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村の中を歩いていた青葉は、見知った少女が夜道を歩いてくるのを見て、足を止めた。
「八重、お主もあの火の玉を見てここに?」
「いいや。あの隕石が落ちた場所にいた。敵に捕まっていたが、隕石が落ちた際の爆発に紛れて、うまく逃げてきた」
青葉が口にした火の玉という言葉だけで、それが何を意味するか八重は察した。
「何と……敵の妖術かと思いきや、隕石とは……」
「左京が仕掛けた運命の特異点によって、呼び寄せられたと思われる。それより、青葉はもうここにいてよいのか?」
八重が聞いた話では、青葉が戻るのは獣之帝復活予定日当日のはずだった。
「左京に早めに帰れと言われたからな。私も役目は果たした。白狐家、朽縄一族、銀嵐館、星炭流、そのどれも最早動くことかなわぬ。この村の中でのみ決着がつく」
「其奴等だけが霊的国防を担っているわけではあるまい。それに、機動隊や軍隊を投入する可能性もある」
懸念を口にする八重に、青葉は一瞬言葉に詰まる。
「追加の戦力が来ようと、中にいる者が帝の魂を連れて脱出しようと、村の入り口に待機させた好戦派が壁となって防ぐ手筈だ」
「防ぎきれるのか?」
「あと数時間くらいは何とかできるだろう」
「空からヘリで来たら?」
「うむ……それは考えていなかった」
八重の問いに、青ざめる青葉。
「帝の魂を持つ者の居場所はすぐわかる。動物達がそこら中から集まっているが故」
「おお……まだ復活なされたわけでもないのに、かつての帝のように、獣を呼び寄せ、従えておられるのか……」
青葉の顔が輝く。それはもう完全に復活の予兆そのものに思えた。
「本当に……本当にこの時が来たのだな。気の遠くなる年月を経て、再び帝と……ふふふ、まるで現実味が無い」
「そのために全てを捧げ、同胞を増やし、村の人間共を従えて、準備を整えてきたのであろう?」
「ああ、そのはずなのだがな。まるで夢でも見ているようだ」
うっとりとした顔で話す青葉を見て、八重は微笑ましく思う。
(私も協力した甲斐があった)
自分の望みではないが、長年共に歩んできた同胞の望みとして、嬉しさを覚える八重であった。
「敵は左京の元に向かった。明彦様は……例の場所に避難しておられるといいが」
「左京がやられてしまっては意味が無い。帝を蘇らす術は、左京しか使えん」
数十年をかけて、意識を失った者の霊魂を抜き取る術を編み出した左京でなければ、獣之帝の魂を持つ者の体から、獣之帝の体へと魂を移し変えることは不可能だ。
「どちらも失うわけにはいかぬが、彼奴等が戦うことのできぬ明彦様を殺害するとも考えにくい。左京の方が危険であろうな」
八重の指摘を受けて、青葉は携帯電話を取り出す。儀式に入るから電話をしても出ないと言われていたが、こうなってはかけずにはいられない。
出ないと言っていたにも関わらず、電話はあっさりと繋がった。
「今どこにいる」
『入り口方面の丘だ。侵入者共に追われている。フェイントをかけたつもりで村から離れたが、どうにかして村へと降りたい。しかし途中には奴等がいる』
青葉の問いに、左京が答える。
「今からそちらに行く」
短く告げ、青葉が電話を切る。
八重も会話を聞いていたので、互いに頷きあい、左京がいる丘へと向かった。
***
明彦は水車小屋にて、一人でぼんやりと夜空を見上げていた。
「俺の人生……何なんだよ……」
夜の闇と静けさに心地好さを覚えながら、ぽつりと呟く。
「妖怪の王様にさせられるとか、何だろーねえ、この漫画みたいな話はよ……」
ある日突然現実が壊れたかと思ったら、実は最初から壊れていたという話。
「十一号……会いたいな。俺の物にならないかな……やりたいな」
言い終えてから、明彦は自虐の笑みをこぼした。
十一号が自分のものになるわけがない。もう、はっきりと嫌われた。軽蔑され、憎まれる対象となった。そう自覚すると、体が震え、目頭が熱くなる。
「俺の人生がうまくいったのって、あいつらを殺してやったことだけじゃんかよ。いや、俺が直接殺したわけでもないし……。何だよ、これ。俺、みじめすぎるだろ。俺、あまりにも可哀想すぎるだろう」
自己憐憫に浸りながら、涙を流す。
「獣之帝とやらになれば、俺はタナボタチートパワーアップして、人生大逆転で何でも欲しい物が手に入るのかなあ。そうなればいいなあ。十一号も性奴隷調教できるすげえ力が手に入ればいいなあ。あははは……」
虚ろな笑い。妖怪達の話を完全に信じているわけではない。その希望にすがってはいるが、どうせ自分のことだからまた駄目なのではないかという、そんな気持ちの方が強い。
(何をしても駄目な結果しかでなければ、やがて気力も意欲も失い、何もしなくなる……何も望まなくなる……か)
昔テレビで医師がそんな話をしていた事を思い出した。
(こんなこと考えて……こんな夢見ていること自体、すげえダサくて惨めだ)
明彦の中を大きく占めているのは、自分という存在に対する絶望だ。それが明彦をどこまでも破滅的に、虚無的にしていく。
(左京達をちゃんと信じることができれば、少しは楽なのかな)
左京は言っていた。運命の特異点という強大な運命操作術により、獣之帝は現世に蘇るように運命は働くと。しかし運命に抗わぬよう行動せねばならないし、望みをかなえるには、そのための行動を心がけなくてはならないと。
(そんなこと言われても、俺は左京達の言いなりなだけ。ある意味楽なもんだ)
大きく溜息をつく。
(獣之帝とかになれば、俺は変われるのか? やり直せるのか? 望む物を手に入れられるようになるのか? それさえわからないまま、ただ言われるままにすがって踊って、ははは……俺すげえダサい)
『生きて、世界の中にいて、何かをすれば、何かが残る。そう信じたいだけだ』
つい最近、誰かがそんな台詞を、明彦の前で口にしていたような覚えがある。誰であったか思い出そうと頭をひねること数十秒。四本腕の紫の肌の、いつも無表情だがたまに微笑む少女のことを思い出した。
(そうだ、八重だ。聞いてて凄く羨ましかったんだよ……。そう言えることが。そんな気持ちを持てることが)
そう思い、明彦はまた涙をこぼした。
***
「私の……時間は、あまり残されていない」
霊体となった状態で、己の死体を中から操って歩かせながら、肉声を発して左京は呟く。
こうなることも左京は知っていた。占いの結果で、己が死ぬことも。魂を繋ぎとめる術を覚えている左京であれば、限定された時間ではあるが、己の魂が冥界へと解き放たれる前に肉体へと繋ぎとめることもできる。
左京が習得したこの術は、獣之帝の魂を取り出す事にも使える。そのために習得した術が、別の形でも役に立った。
「この時のためだけに、全てをつぎ込んできた。いや……まだ捧げるものは残っているが」
丘の上から、村を見下ろす。わりと人口密度が高く、多くの家屋が密集した村。隔絶された隠れ里で効率的に子作りに励んだ結果だ。
家屋の灯りの中には、妖怪もいれば人間もいる。好戦派の足斬りと腕斬りは全て出払っているので、村にいる妖は穏健派だけであろう。
「この名も無き村の存在意義も、我等の奴隷たる人間達も、穏健派も、全ては……」
「左京!」
独り言を呟いていたその時、背後から声がかかって振り返ると、洞窟方面から、四人の女の影がこちらへ向かってくるのが見えた。
「左京!」
同時に別の方角からも声がかかる。こちらは聞きなれた声だ。
「御苦労だったな。青葉、八重」
村の方からやってきた二人の指導者の方を見て、左京は言った。
「帝の魂を持つ者の周囲には動物が集まっている。帝の場所を動物達が記している」
「わかりやすいな」
八重の報告を聞き、左京が微笑む。
「追いついたぜ」
先頭を走っていた麗魅が立ち止まり、村の指導者三名を前にして、にやりと笑うが、暗闇の中なので、その笑みは三人にはよく見えていなかった。
「青葉、八重、お前達の命をここで使いきるつもりで、こいつらを食い止めろ。私は二人の帝を迎えに行く」
「承知した」
「こっちは任せておけ。お主こそしくじるなよ」
八重と青葉が左京の前にたちはだかる。
「ふざけるな!」
突然怒号を発したのは、美香――ではなく、十一号であった。
「自分のやりたいことのために、仲間にも犠牲を強いる……。いい加減にして!」
「この者達も承知のうえだ。怒る必要は無い。むしろ怒るべきは、こういうことではないか?」
自分を睨んで非難する十一号に向かって、左京は事も無げに告げると、懐から呪符を一枚取り出す。
左京の口から呪文の詠唱が漏れる。麗魅が反応して左京の頭部めがけて銃で撃ったが、その衝撃にもひるむことなく、呪文は紡がれる。
さらにもう一発麗魅が撃った。呪符に何かあると見て、呪符を撃ち抜いたが、その刹那、呪符が握られていた左京の手から、赤く光る文字が幾つも浮かび上がる。
「はあああああっ!」
裂帛の気合いと共に、左京が光る文字を握りつぶした。すると――
丘の下――村の方で、幾つもの爆ぜる音が立て続けに鳴り響き、一同の注意が村の方へと向く。八重と青葉さえも。
全ての家屋が同時に燃え上がっていた。それが何者の仕業であるかは明白だ。
「これこそが真の犠牲というものだ」
傲然と言ってのける左京。
「何だ、これは!? こんな話は聞いてないぞ!」
真っ先に怒りの声を発したのは、青葉だった。
「何をうろたえているか。穏健派などというものを容認していたのも、この時のため。全ては帝を復活させるための生贄として役立たせるため。運命操作術にせよ、呪術にせよ、生贄の数が多ければ多いほど、その威力も効果も増す」
「帝の復活のために戦う覚悟を決めた同胞が、戦いの最中に命を落とすのは致し方ないとしても、これは違うだろうが!」
冷静な口調で告げる左京の襟首を掴んで抱え上げて、怒り心頭で食ってかかる青葉。
その二人のやり取りを見て、美香や十一号は左京に怒りを覚えつつも、左京の仲間であるはずの青葉が最も怒りを露わにしているので、自分達の怒りをぶつけることができずにいる。
「ではどうする? やめるか? 百六十年の悲願をここで放り投げるか? できまい? それとも私をここで殺すか? 無理だな? 何せ私はもう死んでいる。死体の中に霊が宿って動かしているだけだ。私の時間は限られているが、帝の復活くらいまではもつだろう。私はただ、陛下にもう一度お会いしたかった。それだけなのだ。死ぬまでに一度お会いできれば、それでいいのだ。そのためだけに全てを費やしてきた。その宿願は間もなく果たされる。もう私の勝利は約束されている」
青葉に詰め寄られ、襟首を掴まれて持ち上げられたまま、左京はにやにや笑いながら喋っていた。
青葉は左京の顔を思いっきり殴りつけて放り投げると、美香達の方へと向き直る。村の家屋から立ち上る炎で照らされた青葉の顔は、憤怒と悲痛が混ざったような痛々しい形相であった。
一方で八重は、ずっと美香達の方を向いたままである。こちらはまるで感情の無い人形であるかのように、無表情のままだ。
「誰かを……何かを犠牲にしてまで、願いをかなえたい? 犠牲にされた人の気持ちは、どうなるの?」
十一号が青葉を見据え、静かに言い放つ。
「ああ……覚悟と納得の犠牲は構わんが、これは無いな。有りえん。しかし……もう止まれんよ」
青葉が十一号に向かって、小さく笑った。
「ありがとうよ。我々の村の者の死を悼み、怒ってくれて。それは心から感謝しておく」
言うなり、青葉は弾かれたように美香達めがけて駆け出した。ほぼ同時に八重も動く。
「ふん……。日が変わるまで……あとどれくらいだ?」
交戦状態になった六人を尻目に、左京は呟き、その場を離れようとする。
その左京の体が、前のめりに倒れた。起き上がろうとしても、足に力が入らない。動いてくれない。
「行かせるか、馬鹿」
麗魅が二発撃ち、それぞれの銃弾が、左京の足の膝の裏から膝を撃ち抜いていた。
さらに銃が撃たれる。狙いはやはり脚だ。今度は両足首を撃たれた。
それから両脚のふくらはぎを撃ち、両膝にもさらに念入りに一発ずつ撃っておく。
いくら死体を動かせるといっても、まともに機能せず、体を支えることがろくにできなくなった足では、歩くことはおろか、立ち上がることもできない。
「例え獣之帝が復活しても、お前はそこで這っているだけだ、ゾンビ野郎。会いたかった御主人様に会えないまま、地獄に堕ちとけよ」
左京は血走った目で地面を間近で見つめながら、意地悪い口調で言い放つ麗魅の言葉を聞いていた。




