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その場にいた全員が戦闘を中断し、獅子妻の体が異形の中に取り込まれる様に、目を向けた。
完全に吸収されて、異形の体積が大きく増したかと思われたが――
「うぐっ!? な、何なの、これ!?」
異形の女が甲高い声で苦しそうに呻いた。
「ああっ! この人の望みは破滅……? 漠然たる何かの後の死? ダメっ、この人は希望ではなく絶望を抱いてるっ。この人はいらないっ!」
異形が我が身に起こった状況を解説するかのように喚くと、体内に取り込んだ獅子妻を一気に吐き出した。
半分溶けかけの獅子妻の体が床に転がる。獅子妻はぴくりとも動かない。生きているのか死んでいるのかもわからないが、通常の生物なら間違いなく死んでいるところだ。何しろ内臓も露出してかなり溶けているし、顔の半分も溶けて骨が覗いている。
「人の獲物を取らないでよ」
獅子妻の惨状を見ても、来夢は臆すること無く異形を睨み、不機嫌そうな声を発する。
「逃げた方がいいですよ。僕は逃げます。蛆虫ランナウェーイ!」
葉山が口早に告げると、一目散に逃げ出した。
逃げる背に晃とエンジェルが銃を撃つが、まるで後ろに目でもついているかの如く、巧みにかわして、そのまま三階の奥へと消えていった。
「えっと……どういうこと?」
いきなり逃げ出した葉山を見て、克彦はポカンと口を開ける。
「一目見て、ヤバいと察したってことかなあ……」
隣にいる克彦に、晃が言った。
(あの強い葉山が――いや、強いからこそ、この乱入者の危険度を真っ先に見抜いて、逃げたってことなのかな。じゃあこいつはどれだけヤバいんだって話になるよね)
獅子妻を吸収しようとした異形を見据え、晃は思う。
「あなたは男の子? 女の子? あなたに惹かれるなあ。あなたの夢はなあに?」
おどろおどろしい姿でありながらも、耳に心地好い声でもって、異形の女は来夢に尋ねる。
「見ず知らずの人が馴れ馴れしく話しかけてきたら、そいつは人さらいかロリコンだって、幼稚園で教わったよ? まず自己紹介したらどう?」
冷たい声と、さらに冷えきった視線で、来夢は言った。
「あ、ごめんなさい。では改めまして。私は魔法少女WH4=Ⅲ。皆の夢と希望をかなえるために、生まれてきたの。よろしくねっ」
自己紹介と共に、ポーズを決める魔法少女。
「どう見ても……魔法少女には見えない」
克彦が思ったままの素直な感想を告げる。
「あのリボンみたいな所とか、背中のヒラヒラがそれっぽいのかなあ。でもでかすぎ」
晃も思ったことを正直に口にする。
「天使には見えない。きっと天使の模倣をして失敗したのだろう、可哀想に」
エンジェルが悲しげな声で呟く。
「自分を魔法少女と思い込んでいる怪物なんだろー?」
最後に復帰した白金太郎が指摘し、魔法少女はぷるぷると身を震わせる。
「ひ、ひどい人達ねっ。でも、大事なのは姿ではなく、どう在るかだからっ」
魔法少女が杖を振り、また別のポーズを取る。
「今までの経験からして、きっとあなたたちも抵抗するでしょうけど、私の中に取り込まれれば、それで幸せになるのは間違いないことだし、無理矢理にでも私の中へと導きまーす。希望が無くて、絶望だけの人がいたのは驚いたけど」
「あ、やっばりね。見た目もヤバいけど実際ヤバい奴みたいね~」
「獅子妻さんを食べた時点でそう思ったよ」
亜希子と白金太郎が側に寄りながら言い合う。すでに二人は戦闘体勢だ。
「あっちは魔法少女と戦うみたいだけど、僕らはどうする?」
晃が来夢に問う。
「歪んだ善意で、無差別に攻撃する生き物と見たよ。邪魔だし、共闘するのが最善の選択」
来夢は即座にそう判断した。
「あっちがそれでよければ、の話だろ」
と、確認するように克彦。
「いいわよー。三つ巴の戦いなんてなるとややこしいし、こっちと戦ってる時にそっちに襲われたらひとたまりもないじゃん」
亜希子が魔法少女の方を向いて小太刀を構えたまま、了承した。
「ふふん、じゃあ、いっくよ~っ」
楽しそうに弾んだ声を発すると、魔法少女が杖を振りかざし、ピンクの光線が放たれる。
光線は白金太郎を直撃し、悲鳴すらあげる間もなく、白金太郎の体がたちまち塩の塊へと変わる。
「な、何これ……」
隣にいた白金太郎の全身が塩の塊となってしまったのを見て、亜希子は戦慄する。
その亜希子に向かって、魔法少女が迫る。
エンジェルが銃を撃ち、魔法少女の左脇腹を穿つ。ひるんだ魔法少女の足が止まったが、また杖をかざし、ピンクの怪光線が今度は亜希子めがけて放たれた。
かわせないと絶望しかけた亜希子であるが、反射的に手が動いていた。妖刀火衣がピンクの光線を弾く。
(一応火衣で防げるみたいだけど、危なかった……)
自分も塩の塊になるかと思うと、恐怖を禁じえない亜希子である。
「ハシビロ魔眼!」
魔法少女が亜希子に向かってさらに接近したが、怜奈のヘルムの目が輝き、魔法少女の動きを止めた。
停止した瞬間を狙って、エンジェルと晃がそれぞれ三発ずつ銃を撃つ。
(私が行かないと……。一応接近戦組だし、危なくても、怖くても、前に立って戦わないと……)
恐怖を必死で押し殺し、亜希子が自ら魔法少女の懐へと飛び込んで、小太刀で下腹を突き刺す。
「痛い痛いっ! いたぐげばっ!」
停止が解け、悲鳴をあげる魔法少女。反撃を試みようとするや否や、その体が上から見えない何かに押し潰された。怜奈のハシビロ魔眼が解けるタイミングを見計らって、来夢がこっそりと放った重力球が、魔法少女の上から降り注いだのだ。
「わ、わたぢはまげなぁいっ」
魔法少女がゆっくりと身を起こす。
(重力が少しずつ弱くされている。あの化け物が少しずつ力を削ってる。そんなこともできるのか)
重力を操っている来夢当人がその事を理解し、魔法少女の力に感心した。
重力球がかき消された所で、さらに晃とエンジェルによる銃撃を食らい、魔法少女がひるむ。
「ハシビロフライ!」
怜奈が両腕を翼に変えて大きく飛び上がる。
「ハシビロダイブ!」
滑空し、頭から突っこんでいく怜奈。バイザーが上がり、鋭い嘴となって魔法少女の喉を突き刺さんとしたが――
その直前で魔法少女が杖を振ると、怜奈の体が弾かれて、物凄い勢いで後方へと一直線に吹っ飛ばされ、そのまま壁に衝突した。
突然の反撃に――そして怜奈の吹き飛ばされ方があまりにも凄まじい速度であったため、一同は呆気に取られる。怜奈が壁に当たった時も、ひどく大きな音がした。
(今の……ヤバくないか)
そう思いつつ、おそるおそる怜奈の方を振り返る克彦。そこには、体のあちこちがおかしな方向に折れ曲がって倒れている怜奈の姿があった。
(ヤバいなんてもんじゃない)
手足だけでなく、腰の部分まで折れ曲がっている怜奈を見て、克彦は慌てて黒手を怜奈に巻きつけ、亜空間の中へと引きずり込む。彼女の体は人間のそれではないが、それでもこのまま放っておいていい状態ではない。
亜希子が果敢に小太刀を振るうが、その右手首を魔法少女の大きな手が掴む。
亜希子は咄嗟に小太刀を離し、落ちる小太刀を左手でキャッチするなり、自分の右手首を掴む魔法少女の手を切り裂いた。
魔法少女が手を引っ込めたのと同時に、亜希子は魔法少女の側面に回りこんで、死角から斬りつけようとする。
「このーっ」
弾んだ声と共に魔法少女が杖を振ると、杖から電撃がほとばしり、亜希子に直撃した。糸が切れた人形のようにその場に倒れる亜希子。
(アニメや漫画とかじゃ電撃食らうと、いかにもビリビリしてるーみたいに痙攣するのに、結構呆気ないな)
それを見て場違いな事を考える晃。
倒れた亜希子に魔法少女が手を伸ばしたが、それより早く三本の黒手が伸びて、亜希子の体に巻きつき、亜空間の扉へと引きずっていく。
「ちょっと、今の何っ?」
亜空間とその穴から伸びる黒手を操っている克彦に、魔法少女が視線を向ける。とうとう自分の方に意識が向けられ、おののく克彦。
「不味いな。あの天使の振りをした悪魔に、銃はいまひとつ決定打にならない。そして接近することは極めて危険だが、その危険な接近戦を担ってくれていた二人の女性が、天使に召されかけている」
エンジェルが珍しく緊迫した声を発する。
「己を蛆虫などと卑下する堕天使――葉山が真っ先に逃げ出したのは、最も賢い判断だったようだな。俺達も退いた方がいい」
「わかった。逃げて」
エンジェルに促され、来夢が撤退を決定したその直後、克彦や晃のいる場所と、来夢とエンジェルのいる場所の間に、炎の壁が噴き上がり、両者の間を遮った。
「何でもありかよ……」
晃が呻く。
「だって魔法少女だもん」
得意げな声で言った直後、炎の壁が突然ひしゃげて、潰されるようにしてかき消された。いや、実際潰されたのだ。
「へへっ、こっちの来夢だってわりと何でもありなんだぜ」
晃の方を見て、克彦が自慢げな声で言って微笑む。来夢の重力コントロールによって、空気ごと炎は押し潰されて消えた。
「こいつに全員で背を向けて逃げるのは危険だと思う。何してくるかわからないし」
当の自慢された来夢は、魔法少女の方に向き直り、冷静沈着にそう判断した。
「俺がここで足止めするから、その間に皆逃げて。克彦兄ちゃん、頼むね」
魔法少女をじっと見つめたまま告げた来夢の言葉に、エンジェルも晃も克彦も驚いたが――
「わかった」
三人の中で最も早く、来夢の要求と現在の状況を受け入れたのは、名指しされた克彦だった。
「行こう」
亜空間の扉から黒手を伸ばし、晃とエンジェルの体に巻きつけたうえで掴む。黒手にいざなわれる形でないと、亜空間トンネルの中には入れない。
「本当にいいの?」
あっさりと来夢一人に任せることを認めてしまった克彦に、晃が確認する。
「来夢は自分が犠牲になって、それで俺達を助けようなんて、そんな馬鹿なことする奴じゃない。俺は信じる」
微笑みと共に力強く言い切る克彦の言葉を聞いて、晃はぎょっとしてしまう。
(僕と十夜にはここまで強い絆、あるかな? 付き合いは長いし、互いのことを信じているけど。何か……こいつとあの子の間には、それを越えたものを感じるな)
羨ましいと感じるわけでもないし、自分と十夜の仲を疑っているわけではない。次元の違う存在を見たような気がして、驚きつつも考えてしまった。
(同じ状況で十夜が踏ん張るとか言い出したら、僕は絶対承服しないよね。一緒に戦うか、襟首引っ張ってでも一緒に逃げるし)
亜空間の中を移動しながら晃は考え、自分達はそれでいいという結論に達する。
「仲間をかばうために一番小さな子が残るなんて……」
一方で対峙しあう、来夢と魔法少女。
「普通こういう場面て、大人から残るものなのにねえ。大人の男の人二人はさっさと逃げて、女の人はあっさりやられちゃって――」
「自分が悪だという自覚、実はあるじゃない」
魔法少女の言葉を遮り、来夢は揶揄する。
「化け物としての自覚も実はあるのかな? 自分の姿、鏡で見てみなよ。魔法少女なんていう可愛いものではないよ? 君はただの化け物だ。その姿、君の化け物らしい性質をちゃんと映している」
「ひどいこと言うのね。小さいからって、人を傷つけるようなことを平然と口にできる子は、許せない。お仕置きしないと」
「ひどくて当たり前。だって俺も悪なんだから」
心地良さそうな笑みを浮かべ、来夢は言い放った。




