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その日の午前十時、魂魄ゼリーのもう一人の首領が薬仏市に到着した。
胡偉はもう一人の首領のことを人前であまり語らない。それ故に幹部の中には、仲が悪いのではないかと疑う者もいたが、そういうわけではない。
中国勢とアメリカ勢の首領同士で、未だ六回しか顔を見合わせたことがないからだ。故に、胡偉も語ろうにも語れない。せいぜい言えることがあるとしたら、顔のわりに話がわかるタイプ――あるいは顔で損をするタイプという程度だ。
胡偉はいつものようにラフな格好であるが、自分の部下は全てスーツを着ている。全員中国人だ。
魂魄ゼリーの息がかかった高級ホテルの最上階ロビーにて待つ彼等の前に、白人と黒人で構成された一団が現れる。中国勢がスーツ姿であるのに対し、こちらは胡偉のように皆私服姿であった。
「ほう……」
その先頭にいた白人の男を見て、思わず声を漏らす胡偉。
他の男達と比べて背は低めだ。170センチも無いと思われる。しかし肩幅は広く、胸板も厚い。上腕部の太さは服の上からでもよくわかる。何よりそのふてぶてしい面構えが目を惹いた。
顔の造詣そのものは、はっきり言えば不細工だ。顔のパーツが中心寄りなうえに、縦に短く、潰れたような顔をしている。団子鼻で、口はへの字に曲がり、険しい顔つきだ。だがその獰猛とも言える面構えは、人の目を惹き付ける不思議な魅力があった。異性にモテることは無いだろうが、同性からは(変な意味ではなく)親しまれるタイプだろう。
(いいツラをしていやがる。そして……相当できるな。いい兵隊を持っていやがるなあ)
団子鼻のその男を見て、胡偉は感心する。男の全身から、濃いオーラが抑えきれずに漏れているのが、胡偉の目に映った。
一団の中心にいた長身の白人が、前方を固めていた部下達を割り、先頭の団子鼻の男の脇を抜けて、胡偉の前に進み出る。
彼の部下も人相が悪いが、彼のその人相の悪さはさらに際立っていた。センター分けにされたブルネットの髪、馬を連想させるような面長な顔、歪んだ口元、鋭い目つき、眉間に幾つも刻まれた皺、見るからに悪党といった感じの凶顔だ。身長は190を越えていると思われる。
その長身の男の名はケリー・マードック。元ヌーディスト・スクールのボスであり、現在は魂魄ゼリーのアメリカ勢の首領を務める。
「おう、久しぶり。よく来てくれた」
胡偉が愛想笑いを浮かべ、マードックに手を差し伸べる。
「よくもクソも無い。こういう時のための合併なんだからな。合併してから初めての、本格的な戦争とはいえ」
胡偉の手を力強く握り返し、マードックは不敵な笑みをひろげる。
二つの組織の合併は、マードックから提案されたものだ。胡偉はその合併後の在り方を聞き、これまでのマードックのアメリカでの活動履歴や評判を調べたうえで、これを承諾した。
細かな打ち合わせもほとんど行わず、トップ同士でも片手を数えるほどしか会わぬうちに、ほとんど名前ばかりの形での合併となった。名前は一つで二つの組織が存在するようなものだ。
基本的に中国勢とアメリカ勢は独立して動きつつ、仕事の儲けも互いに分けているが、ある程度人員は交えるようにしている。中国勢にもアメリカ勢の人員を派遣し、その逆も行うという形だ。非常時に連携を取りやすくするため、互いの兵士を貸し合っている。マードックの元にも胡偉から譲り受けた兵がいるし、胡偉の元にもマードックの兵がいる。
「そうだな。初めて一つの組織として機能するわけだ」
胡偉の愛想笑いが、マードックとはまた一味違った、渋い笑みへと変わる。
「この抗争を凌げば、日本への強固な足がかりを作れる。薬仏以外の都市にも手を広げられる」
胡偉がアピールするものの、マードックが、胡偉達の日本での活動事情をどれだけ把握しているか定かではないので、このアピールに意味があるのだろうかと、口にしてから疑問に思う。
「中々いい兵隊を連れているようだな」
団子鼻の男に顔を向け、胡偉は言った。団子鼻の男は胡偉を一瞥しただけで、ぷいっとそっぽを向く。ボスが相手だろうとへつらうつもりは無いというその態度が、胡偉はますます気に入った。
「ああ、アドニスの事が気になったかい。流石は元殺し屋だ」
「今でも現役に引けを取らんと思うがね」
元、という言葉に反応して、胡偉は苦笑いを浮かべる。
「アドニスはフリーの殺し屋で、今は期間限定の専属契約中さ。俺の手勢の中じゃあ、群を抜いた手練だよ。戦場のティータイムとの抗争後の拾い物さ。アドニスさえいれば、戦場のティータイムの幹部を何人かとってやれたかもしれねえのになあ」
「勝てたとは言わないんだな」
「戦場のティータイムは化け物揃いだったからな。ヌーディスト・スクールは半壊状態。当時のボスも幹部も殺されまくって、おかげで今は俺がボスだ」
愛想笑いは浮かべていたが、どこか憂いを感じさせる面持ちで語るマードックであった。
***
真はうらぶれたショットバーにて、バイパーと再開した。
「久しぶりだな。ったく、来なくていいもんが来ちまってよ……」
不機嫌とまではいかないが、愛想笑いの一つも無く、明らかに真との接触を歓迎していない様子のバイパーである。
「歓迎できない理由があるのか?」
「ケータイの電源入れたら、ミルクからの着信がわんさか入ってやがった。お前に協力しろだとよ。俺は基本的に暴れる時は一人がいいんだよ」
バイパーがウイスキーの入ったグラスを一気に煽る。ストレートだ。
「暴れてる姿を知り合いには見せたくないわけか。僕は気にしないけどな」
真にあっさりと理由を見抜かれ、酒を噴出しそうになるバイパー。
「俺が気にするんだ。お前は……どうやらミルクに呼ばれたみてーだな。俺への援護のつもりかねえ」
「こっちの因縁や事情までは聞いてないのか?」
「いや……それも全部聞いた。だから余計に気乗りしないわ。お前のじーさんを殺すことになるんだぞ?」
こんな気遣いは無用だろうと、バイパーもわかっているが、それでも確認はとらずにいられない性分である。
「僕もそれを承知で来ている。真偽を確かめてからだがな。真相次第では僕に譲ってほしいんだが」
「そいつは構わんぜ。俺は知り合いの誰かがどうされたってわけで、必ずしも自分の手で、あいつらを潰したいわけじゃねーからな」
そう言ってバイパーは、うるさそうに垂れてきた髪を後ろに払う。
「ミルクの話では義憤て聞いたけど、具体的にどういう理由だ?」
ロリショタ義憤と聞いたが、それは黙っておく真。目の前で少女が殺されて捨てられる所を見たとも聞いているが、一応本人に確認してみる。それだけではないかもしれない。
バイパーは無言でディスプレイを空中に投影すると、短い操作の後、反転して真へ見せた。
「酒が不味くなるな」
人身売買や、子供の臓器摘出の様子を映した画像を目の当たりにし、真はそう呟いてから、ウイスキーを煽る。こちらはロックである。
「同じ都市で、こんなことされていると知ってよ、その気になれば、俺は助けられる力もあるわけだから、黙ってはいられないんだ……。俺はゴミ掃除できる力を持っている。だから、目の前にちらかっているゴミは掃除する」
真から視線を逸らし、バイパーは照れくさそうな口調で喋る。
「俺のこと、正義の味方気取りの馬鹿だと思うか?」
「ああ、そう思うよ」
あっさりと即答する真に、バイパーは苦笑してしまう。
「でも今の世の中、正義の味方気取りの馬鹿が必要なんじゃないか? 馬鹿だとわかっていながらも、その馬鹿を実行せずにはいられない馬鹿。そいつのおかげで助かる奴も出るなら、手段や在り方はともかく、正義の味方はいた方がいいさ」
「馬鹿馬鹿しつけーよ。フォローとしては75点といったところかね」
馬鹿連呼が無ければ、もう少し得点をやってもいいと、バイパーは思う。
「あんたも見ろ苦慕殺の用意してくれる宿に泊まったらどうだ? その後も共闘という形の方が望ましい」
真に勧められるが、バイパーは難しい顔をする。
「阿久津の親分の所か。面識は無いが……俺なんか押しかけてもよ、迷惑になるんじゃねーか? 同じく魂魄ゼリーに敵対している間柄でも、俺の方が激しく敵視されているだろうし」
「バイパーがいれば、迂闊に手出ししづらくなるから、見ろ苦慕殺にしてみればありがたいだろうさ」
「それもそうだな。じゃあ世話になるわ。つーか、言われてから『それもそうだな』って言うの、何かちょっとアレだな」
バイパーが承諾し、真は一息ついた。
その後、酒は程々にしておいて店を出ると、真の見覚えのある人物が一人で、店の前で待ち構えていた。黄強だ。
「ここにいるという情報が入って飛んできたが、帰る前でよかった。相沢真――ボスがお呼びだ」
黄強が告げる。
薬仏市に訪れた際、最初に自分の前に現れた白人の初老の殺し屋も、真を連れていこうとしていたのを思い出す。あの男は腹が立ったので殺してしまってそれっきりであったし、会いに行く前にひと暴れしてからにしようという腹積もりであった。
「えっとな……。俺がお前との経緯をボスに話して、お前を殺す担当を外してもらうようにお願いした。その代わりに、つれて来いと言われた。しかし……バイパーともつるんでいたのか」
この二人が組むとなると、今まで以上に魂魄ゼリーはしんどい事になりそうだと、黄強は思う。増援としてやってきたアメリカ勢の力次第でもあるが。
「お前、魂魄ゼリーの中に味方を作っていたのか」
「違うよ。僕を殺しにきた奴だ。こいつだけ見逃してやったんだ」
バイパーに問われ、真が答える。
「なるほど……そういう流れか。もちろんこいつ一人で、俺は同行できないんだよな?」
「ついてきたら話がややこしくなるので、遠慮願いたい」
バイパーの確認に、やんわりと断る黄強。
「せいぜい気をつけろよ」
「ああ」
声をかけるバイパーに、軽く頷く真。
「まるでちょっと買い物にでも行くような、そんな送り出し方だな。お前のことを信頼しているってわけだ」
立ち去るバイパーの後ろ姿を見やり、黄強が真に向かって言った。
「そんなに深い仲じゃないぞ。会ったのもこれで四度目だか五度目程度だし。一度はやりあってもいる」
「どっちが勝った?」
「早く連れて行けよ」
真のその一言が答えになっていたので、黄強は思わず笑みをこぼす一方で、バイパーがこの真すらも上回るという事実に戦慄していた。世の中どれだけ、上には上がいるのかと。




