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勝浦が純子に電話をかけた日の翌日の昼。純子から勝浦にメールが届いた。
内容は直に接触して取引を行うというものであり、指定時刻と場所が書かれていた。さらには、このメッセージを幹部にも伝えるなと書かれている。幹部の中に、味方の振りをしてヴァンダムと繋がっている者もいるかもしれないと。
幹部にヴァンダム側のスパイがいる可能性など、全く考えていなかった勝浦は、驚き戸惑いながらも、純子の指示に従い、衣服に盗聴器の類が仕込まれているかもしれないと見て、念入りにチェックしたうえで、幹部にも悟られることないよう気遣いながら、ビルの外へと出る。
勝浦はもう何を信じていいかわからない状態で、すっかり疑心暗鬼で混乱していたが、何故か雪岡純子が一番信じられそうな気がしていた。
***
午後四時。雪岡研究所のリビング。
「勝浦さんに会ってくるよー」
真に気付かれぬよう、室内に置かれていたある物をこっそりと懐に入れながら、純子は同じ部屋にいる真とせつなに声をかける。
「いってらっしゃーいっ。お土産よろしくーっ。たこ焼きでーっ」
「もうか?」
快活な声をあげるせつなと、意外そうな声をあげる真。
「うん、これさ、予定通りだから。勝浦さんから電話がかかってきたあの時、私が何であんなこと言ったかっていうと、ヴァンダムさんの殺意を勝浦さんに向けるためだからねえ」
もちろん本音の部分もあるし、別の狙いもある。
「あの会話がヴァンダムの耳にも入っていたとしたら……なるほど、勝浦を逆に利用されるのも面倒だと判断して、さっさと始末するという乱暴な手段を取る事もあるか」
真もヴァンダムの立場になって考え、その可能性に気がついた。
「ヴァンダムさんの合理的な性格を考えると、必ずそうしてくると見抜いて、あえてそう仕向けたんだよ。勝浦さんはヴァンダムさんに、ただ踊らされているだけだと踏んでね」
「だったらもう少し優しく扱ってもよかった気もしないか?」
「んー……言われてみると確かにねえ」
真の指摘に、純子は微かに眉根を寄せる。しかもこれから勝浦に要求する事はさらに酷であるし、やりすぎのような気もする。
(裏通りの住人ではなく、表通りの人なんだしねえ。ちょっと厳しすぎたかなあ)
ここで純子は考えを改めた。
「よーし、勝浦さん、助ける方向にチェンジしよう」
「殺すつもりだったのか?」
「うん」
尋ねる真に、いつもの屈託の無い笑顔で頷く純子だった。
***
昨日に続けて、今日もグリムペニスの学生メンバー達は、椅子と机をどかして広間にした会議室で、クリスタル兄弟の指導の下、戦闘訓練の基礎を叩き込まれていた。
銃の撃ち方、素手での護身術、コンセントを服用しての銃弾のかわし方、素手による攻撃の回避、二人組みでのコンビネーションによるヒットアンドアウェイ等々。
「いつまた奴等と戦うことになるかわからない。そうなると付け焼刃になってしまうが、それでも何もしないよりはマシだから、伝えられる事を一通り大急ぎで伝えていく。だが忘れるな。強くなるには、地味だが真面目なトレーニングをちゃんと続ける事だ」
ロッドが大真面目な口調で語り、英語が出来る学生がそれを翻訳して伝える。
「あのね、ロッド。別にこの子達はこの後も戦士として生きるかどうか、わからないのよ。今回の雪岡純子達との抗争はやり遂げるつもりだろうけど」
キャサリンが英語でたしなめる。英語がわかる清次郎は、それを聞いて小さく体を震わせて反応した。
(そうだ……。この件にケリがついたらどうなるんだ? また日常に戻るのか?)
雪岡研究所のあるカンドービルにデモで押しかけて、放射線で攻撃されてからというもの、恐怖はあったが、同時に刺激的な時間を過ごしてきた清次郎である。普通の青春とはかけ離れた、現実の中にある魔界に迷い込んでしまったかのような、そんな感覚だ。
裏通りに堕ちて戻らなくなる人間の気持ちが、清次郎にはわかってしまった。
(今ここに残っている十一人も、同じなんじゃないのかな? 二度目の惨敗でさらに絶望的な状況になっても、それでも皆逃げなかったし。逃げたのは放射線をまかれた後だけだ。あの時、選別が行われたとも言える)
そして清次郎自身、このままグリムペニスの戦闘員になってしまいたいという気持ちが、確かにある。
「コンビネーションのヒットアンドアウェイは、次の戦いでの基本的な戦法になる。パターンにハマって見破られないように心がけろ。そして攻撃1回避9くらいの気持ちで臨め。攻撃も牽制して他を助けるニュアンスでいくこと。決して欲張らないように。まず死なない事を最優先事項にしろ。一人死ねば、それだけ戦力が低下し、全体の危険度が飛躍的に増す。そしてそこから崩れていくと、肝に銘じろ」
ロッドが告げたこの言葉が、最重要課題であることは、十一人全てに伝わった。
実際、避ける訓練の比重の方が大きかった。学生メンバー達が素人であると見なしつつ、その素人でも戦力になる最も有効な戦い方はこれしかないというのが、キャサリンとロッドの判断であった。
「体に覚えこませるには、もっと時間が必要だが、敵は待ってくれないだろうな」
ロッドがキャサリンに話しかける。
「それでも何もしないよりかは全然マシでしょう。それより、そろそろ休憩にするわよ。はーい、皆休憩~」
キャサリンの掛け声で、学生達は一斉に動きを止めた。
「恋愛とセックス。これ以上に素晴らしいことなんてこの世に無いわ。ええ、もちろんセックスは、ちゃんと満たされたものでなくては駄目よ。知ってる? セックスでエクスタシーに至った経験のある女性は、三分の一とも四分の一とも言われていることを。大半がイッたことが無いの。これは多くの女性にとって悲劇だと私は思う。何故こんなことになっているか、わかる?」
休憩時間になってから、キャサリンが学生達を前にして、己の恋愛観と人生観を語りまくる。
「全ては貴方達男が悪いのよ? わかる?」
「え~……」
「そんな一方的な……」
「何でそんな風に決め付けられるんだよ。女に責任は無いのか?」
「無いわ」
苦笑を漏らしたり不満顔になったりする学生達を前に、きっぱりと断言するキャサリン。
「数多の男を貪り食ったビッチオブビッチの私の言うことよ。信じられるわよ」
「自分で自分をビッチとか言ってるし……」
この人が言うと食ったという言葉が正に適していると、善太は思う。
「私のビッチの師匠の言いつけよ。たとえ世間がどんな目で見ていようと、自分が誇りを持っている事に対しては堂々としているようにと」
「ビッチの師匠って何者よ……」
そもそもビッチの師弟関係というものが何なのかと、いろいろ想像してしまう桃子。
「あらゆる情報機関を上回る、世界最高峰の情報組織『オーマイレイプ』の大頭目――彼女が私の師匠よ。私以外にも、彼女をいろんな意味で師と仰ぐ人が多いようだけど」
裏の社会にはいろいろあるんだなーくらいに、キャサリンの話を聞き流す一同。
「それはそうと貴方達、これからどうするの? 雪岡純子にリヴェンジを果たしたいだけ?」
突然の問いかけに、戸惑いの色を受ける学生達。
「当面は……」
「海チワワに入るつもりなら、私が口を利いてもいいわ。それがここで得た力の、一番いい使い方だと思う」
キャサリンの勧誘に、ある者は余計に戸惑い、ある者は目を輝かせていた。清次郎と桃子は目を輝かせていた側だった。
***
勝浦が安楽市を訪れるのは初めてだ。
裏通りの住人達が巣食う暗黒都市であるという事は聞き及んでいたが、見た目は普通の都市であり、拍子抜けした。
しかし、待ち合わせ指定されていた『安楽大将の森』という公園にて、夕方頃に銃声がこだましたのを聞き、背中に寒いものが走った。
裏通りの住人達の隔離場である暗黒都市の夜において、銃声は珍しいことではないという噂だが、自分の耳で聞くとよりそれが実感でき、恐怖が沸き起こる。しかもまだ日は落ちていないというのに。
待ち合わせ場所の『弾痕の安らぎ』という名の、和洋折衷な内装の土産屋兼喫茶店に訪れると、雪岡純子は先に来ていた。まだ待ち合わせ時間の三十分前である。
「はじめまして……」
「はじめましてー。怖がらなくていいよー。なるべく悪いようにはしないつもりだから」
挨拶の後に続いた言葉がそれだったので、余計に恐怖を覚える勝浦だった。




