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夜、必死で勉強している美香に、弟の瞬一から電話がかかってきた。
『姉ちゃん、忙しかったかな?』
「当たり前だ! 明日に備えてギリギリまで知識を積め込んで、理論武装の仕方を頭の中で構築し、シミュレートしている!」
『そっか……ごめん。やっぱり俺なんかが電話かけるべきじゃなかったね』
カリカリしてつい怒鳴ってしまい、瞬一のしょげている声を聞いて、美香はしまったと思う。
「何を言っている! 気遣って声をかけてきてくれたのだろう! 普通に嬉しいし、パワーなになるぞ!」
己の余裕の無さを恥じつつ、慌てて取ってつけたような苦しいフォローをする。
『パワーになるのか、そりゃよかった』
姉の心情を読み取って、瞬一も明るい声を出す。苦しいフォローに合わせて瞬一が気遣ってくれたことも、美香にはわかっている。
「すまんな、せっかく声をかけてきてくれたのに……苛々して。酷い姉ですまん……」
『俺の方が声聞きたくなった気持ちも大きいよ』
謝る美香に、瞬一が照れくさそうに言った。
『姉ちゃんはどんどん遠い世界に行っちゃうみたいだなあ。俺も姉ちゃんみたいに大物になりたくて、裏通りに堕ちたってのに、どんどん差が開いていくよ』
こういう台詞が、美香は性格上一番堪える。
「寂しいことを言うな。同じ安楽市に住んでいる。差など開いていない!」
『距離の話とかしてないって』
電話の向こうで笑い声になる瞬一。
「つまりそういうことだ! 力や名声や富に差が開いて、だから何だ!? それでも私達の物理的距離は変わらず、姉弟の縁が切れることもない!」
『その理屈はわかるけどさ、でもやっぱりさ、力も名声も富も手にしてみたいし、それらが揃ってる姉ちゃんからすると、俺みたいなもんの気持ち、わからなくない?』
「かつてはそれらが無かった私が、わらないはずがないだろう! 最初から揃っていたわけでもない!」
少し怒った風な声を出す美香。今度はカリカリしてキレたわけではない。冷静なうえで真面目に怒った。
「今の私は自分の功績や名声を鼻にかけるどころではない! 目の前の戦いに全力投球! それだけだ! だがそれは今に始まった話ではない! 私はずっとそうやってひた向きに生きてきた! その結果が今に繋がっているだけの話だ! ひた向きに生きれば必ず私のようになれるわけでもないが、ひた向きに生きなければ、今の私にはならなかったのもまた事実!」
『結局運てことじゃん』
「応! だから私は運命操作術を身につけた!」
突っこむ瞬一に、美香は自分でもわけのわからない受け答えをする。
『いや、わけわからないし……あ、でもわかる気もする』
ここでわかると言われることの方が意味不明と感じた美香だが、突っこまないでおいた。
「明日もこの力はフル活用する! 上級運命操作術も用いてみるつもりだ!」
『討論中にそんなの使うの? ズルくない?』
「大きな声では言えないが、ただ論争するだけではないぞ! それだけでは収まらぬ争いになることはわかっている!」
そのための備えはすでに美香もしてある。
『大きな声で言ってるじゃんよ……もしかして途中で戦闘になるとか?』
「ああ、その展開も十分有り得る! 何でも有りだ! フェアな話し合いなど期待していない! そんな油断はしない!」
すでに美香は知っている。敵がどれだけ汚い手を遣ってきているか。そして対処もしている。
「どんな手でこられようと、私は負けん! 軽々しく正義を掲げて、人の居場所を悪と断じて奪おうとするような外道連中に、絶対に負けん! 私は退かん! 奴等は退ける! あの時の屈辱は決して忘れん! 私が裏通りを守るから、安心しろ!」
おこがましい発言であることは美香自身もわかっているが、実際に自分が裏通りを守るために戦いに行くのは事実でもあるため、臆面も無く豪語してみせた。
「たった一人の小娘程度の自分が、裏通りを守るなどと大仰であり、身の程をわきまえない考え方であると、誰の目にも映るだろうな! しかし! 私はそのつもりで臨む! どんな手を使ってもな!」
『どんな手でも……。頼むから枕営業とかはしないでよ』
「人が格好よく盛り上ってるところなのに、何でお前はいつもエロ方面に繋げるんだ! おやすみ!」
怒り心頭で瞬一の電話を切った直後、再び電話が鳴った。相手の番号を見て、美香は表情を引き締める。
『おしごと完了だ。思っていたほど大したことは無かったわ。ま、あたしは引き金引くだけで、それ以外は恐怖の大王後援会が皆やってくれたようなもんだしな。なははは』
明るい笑い声で、麗魅が仕事の依頼報告をしてきた。
「ありがとう、麗魅さん。おかげで勝てる。裏通りも守れる」
静かな声で、しかし力強く、美香は言い切る。
『へえ、あたしはそんな大仕事の一翼を担ったわけか。そいつは豪儀だね』
「奴等は潰すつもりで来ているんだ。それを防ぐつもりの私は、その使命を帯びていると認識してもいいと思うが?」
『なるほど、確かに言う通りだ。でもあまり背負い込むんじゃねーぞ。ま、あんたならたやすく潰されやしないだろうと信じてるよ。しっかりやんな』
「ありがとう!」
最後まで明るい声で話す麗魅に、美香は救われた気分になり、礼を告げた。
麗魅の報告を受け、美香はとある人物に電話をかける。
「北条さん、こちらの手筈は整った! すぐにでも警官を動かせるよう、準備しておいてくれ! マスゴミへの発表も最速で行えるように!」
『了解。そしてお疲れ様。本来なら警察がすべきことまでやらせてしまって、申し訳ない。で、薬仏市のどの辺りかまでわかるかね?』
電話の相手は、先日会った、裏通り中枢最高幹部の一人にして、警視総監北条斬吉であった。
「事件発生予定地は、神奈川県薬仏市阿片顔町歓楽街にある大通りだ! 警視庁の管轄外だが大丈夫か!?」
情報源はオーマイレイプなので、これも確かな情報だろうと美香は信じている。
『承知した。都外の活動であっても、広域組織犯罪処理という名目でならいける。あの無能有害県警と薬仏警察署は、情報を入れてもどうせ動かず、市民を見殺しにするだろうしな。手柄だけ彼等にくれてやろう。そうすれば文句も言ってこない』
かなり毒を込めて、北条は言った。
「では任せた!」
美香は電話を切った。
(これで事前にできることはほとんどやった!)
そう意識すると、美香は武者震いをする。あとは決戦に備え、引き続き討論のシミュレーションを行うのみだ。
***
雪岡研究所のリビング。いつもの四名。
「まるで美香が負けたら裏通りが終焉に向かうかのような騒ぎ方しているけど、こうやって無駄に騒ぎ立てている奴のせいで、美香が負けた際に不味いことになるんじゃないか」
夜のニュースを見終えた所で、真が言った。
「でもそれは相手側も同じことでしょう?」
累が異を立てる。
「今回の世間の注目と勢いは、敗者を打ちのめすためのものです。世論というのは思いの他に強いものですからね。それだけで戦争さえ起こってしまうものです」
「そうそう、条件は同じなんだよね。真兄は美香姉が劣勢と見てるから、そういう考え方しちゃってんじゃね?」
「そうか……」
累の言葉にみどりも同意し、真も自分の考えが偏っているのかと思い始め、考え直す。
「裏通りの否定派も肯定派も、必死に世論操作しようとしているねえ。ネット上では議論もお盛んだよー。でも今は泥沼の様相を呈している。顔の見えない世論が沸き立っても、今は拮抗している状態にあるから、どちらか片方に押しきるための決め手がいる。そのために、サラさんと美香ちゃんの公開討論を決め手にしようと、世論誘導して盛り上げようとしているんだろうねえ」
ニュース中も一人ずっとディスプレイを投影して、ネットにかじりついていた純子が、今もなおディスプレイにかじりついたまま言った。
「んでもって、裏通りの是非の議論なんて、こないだの討論番組以降、新聞でもワイドショーでもネットでも雑誌でも散々し尽くされている。普通の討論じゃ物足りないと思うんだ。煮え切らない終わり方でも駄目だろうねえ。誰も口にしていないことを口にして、誰も思いつかないことをして、人前に顔を出すからこそ出来ることをして、あの二人の立場だからこそ出来ることをして、世間を驚かさないとさあ」
「美香姉にそれは言ったのォ~?」
「もちろん言ったよー。それに、私のトークテクニックやハッタリスキルも、伝授しといたよ。具体的にああしろこうしろといったけじゃなく、あくまで例を挙げただけね」
みどりの問いに、純子はにやにや笑って答える。自分が伝授したものを使ってどのように戦うかは美香次第。果たしてどれだけモノにしているか、純子も見るのが楽しみであった。
「その煮え切らない終わり方にしないための――いや、勝利するための決め手が、美香にあるのかな?」
美香を脳筋属性だと思っている真からすると、美香が勝てるヴィジョンがどうしても思い浮かばず、懐疑的である。
「一応何か考えてはいるようだよ。私にも教えてくれなかったけど、自信ありげだったし、蓋を開けてからのお楽しみだねえ」
しかしその懐疑的な真も、純子がやけに期待しているのを目の当たりにすると、もしかしたら美香が一発かましてくれるのではないかと、思ってしまう。
***
いよいよ公開討論当日。
日曜日の午後から、義久による独占ネット配信を行う予定であるが、今回は編集無しのライブ配信になる。これまでのインタビューと同じく、後にテレビでも流されることだろう。
美香は事務所で義久とテレンスを待った。途中で襲撃される可能性も考え、三人で指定場所へと向かうことにした。
闇タクシーで指定場所へと向かう途中、義久もテレンスも美香に声をかけなかった。美香の方も自分から発言することは無かった。
(今日のバトルがどうなるかの想定と対策を、頭の中で必死に組み立てているのかな?)
美香を意識して、義久はそう考える。
指定場所は都内の豪華ホテルの一室。警備は行き届いているのはわかったが、この警備自体は相手が用意したものなので、美香も義久も全く信用していない。警備が敵となって襲ってくることまで考えている。
「お久しぶりです。美香さん。今日はお手柔らかにお願いします」
部屋に入るなり、すでに到着していたサラが、にっこりと笑って出迎える。
「応! 殺すつもりでいくから覚悟されたし!」
気合いたっぷりに叫び、椅子に座る美香。
どういう受け答えだと、義久とテレンスは笑みをこぼしたが、サラは逆に笑みを消し、水色の瞳の奥に静かなる闘志の炎を宿し、美香の瞳をじっと見つめていた。




