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安楽市まで足を運んだヴァンダムは、途中までボディーガードにキャサリンとロッドを連れていた。二人の方から護衛を申し出たのである。
しかしカンドービルに入ってからは、キャサリンとロッドは別行動になった。裏通りの住人以外も利用する喫茶店『キーウィ』にヴァンダムが入ってからは、二人は店の外で遠巻きに様子を伺っている。
ビルそのものが暴力行為禁止の中立指定区域であるが、何が起こるかわからないとして、キャサリンとロッドの二人は、いつでも店の中へと飛び込めるようにしていた。
(本当は店の中まで入るべきだし、ここからじゃ、何か起こった時には遅いんだけどね)
そう思うキャサリンであったが、外にいるようにとのヴァンダムの言いつけなので、仕方がない。
純子はヴァンダムより三分遅れて、キーウィに到着した。
(殺気は全く感じず。悪意は凄く感じるけど、まあそれは当然だしねえ)
店内の様子を見渡し、純子は考える。見た感じはいつものキーウィと変わりない。客も一般人だらけだ。しかも正午で、丁度人の多い時間帯である。
(見られている気配が複数。ホルマリン漬け大統領の人が撮影しているのはわかるけど、他は何だろう。ボディーガードが隠れて見張ってるのかな? でもそれとは違うような気もするし。何だろうねえ、この違和感)
ヴァンダムと向かい合って席に着きながら、なおも店内の気配を探り続ける。純子の中で第六感が緩めの警報を鳴らし続けているが、この警報だけでは、何を警戒すればいいのかわからない。
「まず聞きたい事がある。貴女は所謂マッドサイエンティストと呼ばれる輩だ。かつて人類は、目先の欲望に踊らされて過ぎたる力を暴走させ、闇雲に文明の進歩を急いだ結果、地球環境に深刻なダメージを与えて、自らの首も絞めてしまった。さらに言えば、この地球は人間だけのものではない。我々は自然と歩調を合わせ、調和を保ちながら慎重に技術の進歩を進めなくてはならないと、ようやく人類は悟った所だ。にも関わらず、貴女方はその調和の意志を一切合財無視して、好き勝手に振舞っている。それに関して、良心の呵責は無いのかね?」
社交辞令の挨拶を済ましてから、いきなりヴァンダムが長広舌で議論を吹っかけてきたことに、純子は若干の呆れと不審を覚える。
「そんなどうでもいい議論をしにきたのー?」
「どうでもよくはないな。我々にとって、極めて重要なことだ。是非とも君の口から聞かせてくれないか?」
真剣な口調で再度問うヴァンダム。純子の中で、形容しがたい違和感が増す。
ヴァンダムはただ環境保護団体という名のビジネスを行っているだけで、本気で環境保護を邁進したがっているわけではないことは、純子も当然知っている。その筋では、金儲けのことしか頭に無いサイコパスで合理主義者だと、もっぱら噂されている事も。
その彼が何をもって、このような台詞を口にしているのか。何か他に意図があるのではないかと、勘繰らざるをえない。
「答えは言ったよー? どうでもいいって。それが答えだよ。例え環境破壊の末に、退廃した世界ができようと、それはそれで面白いじゃない? その中でまたどう生きていくか。考えるだけで楽しいなあ」
これは嘘だった。正直そんな世界を望みはしない。さらに言うなら純子は人類の科学の発展の犠牲に、人間以外の生物を巻き込みたくないとも、常日頃から考えている。動物実験も徹底して避ける。
相手の意図が読めないので、あえて挑発に乗ってみて、相手の出方を探っているだけの話だ。
「なるほど、やはりマッドサイエンティストという人種は、他人の痛みがわからぬ冷酷なサイコパスのようだ」
大きく肩をすくめてみせ、大袈裟に呆れと軽蔑が混ざった声をあげるヴァンダム。
(ホルマリン漬け大統領の撮影を意識して、こんな質問ぶつけているわけかなあ。それにしてもクサいけど……)
この映像を見た裏通りの住人からすれば、今のこの場面は、お前こそそのサイコパスだろうと、突っ込みが入る所ではないかと、純子は思う。
***
真の携帯電話が鳴った。相手は純子が懇意にしている卸売り組織『溜息中毒』に勤める構成員、月那瞬一だ。
『テレビ見てみろよ。23チャンネルっ』
興奮気味の声で言われ、真はテレビをつけてみる。そこに映っている映像を見て、唖然とする雪岡研究所の面々。
「どうなってるんですか……これは……」
「これ……純子も承知のうえなのか?」
累と蔵が呻く。
テレビには純子とヴァンダムが映し出されていた。そして二人の会話が流れている。さらに御丁寧にも『グリムペニス会長コルネリス・ヴァンダム、都市伝説のマッドサイエンティスト雪岡純子、公開対談』などというテロッブまで出されている。
「承知しているわけがない。これがヴァンダムの仕掛けた罠だ」
忌々しげに真が言い、純子にメールを送る。
(今メールを受け取るとは思えないがな……)
(真兄、あたしが幽体離脱して知らせに行くこともできる)
みどりがテレパシーで申し出た。
(でも真兄が出向くのはやめといてね。邪魔が入ることだって、きっとヴァンダムは織り込み済みなんだよ。むしろ邪魔が入った方が、都合がいいのかもしれない)
(わかった。今すぐ雪岡に知らせてこい。でも僕が邪魔しに行ったらいけない理由にはならないだろ。行ってくる)
(ふえぇ~、駄目だって)
みどりの意見に納得いかず、真は乗り込もうとする。それをみどりは制止する。
(落ち着いてよ、真兄。純姉がこうしてテレビに映って報道された時点で、きっともうヴァンダムの策略の大部分は完成しちゃったんだよ。裏でどんな手を回したか知らないけど、こうやって表舞台に晒し上げることが、ヴァンダムの目的だったんだ。今から邪魔に入ったら、余計にヴァンダムの思う壺になる。テレビで報道しているのを見て、妨害が入らないことに備えがないわけがないでしょ)
(じゃあその備えとやらを確認してやる)
みどりの警告に耳を貸そうとせず、真は部屋を出た。
「ふえええぇぇ~……こりゃ不味いね……」
真が出ていった後、みどりが大きく吐息をつき、ぽつりと呟いた。
『だからこそ、街中で放射性物質など撒く事が出来る』
テレビの中でヴァンダムがそう告げた直後、ヴァンダムと純子の映像がワイプになり、被爆した学生達の病院での様子が映し出された。
無菌室の中で、体中にガーゼや包帯を巻かれ、医療機器が置かれた横に点滴をあてがわれて、手足を吊るされて寝かされた若者達の姿は、かなりのインパクトがある。
『平和的にデモで押しかけた学生達に、容赦のないこの仕打ち。おおよそ人間のする事ではない。悪魔の所業だ』
ヴァンダムの台詞にあわせて、カンドービルを取り囲むデモの様子へと、画面が切り替わる。
「テレビ局と完全にグル……ですね」
あざとい画面の切り替えを見て、累が声に怒りを滲ませる。
「以前は圧力がかかって、一切報道もされなかったというのに、今回はどういうことだ?」
激しく疑問に思う蔵。
「政治力でしょーよ。きっとヴァンダムは諦めずに根回しを続けて、説得しきったんだわさ。そしてこの不意打ちの報道にこぎつけたんだね」
みどりが蔵に説明した。
『そのうえこの事実は、一切報道されることも無かった。日本国内で、国民の殺害目的で放射性物質が用いられるなどという、恐るべき事態が隠蔽された。そしてその犯人であるマッドサイエンティスト雪岡純子――君は、警察に捕まることも無かった。それが私には信じられないが、これはどういう事なのだ? 君の口から聞きたい』
『それは私がそういう特権階級みたいなもんだからねえ。権力やメディアを抑える事ができる力も有るし、私が何も言わなくても、向こう側で勝手に抑えてくれるように出来ているんだよねえ。ま、今回は私もやりすぎちゃったってことで、結構いろんな所から怒られまくっちゃったんだけどさあ』
「あっちゃ~……純姉の馬鹿……。自分の口からそんなこと言っちゃって……」
テレビでお茶の間に流れているとも知らず、屈託の無い笑顔で堂々と語る純子を見て、みどりは顔を押さえる。
「純子に……教えてきますね……」
「今教えたよォ……でも、もう遅いっしょ、これ。たははは……」
累が精神分裂体を飛ばそうとしたのを見て、みどりが力なく笑いながら告げた。
***
純子の元へと向かわんとする真であったが、研究所の入り口まで走った所で、目の前に立ち塞がる人物を見て、足を止めた。
その人物は強化ガラスの扉越しに、真の事をじっと見つめている。明らかに真が出てくるのを予期して、そこで待ち構えていたようだ。
「純子もここで放射性物質を撒いたし、ここは中立指定区域から外れるってことでいいのかな?」
真を見据えたまま、女性用のスーツを着た、身長2メートルを越える刑事が、静かな口調で言う。
「お前が飛び出てくるのも、予想済みなんだ。悪いね」
自動扉をくぐった真と対峙しているのは、日本警察の最終兵器と呼ばれる、安楽警察署裏通り課の刑事、芦屋黒斗だった。
「僕の足止めがお前か……。ヴァンダムは警察にも手を回していたのか」
黒斗を睨みつけ、真は全身から怒りに満ちた闘気を噴出する。




