緊急討論序章番組 緊急後編
「失礼! つい本音が出た!」
フリーズしてしまったスタジオ内で、全く悪びれた様子を見せずに美香は言葉を続ける。
「裏通りを安易に悪と決め付けるな! そこに住まいし者達は、表通りと同じく、熱い血潮が流れし人間だ!」
上野原のアジテートの大きなダミ声をも遥かに凌駕する声量で、美香は叫び続ける。司会も大月も上野原も圧倒されていた。サラは顔色を変えず、ヴァンダムは面白そうににやにやと笑いながら美香を見ている。
「悪でしょ、実際」
鼻で笑うかのように、大月が言い放つ。
「先ほども言いましたが、年に一体どれだけの人が裏通りの抗争に巻き込まれて、命を落としていると思っています? あと人身売買や臓器密売、この商品になっているのも、一般社会の人達ですよ。どういう経緯でそうなったか、諸説ありますがね。殺人の請負で殺される者達もいるとの噂です。もっとひどい話だと、人を嬲り殺して楽しむショービジネスまであるとか。これが悪と言わず何と言いますかねえ。ええ?」
ねちっこい口調でまくしたてる大月に、美香が押し黙ると、何と会場の観客から拍手が起こった。
(ほとんど残らず拍手しているぞ……!? これはっ……!)
まるで示し合わせたかのようなタイミングに、美香はこれが如何なる事態か、すぐに看破した。
「まるで裏通りの住人が血も涙も無いかのようだが、そんなことはない!」
場の空気に飲まれまいとして、美香はなおも叫ぶ。アウェーの会場でのライブも幾度か経験した身としては、こんな程度で容易くひるんだりはしない。
「私は裏通りでトップクラスに危険な犯罪者に狙われ、ライブを二度も襲撃された事があったが、その際に私の知り合いの裏通りの住人達が命を賭して戦い、私を守ってくれたぞ!」
「いやいや、そんな事態が発生する事自体、どうなんですか……。命を賭した戦いなんて、有りえないから」
大月の言葉に賛同するかのように、会場が笑いに包まれる。
(やはり完全にアウェーだ! 孤立無援! 孤軍奮闘! この番組自体私を陥れるためにはかられたようなもの! いや、陥れているのは裏通りそのものに対してだ! 先ほどからのパネリストの論調や立ち位置を見てもわかったが、これは裏通りの是非を問う趣旨の番組ではなく、一方的に悪者に仕立て上げる番組!)
美香はこのふざけた番組に対して怒りを覚える。口惜しげな表情を隠しもしない。
「全部が悪とは言いませんよ。月那さんのように、普段から裏通りのトラブルを解決しようとする人もいますし」
サラが美香を擁護するかのように言う。
(私のファンや支持者は敵に回さぬよう、立てたつもりか! 見えすいている!)
そう思った美香であるが、流石にそれは口に出来ない。
「しかし存在することの弊害は大きいのも事実。裏通りのトラブルから一般人を助ける仕事をしている月那さんなら、尚更それがわかることでしょう?」
「ですよねー。そもそも裏通りがいいものだったら、月那さんの仕事も成り立たないですし」
サラの言葉に便乗する形でからかう大月に、また会場の観客達が一斉に失笑する。
「裏通りの住人は、それでも悪とは認めたくないででしょう。それでも彼等にとっては己の大事な居場所なのだから」
ヴァンダムが少し不機嫌そうな面持ちで告げ、美香に同情の視線を向けた。
(こういうやり方は好まん。一人だけ対立する勢力の者を交えて、それを吊るし上げて悪者にするなど……。まるで魔女狩りではないか)
番組そのものがルシフェリン・ダストの息がかかっているが故、このような形にしたことはヴァンダムもわかっていたが、ヴァンダムの美意識からすると、あまりにも露骨すぎて、野蛮で下品なように感じられる。
「じゃあ月那さん、貴女は被害者の前でも同じことが言えますか? 今言ったことと同じことを」
へらへら笑いながら問う大月。
「言える!」
即座に断言する美香に、大月は面食らった。この『被害者の前で同じことが言えるか』は、良心と良識に訴える形で相手の主張を封じる、大月定番の伝家の宝刀であったが、ここまで堂々とはねのける者など、初めて見た。
「いや、それ言えるって、おかしいでしょ~。人の心が無いんですか、君は。それを言ったら相手は傷つくよ? 傷つけてでも自分の主張通したいの? 軽蔑するよ」
「大月さん、それはいくらなんでも言葉が過ぎますよ」
流石に司会が見かねて制しにかかる。
「傷つこうが傷つくまいが、私の生きる場所だ! 私の友人達も裏通りで生きている! それを否定される謂われは無い! 誰の前であろうと、どんなシチュエーションだろうと、言い切ってやる!」
完全に頭にきて、同じ主張を繰り返す美香。ほぼ喧嘩腰な、売り言葉に買い言葉の次元だ。
(未熟だな。裏通りでドンパチを繰り広げてきた猛者といえども、所詮はまだティーンエイジャーか)
あっさりと感情的になって喚いている美香を見て、溜息をつくヴァンダム。ここで感情任せに喚けば喚くほど、視聴者には悪印象が募っていくのが、わかっていない。ヴァンダム視点から見て今の美香は、見ていて決まりが悪くなるレベルで痛々しい。
(好意的解釈をするにしても、だ。彼女にとっては、性格的にも性質的にも合わないフィールドであった――と、いったところか。ここからはもう、一方的な展開しか予測できん)
自分がそれに付き合うのもやるせないので、ヴァンダムはできるだけ発言を控える方向に決める。番組が始まった頃には散々喋ったし、役目は十分に果たしたであろうとして。
「はっ! そういうのをね、盗人にも三分の理って言うんだよ」
見下しきった視線を美香に浴びせ、侮蔑しきった口調で上野原が言った。
「犯罪なんて無い方がいいに越したことは無い。犯罪者が犯罪者としての生き方しかできないと、いくら訴えたところで、その被害に合う者はたまったもんじゃないし、とても認められんよ、君。犯罪者を認める無法な世の中なんか、犯罪と無縁の真面目に働いて世の中を動かしている人達にしてみれば、泣き寝入りするしかないじゃないですかっ。ええっ? 犯罪者達はそうした、真面目に働いて生きている人達を食い物にして生きている害獣ですな。そして裏通りとは、犯罪者達を公的に認めている、邪悪極まりない存在でしょうっ。皆さん、想像してみてくださいよ。明日にでも裏通りの災禍に巻き込まれて、命を落とすかもしれないんですよ? でも裏通りは必要悪だからと言って、裏通りによって命を奪われた者とその遺族は、泣き寝入りなんですよっ? こんなことが果たして許されていいのですか!?」
「そうだ!」
「そうだ!」
賛同の声が客席からあがる。
上野原の弁舌は完全にアジテートのそれであった。それを聞きながら、すっかりいつもの上野原になったと、大月が苦笑する。
「はっきり言って甘えなんですよ、甘え。一般人が額に汗して苦労して真面目に働いているのにね、自分は裏通りでしか生きられないなんて、そんな考えはね、甘えだし、逃げなんです。君もね、子供のくせして裏通りだのアイドルだの、うわついたことしてるんじゃないよ。子供はちゃんと頑張って勉強に励み、いい学校に入るっ。それがあるべき正しい姿だっ。そして女性は慎ましくあり、結婚して子供を沢山産む。それが正しい女性の国家への貢献だっ。それができない者が、できない言い訳をするのは全て甘えですよ、甘えっ」
「そうだ!」
「そうだ!」
スタジオに集った観客の中にいる、上野原の支持者達が、合いの手を入れるかのように「そうだ!」を連呼していく。
(ふん、やだねえ。国を愛している自分は偉い賢い格好いいと思い込んでいる、暑苦しくてダサい天下国家親父共は……。そしていかにも彼等が好みそうな、身の無いお説教。ああ、ヤダヤダ)
その様子を頬杖しながら目の当たりにした、上野原と普段対立している大月は、心底うんざりして溜息をついた。
(『思想の商売人』がここぞとばかりにアピールか。結構結構。人の振りをした羊から、いくらでも毟り取るといい)
一方でヴァンダムは、上野原をただの商売人と見なして、その貪欲さを心の中で評価していた。しかし――
(とはいえ、羊をちゃんと大切に飼っているかどうかは別問題だ。それに、彼の公徳を尊ぶ姿勢そのものはよいとして、彼の思想そのものが公徳に繋がるかどうかは、いささか疑問であるがな)
ヴァンダムが上野原を手放しに称賛しているのは、その貪欲さだけに限った話である。
「偉そうに私の仕事まで非難したうえに、くだらんお説教か! あんたは私の親か!」
「見なさい、目上の者にこの口の利き方。無頼気取りで品性すら失ってしまっている。これを見ただけでも、私の言うことの方が正しいと証明しているでしょう?」
食ってかかる美香に対して、上野原は憎々しげな笑みをひろげ、余裕ぶった口ぶりで賛同を求める。
「そうだ!」
「そうだーっ!」
そして上野原に、彼と似たようなダミ声で賛同を送る支持者達。支持者達は皆年配で、その服装は飾り気に著しく欠け、風貌を見ても田舎者丸だしであった。
(こんなふざけた上から目線の論法でも、私が負けるという構図に仕立てあげられてしまう……。これはもう……何をやっても駄目だ)
この時点で美香の心は折れた。腸がねじれそうな悔しさと共に、完全に諦めた。涙が出そうになるのだけを懸命に堪えていた。
(お気の毒様といったところか。しかし……だ。君の今のこの敗北は、君個人の敗北ではないのだぞ。今まさに、終幕の序曲が奏でられているのだ。今はわからなくても、すぐにわかる。もし君が今それを見抜いていたとしたら、心が折れている場合ではないとして、勝てずとも必死に反撃し続けただろうがな)
うつむき加減になって、完全に戦意喪失している美香を見やりながら、ヴァンダムは伝わらぬ声で語りかけていた。
***
美香はその後一切話さず、司会や他のパネリストも気の毒に思ったのか、美香に話を振ろうとはせず、ひたすら一方的に裏通りを非難し続けて、番組は終わった。
「本気で胸糞悪い番組でしたね」
累が言った。途中で見るのを辞めたい衝動にも駆られたが、胸の悪くなる連中の記憶を心に刻んでおこうとも思い、最後まで見届けた。
「ふえぇぇぇ~……美香姉のしょぼくれっぷりがやべーよ。途中から完全に無言だぜィ。ありゃあ相当堪えてるォ~。無理ないけどさあァ、あんな場に立たされたら」
みどりは番組に対する怒りよりも、美香に対しての同情の方でいっぱいだった。
「完全アウェーで晒し者ってのもあるけど、ああいう場所そのものが、美香ちゃんには適してないんじゃないかとも思うんだよねえ。まあ、リターンマッチがあるとしたら、美香ちゃんも十分に備えていくだろうけどさあ」
「リターンマッチなんてあるのか? まあその機会があったとしても、あんな公平性に欠けたふざけた吊るし上げの場じゃ駄目だろ。行くだけ無駄だ」
冷静に分析する純子に、真が突っこむ。真も累同様、腹が立って仕方なくていた。
「おおっと、ネットの匿名掲示板でも騒がれっぱなしだねえ。美香ちゃんアンチは大喜び、美香ちゃんが途中から喋らなかったことを情けないと叩く書き込みもあれば、同情する書き込みもあるねえ。私は一生懸命ID変えながら、美香ちゃんのこと、擁護してたけど」
「純子おねーちゃんは、いいかげん、匿名掲示板の依存症と自作自演をやめた方がいいと思いまーす」
「イェア~、あたしもせつなに賛成-」
「僕もだ」
冷静に報告する純子に、せつなが突っこみ、それに同意するみどりと真。
その時、純子の携帯電話が鳴る。
「美香ちゃんからだ」
電話を取りつつ、純子が報告した。どんよりした空気がリビングを包む。
『純子……私は……うぐぐぐ……』
美香の涙声を聞いて、純子は即座に電話のボリュームを最小に下げて、他の者に聞こえないようにする。
「うんうん、見てたよー。うん、美香ちゃんは頑張ってたし、何も悪くないし、あの番組自体がおかしいってことは、見てた人達にもわかってたと思うよー。うんうん、悔しいよねー。わかるよ。気を落とさないで。ね?」
美香の愚痴を聞きつつ、精一杯優しい声で慰める純子。
「美香姉……真っ先に純姉に電話かけてきたんだ~」
「他に愚痴れる相手がいないからだよ。あいつには、本当に気の許せる友人が、雪岡以外いないんだ」
「なるほどォ~、クローン達の前では情けない姿見せて、泣き言聞かせたくないだろうしねえ。あばばばば。天下のマッドサイエンティストが一番の友達って、ある意味凄いけどさァ」
「あの番組に出演した時点で、醜態だけなら十分に晒しただろ。一般人が一度の人生で経験する恥と屈辱を全部凝縮して、その何倍にもしたくらいのキツい醜態だ」
「あぶあぶあぶ、確かにぃ。可哀想だとは思うけど、歴史に残るであろう醜態なことも確かだわさ」
『聞こえてるぞ! 真! みどり!』
ボリューム最小にも関わらず、美香の涙交じりの怒声がリビングに響き渡った。




