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雪岡研究所の風呂場にて、累はせつなを鉢植えから引き抜き、頭をシャンプーで洗っている。
鉢植えの土にシャンプーや石鹸の類を流すのは不味いので、洗う時はいつもこうしているが、普段は土の中に埋もれている剥き出しの脊髄や小さな消化器官と肺にお湯やシャンプーがかからないように、首の下にはビニールをかけて、厳重に紐で締めている。
「累おにーちゃんは嫌だーっ! 下手糞だから嫌だーっ! みどりおねーちゃーんっ! 純子おねーちゃーん! 青ニートくーん! 蔵さーん! たーすけてーっ!」
「贅沢を……言ってはいけません……」
必死で助けを呼ぶせつなの頭を、容赦無く乱暴に洗う累。純子と青ニートはまだ寝ている。蔵はまだ来ていない。
「みどりは……お出かけ中ですよ。真に付き合って……」
「どこ行ったのかなー。らぶほー? ぐぽくぽくぽぐぽぽぽぽっ!」
せつなの言葉にイラッとして、累はせつなの顔の間近で、シャワーを浴びせ続けた。
***
(どいつもこいつも澄んだ顔をしていやがる)
学生メンバー達を見て、バイパーは舌打ちする。
彼等は皆、純粋な闘志に燃えている。そして死ぬ覚悟も出来ているようで、腹の据わった真剣な眼差しをしている。だがそれでいて、殺気がほとんど見受けられない。
(やりにくくって仕方がないぜ……。こういう手合いは)
完全にこちら側にはまだ来ていない。片足を半歩踏み込んだ程度だ。そういう敵に囲まれている事が、バイパーに居心地の悪さを感じさせている。
(あれ? 犬飼さんは?)
柱の陰に隠れてカメラを構えていた義久は、いつの間にか犬飼の姿が無い事に気付く。
「れでぃーっ、ごーっ!」
キャサリンのかけ声に応じて、学生達が一斉に動いた。全員バイパーに突進してきたのではなく、一直線に正面から向かってきたのは四人ほどだ。残りの七人は左右へと扇状に散開し、バイパーの横に回ろうとしている。あるいは背後を取ろうとしている。
彼等の中には銃器を所持している者もいた。横や後ろをとられるのを面倒に思い、バイパーは正面から突っこんでくる四人を無視して、左側に広がった三名へと駆け出す。
しかしバイパーが動いた瞬間、キャサリンの投げ縄の輪が飛来し、バイパーの頭にかかろうとした。
慌てて身をひるがえすバイパー。その隙を狙い、左右に広がった二人が同じタイミングで発砲する。
二人共、狙いはバイパーの脚だった。キャサリンの縄をかわし、直後に弾丸もかわそうとして、失敗した。バイパーの視界に入った弾道は一人のみ。もう一人の弾は、バイパーの太ももに当たっていた。
衝撃でひるみはしたが、ダメージにはならない。溶肉液入り弾頭であったかもしれないが、弾丸はバイパーの硬質化した肌によって弾かれている。
そこに正面突撃した四人が迫る。二人が左右に大きく展開し、もう二人が正面から襲い掛かる。正面から挑んだ二人は、清次郎と桃子であった。
バイパーが清次郎を狙って拳を放たんとしたが、アタックレンジに入る直前に、清次郎と桃子が急に後方へと跳んで距離を取った。
そこにさらに別の二人からの銃撃。また脚を狙っている。そのうえ銃は必ず左右に分かれた二人一組が同時に撃つという形だ。他に敵がいなかったら両者の弾道を見切ることもできようが、意識が他に分散されすぎていて、今のバイパーにはそれがかなわない。
また片方の銃弾を受ける。さらに左右に展開して迫る学生二人が、時間差を置いてバイパーに迫り、手刀を振るった。
つい最近まで素人だった相手の肉弾攻撃、バイパーはしっかり食らってしまう。手刀はそれぞれ、バイパーの右腕と左肩に決まった。
(このっ!)
バイパーは反撃しようとしたが、そのタイミングを狙い済ましたキャサリンの縄が飛んできて、バイパーの腕に巻きつこうとしてくる。
最も警戒すべき相手であるキャサリンの動きには、常に気を使っているので、これは何とかかわすが、おかげで学生二人への反撃はできない。今バイパーを攻撃した二人は、すぐに大きく距離を取って、バイパーの攻撃範囲から離れている。
そこに今度は清次郎と桃子が迫る。この動きはバイパーも呼んでいたので、余裕を持ってカウンターをくらわしてやろうと、身構えていたが――
「欲張るな! 食らう!」
キャサリンのかけ声が響き、清次郎と桃子の足が止まった。そしてまた左右からの銃撃。
(今のはともかくとして、実によく統制のとれた動きだ……)
苛立ちのあまり歯噛みするバイパー。
(統制を破壊すれば……あるいはイレギュラーな事態も想定されているのか?)
どこかに突破口を見出さないと、このままじわじわと削られていく気がする。
左右の学生二人が迫る。バイパーが視線を向けると、それだけで二人は下がる。とんでもないチキンぷりだ。
そこに銃撃二発。今度は両方かわす。しかし、かわした所にキャサリンの縄。
(あー、もういい加減にしろよ!)
キャサリンの縄を際どい所でかわしたが、その直後を狙って、清次郎と桃子が迫り、バイパーに攻撃を加えた。清次郎は右肩にチョップ。桃子は左脚にローキックをかましてきた。
彼等の強化された力は、バイパーの肉体にも一応はダメージが通っている。しかし彼等は絶対に、頭や胴体を狙ってこない。手足や肩といった、致命傷にならない部位ばかり。
(殺意はなく、無力化が目的か。こいつらは――な。だが、海チワワの二人は……)
そう思った時、バイパーはキャサリンの横にロッドの姿が無い事に気がついた。
ロッドはバイパーのすぐ真横に迫っていた。左の学生と入れ替わるかのようにして、猛スピードで滑り込んできて、バイパーの顎めがけてアッパーを放つ。
バイパーはこれを避けられなかった。強烈な一撃を食らったものの、バイパーは意識を保ち、ロッドに憤怒の形相を向けると、ロッドめがけて蹴りを放つ。
ロッドはバイパーの蹴りを避けると、そのまま大きく後退していく。
バイパーは追撃しない。できない。横、後ろ、前、さらには離れた距離からの銃撃と、投げ縄にと警戒している。必ずどこかの死角から攻撃される。
警戒しても、バイパーは攻撃を避けられなかった。清次郎と桃子がバイパーに迫り、また肩と脚に手刀とキックが炸裂した。
ひるんだ所にキャサリンの投げ縄。これをかわした所にロッドがまた迫り、ストレート。かわした所に左右の銃撃を両方くらい、バイパーの動きが止まった。一発が体内に当たると同時に、溶肉液をバイパーの体内へと送り込んでいた。そこに左右の接近組が同時に迫り、バイパーの左腕に手刀、右足にローキックを見舞う。
(おいおいおい、これってひょっとしなくても、バイパー、ヤバいんじゃないのか?)
一方的に翻弄され、さらには蹂躙されているバイパーの姿を見て、義久はバイパーの敗色が濃いように思えた。
(あのバイパーのこんな姿を見ることになるとはね。しかし……これは当然の結果かも)
ボコボコにされているバイパーを見て、キャサリンは口の中で呟く。
(あんたが相手にしているのは、モブなんかじゃない。付け焼刃であろうと、全員が訓練して統制のとれた、強靭な兵士なのよね)
このまま無理せず油断せず慎重にチマチマいけば、勝利できるとキャサリンは見ている。何かバイパーに奥の手があれば話は別だが。
(使うか……あれを……)
キャサリンが危惧したその時、バイパーもまさにその奥の手の使用を考えていた。
(少し……空間が広すぎる気がするが、それでも近くにいる五人には、効くだろうしな)
一回だけ使える、体内に仕込んだ遅効性神経ガス。それを放てば、接近戦を挑んでいる四人の学生と、ロッドに関しては無力化できるかもしれない。しかしエントランスが広すぎて、ガスが拡散しすぎて、敵の体内に入らないという懸念もある。
(このままじゃジリ貧だし、いちかばちか……)
バイパーが決意しかけたその矢先――
「あばあばあばあばあば、バイパー、な~にやってんのよォ~。らしくもなく手こずっちゃってさァ」
聞き覚えのあるおかしな独特な笑い声を耳にして、バイパーは奥の手を使うのを中止した。
「真っ、みどりっ」
エントランスに現れた少年と少女の名を、義久が呼んだ。




