28
数時間前、國男は「もう会う事も無い」とだけ言い残し、曖昧かつ意味深な笑みを見せて、美穂と武郎の前から去っていった。
夜の公園のベンチに座る美穂。どういうわけか、真っ直ぐ自宅に帰る気がしない。待ち望んでいた事なのに。いや、理由はわかっている。このままにしてはおけない、大きな心残りがあるからだ。
「はいはい、ただいまっと」
缶コーヒーを買ってきた武郎が、美穂に一つ差しだす。美穂はそれを受け取って、じっと武郎を見つめる。
「な、何?」
「何、は私の言うことよ。座ったら?」
「ああ」
ドギマギしつつ、美穂の隣に座る武郎。今更何を遠慮しているのやらと、美穂はおかしくなって微笑んだ。隣に座った後も、よそよそしく視線を外しつつ、口を開く。
「美穂ともお別れかー。俺、どうしようかなー。雪岡研究所で働かせてもらうかな」
「それよりも、うちに来ない?」
突然のストレートな申し出に、武郎はコーヒーを吹いた。さらにそのはずみに缶も落として中身を盛大にこぼす。
「あんたの気持ちに気づかないほど鈍感じゃないしさ。まあ最初は友達アンド居候からって事でもよいのなら」
「美穂の家族はそれ、どうなのよ。いきなり男連れてきて住まわせてくれなんて言って」
「うちは元々大家族だから、一人くらい増えても問題ないわよ。まー、働いてはもらいたいところだけどね。あと、うちの親父はそういうの、すごく無関心でどうでもいいっていう人だから、平気よ。大体ねえ、私は家族を助けるために、自分であの場所に身売りしたようなもんなのよ? その私に向かってそんな事をとやかく言う資格のある奴は、うちにはいませんからね」
はきはきとした口調の美穂に、武郎は戸惑うばかり。
「そのさ、俺に同情してそんなこと言ってくれているのかな? そりゃまあ、有り難い話だし、ものすごく嬉しい事だけれどさ」
「同情で上等じゃない? それが嫌だって言うなら、私も無理にとは言わないよ」
「いやいやいやいや、嫌ではないよっ。ただ、どうしてそんな風に俺に目をかけてくれるのかなって……好意がなければ、同情でそんな話もちかけるのは」
「本当に馬鹿ねー」
武郎の言葉途中に、呆れた風に美穂は言った。
「全然好意が無ければ、こんなこと言わないでしょ。まあ私も男と付き合ったこと今まで無いし、私の方から切り出すの、これでも結構思い切ったんだからね」
「う~……」
「どうしたの?」
何故か呻きながら頭を抱える武郎を、訝しげに覗きこむ美穂。
「俺としてはすげー嬉しい事だよ。でもさ、俺は人を沢山殺している。多くの人を不幸にしている。そんな俺が、幸福なんか手に入れちゃっていいのかなって思うんだ……。本来なら死刑になるべきだったし、少しでも世の中の役に立てるならと思って、純子にあの施設に連れてこられたのに。自由を手に入れて、美穂と一緒になって……。俺に殺された子達とその家族の人達に、申し訳立たないって」
「だったら死ぬの? それとも一生不幸な人生を生きるように心がけるの?」
「俺に殺された子達の家族が、俺が幸せに生きているって知ったらどう思う? 俺は罪を償っていない。しかるべき罰を受けていない。それが耐えられないんだ!」
血を吐く思いで告げる武郎に、美穂は言葉が見つからなかった。
罰を受けることが人の心を救う事もあると、中学の時に教師が言っていた事を思い出す。しかしだからといって、武郎に再び出頭しろとも言えない。
すでに彼は死刑を受けた扱いになっていて、戸籍上は存在しない人間である。たとえそうでなくても、もう一度死刑を受けてこいなどと言えるはずが無い。
「じゃあ何か、償いができる方法があればいいの? それを見つけて、償いながら生きていくとかさ。たとえばボランティアするとか、いっそ出家してお坊さんになるとか」
「いや、お坊さんはキツいな」
苦しそうな表情だった武郎に笑みが戻って、美穂はほっとした。
「手段はあなたが見つければいいよ。必要なら私だって力を貸してあげるからさ」
「ううう……ありがたすぎて何て言ったらいいか」
「私も純子に救われた身だしね。純子には感謝してもしきれないくらいだし。だから私も、別の誰かの手助けになろうと思ってさ。裏通りとか超常の力とか、もうそんなのは懲り懲りだけど……」
「そういや美穂は純子に熱あげてたからなー。純子が来た時、いつも目を輝かせちゃってさあ。そういう趣味が……あたっ」
言葉途中に、かなり力を込めて美穂が武郎の頭を拳で殴る。
「お姉さんみたいだったからね。勉強になっちゃったなあ。誰かに頼る、甘えるって、ああいう気持ちなんだって。私はいつもそうされる立場だったから全くわからなかったし」
「ふーむ。わかるような、わからないような。ああ、コーヒーこぼしちゃったから新しいの買ってくるよ」
武郎が立ち上がり、駆け足でそそくさと自動販売機へと向かっていく。
(美穂と同じ家で暮らせるなんて夢のようだけどさ、それで償いの道を見つけて、めでたしめでたしでいいのかな……)
自分の犯した罪はあまりにも重い。罪の意識から解放される日は、きっと一生訪れないだろう。どんな事をしても償いきれないかもしれない。
けれども一方で幸福がすぐそこに転がっている。美穂とこのまま別れる事も無く、共に生活できるなど、あまりに素晴らしすぎる幸福。それを拒否する事も武郎にはできない。
「神様ってのは本当に頭がおかしいよなあ。こんな運命を与えるなんて」
自動販売機から缶を取り出し、そう呟いた直後――
すぐ近くと思しき場所から、銃声が鳴り響いた。
武郎は硬直し、缶を落とす。猛烈に嫌な予感に襲われる。
心当たりは何も無いが、それでも心臓が凍りつきそうなほどに悪い予感がしたのだ。武郎は急いで美穂が待つベンチへと戻った。
粉砕されたベンチの傍らで、美穂が倒れていた。
すぐ側に見覚えのある人物が佇んでいた。中村國男。会う事も無いと告げて去っていった彼が、ここで何をしているのか。どうして美穂が倒れているのか。
國男の落ち着き払った顔を見て、武郎は直感した。目の前の光景は、國男の仕業であると。
「手加減はしてある。気絶させただけだ」
武郎が問うより早く、國男の方から口を開く。
「裏通りの武器密造密売組織、車椅子の七節のエージェント、それが俺の正体だ。対立する組織である妊婦にキチンシンクと繋がっている雪岡純子が、量産可能なサイキックソルジャーの製作のために、芥機関を利用しているとの情報を得て、何人ものエージェントが芥機関に潜入した。俺だけが運良く、雪岡純子の実験台になることができた」
いつもの愛想のいい國男ではない。能面のような無表情で己の正体を明かして、煙草を取りだし、火をつける。
「発売前の商品の横取りとして、俺自身と、美穂を組織に連れていかなきゃならん。分析して、組織が同じものを作れるかどうかは知らんが、先に商品として売り出してしまえば、こっちの勝ちっていう寸法さ」
「美穂を強引に連れていこうってことは、つまり……」
「ああ……客として丁重におもてなしはしないだろうな。芥機関と同じく、モルモットな扱いだろうよ」
國男の言葉を聞き、武郎は歯噛みして國男を睨みつける。その闘志と怒りを受け止め、國男は寂しげな笑みを浮かべる。
「お前は必要ない。お前はオマケみたいなものだったからな。お前はただの盾役だ。俺達とあのイカレ呪術師との戦いは、全て映像に収められて、生中継されていた。ショーとして、妊婦にキチンシンクによる性能チェックのためにさ。お前はゲームバランスを取るためのお守り役みたいなんもんさ。おそらくお前にはマインドコントロールも施されている。体を張って美穂や俺を守らんとする、強い使命感が植えつけられているはずだ」
國男の指摘に武郎は愕然とした。自分自身の気持ちに違和感を覚えた事はないが、國男には話していないことを國男の側から指摘されたために、マインドコントロール云々の話には真実味を覚えた。
「おそらく三人全員に、何らかのマインドコントロールが施されているだろう。都合の悪いことを考えず、純子の方針に盲目的に従うために。矛盾にも気づかないように。指令を受けていた俺さえも、だ。後になっておかしいと思うことが多々あったが、何におかしいと思ったかもわからないんだ。忘れている。ただ、おかしいと思った事だけ覚えている」
そこまで話した所で、國男は煙草を捨てて靴で火を消し、身構えた。國男の体から闘気が迸るのを感じ、武郎も臨戦態勢になる。
「ま、話はこれくらいにしとくか。お前も黙って美穂を連れて行かれるなんて許せないだろうし。戦えよ。防いでみろ。俺を殺す気で抵抗しろ」
「ああ、そのつもりだよ!」
叫びながら國男に真っ直ぐ突っ込む武郎。
広範囲なうえに不可視の飛び道具を持つ國男に対し、近接戦しかできないが再生能力と人間離れしたパワーを持つ武郎。それがどういう勝負になるか、武郎は理解している。
國男に届く前に、猛スピードで不可視のブロックをカウンターでぶつけられて、武郎の体が大きく吹き飛ぶ。
さらに倒れた武郎に巨大なプロックが降り注ぎ、押し潰す。凄まじい圧迫を受ける中で、潰されたバトルクリーチャーの姿が武郎の脳裏をよぎる。
たとえ潰された所で再生する体だが、完全な不死身など、物理的に有り得ないと、純子は何度も武郎に言っていた。超再生にはそれに見合うエネルギーを消費する。それが尽きたら再生する事も無い。
故にこの戦いは消耗戦になると、武郎は理解している。自分の再生力が尽きるのが先か、あるいは不可視のブロックを作り出す國男の精神力が果てるのが先か。
体を潰される武郎。臓腑が派手に体の外に飛び出し、それすらも潰される。筋肉が、骨がひしゃげる。脂肪の塊も平たくされる。
完全に潰された直後、ブロックが少し浮き、体の再生が始まる。
「俺がブロックを作る際には力を消費するが、それを操る力の消費はさほどでもないぞ」
再生しきった武郎に、國男が静かに告げた。つまり同じブロックで、潰しては再生させてまた潰すという行為を何度も繰り返し、こちらの消耗だけを狙えるという事だろう。
しかしそれを聞いても武郎はうろたえなかった。何度も潰されてやるつもりもない。
「ぐあああっ!」
咆哮と共に全身の筋肉に力を込め、ブロックを押しかえす。潜在能力を制御するリミッターを意図的に解除し、通常よりもさらに強大なパワーを発揮するという、不死身の肉体だからこそ成せる技だった。
「でもな、そんな嬲り殺しをする趣味も俺には無い」
ブロックを押し戻した武郎が見たのは、銃口を向ける國男の姿だった。
明らかに能力より威力の劣る銃が、自分に有効であるはずがない――そう思った武郎であるが、そのコンマ数秒後にこう考えた。にも関わらず銃を向けているには何かある――と。
銃弾が武郎の胸部へと撃ちこまれる。衝撃と痛みはあったが、すぐに銃弾が排出され、傷も治るはずだ。普通の銃弾であれば。
傷口から血があふれて止まらない。武郎の体内に流れる再生血液は、たとえ外に流れ出ても肉体へ戻り、その際に血液に混じった不純物も放出するはずだ。なのに、延々と外にあふれ出ていく状態になっている。
傷口も塞がろうとはしない。痛みは消えている。いや、感覚そのものもが消失しつつある。
「弾頭に溶肉液を仕込んでおいた。バトルクリーチャーに有効なんで、世界中の戦場で使われる奴だ。純子が作った再生力旺盛型なマウスにも有効だって話を、『オーマイレイプ』っていう、裏通りでも最高クラスの情報組織に教えてもらった。高値だったけれどな」
國男の言葉と自分の体の状態に、武郎は底無しの恐怖と絶望を覚えた。死の恐怖。そして愛する者を守れないという絶望。
立ち上がろうとしたところに、今度は両脚膝裏への銃撃。膝と膝から下の感覚が消え、立つこともできなくなった。
「殺す気は無いから安心しろ。美穂を連れて行けば、それで済むからな」
「ふざけんな! 殺せよっ! いっそ殺せよ! 畜生ッ!」
國男の言葉に武郎は激昂する。好きな女も守れず、のうのうと生きていくなど、冗談じゃない。ここで殺してくれた方がまだましだ。
無力さと絶望に打ちひしがれ、嗚咽を漏らす武郎を尻目に、國男が美穂に近づいたその直後、銃声が響いた。
明らかに國男の持つものとは異なる銃の音。武郎が顔を上げると、國男が血をしたたらせる右腕を左手で押さえている。銃はすでにその手には無く、地面に落ちていた。
「ピンチにギリギリ登場ってのは、登場する側からしてみれば結構ヒヤヒヤものだな」
聞き覚えのある声。倒れたまま武郎が声の方を向くと、見覚えのある顔がそこにあった。
いつも純子と共に芥機関を訪れていた綺麗な顔をした無愛想な少年、相沢真。純子の護衛のような存在で、別行動をしつつ星炭流呪術と戦っていたと純子が言っていた。
「殺す気は無いから安心しろ」
拳銃を片手に携え、先程の國男の言葉をそのまま國男に向けて言い放つ真。それがおかしくて國男は微笑をこぼす。
「お前達の行動は全て映像に収められ、新兵器の買取先である武器製造組織の元に送られていた。製品チェックの相手として利用されたのが星炭流呪術。雪岡を敵視し、狙っていたから丁度いい相手だ」
立てない武郎の元にかがみ、抱き起こしながら真が解説する。
「國男からも聞いた。俺達、純子にも騙されていたのか」
上体だけ起こされた格好で、武郎が力ない声で言う。
「ああ。お前達を危険に晒してな。とはいえ、あいつなりに配慮もしていたがな。だからあいつはずっとお前達と一緒にいて、お前達を守ってもいた」
そう言ってから、真は國男の方を向く。
「退けよ。僕に勝てる自信があるなら挑んでもいいが、そんなリスクは背負わず、お前だけ組織に戻ればいいだろう」
「ははは……やっぱり全部お見通しだったのかよ」
真の言葉に、國男は乾いた笑い声をあげた。
「確かに組織は、雪岡純子の殺人人形に妨害されたと言われたのなら、俺一人の帰還でも納得するだろうな。でもな、これは俺の美学の問題だ!」
國男が叫び、不可視のブロックを真めがけて放つ。
思念によって構築されたブロックが猛スピードで向かってくるのに対し、真はまるでそれが見えているかのように、あっさりと横に跳んでかわす。
跳躍した先で、國男は真のすぐ頭の上に巨大なブロックを作り出して、武郎同様に押し潰さんとする。衝突によるダメージは乏しいであろうが、回避はしづらいし確実に葬れる。
だが真はそれすら予測していたようで、足を止める事なくすぐさま地を蹴り、頭上からのプロックも避けてしまう。さらに回避しながら拳銃の銃口を國男へと向ける。
銃声と共に崩れ落ちる國男。太股を撃ち抜かれている。
「美学と心中するのか? そういうのを格好いいと思う奴もいるのかもしれないが、僕は羞恥にまみれても生き延びようとするタイプなんで、理解できないな。もう一度確認してやる。退け」
銃口の照準を國男の胸部に合わせ、真は静かに告げる。
「國男、もうやめろよ! たとえお前が裏切り者の嘘つき野郎でも、俺の前でお前が死ぬ所なんて見たくないっ!」
武郎の叫びに、國男は笑みを浮かべる。いつもの明るい國男の笑顔だった。
直後、ありったけの殺意が國男より迸る。不可視のブロックを再び真の頭上に出現させ、真めがけて落下させんとしたが、真が引き金を引いた瞬間、真の頭上でそれは霧散した。
「何で……」
仰向けに倒れて息絶えた國男の姿を見ながら、両拳を固く握りしめ、歯噛みする武郎。
組織への忠義と恩義か、それとも己の意地と誇りのためか、いずれにせよ國男は死を覚悟していた事が武郎にはわかった。
「すまない」
真は小声で謝罪の言葉を口にすると、嗚咽を漏らす武郎に背を向け、立ち去った。




