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防衛事務次官の朱堂春道に、ヴァンダムの方から電話をかけた。
「さて、これで貴方が危惧していた事が実現しますか? 貴方の警告、そして雪岡の警告、それらを全て無視して、私は彼女を表舞台へと引きずり出してしまった。彼女は桁違いの被爆者を生み出しますかね?」
特にからかうようでもなければ、誇るような口ぶりでもなく、事務的な口調ではヴァンダムは尋ねる。
『そうはさせません。彼女はすぐ解放します。報道も規制します』
「ええ、ええ。そうするでしょうとも。私はそうなる事も予期していました。あのまま拘束し、マスコミに騒ぎ立てられ続けたら、ミスター朱堂の恐るべき予言が実現してしまう。だから必死に尻ぬぐいをするでしょう。それでいいのです。しかし、私は当初の目的をちゃんと果たして、雪岡純子に勝利した。違いますかな? ささやかな勝利ではありますがね」
予想通りの答えに、ヴァンダムも用意していた台詞をまくしたてる。
「ミスター朱堂。貴方はこの前の電話で、雪岡純子が放射性物質を用いてデモ隊を追い払った行為を指して、優しい警告などと口にしたが、実際には多くのフィクサーは、その優しい警告とやらに相当頭を痛めていたようだ。私は貴方の言葉の数々に疑問を抱いたからこそ、しつこく同じ手を試みたのです。雪岡純子の行いは断じて許されるべきではない行為であるからして、制裁を与えるべきであり、私がその責任を担うので、後ろ盾になって欲しいと。誠意を込めて、フィクサー達を説得しました。その結果がこれですよ」
『徹底的な合理主義者と聞いてはいたが、そうでもなさそうで。負けず嫌いの子供のような方だ』
心なしか親しみをこめたような口調で、朱堂は言った。
「いえ、私は負ける戦はしませんよ。勝てないとわかったら、素直に引きます。無駄ですから。しかし今回は勝てると踏んだから頑張ってみたのです。そして実際、私は勝利しました」
『おめでとうございます――と言っておきましょう。私には仮初の勝利としか思えませんが』
朱堂との電話が切れると、今度はホルマリン漬け大統領へとかける。
「君達をダシにしたのはすまなかった」
『最初から計画の全容は聞いてあったうえで、協力したのだ。何も問題無いし、謝ることではない。純子に一泡吹かせる事が出来たのは痛快だ』
謝罪するヴァンダムに、ホルマリン漬け大統領の大幹部は言葉とは裏腹に、会った時同様の淡々とした口調で話す。
「君達に出た損害は、全て弁償させていただく。また何かあったらよろしく頼むよ」
『ああ、喜んで協力させてもらおう』
電話が切れる。ヴァンダムは満足しきった顔で、大きく息を吐き、椅子に深く背を預けて力を抜いた。
「日本には勝って兜の緒を締めよという諺があるが、実際には少しくらい気を抜き、悦に入りたい所だよ」
虚空を見上げ、御満悦の笑顔をたたえ、ヴァンダムは呟いた。
***
『情けない奴だ。ヴァンダムに見事にハメられやがって。マッドサイエンティストの面汚しが。死ねよ』
バイパーが倶楽部猫屋敷に帰宅すると、不機嫌極まりない様子のミルクがいた。理由は言わずもがなだ。
(ライバルがハメられて御立腹か。わかりやすいやっちゃ)
そんなミルクを見て、にやにやと笑うバイパー。
「ヴァンダムって奴のハメ方も、セコいっていうか、意味が無くねーか?」
見せ掛けだけの勝利。仮初の勝利を勝ち取ったようにしか、バイパーには思えない。
『だな。どうせ報道も今日限り。明日からはすぐ規制されるだろう。そうしなけりゃ、純子もブチ切れて何しでかすかわからねーですし、ブチ切れた純子を暴力で対抗して抑えるために、いろんな連中が本腰据えて戦争の構えになるし、そんな事態は避けたいでしょー』
そしてそれを純子自身も見抜いているから、大人しく捕まったのだろうと、ミルクは見ている。
『しかしそれにしても恥は恥、負けは負けですね。もう純子は頼りなくて任せておけねーから、私達であいつらに引導渡してやろう』
ミルクが宣言する。
「どうやってだ? 相手は世界を股にかけた巨大組織だぞ」
『これからじっくり考える』
バイパーの問いに、ミルクはそう答えた。
***
「うーん……あの純子が一杯食わされるとはなー」
犬飼のアパートにて、義久がテレビを見ながら唸る。
「今日だけの話だというのが、裏通りの識者らの見方だ。俺もそう思うけどねー」
テレビを見ずに、裏通り関係のネットの方を閲覧しながら、犬飼が言う。
「今日だけって?」
「何のかんの言って、テレビや新聞はこの国では強いメディアだってことさ。テレビこそが世の中の動きを知る最大のメディアだから、テレビが騒げば国民はそれに踊らされるが、テレビが黙れば、国民の興味は別に行く。元新聞記者なのにそんなこともわからないのか?」
「いや、だから何で今日だけなのさ。こんな凄まじい大事件が明るみになったんだ。しばらくは騒がれるし、歴史に名残すだろ?」
「明日には一切報道されていないし、公式な記録には一切残されないぞ。ネットでは話題として取り上げられるかもしれないが、それだけだ。テレビでは一日だけの凄い話題。後は全く話題に挙がらなければ、国民の興味はすぐ別に移る」
そこまで説明されて、義久は何のことかわかった。
(明日には圧力がかかるってことか……)
記者時代を思い出し、忌々しい気分に陥る義久。
「すぐに圧力かけることができるのに、何で今日だけは報道したんだよ。しかも純子は逮捕されているし」
「一日だけの勝利という条件で、ヴァンダムがエロい人達を説得してまわったんだろう。そうした方が、エロい人達にも都合が良かったんだ。で、純子本人もきっとそれを見抜いているから、大人しく捕まってやった。ヴァンダムにハリボテの勝利をくれてやった。茶番劇さ。しかしそれでもヴァンダムの勝ちは勝ちだ」
「うーん……それ、ネットで言われていることか?」
「いいや、俺の想像。でも多分当たってると思うし、ネット上でも似たような推察はあがってる」
そう言って微笑む犬飼であったが、義久はまだ釈然としない。
「うーん……そんな一日勝利に何の意味があるんだ……。しかもエロい人達や純子もそれを見抜いて合わせるってさ。エロい人達にとって何の都合がいいんだよ」
「ヴァンダム的にはただの意地みたいなもん? あるいは今後の布石もあるかもな。エロい人達からすれば、純子への制裁と警告というニュアンスじゃないか?」
「うーん……」
エロい人達とやらの動機は何となく納得したが、ヴァンダムの意地や布石に関しては、いまいちわからない義久だった。
***
「じゃあ、ロッドさんはこうなることを全て知ってたの?」
夜、グリムペニス日本支部ビルの食堂にて、清次郎はロッドと同じテーブルについて食事を取りながら、会話をしていた。キャサリンも、他の学生メンバーも全員いる。
「ヴァンダムの護衛で、ホルマリン漬け大統領の大幹部と会いに行った際、全て聞いた。俺達が負けることも、ヴァンダムの計画の中では織り込み済みだったんだ。そうすることで、雪岡との会談に疑いを持たれにくくするためにな。追い詰められたヴァンダムが、最後は単身で取引に臨むという構図を作るための演出だ」
「それで死んだ奴もいるのに……」
ロッドの話を聞き、清次郎は食事の手が止まる。自分達の戦いが、単に囮の役目だったという事に、ショックを受けていた。
「それがヴァンダムのやり方だ。不服ならグリムペニスに見切りをつけた方がいい。あいつはお前達のことなど屁とも思っていない」
落ち込む清次郎に、淡々とした口調で告げるロッド。
「それにな。戦いの場に立ったら、己の生死は全て自己責任だ。場合によっては、理不尽な戦いを強いられることもある。だがそれも全て受け入れねばならない。生き延びるためには、強さが必要だ」
英語で語るロッドの言葉は、英語がわかる何人かの耳にも届き、暗澹たる気分に陥る。一人が通訳して、英語がわからないメンバーも表情を暗くした。
「何だったらあなた達、海チワワの方に来ない? グリムペニスの下部組織みたいなもんだけど、何でもかんでもグリムペニスの意のままってわけでもないし、新しいボスはいい男だしね」
テーブルに四人前ほどの料理を積んだキャサリンが、思わぬ勧誘をしてきた。否、正確には七人前分だって食事の三人前分をたいらげ、現在四人前残っている状態だ。
「俺、キャサリンさんにならついていきます」
真っ先に名乗りあげたのは善太だった。
「えっ!? まさか……そんな……私を名指しだなんて……」
驚いてぷにぷにほっぺを赤らめるキャサリン。
「俺もキャサリンさんの部下になるならいいよ。信用できる」
「うん、私も。上に立つ人としての指導力あるしね。でも甘えっぱなしじゃ駄目だけど」
清次郎と桃子も同意する。そこからはなしくずし的に賛成の連呼。
「ロッド……」
全員海チワワへの勧誘が済んだ後、キャサリンが目を輝かせつつ、ロッドの方を見た。
「ハーレム完成!」
会心の叫びをあげるキャサリン。
「逆ハーだろ。そのうえ女も何人か混ざってるし」
「一向に問題無し!」
「そうか……」
どうでもよさそうに相槌をうち、ロッドはビールを呷った。




