアになった理由を喋り、胡偉の動きが止まった。
(俺と似たようなもんか……。ま、俺は自分を壊したいなんて思いやしねーが)
胡偉の口元に微苦笑がこぼれる。
「そういう奴って……多いのかね。他にもそういう理由でこっちに来た奴、一人知ってるぜ」
そう言って胡偉は扉を開き、先に訓練場を出ていく。
(でも……俺のそんな願望は、偽者だった。自分を誤魔化す嘘だった)
声に出さずに黄強は続ける。
ニヒリズムに傾倒したのは絶望と恐怖を紛らわせるためだったと、真との戦い以降ではっきりと自覚している。自分は滑稽な、ニヒリスト気取りだったと。
***
見ろ苦慕殺に戻った真とバイパーは、ボスの阿久津、その右腕の毒嫁と共に、今後の方針を練っていた。
「こちらから攻めて、派手に一発ガツンとかましたいもんだな」
禿げ上がった頭をタオルで磨きながら、阿久津が息巻く。
「攻めていかなくても、手ひどいカウンターでもいいと思うけどな。一発カウンターを食らわせて、ひるんだ所に追撃しかけて一気に畳みかける方が効果的じゃないか?」
真が意見する。
「しかしこれまで防戦の方が多かったという面もありますから、少しインパクトに欠けると思います。守るのに精一杯で、こちらから攻めていく余裕が無かったわけでして」
「なるほど」
毒嫁に事情を説明され、納得する真。
「じゃあ、俺とこいつ二人で攻めてくる。あんたらはそのまま守ってていい。で、ここ潰せば派手な打ち上げになるっていうポイント教えろよ」
と、バイパー。
「実は心当たりがあります……。少々お待ちください」
毒嫁がディスプレイを開き、判明している魂魄ゼリーの拠点をチェックする。
「ここなど、如何でしょうか?」
ディスプレイを分裂させ、一つは隣にいる阿久津に見せ、もう一つは反転させて真とバイパーに見せ、反応を伺う毒嫁。
「マリンパーク……って、こんな所が奴等の拠点の一つだったのか」
バイパーがディスプレイを見て唸る。ディスプレイに載っていたのは、半島の最南端にある、阿弥陀粒マリンパークという水族館であった。イルカやアシカのショー等も行っており、サメの博物館や、オタリアとのにらめっこや、仰向けに寝転がった状態でペンギンにひたすら顔を踏んでもらう体験会など、様々な施設やイベントが盛り沢山のレジャーパークである。
バイパーからすると馴染みの深い場所である。水族館やら動物園が好きなミルクの要請で、何度も足を運んでいる。
「取引場所に使うための盲点です。彼等のブツの倉庫もあるとの噂ですよ」
「却下だ、却下。表通りのカタギの出入りも激しいし、この施設そのものに迷惑もかかるだろ」
「いいえ、例え施設に迷惑がかかろうと、ここは絶対にやっておいた方がいいと思います」
渋面でダメ出しをする阿久津だが、毒嫁は引き下がらなかった。
「何しろ彼等の人身売買ビジネスは、このマリンパークで商品の物色がされているという話ですから。しかも後々騒がれないように、家族まとめてさらうとか。つい先日入ったばかりの情報ですけどね」
「マジかよ……」
「露骨によーやるわ……」
毒嫁の話を聞き、阿久津が呻き、バイパーが呆れる。
「マリンパークもおそらくは困っている状態ですよ。マフィアに脅されて、彼等の協力を無理矢理させられていると思われますから。なので、ここは強引な手術をした方がいいでしょう」
「だ――そうだが、二人としてはどうよ?」
阿久津が真とバイパーを交互に見やる。
「いいんじゃないか、そこで」
「特に断る理由もねーし、断る以前に、人さらいしたあげく人身売買やってる場所だなんて聞いて、見過ごせるわけがねーよ」
真とバイバーがそれぞれ言う。
「証拠をあげるための調査確認から入らないといけないと思うけど、バイパーは目立つな」
「はいはい、変装してやるよ……」
真に言われ、物凄く嫌そうな顔になるバイパー。
「証拠を見つけたら警察に介入させよう」
「いや、そいつは無理だぜ。薬仏警察署は何があっても絶対動かないこと、知ってるだろ?」
「警察の介入なんて無理だぜ。薬仏市の警察はただの置物の税金泥棒だ。少なくとも裏通りが絡むと一切干渉してこねーよ」
真の言葉に対し、阿久津とバイパーが続け様に否定するが、真は小さくかぶりを振る。
「薬仏市にこだわることはない。芦屋に来させる。あいつなら事の次第を教えれば、来てくれるさ」
「芦屋か……。確かにあいつなら来るな」
かつて自分が警察署を襲撃した後、わざわざ芦屋が自分を捕まえに来たことを思い出し、渋い顔になるバイパー。
「管轄外の警察を呼んでいいのですか? それ以前に、来てくれるかどうか怪しいですよ? 来たくても他所の管轄では手が、出せなくはないですか?」
毒嫁が尋ねる。
「安楽警察署は警視庁の管轄だけど、組織的な犯罪や、事件の発生が都内である場合は管轄の外にも捜査が及ぶ事もあるって、以前芦屋に聞いた事があるよ」
「なるほど、それは知りませんでした。失礼」
真に言われ、軽く会釈する毒嫁。
「芦屋には事前に連絡を入れておくか?」
「いや、現地で証拠を掴んでからにしよう。その方が有無を言わさず呼べる」
バイパーに問われた真がそう答えたものの、バイパーはその方針に疑問を覚える。
「先に連絡して時間空けてもらった方がよくないか? 当日他の用事とかあったらどうする?」
「それだと、もしかすると芦屋が先に警察動かす可能性もあるからさ。その時は芦屋以外の知り合いの刑事に頼むさ。芦屋が最適だとは思うけど」
「なるほど……」
そこまで言われて、バイパーもようやく納得した。




