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その日、鬼町正義は雪岡研究所を訪れた。
純子と対面した正義は、自分がここに来た経緯を大まかに述べる。両親を殺害されたが、警察は殺人という事実を露骨に揉み消したことと、殺人倶楽部という存在による犯行であるが故に、警察が事件の隠蔽を図ったことも話した。そしてそのうえで、その組織と戦うため、自分にも力が必要だという要求もした。
ついこないだまで、普通の実験台志願はお断りにしていた純子であるが、実にタイミングよく、それらも再開した所である。そしてつい先日まで、雪岡研究所のサイト上に殺人倶楽部の案内も出していた所だ。
(それを見たうえで来たのか、それともすれ違いで、私がオーナーだと知らずにきたのかな?)
おそらく後者であろうと、純子は見なす。しかし、自分が殺人倶楽部のオーナーだと承知のうえで、それを知らない振りをして接触してきた可能性もある。
純子は思案する。この鬼町正義なる人物が、単独で動いているかどうかも怪しい。話を鵜呑みにはできない。
(それとなく探りを入れてみるかなー)
ホルマリン漬け大統領以外にも敵が発生し、自分の預かり知らぬ所で動いている可能性とて十分にある。正義の背後にそれがいるのではないかと、純子は考える。
「殺人倶楽部のことは、誰から聞いたのー?」
「それは言えない」
これは予想通りの答え。しかし段階を踏まえるには必要な質問だ。
「えっと、正義君はネットとか見ないのー?」
少し変わった角度で責める。二十一世紀後半になっても、インターネットを忌避する層はそこそこにいる。
「普段は見ない。あんなの見てるとどんどん馬鹿になるって、じっちゃんが言ってたし。でもここの場所を知るために、生まれてはじめて触れてみた」
「そっかー。うん、お爺さんの言う通りだねー。見ない方がいいよー」
にっこりと微笑むネットジャンキー純子。
「でもさー、殺人倶楽部に対抗したいから力を得ようという発想も、ちょっと漠然としすぎてない? 具体的にどういう敵がいるとか、そういうのもわかっていない状態で、命をチップに使うのはどうなのかなあ?」
普段の純子とは異なる発言をしているのも、探りを入れるためだ。大雑把に力を欲するという気持ちも、純子にはわかるし、それは理屈としても通っていると思っている。
「覚悟はある。それに、強大な敵と事を構えようとしているんだから、できることは全てしておこうというのは、おかしいことではないだろ?」
「改造すれば死ぬかもしれないよー?」
「その覚悟で来たと言っているだろう?」
純子がその気になれば容易に殺せるし、いろいろと仕込みもできる。そのニュアンスを込めて尋ねてみたが、相手に動揺は感じられなかった。正義が自分を敵視しているのなら、今の揺さぶりで多少は心が乱れると見なしていた。
事実としては、単純に正義の覚悟が強かったが故に動揺しなかったのだが、純子は可能性として、正義が自分の正体を知らない方に賭ける。もちろん、事実の方の可能性を完全に捨て去ったわけではない。
「じゃあ、早速改造を――ちょっと待ってね」
純子が空中にホログラフィ・ディスプレイを開く。
(あ、また一人殺人倶楽部の会員が殺された)
会員の状態は全てチェックしている純子である。
(真君の仕業かなあ。まあ、私の予定通りだけどねえ。善人悪人無関係に殺せるっていうコンセプトにすれば、真君は絶対こうすると思っていたし)
純子からすれば、真に遊び場を提供してやるつもりで、殺人倶楽部をこのような悪辣な組織へと仕立てあげたという面もある。そして真がこういう形で絡み、自分に反発して動く方が面白いとも考えて。
***
優が帰宅すると、父の光次は目覚めていた。
「ごめんなさい、一晩空けてしまって」
「いや、いいよ」
謝罪する娘に光次は、本心は良くないとしつつも、表面上はそれを出さずに笑顔で取り繕う。
「あちらの世界に行っているのか、夢なのかわからなくなってきた」
優のことなど何も聞かず、まず自分の話をする光次。
「それとも今まで見てきた全ては、夢だったのか?」
境目がわからなくなってきたことに、光次は大きな不安を感じていた。自分が本当に正気を失い、自身の制御ができなくなりつつあるのではないかと。
「最近はどんな世界に行ってるんですか?」
父に合わせ、優は尋ねる。
「優も出てくるんだ。最初はパラレルワールドか何かと思った」
その言葉に優は一瞬大きく目を見開く。
「犬飼君の『殺人倶楽部に行こう』という小説を知っているだろう? あれを現実で模倣しているんだ」
さらに続けて口にした父の言葉を聞き、優は作り笑いを浮かべる。
「それは面白そうですね」
「うん、面白いけど……今までには無い展開で、こっちに戻ると戸惑うね。現実でもあっちでも優と一緒にいるなんて」
そこまで話したところで、光次は大きく欠伸をした。内蔵が悪いのか、かなりひどい悪臭が漂うが、優は全く顔色を変えない。
「少し……寝る。やはり夢では無いかな。こんなに眠いのでは……」
光次が床につき、すぐに睡眠へと入る。
「私はずっと辛い気持ちで生きているのに、父さんは空想の中でいつも楽しそうですねえ。逃げてて楽でいいですねえ」
スカートの裾を握り締め、陰のこもった声で呟く優。
「私はずっと辛いのに、世の中にはそうでない人も――幸せに生きている人も沢山いる。そんな人達から線を一本抜いて、私にその線を足したい――ずっとそう思っていましたが、それもかなうかもしれません」
まだ実行はしていない。実行には踏み切れない。しかしいつでも実行できる力と権利は手に入れてある。
***
芹沢鋭一はその日の夜も、コンビニでアルバイトをしていた。
「鋭一君、今日もお疲れ様」
「お疲れ様でした」
上がろうとした際に、年配の女性店員と別れを告げ、そのまま外へと出ようとする。
(あ、歯ブラシ買うのを忘れてたな)
店を出てすぐに、踵を返して店の中に入る。
そこで鋭一は、殺気が放たれるのを感じ取った。
悲鳴があがる。嗅ぎ慣れた血の臭いが鼻につく。
十数秒前に挨拶した年配女性店員が、店内で血まみれになって倒れている。
いつも鋭一に親切にしてくれた、五十代くらいの明るい女性だ。店の雰囲気も彼女のおかげですこぶるよかった。
服に滲んだ血。おそらくは胸へのナイフによる刺し傷。
思考停止してその場で固まって、年配店員を見下ろす鋭一の脇を抜け、早足で店の外へと出る一人の男。そいつの表情を、鋭一は確かに見た。
醜悪な顔に醜悪な笑みが張り付いていた。
「救急車呼んで! 警察も!」
店員が叫んだような気がする。ペイントボールを握り締めたまま突っ立ち、自分で呼ばずに叫んで他力本願の時点で、結構混乱しているなと、鋭一はひどく冷めた頭で考えていた。
ショックによる硬直から解き放たれた鋭一は、店の外へと飛び出した。
間違いなく今の男が犯人だ。そして――
(申請無しでの攻撃になるが、相手は殺人犯だ。特例として認められるはず。いや、認めるべきだろう、これは)
鋭一はすぐ男の背を視界にとらえた。中肉中背、歳は二十代前半くらいの男だ。
自分を追ってきた鋭一を見て、男は慌てて逃げる。
角を曲がった所で、信じられない事が起こった。男の姿が消えたのだ。
(どこに……? いや、どこに消えても無駄だ。すでにロックオンした)
腕を振り、透明のつぶてを降らす鋭一。標的としてロックオンすれば、次の発動までの間、かなりの距離が離れても、そして視界から消えても、相手めがけてつぶてを降らせることが可能である。ただし一度発動すれば、ロックオンから外れてしまう。
腕を振る動作が相手に悟られなくなるため、敵から認識されない場所にいれば、一方的に攻撃ができる。
「ぐあああっ!」
かなり離れた場所で悲鳴があがる。
(あんな所に……)
驚く鋭一。普通に走っていただけでは、絶対にあそこまで遠くにはいけない。超常の能力を用いて移動したのは間違いない。
(まさかあいつも殺人倶楽部の者か? だとすると厄介だ。ルールに違反した攻撃をしてしまった事になる)
殺人倶楽部の者を標的とする場合は、予め決闘の宣告をして、それに相手が応じた場合のみだ。殺人申請無しに攻撃した事もややこしいが、相手が殺人倶楽部の者であった事を知らずに攻撃という、さらなるややこしい事態を招いてしまった。
「畜生ォっ! どこだ!?」
男は周囲を見回して叫ぶ。
(能力を使ってさらなる逃走が出来ないという事は、連続して使えない枷があるか、さもなければ誰かに認識されていると使えないという枷があるか、どちらかだな)
角を曲がった瞬間にいなくなった事を考えてみても、男の今の台詞からしてみても、後者の可能性が高いと見る鋭一であった。




