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怜奈は体中ねじれまくり折れまくりの状態であった。スーツを脱がして半裸にしてから、凜が体中にみそを塗りたくり、エントランスの長椅子へと寝かせる。マッドサイエンティスト達も、凜のみそ妖術を知らない幸子や克彦達も、何しているんだこいつという目で、その様子を見ていた。
「私がいなかったら、この娘、死んでたでしょうね」
みそを塗り終えた凜が、怜奈を見下ろして言う。怜奈の体が人間ではなく人形ということを知らないので、そういう判断をしてしまう。
「みそ塗って治るってどういう原理なんだ……?」
八鬼が尋ねたが、誰も答えない。正確には答えられない。
続けて亜希子も治療する凜。こちらは途中で目を覚ました。
「亜希子も百合サイドだったのですね。純子と真は知っていたんですか?」
累が尋ねる。
「累に教えるのを忘れてたな」
「でもこの子を完全に百合ちゃんの側と断ずるのは、ちょっと違う気もするけどねえ」
真と純子がそれぞれ言う。
「ごめんね、累……」
床にへたりこんで俯いて視線を外したまま、亜希子が謝罪する。体中みそを塗られて、ひどい感触ではあったが、治療のためなので仕方なく我慢している。
「ママ――雨岸百合の言いつけで、私は純子の所に来たの。真と戦闘訓練したり船の中で一緒に戦ったりしたの、楽しかったし、ママにとっては敵であっても、私は真達のことは友達だと思ってるから」
恥じることなく言い切る亜希子。
「別にお前に悪感情は抱いてないから、気にしなくていい。睦月にも言えることだけどな」
「ふっふっふっ、真ならきっとそう言うと思ってたんだ~」
真の言葉を聞いて、悪戯っぽく微笑む亜希子。
「揃ったし、そろそろ話せよ。雨岸百合のことを」
真が純子の方を向いて促す。
「来夢君がいないけど、克彦君達が後で教えてね。意識の無い怜奈ちゃんにもね。ちょっと、関係者だけ移動しようか」
生物生物研究所の所員にまでは聞かせたくないと思い、純子は廊下の方へ移動した。真と累と亜希子、ほころびレジスタンスの三名と、プルトニウム・ダンディーの二名が、それに続く。八鬼と幸子はついていかなかった。
「私は基本的には一匹狼だったんだよね。誰かとつるんだとしても暫定的。特定人物とずーっと一緒に行動するとか、無かったんだ。でも初めて相棒っぽい間柄で、一緒に行動するようになったのが、雨岸百合ちゃんていう、死霊術に長けたオーバーライフだったんだよ」
暫定的にであろうと誰かとつるんだら、一匹狼とは言えないのではないかと、かつて一匹狼だった凜は思ったが、話の腰を折るまいとして、突っ込まないでおく。
「最初は敵同士の間柄だったんだけどさあ、私と直接戦って、瞬殺されたら、どういうわけか私に心酔しちゃって……。さっきも話したけど、私は他人に心酔したりとか崇拝したりとか、そういうのは受け付けない性質だから、当然拒んだんだけど、その後もずーっとストーカーみたいにまとわりついてねえ。いつしか根負けして、一緒に行動するようになってたんだよー」
「根負けして行動を共にするようになったってことは、まんざらでもなかったんじゃない?」
晃がからかうように言い、凜に視線で咎められ、軽く首をすくめる。
「そうかもねえ。でも一緒に行動しているうちに、この子と私は合わないなって、いつも意識してたんだー、これが。亜希子ちゃんはよく知ってると思うけど、ああいう性格でしょ?」
「まあね……」
純子に同意を求められ、苦笑いをこぼす亜希子。
「私は私で悪なりに悪の美学を持ってるけど、その辺が特に相容れなかったからねえ。かといって、私は親しい子とは口喧嘩とかしないし、いや……それが逆に悪かったんだけど、百合ちゃんの思考回路も、行動も、言動も、全部私と合わないもんだから、私としても段々ストレスが貯まっていって、最後は爆発しちゃった感じかなあ」
「我慢して我慢して我慢して何も言わず、最期に爆発するって、それ、一番悪い別れ方じゃん。きっと純子にも問題あるよ」
「そ、そうなのかなあ……」
晃にきっぱりと指摘され、戸惑いの表情になる純子。
「男女の別れ方としては、そうだな。俺もかつてそういうタイプの女性と付き合い、面食らった。不満があるならちゃんと口にしてくれればよかったのに。天使は一夜にして突然悪魔となったよ」
エンジェルがサングラスを押さえてかぶりを振る。
(エンジェルと付き合ってくれる女性、いたんだ……)
克彦が思ったが、口には出さないでおく。
「具体的にどんな風に合わなかったのか、伝わってこないね。何が気にいらなかったの?」
凜が突っこんで尋ねる。
「んー、百合ちゃんは、悪を極めるのが芸術活動とか、変な生き甲斐があってね。そのうえ私のこと、悪の化身、悪の理想像みたいに、勝手にイメージ膨らませて、崇めちゃって……」
頬をかきながら、言いづらそうに答える純子。
「百合の一方的思い込みな部分はありましたね」
純子と百合の三人で行動を共にした期間もあった、累が答えた。
「で、百合ちゃんは私に捨てられたか、裏切られたか、そんな風に解釈してて、私を恨んでいるってわけ」
「実際ママは捨てられたんだよね?」
「僕に言わせれば、裏切ったのは百合ですけど」
亜希子と累が言う。
(その辺は互いに認識にズレがありそうだがな)
真は考える。その辺が、百合のトラウマとなったのは間違いないし、攻め所になるかもしれないと。
「大体どういう人物かはわかった。純子との関係もね。で、その百合はこの施設で何をしようとしているの? 結界を張って閉じ込めてさ。純子ではなく、私達をまず呼んだのは何故?」
静かだが硬質な声で、疑問を口にする凜。すでに大体の察しはついているが、あえて尋ねてみる。
「百合は雪岡への嫌がらせとして、かつて雪岡と付き合っていた僕に狙いをつけた」
真が打ち明ける。
「その嫌がらせの仕方も、僕の親しい人間を片っ端から殺していくという代物だ。僕の親も友人も殺された。そしてそれは雪岡の仕業だと僕に錯覚させ、僕もそれを信じてしまった。それからいろいろあって、僕と雪岡は破局した」
真の話を聞き、純子の背後で杏が胸を押さえる。累だけがそれに気がついた。
「その後、僕は百合の名も知らないまま、雪岡と僕を苦しめた敵がいるという認識だけで、そいつを退けるために、裏通りで力を磨いてきた。で、百合は再び行動を開始し、僕の周囲の人間を二人ほど殺した。一人は僕の恋人だった雲塚杏。晃の姉でもあるな。もう一人はプルトニウム・ダンディーを立ち上げた蔵大輔。組織を立ち上げる前には、雪岡研究所で働いていた」
「なるほど、次に狙いをつけたのが私達というわけね」
怒りに眉根を寄せ、凜が吐き捨てる。
「何でそれをさっさと言わなかったの?」
真に非難の視線を向け、冷たい声を発する凜。
「貴方のせいで狙われているのは仕方無いとして、わかっていながら言わなかったのはどういうつもり? 純子にも言えることだけど」
「それとなく口にはしていた」
「それとなくじゃ駄目でしょ! 全部言いなさいよ!」
激昂する凜に、傍らにいる十夜と晃は息を吞む。
「言えば……いや、僕がもし周囲にそれを知らせて警戒を促していけば、僕を狙っているそいつもそれに合わせて、速攻で僕の周囲の人間を殺しにかかると思ったからだ」
「言い訳にならない。どっちにしろ殺しにくるんじゃない」
「いいや、時間を稼ぐ必要がある。奴の居場所もわからないし、今の僕の力だけでは勝てない。もちろん、奴を斃すためのプランは立てている」
「その時間のために、少しずつ貴方に関わった人間が殺されていく、と? やっぱり言い訳にならない」
「奴とは取引をした。もう僕の周囲が狙われることはない」
「そんな奴の取引を鵜呑みにしたの? 雨岸も信用できなければ、あんたも信用できない。私達のことも都合よく利用してるんじゃないの? その時間稼ぎのための囮にするために、教えなかったんじゃないの?」
「ちょっとっ、凜さんっ。相沢先輩がそんなことするわけないよっ」
晃が見かねて、凜と真のやりとりに、口を挟んだ。
「そんな意図は無い。だがそう疑われても仕方無いな。すまなかった」
凜、十夜、晃の三名に、それぞれ深々と頭下げて謝罪していく真。
「いいよー、別に。ていうか凜さん、責めるなら純子だって責めるべきだろ。何で相沢先輩だけ責めるのさ?」
不満げに言う晃。
「純子にはそういう期待をしても仕方ないからよ。その分相沢は、ちゃんと配慮してほしかったよね」
「凜ちゃん……それはそれで身も蓋も無いんだけど……」
凜の言葉に、純子が微苦笑をこぼす。
「あの魔法少女の出現は、百合の企みではないわけだよねえ? 敵対してるんだから」
と、晃。
「うん。ここで作っていたWH4を暴走させた、予期せぬ結果として、生まれた存在なんだろうねえ。それが百合ちゃん達にも牙を剥いた、と」
興味深そうに微笑み、純子が言った。どうにかしてそれを己の研究所に持ち運び、実験台にできないかと考え始めている所である。
「とりあえず魔法少女が最大の脅威であるって認識でいいよ。凜さん、雨岸百合の件はその後で考えよう」
「相沢の擁護のために、そんなこと言ってるのが見え見えよ、晃」
「あははは、バレたか。でも例えそうだとしても、僕が口にした優先順位でいいと思わない?」
不機嫌そうに指摘する凜に、無邪気に笑う晃。それを見て凜は大きく息を吐く。
(随分と成長したな、晃)
晃と凜のやり取りを見て、真は頭の中で微笑む自分を思い浮かべる。
「百合の結界が、逆に功を奏していますね。魔法少女を外に出さずに済んでいます」
累が言う。
「あれが百合などよりずっと脅威であるというのは、間違いありませんよ。百合もあれを脅威と見なしていました。あんなものが外に出たら、相当数の人間が犠牲になるでしょう」
下手をすれば、国家単位での危機にまで発展するのではないかと、累は危惧していた。
「あのね、純子……。貴女にこんなこと話すのもどうかと思うけど……」
亜希子が純子の側にやってきて、純子にだけ聞こえる声でそっと耳打ちする。
「ママは今でも純子のこと、好きで好きで仕方ないみたいよ~。純子の名を口にしない日は珍しいってくらいだから」
「そっか」
純子は特に嫌そうな顔もせず、微笑んで頷いた。




