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「俺は木島一族頭目、木島蝶治」
緊張感の無い笑みをたたえた少年を見据え、蝶治は名乗る。
「白狐家当主、白狐弦螺だよう。脳筋タイプが相手でよかったあ。僕も接近戦が好みなんだよう」
弦螺が名乗ると、木島の鬼達がどよめく。名高き妖術流派の白狐家の名を出され、あまつさえその当主であると告げられ、動じずにはいられなかった。
(その体で接近戦か)
自分の胸までも及ばぬ身長の弦螺を見下ろし、蝶治は獣之帝との手合わせを思い出した。体の大きさ云々を超越した身体能力に圧倒されて完敗したため、油断はできない。
蝶治の見ている前で、弦螺の雰囲気が劇時に変化した。笑みが消え、はっきりと視認できる白いオーラのようなものが、全身より立ち上る。特にその両手からは、白い輝きが強く発せられているのを確認した。
(つまり手から攻撃をしてくるつもりだな)
弦螺の両手に警戒しつつも、蝶治は身構えたまま、弦螺に向かってすり足で少しずつ接近し、あと少しで手が届くという距離で足を止める。
カウンターを狙っていた弦螺は、相手に意図を読まれたことを知るが、特に構えもしない。いや、一見構えていないように見えて、これが弦螺の戦闘体勢だ。脱力してだらりと下げた両手には、すでに武器が握られている。
(おーおー、ただの脳筋じゃないみたい。これは歯応え有りそうだよう)
蝶治が自分の両手を警戒し、そこに危険がある事も見抜いている事も知り、弦螺は嬉しくなる。
ゆっくりと左側へ回り込むように動く蝶治、弦螺もそれに合わせて体の向きを変えるが、蝶治はそれ以上接近しようとはしない。同じ距離を保ち、牽制に徹している。
(僕の方から来いと誘ってるわけか。じゃ、お望み通り、行っくようーっ)
次の瞬間、蝶治は目を剥いた。
弦螺の姿が文字通り消えた。
人型の白い輝きだけが残っていた。まるで弦螺の残滓のように。そしてその白い輝きが蝶治に向かってくる。
怖気が走り、人型の白い輝きに触れまいとして、蝶治は横っ飛びに転がって、白い輝きをかわした。触れることは極めて危険だと、本能が告げていた。
(奴はどこだ? あの白いのが奴の成れの果てか?)
蝶治がすぐ横に転がる材木を手に取り、白い輝きめがけて投げつける。
次の瞬間、避けた事が正解だったと安堵させる出来事が起こった。投げつけた材木が真っ二つに切断され、白い人型の輝きの後方へと吹っ飛んでいった。
(どうすりゃいいんだ、こんなもん。敵の術の正体がまるでわからん。そもそも小僧はどこへ行った? 何が接近戦が得意だ。こんなわけのわからん妖しい術を用いておいて……)
接近する白い輝きから逃げ惑うようにして、蝶治は距離を取り続ける。
(奴が脳筋丸だしで、難しいことを考えずに戦っていたら、多少は善戦できたかもしれないのにな)
獣符を駆使して、他の鬼達と戦う合間に、白い輝きから逃げ続けるだけの蝶治を視界に収め、志乃介は思う。
(弦螺が接近戦を得手としているのは本当だ。あいつは幻術と空間操作とを組み合わせた接近戦を、得意としている。あの白い光のようなものはただの幻術。弦螺はただそこにいる。さらに言えば、弦螺はまだ遊んでいる。本気を出せば――空間操作も用いれば、一瞬に勝負はつく)
からくり自体は単純なものだが、そのからくりを例え見抜いたとしても、弦螺に勝てる者などそうそういないと、志乃介は見ている。
***
桃島と宗佑は足斬り童子と腕斬り童子の混成集団を退治し、一息ついていた。
「結構しんどかったな。上段と下段の連携攻撃が……」
妖達の死体を見渡し、宗佑が呟く。傷は浅いが、肩口を斬られて出血している。
「手当てをする」
桃島が短く告げ、宗佑の服を脱がしにかかる。
「俺みたいな極悪人、放っておけばいいのによ」
未だ憎まれ口を叩かずにはいられない宗佑。しかし手当て自体は素直に受けている。
「人は罪を犯すように出来ている。犯した罪を悔やみ、過ちを繰り返さぬよう心がけることもできる。過ちの結果、死なないかぎり――だが」
桃島のその言葉が、宗佑は気になった。
「お前も罪を犯したのか?」
「ああ。実の息子を苦しませて殺した」
宗佑の問いに、桃島は無表情に手当てを続けながら即答した。
「息子は人を殺した。殺意があったわけではなく、喧嘩のはずみでという話。俺はそれを責めた。桃島の面汚しだと、お家の体面などを引き合いにして責めた。あの子は自害した。遺書にはこう書かれていた。『誰も助けてくれない。せめて家族には理解して欲しかったが、それもかなわず。この世に居場所無し、未練無し、苦痛と恨みは無尽に有り』」
桃島の話を聞き、宗佑は言葉を失っていた。この男にそのような重い過去があるとは、想像してもいなかった。同時に、桃島が何で自分の世話を焼いていたのか、何となくわかったような気がした。
「妻には人でなしとなじられた。その妻も、息子を助けられなかったことを悔やみ、悲嘆に暮れる日々を送り、一年後には体を壊して、あっという間に逝った。俺に残ったのは罪の痛み、罪の悔やみ、罪を償う人生」
この男は自分を息子に見立てていたのだろうかと、宗佑は勘繰る。それも含めて、償いのつもりでいたのかとも。
会話途中、妖気が近づいてくるのを二人は感じ取る。
「おい……これは……」
接近するに連れて、その妖気が途方もなく強大であることを感じ、宗佑は慄然とする。
それは空から現れた。
夜空故にわかりづらいが、背中から生えた虫状の翅で飛んでいる。いや、二人の上空に現れた際には、空中で制止していた。翅だけは高速で動かした状態で、空中で止まっていた。
燃えるような真っ赤の髪と目。鮮やかな桜色の肌。あどけなく、優しそうな印象を与える整った顔。二本の桃色の角。一糸纏わぬその体は、筋肉も脂肪も骨格も、成長しきっていない少年のそれであった。
「くうぅぅ~……あぁぁ……」
二人を見下ろし、赤く美しい少年の魔物――獣之帝は、真っ白い歯と牙を見せ、無邪気に笑いながら、喉の奥から空気を漏らしたような声を出す。
向かい合っただけで気圧され、恐怖する二人。
(何だ……。見ただけで震えが……。俺だけじゃなく、桃島のおっさんまで……)
豪胆な桃島でさえ、はっきりと恐怖の面持ちへと変わり、震えているのを見て、宗佑は絶望にも等しい気分を味わう。
だがその恐怖はまだ序の口に過ぎなかった。
「くうぁあぁあぁぁあぁあああぁぁぁぁっ!」
獣之帝が咆哮をあげる。二人の恐怖は何倍にも膨れ上がり、宗佑などは足が震えるあまり、その場にへたりこみそうになる。腹の底から震えるという表現を聞いたことがあるが、今まさにそれを味わっている。
咆哮そのものに、人の心に恐怖をかきたてる効果があるのは確かだ。上級妖術師である宗佑や、豪放磊落を地で行く桃島にすら、絶大な威力でもってそれは発揮された。
「くうぁ!」
獣之帝の姿が消える。
「ぬがあっ!」
桃島が銀嵐之盾を振りかざし、獣之帝の上空からの攻撃を受け止めた。桃島の巨体が1メートルほど後退する。
獣之帝の姿がまた消える。正に目にも止まらぬ速さで飛翔し、鳥などには絶対に出来ぬ動きで、直角に曲がって、桃島の側面へと回りこんで、蹴りを繰りだす。
巨大な盾をいとも容易く振り回して、獣之帝の攻撃に合わせて、盾で受け止める桃島。しかし受け止めた瞬間、桃島の体が盾ごと大きく横に傾き、三歩も後退してしまう。
「くぅぅ」
二度も自分の攻撃を防いだ桃島を見て、獣之帝は喜悦の表情を浮かべる。
今度は後ろに回りこんだが、桃島も合わせて反応し、またしても盾で受け止めた。
(すげえ……あんな目にも止まらぬ動きを見切ってるのかよ。しかも、あの威力を受け止めている)
帝の攻撃を防ぎ続ける桃島を、宗佑は感嘆の眼差しで見ていた。
獣之帝の繰りだす攻撃の威力がどれほどのものか、見てわからぬ宗佑ではない。一撃を受ける度に、桃島の体が盾ごと大きく後退して、地面のその跡をつけている。それでも桃島は、防ぎ続けている。
「くあっ」
一声叫び、今度は上空から桃島の頭部を狙って拳を振り下ろす獣之帝。桃島は盾を抱え上げてそれも防いだものの、上からの衝撃に耐え切れず、激しく尻餅をついて、隙を露わにする。
(不味いっ)
桃島があからさまに危機と察し、恐怖を押し殺して、宗佑は助太刀せんと術を唱えかける。
だが宗佑は術を中断させた。帝は追撃しようとせず、空で制止して、桃島から視線を外し、夜空を見上げていた。
「くぅぅぅぅぅぅ……」
獣之帝が低く唸ると、信じられない出来事が起こった。
晴れ渡っていた夜空に、見る見るうちに黒い雲が立ち込めたのだ。見える範囲空一面が雲で覆われたわけではないが、三人のいる上辺りには、巨大な黒雲が浮かんでいる。
黒雲はごろごろと音を立てて鳴っている。紫色の光を発している。
(いや……まさかだろ? こいつが雷雲を呼んだだと?)
信じたくはない宗佑であったが、しかし信じるしかない事態が、直後に発生した。
耳をつんざく轟音と、目のくらむ紫電。そして爆発。宗佑の体が熱い爆風によって吹き飛ばされる。
術で作った電撃ではない。雷そのものを呼んで落としたのだ。それ以前に雷雲を発生させてもいる。
(もう……妖の……生物の次元を超えている……。これは神じゃ……)
落雷によって生じた爆風で吹き飛ばされた宗佑は、あまりに現実離れした獣之帝の力に、自分は悪夢でも見ているのかとすら思った。
「ちょっと……痺れた……」
宗佑の耳に、桃島の声が届く。
宗佑が身を起こして声の方を見ると、盾を構えている桃島の姿があった。
「あの雷も……盾で防いだってのかよ」
呆然とする宗佑。数億ボルトの雷撃と、吹き荒れた熱爆発さえ、あの盾は耐えられる代物らしい。
「くぅぁあ」
獣之帝が嬉しそうに唸り、上空を指差すと、雷雲がごろごろと鳴り出す。
指を勢いよく振り下ろすと、その動きに合わせて、鼓膜を貫く轟音が鳴り響き、目を焼く紫電が降り注ぐ。
宗佑は反射的に片腕で顔を覆いながらも、爆風と閃光の中、はっきりと見た。明らかに落雷が桃島に直撃している光景を。しかし、雷が全て盾に集約したかと思うと、周囲に紫電を飛散させていた。
確かに盾で防いでいるのはわかる。だが桃島も全く無傷というわけではないのもわかる。
「ふー……堪えるな」
桃島が笑いながら片膝をつくと、宗佑の方に振り返った。
「行け」
顎でもって、二人が乗ってきた車を指す。
「俺が防ぐ。行け」
「何でだよ……何で俺なんかを……」
涙声を漏らしている事に、宗佑自身が驚いた。
「合理的に助かる方法を考えた。それだけだ」
「じゃあ……じゃあ俺が残るからあんたが逃げろよ! 俺みたいな悪党を逃がして、あんたみたいな人が……おかしいだろ!」
「駄目だ。それでは二人共死ぬ。俺ならお前が逃げられる時間を稼げる。でも逆は無理だ」
「早く行け」
「だったら俺もここで戦って……」
言葉の途中に桃島が足元にある石を投げ、宗佑の頭を打ち据えた。
「くぅぅ……」
獣之帝は空気を読み、二人の様子を見守って、手出しを控えている。
「行け!」
再び獣之帝を見上げ、桃島が叫ぶ。
宗佑は泣きながら車に乗り、発車させた。
車を走らせている途中、後ろから何度も何度も続け様に雷鳴が響き、後方が光る。
「やめろよ……もう、やめろよ……何度落とす気だよ……」
涙声でそう口走りながら、走る。しかしその祈りと言葉を嘲るように、雷鳴は幾度も響く。
車は走り続ける。雷鳴は徐々に小さくなっていく。そして……
雷鳴が止んだ。何度も立て続けに鳴っていた忌まわしい轟音が、聞こえなくなった。
(止んだ……? 止んだってことは……)
それが何を意味するか理解して、宗佑は呆然とした面持ちで、全身をかたかたと震わせながら、車を走らせ続ける。
「うおお……うわあああぁぁぁっ!」
理解したくないことを理解し、その事実を受け止めた宗佑は慟哭した。




