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暁優、藤岸夫、鈴木竜二郎、芹沢鋭一の四名は、すぐに移動を開始した。徒歩で最寄りの駅へと向かい、電車の下り線へと乗る。
これから依頼殺人へと向かう。見ているだけでいいと言われたにも関わらず、岸夫はずっと緊張している。
「岸夫君、質問したいことがありましたら、どうぞ今のうちに質問をしてくださいねー。できるだけ答えますよー」
竜二郎が穏やかな微笑みを浮かべて声をかけるものの、周囲には乗客がいる電車の中なので、できる質問は限られている。
「皆さんの会員レベルは?」
「俺は12になったばかりだ。つまり能力は二つと考えていい」
眼鏡を指で押し上げ、鋭一が答える。
「僕は今回の依頼が済めば15です。能力三つ目ゲットですねー」
と、竜二郎。
優の方を見る岸夫だが、優は視線を逸らしてうつむき、答えようとしない。
「そいつのレベルにはあまり触れてやるな」
「気遣いさせちゃう面倒な子でごめんなさぁい」
鋭一が助け舟を出し、優が謝罪する。
「他の二名も……皆未成年なんですか?」
「今は六人中五人が未成年です。僕達のグループ外ではわりと大人もいるみたいですけど」
「唯一の成人がいまいち頼りないけどな。まあ温和な奴だし、その分、気遣いがいらなくていいという一面もある」
竜二郎と鋭一がそれぞれ答える。殺人倶楽部などに入っている人間にも関わらず、温和だというのがちょっとおかしく感じられたが、こうして接していると、竜二郎も優も温和そのものだ。鋭一は、やや神経質で尊大で皮肉屋っぽいが。
四人で当たり障りの無い会話を交わしていると、目的の駅へと着いた。
随分と辺鄙な田舎町である。周囲にはほとんど人の姿も無く、緑が多い。
「ところで、お前は何で殺人倶楽部に入ったんだ? 殺したい奴がいるのか? それとも殺しに憧れてるのか?」
「えーっと……」
鋭一に尋ねられ、岸夫は思案する。最早電車の外なので、ヤバい会話もある程度気兼ねせずできる。
「おやー? 何でそこで考えるんでしょう?」
「こんな程度で緊張して答えられないとかなのか?」
岸夫の反応を訝る竜二郎と鋭一。
一方で、優がそわそわしているのも視界の片隅で確認し、竜二郎はそれもまた不審に思う。
「何だったのか……あれ? 何でだろう。わからない。でも俺は……ここに来るのが自然な流れみたいな感じだったし、殺人倶楽部のことも知っていた」
「犬飼一さんの小説を読んだんじゃないですかあ?」
優が口を開く。
「それだっ。きっとそれだっ」
ぽんと手を叩く岸夫。
「きっと? 君、記憶喪失か何かですか?」
不審がる竜二郎。鋭一も胡散臭そうに岸夫を見ている。
「いや、でも殺人倶楽部の小説は確かに読んだ記憶がある。それだけはガチ。他は……いろいろと覚えてない」
断言した後、岸夫は不安そうな面持ちになって言った。
記憶喪失――確かにそうだ。岸夫は自分のことをよく覚えていない。
しかもそれを指摘されるまで、岸夫は不思議に思うことすら無かった。自分が何者なのかよくわからないのに、深く考えもしないし、悩みもしなかった。
***
今回の依頼殺人は時間と場所も指定されている。見届け人もつかず、相手は元殺人倶楽部のメンバーときている。
「えっとぉ、殺人倶楽部だった人がターゲットなのに、どうして時間と場所も指定なんでしょうねえ?」
優がぽつりと疑問を口にする。
「俺もそれは疑問だった」
鋭一が眼鏡に手をかけ、優を一瞥する。
依頼殺人は、復讐依頼の殺人請負もすると、殺人倶楽部のオーナーであるマッドサイエンティスト、雪岡純子より聞いている。その場合、依頼者がどこかで見ているが故の、時刻と場所の指定となる事もある。いずれにせよ、時刻や場所の指定が入る依頼自体が珍しい。
「おそらくは純子さんが狙いやすいタイミングを調べてくれたからこそ、時間と場所の指定なのでしょう」
と、竜二郎。
「いや、そうだとしても、時間と場所指定するってことは、相手の行動スケジュールも把握済みってことだろう? 殺人倶楽部のルールを犯して始末される相手が、果たしてそんな規則正しい動きをしているのか、それが疑問だ」
鋭一が言った。ルールを犯した身であるし、当然自分が狙われる立場であるとわかっているであろう。そのような立場でありながら、日常生活を送っているのだろうかと。
「今まで何人か、殺人倶楽部のルールを犯した者の粛清はしましたが、危機感の無い人ばかりだったじゃないですか。だからこそ、ルール無視とか平然と出来るタイプなのでしょうけど」
「言われてみればそうだな」
竜二郎に言われ、鋭一は納得する。
「えっとぉ、正直……私には理解できないタイプです。前もってルール違反したら殺されちゃうってわかっていながら、特別な事情があるわけでもないのに、ルール違反するなんて、ねえ?」
物憂げな表情で優が言った。
(可愛いなあ。会った時からずっと、物凄くこの子のこと気になる。恋心かなー)
一方、会話には参加せず、ひたすら優を見つめる岸夫。
(たまに表情が暗くなるのが気にかかるけどなあ。何でかな。この子の暗い顔を見ていると、俺の胸が凄く痛む)
岸夫がじろじろ見ていると、優が視線に気付き、岸夫へと目を向ける。視線が合い、岸夫は照れ笑いを浮かべるものの、わざとらしく視線を外そうとはしなかった。彼女に目を向けられたまま、ずっと見ていたかったので。
「僕にも理解できませんよー。何となくこうなんだなーと推察する程度です」
「根本的に俺達とは違う人種だろう? 頭も悪いんだろうさ」
「ですよねー。殺人倶楽部なんていう活動している身で、こんなこと言うのもおかしいですが、普通、集団に所属するなら決められたルールに則って動くでしょう」
「確かにおかしいな。殺人倶楽部のルールは守っても、国の法は破っているのだから」
竜二郎と鋭一が喋りあうのを見て、この二人は見た目こそ対照的だが、気が合うのかなと、岸夫は思う。
「法律犯して人を殺しちゃっても、殺人倶楽部のルールは遵守するのは、おかしいことじゃないと思いまぁす」
優が口を開く。
「ほう、その心は?」
興味深そうに尋ねる鋭一。
「殺人倶楽部のルールと特典、その両方に納得して、私達は自己選択して入ったんですから、守らなくちゃ駄目ですよう。一方で国のルールは、誰かが勝手にあれこれ作ったおかしな代物ですし、納得して暮らしているわけでもないんですぅ。国のルールを事前に見て、選択したわけでもないので、適度に破ってもいいと思うんですぅ」
控え目な口調ながらも、自分の考えをきっちりと述べる優。
「面白いだろ、こいつ。大人しそうに見えて、わりと侮れない奴だからな」
不意に鋭一が岸夫の方を向き、優を親指で指して言う。岸夫は大いに納得し、優は照れくさそうにうつむいた。
***
山の中に建つ、庭の無い小さな一軒屋。四人はその正面にそびえる一本の大木の裏で、ターゲットの帰宅を待って張り込む。
依頼内容の時間指定によると、あと三十分前後でターゲットが帰宅するという。午後六時。すでに日は沈みかけ、辺りは薄暗い。
いよいよ殺人に臨むという時間帯になって、岸夫の緊張は増す。自分は見学に徹するというにも関わらず、気持ちが落ち着かない。
一方で、殺人倶楽部などという現実味の無い集団に属したということが、未だ実感しがたいという面も強い。矛盾した二つの気持ちが存在する。
冷静に考えてみると凄いことだ。運良くこの倶楽部に属した者だけ、条件化の元に殺人の許可が下りるのだから。フリー殺人は、会員レベルに応じて月に何回までと回数が制限されて決まっているし、事前に殺人申請手続きなども踏まなければいけないが、その許可さえ下りたなら、殺したい相手を殺してお咎め無しだ。とんでもない特権を自分は得た。
岸夫は考えない。何故自分がそのような組織に属したかも。そして誰か殺したい人間がいるかも。一切考えない。
(おかしいな。普通考えるはずだぞ。いや、考える考えない以前に思い出せない。そして、どうでもいいと思っている。これ、おかしい。でも深く考えたくない……)
戸惑いを覚えるが、その戸惑いが急に消えていく。
「大丈夫」
力強い声がかかり、どきっとする岸夫。優だった。これまでの優とは全く異なる声に、岸夫は目を丸くして優を見る。
少女はほんわかした笑みを浮かべて、確かに自分を見つめていた。その笑顔を見て、岸夫の心は満たされる。
(どうしてだろ。ずっと昔から、この子を知っているような気がする)
そう思うことが、全然不思議ですらないように、岸夫には感じられる。
「来たぞ」
鋭一が小声で囁く。
家の前に、仕事帰りの農夫が現れた。
「こちらには気がついてない。不意打ちできるし、もうこの時点でほぼ勝ったも同然だな」
鋭一がほくそ笑む。
「油断しないでくださあい。隙を見せている風を装い、誘っているかもですよう」
優に危機感の無い声で注意され、鋭一はあからさまにむっとした顔になる。
「まあお前の言うとおりか。だがこっちは三人だし、誘っているにしても、どう考えてもこのポジションでは先制攻撃できるけどな」
「鋭一君や卓磨さんみたいに、攻撃を反射するとか、呪いにして返すとか、そんなこともあるかもですけどねー。で、誰が行きます?」
竜二郎が鋭一一人を見ながら尋ねると、鋭一は農夫に向かって殺気を放つ。
一方で岸夫は、鋭一の殺気にも気付かず、卓磨というのはここにいないメンバーなのかなと、漠然と思う。
「うげっ!?」
突然農夫が悲鳴と共に、見えない何かで頭を殴られたかのように、頭から吹っ飛ぶ形でうつ伏せに倒れた。
「ち、畜生っ、きやがったか……」
農夫が呻く。
「予期していたのに、何をのんびりと歩いているんでしょーねー」
呑気な声で竜二郎。
農夫が顔を上げる。激しく流血し、顔は血まみれだ。三人の潜んでいる茂みへと振り向くが、その直後、再び見えない何かが農夫を襲い、農夫の頭部を直撃した。農夫の頭が上から殴られたように激しく揺れ、再びうつ伏せに倒される。
その衝撃は一発だけではない。頭に何発も同時に食らっている。小さい石のようなものを何発も頭部に集中してぶつけられているような、そんな感触であった。
「あらら、反撃もさせず一方的ですかー」
「戦いを楽しむのもいいが、危険を冒さず殺しに徹することができたら、その方がいい」
茶化すように言う竜二郎に、鋭一は真顔で答えて眼鏡に手をかける。
三回目の鋭一の攻撃で、農夫は意識を失った。さらに四回目、五回目と繰り返し、その度に農夫の体が揺れる。しかし農夫自身の意思ではもう動かない。動くことは無い。
「あっさり終わりましたねー」
茂みから出る竜二郎。頭部を砕かれて血まみれで倒れる農夫の凄惨な死体を見下ろしても、彼の穏やかな表情が変わることは無いのを見て、岸夫は、竜二郎も殺人倶楽部の会員であると言う事を実感できた。
「お疲れ様でぇす」
「お、おつかれさまっ」
一人で片付けた鋭一に、ねぎらいの言葉をかける優と岸夫。
「拍子抜けだな。ま、これで殺人経験値一人あたり9は美味しい」
鋭一も茂みから出る。
「うまく不意打ちがはまったからであって、正面から一対一だったら、苦戦したかもしれませんよ? レベルも11で、二回も改造されているらしいですしねー」
竜二郎が言う。
「ところで、どんな違反したの?」
「フリー殺人で、殺人申請もなく四人も殺したそうです。同じ町の知り合いばかり、一ヶ月のうちにね」
「何かしら恨みがあって、それを抑えきれなかったのか、あるいは殺人中毒になってしまったのかだな。いずれにせよ愚かしい」
岸夫の問いに竜二郎が答え、鋭一が眼鏡に手をかけながらニヒルな口調で吐き捨てた。
その後、死体を放置し、そのまま駅へと向かって帰宅しようとする四人。
(あれれ……?)
歩いている途中に、岸夫の意識が薄れていく。
(浮かんでいく。上へ。重力を下とした上にではない。目の前の面の、手前の反対――奥の上ではない。三次元でも二次元でもない。四次元の上へ。一つ上の世界へ……。まるで夢から覚めるように、世界がめくれていく……)
視界が急速にぼやけていく。何か決定的な変化が自分に起こっている。しかし岸夫に危機感は無い。戸惑いすら覚えない。
「岸夫君?」
急に立ち止まった岸夫を不審に思い、怪訝な顔で振り返る竜二郎。他の二人もつられて自分の方を向いたような気がしたが、すでに岸夫には見えていなかった。




