37
命は言葉を覚え、自我を確立し、使命を意識した。
その後の命は、短い間に嵐のような時間を過ごした。戦い、戦い、ひたすら戦う。
向けられる感情と言葉は、全て否定。全て拒絶。
命は嘆き、その心は弱っていた。
***
「私は……何なの?」
落涙しながら、誰ともなしに問いかける魔法少女。
「ただの出来損ないの化け物ですわ」
魔法少女の心が揺らいでいるのを見てとり、百合が意地悪い口調で追い討ちをかける。
「この世にいない方がよい存在でしてよ。皆、貴女を拒み、殺そうとしているでしょう? 足掻いて迷惑をかけて余計に恨みや哀しみを募らせず、さっさとお死になさいな」
「ほらね……皆して私のこと、化け物化け物って言うのよね。あはは……」
泣きながら虚ろな笑みを浮かべると、魔法少女は百合めがけて杖を振った。
今の魔法少女の心情を表したかのように、黒い業火が百合の周囲に不規則に噴き出て、四方八方から百合に襲いかかる。
避けられないと判断し、力場を生じさせて身を守ろうとした百合であるが、黒炎そのものは百合が張り巡らした不可視の障壁に遮られたものの、黒炎の高熱は障壁を貫通して百合をあぶった。
「アンジェリーナに乗っ取られていたとはいえ、力の使い方はこちらが長けていますわね」
苦悶の表情で、全身汗だくになりながら、百合が呟く。
一方でアンジェリーナの方はというと、魔法少女が分離した後も村山の霊に憑依されたままで、床に落ちて、涙と鼻水にまみれた呆けた顔で天井を見上げ、痙攣している。
「こっちは大した力も残されていないみたいだねえ。でも、放っておけば力を回復するし、実験台として回収するにも、このままじゃ少々手に余るかなあ。それに、おすそ分けもしておきたいしね」
純子のその言葉は嘘だった。嘘だったがしかし、アンジェリーナの方はもう不要であると判断していた。
「村山君、お幸せに」
弾んだ声で言いながら、純子が先程抜き取った心臓をアンジェリーナの真上にかざす。
心臓に変化が生じる。血管とは異なる細い触手が何本も生え、イボのような奇妙な突起が幾つも浮き出て、大きな一つの目玉と、牙の生え揃った口までもがついている。心臓そのものが小さな化け物に成り果てていた。
それはアンジェリーナがもたらした変化ではなく、純子がちょっとした悪戯心で付与した変質であった。
「神蝕」
純子が笑顔で能力名を告げ、かざした心臓を手放す。アンジェリーナの顔の上に心臓が落下する。
落下した心臓は、顔から床にこぼれ落ちることはなかった。細い触手がアンジェリーナの顔に張り付くと、アンジェリーナの口を開ける。それもただの開け方ではない。顎を外し、口角を裂いて、口の穴を一瞬にして強引に拡張して強引にこじ開けたのだ。
「おごごごごごっ!?」
心臓はアンジェリーナの口の中に強引に入っていく。口の中に入るだけでも一苦労なサイズの物が、どうやってその後食道を通ったかは定かではないが、それは明らかに食道から胃へと下っていった。
「ごぱあっ! ジャアァアッパガガパガ!」
叫び声と共に変態が開始された。アンジェリーナの体から再び肉の塊が盛り上っていく。今度はアンジェリーナの顔と胴体の側面から肉が盛り上り、人の形を成す。
「村山君……」
そこに現れた者の名を呟く郡山。上半身がアンジェリーナと村山の体が半分ずつ、肉が絡み合い溶け合って融合しているような、そんな姿に変わっていた。下半身は頭部の焼け落ちたイルカのままだ。
「雪岡君、一体何をしたんだね?」
「村山君の霊に肉を与えてみたんだ。とはいっても、村山君そのものはもう死んでいるし、霊魂も悪霊化しているから、自由意志は無い状態だけどね。憑依そのものもこれで強まった感じ。アンジェリーナさんの精神は、村山君の憑依によって狂気に侵されて、魔法少女としての力は自由に行使できないようになっているから、安心して実験台として使っていいよー」
尋ねる郡山に、純子は屈託の無い笑みをひろげて答える。純子なりに、刹那生物研究所への贈り物をしたつもりであった。
「確かに村山君は幸せそうだな……。相手は逆の感情のようだが」
顔も半分溶け合ってくっついた村山とアンジェリーナを見て、郡山は苦笑いを浮かべた。
その直後、衝撃波で吹き飛ばされた百合が、純子と郡山の間を横切って吹っ飛んでいき、床をワンバウンドしてから滑っていった。
「百合ちゃん、加勢いるー?」
横向きになって倒れた百合に、純子が笑いながら声をかける。
「どれだけ私の神経を逆撫ですれば気がすみますの? 貴女はしばらく会わないうちに、本当に性根が捻じ曲がったものですわね」
ふらつきながら身を起こし、顔に血と汗をしたたらせながら凄絶な笑みを浮かべ、百合は悪態を付く。
「まだ元気ありそうだねえ。じゃあ、黙って見ておくよ」
「そうしてくださいな。この子は私が始末をつけてあげねば、気がすみませんわ」
全身から血を滴らせて百合が身構えるが、すぐにまたふらつく。
魔法少女が高速で飛翔し、百合へと迫る。
魔法少女の狙いは、百合を取り込むことだった。自分を激しく罵り、自分に何度もたてついたこの女は、是非とも取り込みたい。その願いをかなえたい。そんな妄執にも似た感情に捉われていた。
百合はそんな魔法少女の想いを見抜いていた。百合自身もまた、散々痛めつけたこの異形に、自分の手で引導を渡したいという執念に捉われていたからこそ、それを理解できた。
故に、魔法少女が最後は絶対に自分を吸収するために近づいてくると、百合は確信していた。わざとダメージを負って誘き寄せたわけではないが、それが最後のチャンスになる事もわかっていた。
「バイバイ」
百合のアタックレンジの直前で急停止し、魔法少女が一声かける。先程の近接戦闘により、魔法少女も、百合が素手でカウンターを仕掛けてくる間合いをおおよそ把握していた。百合がカウンターを狙っている事も見抜いている。
否、見抜いていたつもりであった。
至近距離から、魔法少女がありったけの力を込めて、重力弾を放たんとする。来夢との戦闘で学習し、模倣したのである。
真上から重力弾によって押し潰される百合――のヴィジョンを見ていた魔法少女であったが、その光景を実際に見ることは無かった。
重力弾が放たれようとした刹那、百合の義手に仕込んだニードルガンが、魔法少女の頭部をズタズタに撃ちぬき、制御を失った重力弾は消失する。
肉弾戦や能力の発動によるカウンターは警戒していた魔法少女だが、単純な飛び道具――しかも義手に仕込んでいて、身構えたまま撃つ予備動作すら無く放たれた無数の透明の針には、反応できなかった。
ニードルガンの有効射程距離自体が短く、精度も良いとは言えないため、引きつける必要があった。先程の近接戦闘で用いる事がなかったのは、敵を十分に弱らせ、さらには油断させた所で使うために、温存していたからだ。
「御機嫌よう」
最後の力をふりしぼり、至近距離から怨霊群砲を解き放つ百合。
「本日だけで怨霊のストックの五分の一は消費しましたわ。全く……。でも使っていない古い怨霊は、やがて怨念も薄れて成仏してしまいますし、使う機会があまりに無くても、無駄になってしまいますし、丁度良いとも言えますわね」
怨霊群の中で苦しむ魔法少女を見上げ、一息つく百合。もうこれ以上戦うのは困難だ。もしもこれでも仕留められないとあれば、悔しいが後は純子に任すしかない。
他に方法が無いわけでもないし、百合には切り札もあったが、それらを純子の前で見せたくも無い。
「どうして……ひどい……こんな恨みや哀しみ……私の中に入ってくる……私はこんなの欲しくない……」
怨霊達の怨念にあてられ、苦悶の表情を浮かべる魔法少女を見て、百合はこっそり安堵する。
「先程も申した通り、貴女はただのなりそこないで出来損ない。生まれてこなければよかった存在ですもの。生きていた所で、誰からも憎まれ疎まれるだけのどうしょうもない、生ける汚物であったのを、私が殺してさしあげましたのよ。せいぜい感謝しながらお逝きなさいな。ま、どうせ成仏せず苦しみ続けることでしょうけれど、そうなれば私の怨霊のストックの一つとして役立つことができますわ。光栄に思いなさい」
ここぞとばかりに絶望の言葉を投げかける百合。この瞬間をずっと待ち望んでいた。
魔法少女は最早言葉もなく、怨霊達に取り込まれながら、泣きながら恨めしげに百合を見下ろしていた。その光景がまた、百合の嗜虐心をこれ以上無いくらいに満たす。
「ああ……とても素晴らしいですわ。見ました? 純子。この子の絶望しきった表情。傑作でしたわよ。これこそ正に芸術。芸術は絶望でしてよ。ああ……今、この素敵な瞬間を実現させるため、私も苦労した甲斐がありましたわ」
純子に向かって、恍惚とした表情で語る百合。
純子は小さく溜息をつき、手から電撃を迸らせる。
「なっ!?」
百合の笑みが凍りつき、怒りの視線を純子にぶつける。
見た目は電撃のそれだが、実際は生体エネルギー。その作用は、肉体から霊魂を強制的に引き剥がす。その能力を死ぬ寸前の魔法少女へ向けて放ち、怨霊に完全に取りこまれる前に、彼女の霊魂をどこかへ吹き飛ばした。
攻撃対象を失った怨霊達も消失し、魂を失った魔法少女の体が落下する。
「あー、手が滑っちゃったー」
純子が百合の方を向き、悪戯っぽく笑う。
「純子……貴女って子は……」
せっかく、魔法少女に最悪の死を与えながら、心地好い気分に浸っていたというのに、それを最悪の形で邪魔してくれた純子に対し、百合は怒り心頭の面持ちとなっていた。
「文句があるなら防げばよかったじゃなーい。私がこうすることを警戒していなかった百合ちゃんの落ち度なだけだよ。それよりも、今のうちに逃げた方がいいよ?」
「逃げる? 私が?」
何から逃げるのか理解できず、百合が聞き返す。
「真君はともかく、累君は隙を見て百合ちゃんを殺すんじゃないかと思うよー? そのために来たようなものだしさあ」
「どうかしら。累がその気なら、機会はいくらでもありましたわ。結局あの子も純子と同じで、真の御機嫌を伺うことの方が優先なのでしょう?」
「累君はある意味私以上に気まぐれだからね。最後の最後で気が変わって、百合ちゃんを殺しにかかるかもしれないよ?」
「まあ……気遣いに感謝して、先にお暇いたしますわ。揃いも揃って甘くてお優しいことで」
短く呪文を唱え、百合は結界を解くと、正面口から出て行こうとする。
「真君との取引――もし破ったら、私が代償をもらいにいくね」
純子が静かに告げたその言葉は、絶対に脅しではないと百合は確信できた。
軽口を返そうとしたが、恐怖に支配され、うまく頭が働かない。今の言葉だけで、百合は圧倒されてしまっている自分を認める。
(全く……今日は散々な一日でしたわね。楽しくもありましたが)
口に出さずに呟き、百合は研究所の入り口をくぐった。
純子は百合がいなくなったのを見届け、床に横たわる少女の亡骸の前でかがみ、白衣の内から器具を取り出し、頭骨を開かんとする。
「何をしているのかね?」
「ちょっと脳みそ取り出そうと思ってね。脳細胞が死滅しちゃう前にさ」
郡山の問いに、純子があっさりと答える。
「終わったの?」
死体をいじる純子の側に、幸子がやってきて尋ねる。百合が外に出たからには、結界も解けたのであろうことも判断できたが、念のための確認だ。
純子が白衣の内から大きな透明の筒状のケースを取り出し、魔法少女の体から抜き出した脳と脊髄を治める。白衣の内にあんな大きなものが入りきるわけがないし、きっと自分と同じように、亜空間ポケットに入れてあったのだろうと、幸子は思った。
「うん、これにて閉演かなあ」
笑顔で純子が答えると、丁度奥の通路に、真と晃が姿を見せた。後ろには凜、累、十夜もいる。
「百合ちゃんなら逃げたよー。魔法少女はここ」
頭部を切開されて、中味が抜き取られた魔法少女を指す純子。
「また脳みそえぐりだして、脳は無事だったら生存とか言って、実験台にしたり無理矢理言うこと聞かせたりするのか?」
「えー、凜さん二号作る気かよ。脳だけで魔法使えるお手軽ツールってわけだねっ」
「その言い方やめて。ていうか晃……貴方、私のこと、そんな風に見てたんだ……」
真、晃、凜が口々に言う。凜は台詞と共に、晃の首を掴んで締め上げていたが、誰も止めようとはしない。
「百合を逃がしたんですか。本当にこれでいいんですか?」
「お前はしつこいよ。決着は必ずつける。僕が望む形でな。協力するつもりがないなら黙ってろ」
純子に問いかける累に、純子ではなく真がにべもなく言い放ち、累は押し黙る。
(真君の望みを壊してでも、脅威の可能性を排除しようとする累君の方が、正しいのは確かなんだけどねえ。百合ちゃんの言うとおり、私は甘いかな)
真を見やりながら純子は思い、微笑をこぼした。




