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「これ、星炭の奴等も情報操作してきたと見ていいよな」
歩きながら目の前に投影したディスプレイを覗き込み、麗魅が寒そうに手を口元でこすり、杏に声をかける。
すでに日は落ちている。夕方になる少し前くらいに、裏通りの情報掲示板に、星炭の呪術師達とおぼしき集団を見かけたという報告がある。会員制ではない、誰でも見られる掲示板にだ。
さらには彼等の指揮官たる人物の情報まで流れ、その人物が夜間に限ってその場所に現れるなどという、誰が見ても明らかに罠とわかる書き込みがあった。
「今時表通りの連中でも一目でわかりそうなくらいの、あからさまな自作自演じゃない。まあ罠だろうと、奴等の居場所を探す手間は省けてこちらにとっては好都合なわけだから、行くんだけれどもね」
と、杏。
「何とか奴等のアジト割り出して、頭から叩いてやりたいとこだがなー」
拳で平手をぱんぱんと叩きながら麗魅。
「一応その準備は進めてるわ。凍結の太陽だけではなく、情報屋及び情報組織のネットワークをフルに活用して、奴等の足取りを追う準備をね。あいつらのやり方は裏通りにとっても迷惑極まりないものだから、優先的に協力を得られそうよ」
「なははは、情報屋の結束力ってすげーよなー」
「まあライバルでもあるんだけれど、相互協力しあっていた方がいろいろ便利だからね」
杏は振り返り、肩を並べて歩く杏と麗魅とはやや距離を取って歩く真に一瞥をくれる。
真は今朝見られた姿を気にしているのか、妙によそよそしく、口数が少なくなっている。
最初は嫉妬心でたっぷりな杏だったが、真のそんな態度を見て、その想いも消えてしまった。しかも昼食時に聞いた話では、今朝いた女性は恋人というわけでもなくて、高級娼婦だったというから呆れてしまう。
抗争最中に女を買って呼ぶなど杏には理解できない。それとも男というのは、そういう生き物なのだろうか?
「ま、余計なおしゃべりはここまでにしようや。目的地についたことだし」
麗魅が足を止める。星炭流呪術の術士達を見かけたという情報のあった場所に、着いたのだ。
『安楽大将の森』と呼ばれる、安楽市では最も広い公園。樹林が生い茂り、市民はもちろん、近接する市町村からも森林浴に訪れる人々の足は絶えない。奥にはプラネタリウムなどの施設もある、市民の憩いの場所。
ただしそれは昼間だけに限った話で、夜になると裏通りの者達が取引の場所に利用し、抗争の場所にも変化する。数日に一回は、朝になると公園内に死体が転がっている。そのような不吉で危険な場所にも関らず、昼に市民の足が滞ることは無い。
「ここは霊的な磁場が非常に強いと、以前に雪岡が言っていたな」
麗魅同様に公園入り口前で立ち止まりながら、真が言う。
「昼に命を与え、夜に命を奪う場所。土地そのものに力が宿っていると」
「あいつらが潜むにも絶好の場所ってことかい? 怪しげな呪いをするにも」
「かもな。奴等はその力を得たうえで、僕等を罠にかけようとしているのかもしれない」
真の言葉は冗談でも何でもなく、可能性の一つとして言っているに違いないであろう。
「そんな得体の知れないもん相手にしようってのも、ぞっとしない話なんだよなー。何度も言ってるけれどさ」
「マニュアルに無い敵だからだろう。対処の仕方がわからない、何をしてくるかわからない相手では、確かに厄介だ。僕はもうそういう相手には慣れているが」
不満を口にする麗魅を、見た目はずっと年下の真がたしなめている構図は、どこかおかしく感じられた。いや、本当に見た目通りの年齢なのだろうかと、杏は疑念を抱く。それにしては大人びているというか、世知にも長けているし、達観しすぎている。
不敵な笑みを浮かべ、麗魅は暗闇に包まれた公園内を見据える。公園の中に鬱蒼と立ち並ぶ樹林の間を縫った、夜の遊歩道。確かに不気味な雰囲気が立ち込めている。
麗魅は入る気満々でいるようだが、杏は躊躇っていた。本能が全力で危険を訴え、拒んでいる。
ひょっとしたら麗魅も同じように感じているが、必死で恐怖を押し殺しているだけかもしれない。何しろ、霊感だの何だのといったものとは無縁だと思っていた自分ですら、ひしひしと嫌な気配を感じているくらいだ。
ふと杏は真を一瞥する。無表情だが静かな気迫がほのかに感じられる。
麗魅が公園内にまず足を踏み入れ、真がそれに続く。杏はどうしても中へと入れないでいた。入ったら絶対に死ぬ。脳が、体が、全てが杏に向かって告げている。
麗魅も真も、その場に留まる杏の方に振り返りもしなかった。臆している自分に気付いているのだろうか?
わかっていて置き去りにしようとしているのか。それとも全く気付かず当然着いてくるものとして、どんどん歩いているのか――そんな愚にもつかぬことを考えている己に杏は嫌気がさし、意を決し、公園内へと踏み込む。
「結界が張られているな。公園全てが覆われている。亜空間化はされていないようだが」
真が呟く。
「結界? つまりここから出られないようにか?」
「僕等の動きをどうにかするのではなく、何かしらの術の制御のためだろうな。暴走しないように。僕等を幽閉する目的なら、亜空間を作っているはずだ」
真が麗魅の問いに答えた直後、真が銃を抜き、樹林の方めがけて発砲する。
「何人も遠くから、こそこそと監視しているようだ」
サブマシンガンの銃口の先で、木の根元に黒ずくめの人物が頭部を吹き飛ばされた状態で倒れていた。ゆったりとした黒服のせいで判別つきづらいが、どうやら女のようだ。
「何だよ。殺すなって雪岡純子から言われてるんじゃなかったのかい?」
からかうように麗魅。
「どうやらその余裕も無さそうだ。かなりの数で待ち受けられているようだぞ。術師は見つけ次第、すぐ殺しておいた方がいい」
「ふっ、こっちは初めっからそのつもりなんだけどねー」
そう言って麗魅が、真が撃ったのとは反対方向に向かって撃つ。同じように頭を撃ちぬかれ、木陰に潜んでいた黒ずくめの男がのけぞって倒れた。ほんのわずかに木陰から頭を出した所で、麗魅に察知されて射殺されたのだ。
ふと呪文のような呟きが右から聞こえた。実際呪文だったのだろう。杏がそちらに振り向くと同時に真がショットガンを撃っていた。弾は木の幹を貫通し、木立に隠れて術を唱えていた術師を撃ちぬく。
「何をしでかしてくるかわからない連中だから、何かをしでかす前に先に殺しておく。単純明快な話だね」
麗魅が笑い声を含ませて言う。街灯に照らされた表情は活き活きとしていた。この危険かつ不気味な状況を楽しんでいるかのように。
「おいおい……」
だが、その麗魅が珍しく鼻白む。麗実が向いている方を見て、杏はその理由を理解し、息を呑んだ。
木々の間から、遊歩道の先から、闇の中から次々現れた無数の人影は、見覚えがあった。昨夜や今朝に杏達を襲撃した者達だ。
知らない顔もいくつかあったが、星炭が雇った者に間違いは無い。銃弾で体を撃ちぬかれたり、撲殺されたり、重い物体で潰されたり、胴体を切断された者までいる。闇夜の中でこの光景はかなり肝を冷やされる。
「今度は本当の意味でゾンビってわけ?」
「いや、よく見てみなよ」
呻く杏に真が、胴体を切断された襲撃者を指す。最初は這いずっているように見えたそれは、よく見ると半ば透けた体で宙に浮いている。
「ゾンビじゃなくて、季節はずれのゴーストさんでしたか。そっちのが厄介だね」
「鯨は体の全てを無駄無く利用しつくせると言うが、あいつらは人間を生ける屍にして利用した後に、体が朽ちたら、その霊まで使うってわけだ」
「で、あたしらであれに対抗できんのか?」
「幽霊に銃弾が効くと思うか?」
真がお守り袋を一つずつ、麗魅と杏に投げてよこした。昨夜言っていた護符という奴だろう。
「あいつらに触れられたら私達はどうなるの?」
ゆっくりとこちらに向かってくる霊を凝視したまま、杏が訊ねる。
霊達はいずれも憎悪と恨みに満ちた形相と視線を杏達に向けている。真達といるから恐怖も軽減されているが、一人でこの光景に出くわしたら、それだけで狂乱しかねないなと杏は思った。
「憑依されて精神を侵されるだろうな。護符によって僕達の周囲にも結界が作られるから、その中に奴等が飛び込んできたら、よほど強力な悪霊で無い限り、そう長くは霊体を保っていられないはずだ。一回分の攻撃のみ回避すればいい。だが一度憑依されたら護符による加護も効果は及ばない。触れられないよう、ひたすら避け続けて術師を見つけてしらみ潰しに殺していこう。緊急時にどうしても回避不可能な場合は、護符そのものを霊にぶつけろ。霊を確実に払える。でもこれは最終手段だ。護符も壊れてしまうらしいからな」
「簡単に避けろって言うけれどすげー数だぞ。あれらがいっぺんに襲いかかってきたのを全て、触れられずに避けろってのかよ。銃弾かわすよりしんどくないかねえ」
吐き捨てるなり、麗魅は霊達のいる方向めがけて駆け出した。
麗魅でなければ無謀な行為と映るかもしれないが、麗魅の行動なのだからと、杏はそれだけを根拠に変に納得してしまっている。霊達は麗魅めがけて殺到したが、それほど早い動きではなかった。一度かわしてしまうと、後は麗魅の脚に追いつかない。
続いて真が麗魅の後を追うかのように走り出す。霊が今度は真めがけて襲いかかる。真はそのまま駆け抜けずに、Uターンする動きで杏のいる方向に霊を引き連れて戻ってきた。




