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大正十一年。日本各地で怪奇現象が頻発し、そこかしこで妖怪や幽霊の類が出没し、人々を襲いだした。
人々の口からも、それら怪奇現象や魑魅魍魎の出没の話題が、ごく自然と挙がるようになっていた。
そのためこの年は、日本各地にいる妖術師達が、妖怪や悪霊の始末に追われた。
平安時代より、この国ではずっと、超常の領域の事件が発生しても極力記録に残すことなく、術師達によって密かに始末がつけられてきた。人々の命を守るため、無用な混乱を避けるため――そして超常現象の事件の多くが、元を辿れば術師達の不始末によって派生している事実が、知られないようにするためだ。
例えば妖怪という存在。これらは自然発生しているものではない。元々は術師によって作られた人造生命である。人や動物を術で改造して生みだされたものだ。
その事実が人々の間に知られれば、術師への弾圧が起こりかねない。妖怪退治を生業としている妖術師も、自作自演で儲けていたのかと見られかねない。
しかし超常の力は、国の維持にはかかせない。妖が跋扈する状況は、人命が奪われ、秩序が乱されるというだけではなく、秘匿されてきた事実まで知られかねない。
「我々は人間の都合で造られた歪な命だ。そして人間の勝手でその命は摘み取られている、哀れで惨めな存在だ。そんなことが千年以上も続けられてきた」
深夜――山奥の森の中、居並ぶ様々な姿の妖を前に、見た目は人間のそれと変わらぬ妖が、朗々とした口調で熱弁を振るっている。
夜は人外の時間帯である。夜の闇から生じる人の恐怖は、彼等の影響力を強める。
「長い年月によって積み上げられてきた、この屈辱、この怨嗟、この憤怒、この悲哀、この絶望、計り知れない。何もせずにいれば、それらはまた続いていく。積っていく。だが我々は、この理不尽な運命のくびきに繫がれたままに非ず。自らの手で自らを解き放つのだ。人の世を転覆し、我ら妖の楽園とするために、我らは今、立ち上がる」
『おおおおおおーっ!』
妖達が歓声をあげ、周囲の動物や寝ていた鳥を驚かせる。
「賛同者はここに集結した者以外にもいる。知っての通り、各地で動いてもらっている。そして何より我々には――」
弁を振るっている妖怪は、白無地姿で、非常に長い顔をしている。額も広く、髪は中心で分け、横髪後ろ髪含めて腰まで伸ばしている。目は細く吊りあがっていて、涼やかな眼差しをしていた。
「獣之帝がついておられる。その力、その神々しさ、すでに拝謁を済ませている者であれば、帝の下での戦いに敗北無きこと、疑いは無かろう。拝謁がまだの者は、早急に拝謁を済ませに行くがよい。人の世など塵芥の如く払えるであろう獣之帝の妖力を目の当たりにするだけで、勇気と士気が極限まで昂揚する」
「灰龍よ。わしはそなたほどの大妖怪を知らぬ」
四本の角を持ち、背中には無数の茸を生やし、顎からは長く白い髭を垂らした、赤い巨体の鹿の妖が、低いがよく響く声を発した。
「そなたこそが妖の王に相応しいと思っていたが、そのそなたが神の如く崇め奉る者が現れたなど、逆に現実感がわかぬよ。担がれているのかとすら思うわ」
「大袈裟な法螺だと疑うか? だからこそ会いに行けと言っている。他にも、疑う者は今すぐ帝に会いに行くがよい。帝と会えば、その疑念は消し飛ぶ」
灰龍と呼ばれた白無地姿の男が、自信に満ちた優雅な笑みを赤い鹿の妖に向ける。暗闇の中に灯る灯りが、彼の笑みを映し出す様は、妖達の心を捉えた。
「しかし女の妖は気をつけた方がよいな。帝は女子を好む」
そう言ったのは、灰龍の傍らに控えていた、小さな体の妖怪だった。肌は青黒く、口が大きく裂けて牙が何本も外に向かって生えている。子供と変わらぬ背丈であるが、体は筋肉質だ。
彼は足斬り童子と呼ばれる妖怪であった。そり呼び名の通り、人の足を斬ることを生き甲斐とする、人間に対して激しい敵意を抱く妖怪だ。
「帝に魅入られてもよい者だけ行くがよい。そうでなければ、会わぬ方がよいな」
「ああ、左京の話は本当だ。帝は色事に目が無く、人も妖も隔てなく女子を好むが故。また、女子を魅入る力を持つが故、妻を持つ者は、妻に会わせるな」
灰龍の側近の一人である、足斬り童子の長――左京の言葉に、灰龍は補足した。
「ならば、器量の良い人間の娘をさらって、帝に献上すればよいか」
「それはもう何人もすでにやっている。手土産として喜ぶであろうが、帝に媚を売るつもりならやめておけ。帝は貢物をした者に目をかけるような性分ではない」
巨大な赤鹿が冗談めかして言ったが、灰龍が小さく微笑んで釘をさす。
「知能が低いというわけではないが、その性分はその呼び名の通り、純粋なる獣に近い。だがその存在はその呼び名の通り、支配者として申し分の無い器を備えている」
「ふむ。話だけでは壮語に聞こえてしまうが、それ故に会うのが楽しみであるの」
赤鹿の妖の言葉は、まだ獣之帝とやらと会っていないほかの妖怪達の心情も、代弁していた。
***
大正七年。全世界で数千万の死者を出した(一説には一億を越えるとも言われる)、人類史上初のインフルエンザによるパンデミック――『スペインかぜ』は、日本でも猛威を振るった。
死者の数のあまりの多さに、火葬場が追いつかないほどの状況であり、乳児の死亡率はこの年には、最高値に達した。
当時十歳の少年である霞之波兵も、このスペインかぜに罹り、肺炎も併発してしまい、床に伏していた。
同じ村に住む者達の多くもスペインかぜに倒れていた。波兵同様も、他の病気を併発していた者も多い。他界した者も少なくないので、身内がスペインかぜに罹った者は悲嘆に暮れ、まだ無事な者達も怯えていた。
「波兵、これを食べて」
ある時、母親が奇妙な豆腐を波兵に食させた。何と、中に柘榴が入った豆腐だ。
「隣の副汰さんはね、この豆腐を食べて治ったそうよ。柘榴豆腐って言ってね。どんな病気も治すんだっていうよ」
村には一週間前から三回、柘榴豆腐売りと呼ばれる奇妙な男が訪れていた。
文字通り中に柘榴の入った豆腐。それはどんな病気も、たちどころに治すという触れ込みであった。
そして柘榴豆腐を売る男は、全身を毛布で包み、肌を一切人目に触れさせなかった。柘榴豆腐売り曰く、病気の後遺症で肌が醜く爛れ、人前には見せられないからとのこと。
極めて怪しい人物であるし、通常ならそんな眉唾話、にわかに信じがたい。
波兵の母親も疑っていたが、実際隣の住人は治癒しているし、そんな嘘をつくはずもない。すがるような気持ちで豆腐を買い、息子に食させた。
豆腐を食した数日後、波兵は嘘のように元気になっていた。
回復したのは波兵だけではない。村でスペインかぜに罹っていた者達の多くが、この柘榴豆腐を食して、嘘のように元気になったのである。
多くの村人はスペインかぜが治って喜んでいたが、しばらくしてから、悪い噂が隣町からもたらされた。
柘榴豆腐売りは豆腐を売りに現れた際に、必ず一人客をさらうという。だから絶対に周囲に誰もいない状況で、一人では豆腐を買いに行ってはならないと。
最初はデマだと笑っていた村人達であったが、村から三人の姿が、忽然と姿を消していた事が判明した。柘榴豆腐売りが村に現れた三回と同じ人数。そして村にその噂が流されると同時に、柘榴豆腐売りも村に姿を現さなくなった。
さらに後から伝えられた話によると、柘榴豆腐売りは日本中の至る所に現れて、豆腐を売っていたという。
そのうち、あちこちで柘榴豆腐売りの噂が流れていくようになり、日本中にその噂が知れ渡った頃には、柘榴豆腐売りを見たという噂も聞かなくなった。
その後、柘榴豆腐を食った者がどこかへ消えた、柘榴豆腐を食べた者は頭がおかしくなって家族を殺した、柘榴豆腐を食した者が化け物になった等、様々な噂が立っていた。
スペインかぜに罹った波兵のいた村――柘榴豆腐でスペインかぜの治った村人達の村は、誰もいなくなっていた。村の痕跡だけ残して、村人全員が消えていたが、村人全員の消失という事態はあまりにも衝撃が強く、柘榴豆腐と結びつけて考える者はいなかった。
そして四年後の大正十一年――。あの柘榴豆腐売りが現れたという噂が、日本各地に再び流れ始める。




