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盲霊のストックには限りがある。故に、それなりに強敵が相手か、敵の数が多くない限り、幸子は盲霊を用いない。ましてや今は、結界に閉じ込められて、いつ出られるかもわからず、敵の数も規模も未知数という状況だ。
しかし現在目の前にしている相手には、出し惜しみしない方がよいと判断し、最初から盲霊を一体解き放った。
「むっ!?」
盲霊に憑依され、視覚を失った絶望感と共に死んだ霊の絶望の感情が、獅子妻を支配する。他人の痛みに鈍感な獅子妻ではあったが、盲霊の憑依が通じないほどでもなかった。
「何だ! これはっ……!」
盲霊の絶望と共鳴したことで、獅子妻の視覚も失われる。突然の事態に、獅子妻はパニックになりかけたが、幸子の動きを鼻と耳で察知し、すぐに冷静さを取り戻す。
目の見えなくなった獅子妻めがけて一気に間合いを詰め、亜空間から抜いた刀を全力で振るう幸子であったが、獅子妻はまるでその動きが見えているかのように、後方に短く跳んでかわした。
その双眸は閉ざされているが、獅子妻は明らかに自分の場所を認識しているように、幸子には見えた。
ここでようやく幸子も察した。狼男であるが故に、視覚を奪っただけでは、その動きを鈍らせるには至らないことを。目が見えずとも、鼻と耳だけでも十分に幸子の動きも居場所も察知できるのであろうと。
「組み合わせを失敗したかしら」
よりによって盲霊の効果が薄い相手を選んでしまったことに、幸子は舌打ちしたい気分になる。
獅子妻が間合いを詰め、太い右腕が横に薙ぐ。
幸子は余裕をもってバックステップしてかわしたが、獅子妻はさらに踏み込んで左腕を振るう。
その攻撃も読んでいた幸子は、かがんで回避してから、獅子妻の懐へ一気に飛びこみ、同時に亜空間より刀を抜いて、斬りかかった。
鈍い感触。肉の厚さと固さが尋常ではなく、刃がほとんど通らない。多少は切り裂いているが、大したダメージと言えない。
(攻撃が届いたと思ったらこの程度。これはますます分が悪いかもね)
獅子妻の攻撃が当たればほぼ一発で致命傷。幸子の攻撃が当たってもほとんど軽傷で、致命傷を与えるに至るには難しい。どちらが不利かは明白である。
(私とはひどく相性の悪い相手だった。ついていないというか)
(この女、やるな。流石はヨブの報酬のエージェント)
幸子が危機感ともどかしさがないまぜになった感情を抱く一方、獅子妻は幸子の熟練した動きに、素直に称賛の念を抱いていた。
***
葉山vs十夜晃組の戦いは、十夜が接近戦を挑んで、晃は後ろから銃撃という、いつものパターンで始まった。
葉山が二発撃つ。十夜の胸と腹部に、葉山の銃弾が直撃する。十夜としては回避したつもりであったのに、二発とも食らってしまっていた。完全に敵に動きを読まれている。
「痛たた……」
スーツのおかげで弾は通らないが、衝撃までは完全に殺せていない。もちろん通常の防弾繊維に比べればずっと頑丈だし、銃撃による衝撃も防ぐのだが。
「ふむ。こちらも合わせてみますか」
十夜のスーツに銃弾が効かないのを見て、葉山も格闘でもって十夜と戦うことを決める。
(あのスーツは頑丈なようですが、関節技であれば、行動不能にもできるはず。蛆虫には関節が無いけどねっ)
十夜の攻撃をいなしたその直後に関節技をかける所存で、葉山が腰を少し落とした格好で身構える。
晃が銃を撃つが、上半身の姿勢はそのままに、足だけ動かして小さく跳躍して回避する。
「メジロ地獄突き!」
その回避直後のタイミングを狙い、十夜が葉山に肉薄し、わざわざ攻撃名を叫んでから右の手刀を葉山の喉めがけて、下から突きあげる。
葉山は上体を横にそらしてかわしながら、左手で十夜の手首を取って捻り上げ、十夜の腕を抱え込むような形で、己の体を十夜の体に乗せる。
そのまま一気に倒れこんで脇固めによって、十夜の腕と肩を粉砕せんとした葉山であったが、晃の銃口が向けられたのを察知して、倒れる前に十夜の手を離して、その場を飛びのいた。
(二人のコンビネーションが凄く固いです。中々隙を見せない。銃を持っている子を撃ちたくても、緑のヒーローの子がそのタイミングを見計らって攻撃してきますし、ヒーローの子をいなして関節技に取ろうとしても、すぐに銃弾が飛んできます)
晃の援護が抜群のタイミングで行われることに、葉山は舌を巻いていた。
(個々の力はさほどではなくても、二人が揃って力が何倍にもなっている系ですね。嗚呼……僕にもそんなパートナーが欲しい。でもそんなこと、蛆虫の僕には過ぎたる願い)
沸き起こる僻みと嫉みと嫉みが、葉山にパワーを与える。全身に力が漲り、集中力が増す。
(嗚呼……蛆虫から蝿へと変わる瞬間だ。自画自賛するわけではなく、事実として、こうなった時の僕は強い。わずかたりとも、空隙を見逃さない)
再び十夜を見据える葉山。
十夜は葉山のサブミッションを警戒し、すぐには飛び込まない。
攻撃が届くぎりぎりの距離から、様子見でジャブを放つ十夜。
十夜の拳が自分のこめかみに届く前に、十夜の手首を再び掴んで止めると、葉山は手首を掴んだまま、十夜の手首を支点にして己の体を一回転させる。
葉山の身体の回転に巻き込まれて、十夜の体勢が崩れる。その隙を見逃さず、再び脇固めの体勢に取り、十夜の腕に体重を預け、そのまま十夜の身体を床にうつ伏せに倒すと、その勢いも利用して、てこの原理で十夜の肘と肩の両方を一気に砕いた。
「うあああああっ!」
スーツの痛み止め作用をも上回る激痛に見舞われ、十夜が悲鳴をあげる。
葉山は、そのまま十夜にとどめを刺すことはしなかった。急いで十夜から離れないと、晃の銃弾の餌食になるとわかっていたからだ。その読み通り、葉山が離れると、今まで葉山のいた空間を銃弾が横切った。
これで晃とタイマンという形になった。もちろん十夜の動きも警戒している。たとえ片腕でも起き上がって、戦いを挑んでくるだろう。
だがその起き上がるまでのわずかな時間は、紛れも無く一対一の構図である。このわずかな時間の間に、葉山は決着をつけるつもりでいる。そしてそれが自分には可能であると、確信している。
晃にはわかっていた。一対一ではこの敵には勝てないことを。少し撃ちあっただけで、相手の動きを見ただけで、技量の差が歴然としている事を悟っていた。故に――背中に、足に、首筋に、冷たく重い恐怖がずっしりとのしかかり、晃の敗色を――死の運命を、より確固なものへと導かんとしていた。
晃は表通りにいる時には、自分は優秀であると思っていた。運動神経も良く、大して勉強もせずにそれなりにいい成績が取れる。身体能力や頭の回転がよいだけではなく、何より行動力がある。
他者を見下していたということは無いが、それでも意識はしていた。自分が周囲に比べればずっと優秀だったと。それは今でも事実だと思っている。
だが裏通りに堕ちてからは、自分よりずっと力も強さも賢さも備えた化け物がごろごろしている。自分が素直に自分よりは上だと認められる人物が、あまりにも多すぎる。
そういった人物が敵として自分の前に立ち塞がった時、果たしてどうすればいいか? これまでは十夜や凜の手助けがあったからこそ、何とかなってきた。しかし今は無い。
十夜が起き上がって復帰するまでのほんの数秒だけではあるが、完全に孤立する。その数秒は一人で戦わなくてはならない。その数秒を葉山は決して見逃さない。その数秒の間に、葉山は自分に死をもたらす。晃にはそれが実感できてしまった。
もしこの場に十夜と晃と葉山しかいないのであれば、恐怖は死神の手伝いの役目を十分に果たし、雲塚晃の人生に幕を降ろしていた事であろう。
***
「黒き水、死を呼ぶ油、喉元から鉄の味、落ちる風景を見て楽しもう……」
魔術の呪文を唱えあげると、凜の両手から黒い油のようなものがあふれ出す。それは棒状に伸びていくと、片方の端から巨大な刃を生み、やがては漆黒の鎌にと変わる。
凜が黒鎌を振るうと、鎌の柄の中心から先が液体のようになって弾け、黒い飛沫と化して空中を飛来し、白金太郎へと飛んでいく。
どういう攻撃かわからぬまま横に跳んで、その謎の攻撃をかわしたつもりの白金太郎であったが、黒い飛沫は白金太郎の横で突然鎌の刃へと戻り、凜の腕の動きに合わせて動き、白金太郎の喉を切り裂いた。
「うっぎゃああああっ! すっげー血が出ゴババババ」
叫び声は途中から、喉の中にもあふれた血によって遮られた。
「ドバレ! どまれぇぇ!」
切り裂かれた傷口を一生懸命押さえて、血を止めようとする白金太郎。
「やった。止まったっ」
「え?」
白金太郎の言うとおり、喉の傷口から噴出していた血が、嘘のようにピタリと止まった。それどころか、傷口そのものが塞がれている。
「やったーっ。いつもは百合様にふさいでもらってるんだけど、俺だってやればできるっ」
(再生能力持ちのマウス?)
そう疑った凜だが、それにしては少し毛色が違うような気もする。凜も何人か見たことがあるが、大抵自動的に再生していた。
さらに鎌を振るう凜。液状化して白金太郎の背後まで飛来すると、ちょうど背中の辺りで刃の部分だけが個体となる。凜が両腕を引くようにして振るうと、その動きに合わせ、鎌の刃が白金太郎の背中めがけて襲いかかる。
「危なっ! 痛っ!」
また横に跳んでかわそうと試みた白金太郎であったが、左腕の上腕部が切り裂かれる。骨まで達した手応えだ。
「痛い痛い痛いっ! あーっ、もうっ! 今度も上手くできるか!?」
苦痛に顔をしかめて喚くと、右手で左腕の傷口を押さえ――いや、傷口を握り締めて塞ごうとしている。そして実際に血が止まり、傷口も塞がった。
「やった! うまくいった! もう一人でできるもん状態! 今までは誰かに手伝ってもらわないと、傷そのものは塞げない感じだったけどね」
得意満面の白金太郎。
(この子の場合、自動的な再生ではなく、肉体の損壊に対して、まるで粘土をこねあわせて修復しているような……。そういう体質?)
凜のその読みは、当たっていた。
「次はこっちからいくぞーっ」
白金太郎が叫ぶと、その場にしゃがみこみ、床に平手をつく。
すぐ立ち上がる白金太郎。すると、手に床のコンクリート塊がひっついたかのように、床が大きくえぐりとられる。その大きさは、直径50センチはありそうだ。
白金太郎の手に持たれたコンクリートの塊に、変化が起こった。まるで液体のように流動的な動きで変形して、別の物へと形を変えていったのだ。
ほどなくしてそれは、白い鎌へと変形し、余った部分は床へと落ちた。床に落ちた部分は、元のコンクリートに戻っている。
「お揃いだーっ」
白金太郎が喚き、その場で鎌を振る。すると、凜の黒鎌同様に、柄の先と刃が液状化して、凜へと飛来する。
(コピーした? いや、私のに比べると少し固い感じだし、動きも鈍い)
凜は身をかがめつつ、同時に大きく横にステップしてかわす。凜の黒鎌同様、白金太郎の白鎌も白金太郎の手の動きに合わせて、刃に戻って空を切る。
「その能力は……粘土?」
凜が問う。
「正解っ。俺の一族は触れた物質を粘土化して、自在に形を変形することができる術を、幼い頃から身体に組み込まれるっ。その気になれば生物にも有効だけど、自分も含めて生物に関してはいまいち苦手というか、うまいこと変形できないけどねっ」
得意げに自分の能力の解説をすると、白金太郎は手にした鎌を別の物へと変形させていく。
「複雑な構造の物も作れないけど、これくらいならいける」
粘土のコンクリートは白金太郎を覆う鎧に変わり、さらには槍と盾にまで変わる。
「ひょっとしなくてもその能力、凄くない?」
凜が興奮気味の口調で言い、笑う。この能力は是非欲しいと思い、ワクワクしていた。このイガグリ頭の少年を殺して、頭部だけ持ち帰って、脳を味噌焼きにして食べることを考えると、気が重くはあるが。




