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凜、晃、十夜の三人は、依頼者であるコミケスキー・小宮に連れられる形で、刹那生物研究所の一階廊下を歩いていた。
「いつ出られるかわからないので、この部屋をお使いください。研究員用の休憩室ですが、布団もありますから」
扉を開き、細い目を笑みの形にして、口元にも作り笑いを浮かべて言う小宮。
「それより何であんな勝手なこと言ったの? せめてこちらに相談してからにしてほしいよ。こっちが動き辛くなる」
晃が不機嫌さを丸だしにして、文句を言う。
「失礼しました。相談する余裕もありませんでしたし、あれがベターな判断だったと思いましたが、何か不都合がありましたか?」
「取引相手候補のまま通した方がいいのに決まっているのに、ややこしくしただけじゃない」
刺々しい口調で凜。晃同様、小宮の先走りに腹を立てている。
「そうですか。私は裏通りの始末屋さんの定石などはわかりませんから。余計なことでしたか。申し訳ありません。以後、慎むようにいたします。では」
全く悪びれてない様子で、穏やかに告げると、小宮は立ち去った。
三人が部屋の中に入る。畳が敷かれた和室の休憩室で、十二畳もある。三人が休むにしては広すぎる部屋だ。おそらく泊り込みの研究員が相当多くて、広い休憩室が必要なのであろうと思われる。小宮の話では、休憩室はここだけではないとのことだ。
部屋に通された三人がまず行ったのは、お約束の盗聴器チェックだった。
「これからどうなるんだろう。犯人の目的も何もわからないから、予想のしようもないけど」
足を投げ出して楽な格好になって、十夜が言う。
「いや、僕にはわかるね。多分研究所内がゾンビで溢れるパニック映画的な展開になると見たね」
晃がふざけて言ったその直後――
「ゾンビはともかくとして、似たような展開になる可能性はありますよ。ここでは違法なバトルクリーチャーの製作も行っていますし」
突然小宮が戻ってきて、会話に混じってきた。両手には様々なお菓子を山盛りにして抱えている。
刹那生物研究所で違法バトルクリーチャーが作られているという話は、裏通りでもよく聞く噂なので、特に驚かない三人ではあったが、それにしても小宮がそれをさらっとバラした事には呆れてしまう。
(この人、相当口が軽いというか、言わなくてもいいこと平然と言うタイプなのかな)
と、十夜が考える。
「他の休憩室からちょろまかしてきた御菓子です。この部屋は不足気味だと思いまして。ではごゆっくりと」
再び立ち去る小宮。
「部屋に鍵が無いから、誰が入ってくるかわからないね」
凜が息を吐く。奥には更衣室と浴室もあるので、着替えを突然覗かれることは無いだろうが、それでも落ち着かない。
「何か変なことになったなあ。変なことに巻き込まれたっていうか」
あぐらをかいてネットが繋がるかどうか試す晃。通信は相変わらず通じないままだった。
「注意すべきことは――杜風幸子も言っていたけど、この事態を引き起こしているのが、相当大きな力を持った者だということよ」
正座して背筋もしっかり伸ばして座っている凜が、真面目な声で言った。
「まさか純子が?」
「それは無いでしょ。私達もいるし、この研究所とも懇意にしているって話だし」
十夜が挙げた名に、凜はかぶりを振る。
「いや、純子ってわりとそういうの無視して、人を巻き込まない?」
「知り合いがいる際は、そこまで不義理なことはしないと思うけどね。いや、思いたいけどね」
十夜が続けて口にした言葉を聞いて、凜も自分の考えに少し自信が無くなった。
***
その命は自由を得た。紛い物の二つの命と共に。
紛い物達は、失敗作だ。創られたが、望みにかなわぬ者達であった。
紛い物は互いに認識しあうと、自分達を創造した者達に襲いかかった。
紛い物の他にも、何匹か創られた命が解き放たれようだが、いずれも興味は無い。
命は少しだけ悲しく思う。己を創ってくれた者達の死を。そして己の命が輝く所を見せられなかったことを。
***
謎の結界とやらによって、中にいた人間が全員外界と隔絶されて閉じ込められ、一夜明けた翌朝の刹那生物研究所。
ほころびレジスタンスの三名は、研究所に何か変化が起こっていないかどうか確かめるため、部屋を出ようとした矢先、扉がノックされた。
現れたのは白衣姿の二人の研究員と、やけによく出来ているイルカの着ぐるみを着た女性らしき人物の三人だった。イルカの着ぐるみを着た人物は、手足だけがイルカの体から出ており、足は完全に素足だ。
「ナニアレ?」
「さあ……」
イルカ女を見て、晃と十夜が囁き合う。
「始めまして、私は薬物反応試験部主任の郡山幸流と申します」
「同じく薬物反応試験部の村山村男です」
中年の男と若い男がそれぞれ自己紹介し、揃って頭を下げる。
「貴方達の依頼者――コミケスキー小宮のことでお話があります」
郡山の口にした名に、三人は真顔になる。
「小宮は我々とは部署が違うのですが、よく我々の部屋を訪れ、薬物試験を依頼しておりました。故に我々とは顔馴染みです。しかし……あの男はここ数日前から、様子が変でして」
神妙な顔で郡山が語りだす。
「喋り方も表情の作り方も変わらないのですが、それでも所々違和感があります。彼を知る者は皆それを感じています。何より不思議なのは、彼は控えめな男で、自分から何かしようという事は無い性格でした。それなのに、始末屋である貴方達を雇い、裏切り者がいないかどうかを調査させるなど……。しかも彼はここでは、下っ端の一研究員でしかない立場です。その彼が研究所所長や、自分の部署の上司も押しのけて、独断でそのようなことを依頼するなど、どう考えても変ですよ」
「私はてっきり研究所の責任者の依頼で、彼は橋渡しをしているだけだと思ってたけど」
凜が言うと、郡山は首を横に振る。
「いえ、昨夜新藤新一所長に尋ねてみましたが、否定されました。そんな話は初耳だと」
郡山の話を聞き終え、それぞれ思案する凜、晃、十夜の三名。
「確かにそれが本当なら妙な話さあ。でも僕らが、あんたらの言葉を信じられる根拠も無いぜ? うちらの依頼者を貶めようと、あんたらが工作しているのかもしれないしね」
「そう疑われるのもごもっともですし、我々が疑われるかもしれないとも、村山と話しましたが、それでも伝えた方がいいと思いまして。とにかく油断しない方がよいです」
晃に指摘されるも、郡山は親身な口調でそう告げた。
(私はこの人達の方が信じられる)
と、凜は思う。出会った時から、凜は小宮に歪なものを感じていた。
「ところでそのイルカ怪人は何?」
晃がイルカ女を見て尋ねる。
「ああ、うちの実験台エースで、アンジェリーナだよ。雪岡純子に改造されたんだけど、凄い再生能力があるから、どんな無茶な実験をしても平気なんだ。おかげで凄く助かってる。ほれ、アンジェリーナ、お客さんに挨拶しろ」
「ジャアアアアアァァァップ!」
村山に促され、突如両手を大きく開いて上げながら天を仰ぎ、奇怪な雄叫びをあげるアンジェリーナ。
「どんな挨拶だよ……」
それを見て呆れる十夜。
(どこかで見たことがあるような?)
イルカ怪人――アンジェリーナから見えるヴィジョンに、凜は見覚えがあった。
「どうするの? 調査続ける? 調査どころじゃない気がしてきたけど」
郡山達が去ってから、まず十夜が口を開いた。
「本来の仕事も一応は念頭に置いたうえで、別の調査もしないとね。ここから出るための調査をさぁ」
と、晃。
「晃の言うとおりね。まず、接触を図りたい人物が三人ほどいる」
そう言って凜が晃をちらりと見る。定番となっている、クイズの時間だ。
「んーと……杜風幸子と、さっきの変な天井マントと、あとは?」
「ここの責任者よ。名前は新藤新一。こちらの存在を売り込むのと、ここの責任者がどういう立ち位置なのかを探――」
凜が喋っている途中にまたノックがする。
開くと杜風幸子の姿があった。
「向こうから来てくれたねー。目的は同じかなあ?」
「目的?」
自己紹介の前に、晃が口にした言葉を聞いて、訝る幸子。
「私達も貴女に接触しようと思っていた所ってこと。聞きたいことがあってね。とりあえずどうぞ」
凜に促され、幸子は部屋の中に入り、腰を下ろした。
「なるほど。同じかもしれない目的であれば、こちらから話してよいですか?」
幸子の確認に、一同頷く。
「ルシフェリン・ダストの萩野八鬼とほころびレジスタンス、それにヨブの報酬の私、協力してこの件の解決にあたりませんか?」
「もっちろんオッケー……で、いいんだよね?」
二つ返事しかけて、言葉途中で凜の顔色を確認する晃。
「こちらからもその話は持ちかけようと思っていた所だけど、もう一つ聞きたいことがあるの」
晃を一瞥して頷いてから、凜は幸子に向かって言った。
「何でしょうか」
「私達が何でここに来たかは知ってるでしょう? 私達の依頼者が勝手にばらしてくれたから。でも私は正直疑問なのよね。実際ここの研究員と繋がりがあるの? 情報提供者がいるの?」
「それを私が口にしたからと言って、信じるのですか?」
「違うとはっきり言えば、間違いなく信じる」
きっぱりと言い切る凜に、幸子は絶句しかけた。
「どちらを信じるか――も、私にはわからないけど」
苦笑いをもらす幸子。自分が否定した場合、凜がその言葉を鵜呑みにするのではなく、逆の方を確信するとも取れるわけだ。
「匿名の情報提供者がいただけよ。非道な実験が行われていて耐えられないからと。私も、ルシフェリン・ダストの萩野八鬼も、それぞれの後ろ盾を通じてこの研究所に圧力をかけ、調査員を送る事を了承させた。しかし――より明確な情報提供者がいるのであれば、話はもっと簡単にカタがつきそうなものね」
幸子は敬語をやめて、自分がここに来た経緯を包み隠さず喋った。八鬼を見習うわけではないが、隠した所でそう大した意味も無い。
「曖昧な情報であっても、無視はできないから真偽を確かめにきたわけか」
「そういうこと。正直大した仕事ではないと思っていたのに、それがこんな事態になるなんて」
十夜の呟きに頷くと、幸子は溜息混じりに言った。
「その語り草だと、そちらが狙われる心当たりも無さそうね」
凜が言う。
「恨みはそこら中で買ってるけど、こんな大掛かりな方法で狙ってくる敵の心当たりは無いわ。そちらは?」
幸子の問いに、晃と十夜が揃って首を横に振る。
その時、部屋の外で駆け足が迫ってくるのが聞こえた。ドアが開き、血相を変えた村山と、嬉しそうに踊っているアンジェリーナが現れる。
「何よ、あれは……」
踊るアンジェリーナの姿を見て幸子が鼻白む。
「大変だ! 所内で殺人が起こった!」
「おー、B級ミステリー映画ノリ展開キタよキタよー」
村山の報告に、晃が嬉しそうな声をあげて顔を輝かす。
「何をはしゃいでるのよ……」
「現場に連れていってもらいましょう」
それを見て呆れる凜と、立ち上がる幸子。
「杜風さんもいたのか。なら好都合だ。ていうか、あんたが犯人じゃないのはわかったな。殺されたのは、たった今だ。ていうかね、私達が発見した時にはかろうじて息があった。犯人の名前を告げることができずに死んでしまったがな」
「まさか殺されたのって、郡山さん?」
この場に村山一人というのが気になって、十夜が尋ねたが、村山は首を横に振った。
「違うよ。殺されたのはここの所長、新藤新一だ」
村山の口から告げられた名は、接触を図ろうとしていた一人であった。




