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お昼のワイドショー。上野原上乃助が記者会見を開き、殺害された大月槻次郎のことに触れていた。
『大月さんは国を憂いて戦い、そして殺されたのです! 裏通りは卑劣にも、暴力による圧力をかけてきたのです! 大月さんは見せしめのために殺されたのです! 何という残酷さ! 何という悪辣さ! しかし! 私は断じて退きません! 屈しません! ここで脅しに屈して、死ぬ恐怖に負けて逃げ出すことはありえません! それでは大月さんの死が無駄になってしまう! 私は命がけで裏通りと戦います!』
雪岡研究所リビング。テレビ画面の中で、まるで選挙演説のような口ぶりで喚き続ける上野原を、純子と美香はソファーに並んで座って眺めていた。
「意外だったな! 中々気骨ある男だったようだ!」
堂々と決意の表明をする上野原の記者会見を目の当たりにし、美香は感心したが――
「いやー、あれはやけくその得点稼ぎだと思うよー? 一見毅然とした態度だけど、目が微かに恐怖で濁っているし、私には全然腹が据わっているように見えないねえ」
純子がポッキーを食べながら指摘する。
「言われてみると確かにそうだ! しかし騙される者は多いのだろうな!」
そう言ってから美香は、正に今自分が騙されていたことに気がつき、騙されていた自分と、自分のその台詞を恥じた。
「まあ、逃げずに表に出てきたことだけは評価していいんじゃないかなあ? 自分の命も危ないのに、ライバルだった大月さんの死まで利用して、自分の売り込みをするのは、いい度胸していると思うよぉ」
「節操無いだけだ! 私は他人の不幸を積極的に踏み台にする輩など信用ならん!」
純子の言葉によって、すっかり見方を変えた美香は、テレビから目を離し、眼前に浮かべられたホログラフィー・ディスプレイを見る。
美香は来るべき時に備えて猛勉強中だった。様々な書物を読んで知識を蓄え、様々なケースを想定して理論武装しようとしている。弁論術も学ぶつもりでいる。
「なし崩し的な所もあるが、私がこの国の裏を代表することになるとはな! 次は絶対に負けられん!」
自分に注目が集って嬉しいという気持ちよりも、今の美香には責任感と雪辱に燃える気持ちの方が圧倒的に大きい。
「裏通りはいろんな人いるけど、表通りで一番顔の知れている裏通りの人って、美香ちゃんだしねえ。私も一応都市伝説レベルでは知られてるけどさ」
「表も裏も私の大事な居場所だ! どちらも守る! が、今回は裏を守るために全身全霊を注ぐ!」
「協力してくれそうな専門家の人達にも助けてもらった方がいいねえ。私も協力するけど、模擬戦もしっかりとしておこう。義久君も立会いの元でね」
「応! 感謝する!」
純子に向かって、笑顔で拳を突き出す美香。純子もにっこりと微笑んで、美香の拳に己の拳をこつんと当てる。
「まあ、ルシフェリン・ダストに公開討論挑むのはいいとして、向こうは誰が出てくるかだねえ。ヴァンダムさんが来ない事を祈ろう。流石にあの人が出てきたら、美香ちゃんでは勝ち目が薄いよ」
「勝ち負けの問題ではないのではなかったのか!」
「そうは言っても、聴衆の心により強く響く、説得力を帯びた言葉をぶつけあう勝負ではあるわけだ。ただ相手をへこますための、口喧嘩とは違うからね」
何度も同じ事を念入りに口にする純子。
「日本人は討論も議論も絶望的に下手だし、人によっては口喧嘩との区別がついていないけど、理論武装して相手よりも強い言葉を紡ぎ――主張を叩きつけるのはね、相手の言葉を封殺するのではなく、相手の言い分を全て引き出したうえで、相手の理論すら叩き台にしたうえで、さらにその上に行く事なんだよ。より思考の深みに潜り、同時に、高みに上がっていく。そういう意識で臨むといいよー。美香ちゃんは常に本気で、しかもストレートだから、人を惹きつける力は滅法強いんだ。美香ちゃんの意識は必ず言葉に表れ、人を惹く力へと繋がるよ」
(正直、私より純子が出ていった方が、確実な勝利を収められそうだな)
純子のレクチャーを聞きながら、そう思ってしまう美香であったが、そんなことを思ってしまうこと自体が情けないとして、その考えを打ち消し、気を引き締めた。
***
ルシフェリン・ダスト本部ビルの一室。甲府光太郎の執務室に、サラとヴァンダムが揃って訪れた。
「大月を殺したのは君だな」
甲府の前に現れるなり、ヴァンダムは挨拶も無く、ストレートに断定してぶつける。
「手段を選ばず、先走ったことをしたものだ。いや、流れはこちらにあったというのに、余計なことをしたものだ――と言うべきだな」
机に向かって椅子に座ったままの甲府を、冷ややかな視線で見下ろして告げるヴァンダムであったが、甲府はヴァンダムの顔を見上げ、何の感情も表さない。ある意味ヴァンダム以上に冷めているように、傍で見ているサラの目には映った。
「バレなければ陰でどんなズルをしても何とも思わず、フェアプレイ精神など欠片も無い、君達アメリカ人の真似をしてみただけだよ」
否定する事もなく、傲然と言ってのける甲府に、ヴァンダムは鼻を鳴らす。
「それは皮肉のつもりかね? 残念だがアメリカは全体主義国家の日本などよりずっと、多様性に富んでいる。一面だけ見て決めつけると、足元をすくわれるぞ。それに私はオランダ国籍だ。複数形で一緒にされても困る」
静かな口調で語りながら、強烈な眼力でヴァンダムは甲府を睨みつけていた。あまりにも露骨な威嚇に、サラは溜息をつく。
「こちらはこちらのやり方でやらせてもらう」
言葉少なにぼそりと言い放つ甲府。ヴァンダムの威嚇に動じている気配は、欠片も無い。
「そうか。好きにするといい。しかしそれなら私もこの組織の支援者として、私の独断で、それなりの手を打たせてもらうぞ」
甲府を睨みつけたまま、静かな口調でヴァンダムは言い放った。
(ま、すでに手は打っているがな。宣告してから手を打つようでは遅い)
声には出さず、ヴァンダムは付け加える。
「仲間割れはやめましょう。でも甲府さん、私もヴァンダム氏と同じ考えです。貴方のやり方は間違っています。非常に危険な賭けです。失敗すればこちらの陣営は一気に崩れ去ります」
サラが仲裁に入って、ようやくヴァンダムは甲府から視線を外した。
(臭うな……どうにも)
サラを一瞥し、ヴァンダムは思う。
「そう言えば、上野原は名演技だったな」
微笑をこぼしてヴァンダムが言った。
「彼も殺しておくかね? 彼は戦う決意を表明することで、上手いこと予防線を張った。全国放送で己の死もいとわぬ男気を見せたからには、手が出しづらいだろうという、そんな算段だ。しかしそれもある種の博打だな。今頃あの男は、もし本当に襲われたらどうしようかと、震えている所だろうが、どうするつもりだ?」
サラの仲裁を無視して、ヴァンダムはなおも甲府を煽る。
「あんたも標的にされるのが怖くて、強がっているのか? 饒舌が過ぎると、どうしてもそう疑ってしまう」
淡々とした口調で甲府が言う。
(やはりそうか……。甲府の次の標的は、予想通り……彼だ)
煽りながら探りを入れていたヴァンダムは、その時点で確信した。
(甲府は一言も彼の名を口にはしていない。私も意識して出さないでいる。私が口に出さないことに対して、この男は彼の意識が私の中には無いと思っている。だから口に出さない。マッチポンプの次は、邪魔なパイプラインの破壊というわけだ)
何故ヴァンダムがそう思うに至ったかは、理由は簡単だ。自分が甲府の立場でも、同じ発想に至るからだ。
(ま、すでに手は打っているがな。確信してから手を打つようでは遅い)
話すことは全て話し終え、ヴァンダムは無言で部屋を出る。甲府に図星を突かれて、怒りと恥辱のあまり、その場にいられずに退室したような、そんな構図にも見えかねないが、例え甲府とサラにそう思われて小馬鹿にされていようが、ヴァンダムは気にも留めない。真実は自分の中にだけあればよいし、予定通り、ここに来てやるべきことは行った。
廊下を歩きながら、携帯電話を取るヴァンダム。
「予定通り、そして想像通りだ。そうか……流石に仕事が早いな。襲撃があるまでは彼の前に姿を現すな。護衛などついていないと思わせて、誘き寄せろ」
電話の相手は、すでにヴァンダムの命令の実行にかかっていた。満足そうに微笑み、ヴァンダムは電話を切る。
「出し惜しみせず、ジョーカーを切った。しかし……」
一つだけ、ヴァンダムには気がかりがあった。
「あの女の動向まで探るには、手駒が足りんな」
気がかりについては諦めるしかなく、ヴァンダムは溜息をついた。




