1
日本の裏通りと呼ばれる裏社会は他国と違い、単なる無法者達の吹き溜まりではない。『中枢』なる裏社会専門の公的機関を作り、国家によって管理されている。彼等を職業犯罪者としておく方が管理しやすいし、社会全体への悪影響も少ない。国への産業面へのメリットも大きい。
現在における裏通りの存在意義は、かつてのような、ただ海外マフィアに対する防波堤というだけではない。裏の住人をあくまで裏社会の産業に留めさせて、表社会へ進出させることを防ぐため。裏の産業自体の実入りが大きく、国の経済を支える支柱であるがため。また、彼等を争わせて力をつけさせる事で、いざという時の国家の尖兵及び守備役とするためという狙いもある。
だがその暗黒都市――薬仏市の機能は、未だマフィアに対する防波堤としてのニュアンスが強い。人口が多く、歓楽街も多く、金が落ちる美味しい都市。何より、海に面しているのが大きい。
薬仏市は四十年前から、移民と海外マフィアが大量に流れ込んでいる。三浦半島にある複数の市町が併合して出来た暗黒都市で、北にある川崎と横浜の二大都市に、マフィアを流入させないために作られた。神奈川に上陸した裏の住人は大抵、自然とこちらに誘導される。東京都二十三区に、裏通りの勢力を招き入れないための、安楽市と似た役割だ。
実際問題、マフィア達はこの都市にある程度根を張っているため、裏通りや警察との抗争や商売が忙しくて、中々他の都市には進出できずにいる。縄張りを守るだけで精一杯という状態が、延々と四十年あまりも続いている。もちろんそれは、国や中枢の狙い通りの結果だ。
最近になって一部のマフィアが、安楽市をはじめとした他の都市にも進出しだしたが、その規模はまだ小さい。薬仏市の防波堤としての役割は十分に果たされている。
真が薬仏市に訪れるのは初めてではないが、来る度に安楽市との違いを如実に感じる。安楽市は、外観上は普通の都市であり、全く治安が悪そうには見えない。しかしこの薬仏市は、繁華街からして治安の悪さが伺える。見た目からしてゴロツキといった輩が、やたら目につくのだ。そして表通りの住人もそれを受け入れたうえで生活している。
何より移民があからさまに多い。目抜き通りで移民が視界に入らないことなど、全く無い様相だ。
裏路地に入ると、さらに風景が一変する。絶好町にある褥通りよりさらに汚く、危険な雰囲気が漂っている。褥通りでは一応清掃がなされているが、ここではその気配も無く、ゴミだらけだ。血の跡や薬きょうもよく目に付く。
真は裏路地を歩きながら――自ら餌となりながら、獲物が食いついてくるのを待った。事前に情報は流している。
それはすぐに現れた。建物と建物の隙間で待ち構え、真の側面をとった。その距離1メートルそこそこといった所だ。
頭が相当に禿あがった、初老の恰幅のいい白人男性が笑いながら真に銃を突きつけていた。
「早いな。もう来たか」
頭の中でほくそ笑む自分を想像する真。
「何だ、こいつ、あっさりと殺せるじゃねーか」
至近距離で横から真に銃を突きつけ、英語で拍子抜けしたように言う。
(嫌な顔をしている。殺したくなるツラだ)
初老の白人を見て、豚を連想する真。裏通りの住人の中でも、特に最底辺の下衆となると、人相の悪さは画一化される。人種を問わず、大体どれも似たような悪相になる。
この白人は真を捕獲しにきたか、情報を聞きだしに来たといったところだろう。単独で行動している時点で、腕に自信は有るだろうし、実際そこそこにはできるのだろうと、真は見た。しかし――自分と相手の実力の差が一目でわからず、見た目だけで見下してきている時点で、程度は知れている。
「あっさり殺せるかどうか、試してみたらどうだ?」
流暢な英語で言い放つ真。傭兵時代はずっと英語で会話していたが故に、英語はほぼ完璧に使いこなせる。
「試したくてうずうずしているが、まず質問だ。英語も話せるのは都合がいい。日本語はいまいち苦手でね。で、お前はあのバイパーとつるんでいるのか?」
「いいや、関係無い」
正直に答える真。ただし現時点での話だと、心の中で付け加える。
「その質問の意味する所は、バイパーと僕が手を組むことに怯えているのか。ネット上で、僕がお前達の組織に喧嘩を売りにきたという情報にも、あっさりと踊らされているわけだ。結構マフィアってのはチキンなんだな」
淡々と煽る真に、銃を突きつけた男の表情があっさりと変わる。
「この程度の煽りで怒ったのか? いい歳しているくせに、僕みたいな小僧にムキになって、恥ずかしくないのか?」
「必死に余裕ぶっているようだが、自分の立場をわきまえて発言した方がいいぞ?」
銃を突きつけている優位性を過信し、初老の白人男性が嘲笑する。
「自分の立場?」
問い返した直後、目にもとまらぬ速さで真の手が動く。
「え?」
男は一瞬何が起こったかわからなかった。自分の手から銃が消えていた。予めコンセントを服用しておいてなお、真の手の動きも見えなかった。
真の手に握られている銃が、自分の手に握られていた銃であることを理解して受け入れるまで、たっぷり三秒も要した。
「今度はこっちが質問する番だ」
冷や汗を垂らす男に向かって、その冷や汗すら凍らせるような冷たい眼差しをぶつけ、真は声をかける。
「『魂魄ゼリー』の首領、胡偉の指示だな?」
「ああ……」
生殺与奪の権を握られ、男は神妙な態度で答えた。
「今、魂魄ゼリーは、たった一人の男――タブーのバイパーにかき回されている最中なのも、確かなんだな?」
「そうだ……。本部からの増援に加え、外部からも人を雇った……。そのうえ『雪岡純子の殺人人形』、相沢真まで参戦するという情報があって、警戒していた……」
その情報を流したのは、他ならぬ真だ。隠密潜入などする気は無い。挑発して正面から徹底的にやるつもりでいる。
「最後の質問だ。胡偉は僕を殺せと言ったか? それとも生かして連れてこいと言ったか?」
「殺すつもりなら、わざわざ質問もしないだろう……。質問し、確認したうえで、生かして連れてこいと命じられていた」
そう答える男の冷や汗は、脂汗へと変わっていた。
最後の質問は、真にもわかっていたことだ。男には殺気も無かった。しかし念のために聞いてみた。
「じゃあ、さようなら」
真が殺気を漲らせた。
「待て! 俺は嘘など言ってない! ちゃんと本当のことを答えたぞ!」
男が恐怖に身を縮こまらせて叫ぶ。
「僕もそう思う。でも別に喋れば助けると約束はしてない。それにな、お前と僕の立場が逆だった時、お前がどうしたかを考えてみた。間違いなくこうするだろう? そういう奴に対しては、僕もそうする」
それ以上は相手の言を待たず、真は引き金を引くと、男が倒れる前に銃を男の前に投げ捨てた。男が拾える位置に。
頭を撃ちぬいたわけではないので、即死はしていない。しかしそう長くももたない。
死ぬ前に拾って撃てるかどうか試してみろ――声に出さずそう告げていることは、男にも理解できた。
しかし男は、自分を撃った相手に与えられた反撃の機会を使うこともなかった。最期に根性を出して反撃した所で、どうせ避けられると悟って諦め、ただ恨めしそうな視線で睨むだけに留め、息を引き取った。
(会いには行くつもりだ。でも会う前にまず暴れて、こちらの力と姿勢を見せつけておいてからだ)
骸に背を向け、真は声に出さずに呟いた。
***
魂魄ゼリーの遣いをにべもなく殺害した後、真は引き続き薬仏市の中をぶらぶらと歩いていると、再び真に接触を図る者が現れた。
人数は六人。そのうち、真ん中にいる一人は、綺麗に頭の禿げあがった着流し姿の小柄の老人であり、周囲の屈強な男達と比べて見劣りする見た目であるが、その風格から嫌でも彼等の頭である事がわかる。
その人物の名を真は知っている。阿久津皇助。薬仏市でもかなり大きな護衛組織『見ろ苦慕殺』のボスである。
「おう、はじめましてだな。よく来た」
にっこりと笑って、阿久津の方から声をかけてくる。いかにも気さくな好々爺といった感じだ。年齢は六十後半から七十代といったところか。
「よろしく。わざわざ出迎えにきてくれたのか?」
真が問う。この人物と会うのが、真の目的であった。事前に連絡も入っていると聞いている。
「光圀の兄貴の頼みとあっちゃ壊れねーし」
光圀というのは、真が朝のジョギングでよく顔を合わせる老人の名だ。
「それに、こっちも街ン中の動きはそれなりにチェックしてるしな。そういや聞くの忘れてたけど、光圀の兄貴とはどういう関係なんだ?」
「朝のジョギング仲間だよ」
「そんな関係なのかよ。まあ何にせよ歓迎するよ。いや、社交辞令じゃなくな」
阿久津の言う社交辞令ではないという言葉の意味も、真は知っている。
現在、阿久津が取り仕切る見ろ苦慕殺は、激しい抗争中にある。真はそこに食客として迎え入れられる形であり、当然戦力としても勘定されているからだ。真もそれを承知のうえで接触した。
(急がないといけないな。下手したら、魂魄ゼリーのボス――胡偉が、バイパーに殺されてしまうかもしれない)
真は思う。そうなってしまえば、自分がここに来た意味も無くなってしまう。
(できれば先にバイパーと接触したい所だ)
そうすれば、目当ての人物が、バイパーに先に殺されることも無い。




