6
グリムペニス日本支部の学生メンバー達が、雪岡研究所に向けてデモを行う当日の朝、純子に電話がかかってきた。
『知ってるかもしれないけどさ、グリムペニスのデモ隊が純子をターゲットにしてデモ運動するみたいだぞ』
電話の相手は日本警察の最終兵器と呼ばれる、安楽警察署裏通り課の刑事、芦屋黒斗だった。
「うん、知ってる……。裏通りのサイトの方には情報漏れてたしねー」
私室にて、部屋中に飾った怪獣フィギュアと戦隊フィギュアに、エアーダスターをかけて回りながら、純子は喋る。
『今回奴等は、警察に無許可でデモをする気らしい。鍵付きの罪ッター内で情報回しているようだけど、まああの手の思想団体には、必ず内部に情報提供者がいるからね』
「グリムペニスのボスが来日して、運動がますます目立って勢いづいているのは知ってたけどさあ。よりによって何で私なのかなあ」
『大体お前にも見当ついているだろう? お前を表舞台に引きずり出すためだ。社会的に抹殺するために』
「んー……」
黒斗の指摘に、純子は納得いかない風に唸る。
「社会的も何も、私、とっくに学会追放されているし、裏通りで生きる身なんだけど?」
『それでも表舞台に引きずりだされたうえに、日本中にお前の存在が知れ渡れば、これまで通りに過ごすことはできないだろ? それにお前の出方次第では、今までお前に味方していた者達も、一斉に敵に回る』
「あはは、それは黒斗君達とかも含めてかなー?」
『ああ、含めてだよ』
冗談めかして笑う純子に、黒斗は念押しするかのように言った。
「大丈夫だと思うけどねえ。私みたいな子の存在は秘匿しておきたいってのが、偉い人達の考えだからさあ。私が何も言わなくても、勝手に処置してくれるだろうし」
『くれぐれもおかしな対処の仕方はしないでくれよ』
「だいじょーぶ。ちゃんと手加減するから。皆殺しにするような真似はしないよー」
『その手加減とやらが凄く心配なんだよねー。じゃ』
溜息混じりに言うと、黒斗は電話を切った。
「青ニート君」
電話をしまい、内線で呼び出しをかける純子。
しばらくするとノックがして、頭から双葉を生やし、目口鼻が無くて鼻と耳の穴だけが開いており、青白い滑らかな肌をした、異形の怪人が姿を見せる。
「ちょっとお願いがあるんだけど」
雪岡研究所の労働要員である怪人は、その一言だけで嬉しいらしく、体をくねらせて悦びのポーズを見せた。
***
午前十一時。安楽市絶好町繁華街はデモ隊が詰め掛け、物々しい雰囲気になっていた。
日本においては、デモをするには警察の許可がいるのだが、今回はその許可を取っていない。そのためいつもはデモのルートに配備されている警官の姿も無い。何故許可を取らなかったかと言えば、情報漏えいを防ぐためである事と、デモ隊をビルの中にまで入り込ませるためだ。さすがに警察の見ている前でそれはできない。
警察が見てないからといって、デパートのビルの中にデモ隊を突入させて、その後に処罰がある事までは、誰も考えていなかった。
集まった人の九割以上は、グリムペニスの正規メンバーではない。一般人だ。これはいつもの事だが、毎週末大人数を集めるグリムペニスにデモにしては、今回はひどく数が少なかった。
「五千人だってさ」
善太が渋面で報告する。
「この程度か。一万もいってないとかショボく感じてしまうね。多い時は十万超えるのに」
他の主要メンバーの一人が苦笑気味に言う。
「いや、これでも十分よ。公式発表はいつも通り三倍の、一万五千という事にしておこう」
と、桃子。サバを読むのはデモの伝統であるが、グリムペニスの人数水増しは特にひどいものだった。
「桃子、不味いよ。警察の人達が来てる。無許可だったからだろうけど」
清次郎の報告を受け、桃子は舌打ちした。
「予定よりちょっと早いけど始めちゃおう。警察は私が応対してくる」
「じゃあ俺が先頭率いるわ」
「俺も行く」
主要メンバーの何名かがその場を離れていく。
「善太と清次郎はビルの入り口にいて、ビルに入っていく人達の整理をお願い。あんまり押し込まないようにね」
「ちぇっ、俺も先頭組に行きたかったのにな」
桃子に指示に、善太は微笑みながら、半分冗談のニュアンスを込めて愚痴る。
「整理の呼びかけも大事な役目よ。何しろ建物の中に突入なんて初めての経験だし。少し空間に余裕をもたせるようにして。出てくる時に身動きが取れなかったら不味いわ」
「凄いね、桃子。よく考えているね」
素直に感心して褒める一方で、他のメンバーは何も考えなさすぎだけど……と思う清次郎であった。
桃子が警察の方へ、清次郎と善太がカンドービルの入り口へと向かう。
(これ本当に大迷惑になっているじゃないか)
デパートにデモ隊がなだれ込むという前代未聞の事態を目の当たりにし、清次郎は冷や汗をかく。
異様な光景に、客達は見物する者もいれば、撮影しだす者もいるし、別口から外へと逃げ出す者もいた。
「もうちょっと空けてー。詰めないでーっ。そこ、進まないでっ。止まってー。出られなくなっちゃうよーっ」
善太が必死に呼びかけ、デパートに押しかける大集団の統制を取ろうとする。
「おかしな所には行かないでくださーい。店の人達やお客さんに迷惑でーすっ」
迷惑という単語を出すとまた反発されそうな気がするが、実際迷惑以外の何物でもなく見えるので、言わずにはいられない清次郎。
「悪の科学者、出てこーい!」
「自然破壊に繋がる研究をやめろーっ!」
何名かがちらほらと叫び声をあげているが、シュプレヒコールとして成立はしていない模様。
「いろいろとひどいね、今回」
善太がうんざりした顔で清次郎に話しかける。
「やっぱりデパートの中に突入は、不味かったんだと思う」
清次郎が言った直後、続けざまにメールが二件入る。
一軒目は先頭グループの報告だった。秘密の入り口のスイッチとやらを発見し、人体実験希望と偽って入手したパスワードをうちこんで、地下へと続く階段を下りて、雪岡研究所の入り口前まで押しかけたという。
もう一軒は桃子からであった。
『ヤバい。警察の人達カンカンに怒ってる。今すぐビルから出るようにって。さもないと今後のデモ活動停止の処置も有りうるかもだって』
桃子のメールを見て、そりゃそうだろうと、清次郎は大きな溜息をつく。
「引き返すように呼びかけた方がいいかなあ」
「うん」
善太の確認に、清次郎は頷く。
「おーい、皆、撤収っ! 撤収~ッ!」
「ビルから出ないと逮捕されちゃうよ~」
逮捕は嘘だが、そう言った方が効果がありそうだと思い、あえてそんな嘘をつく清次郎。
しかし二人の呼びかけにも、集団はほとんど動こうとしない。
「先頭集団も動く気配無さそうだなー」
「どうなっちゃうの、これ……」
自分達の力ではどうにも出来ない事を思い知り、呆然とする善太と清次郎であった。
***
雪岡研究所のリビングルームに巨大なディスプレイが投影され、研究所の入り口と、ビルの周辺が映し出されている。
映像を中継しているのは、精神分裂体を投射してみどりの術によるものだ。外に出したみどりの分裂した精神が見た者が、ディスプレイにそのまま映し出されている。
リビングにてディスプレイを見ているのは、純子、真、累、蔵、せつな。もちろんみどりもいる。
「んー、実に面白い事になったねえ」
にやにや笑いながら純子が言う。
(これまでに無いタイプの敵だ。今までは皆裏通りの――非日常の領域の敵だったのに、表通りの一般人が……民衆という名の数の集まりが敵として攻めてくるなんて、考えもしなかった)
真が思う。そして怒りを覚える。
(頭にくる奴等だ。踊らされているとはいえ、雪岡のことをろくに知りもしない奴等が、雪岡を罵るのが頭にくる。こいつを悪く言っていいのは、こいつの悪を知っている者――身近にいる僕だけだ。他が勝手なこと言うなよ)
デモ隊が持っているプラカードや横断幕を睨みつける真。『非道なる研究をやめろ』『地球の敵、悪のマッドサイエンティスト、雪岡純子』『マッドサイエンティストから地球環境を守れ』等々、様々な事が書かれている。
中でも特にイラついたのは、風刺のつもりの下手糞な絵だった。試験管を持った白衣の中年女が涎を垂らし、その涎で地球を溶かしているという絵だ。純子とみどりとせつなは、それを見て大笑いしていたが。
(それに……雪岡は悪だが、悪であるこいつから僕が学んだ事は、全て正だ。お前達如き羽虫が、軽々しく触れていいものじゃない。今すぐ出ていって皆殺しにしてやりたい)
そこまで思って、真は純子に視線を向ける。
(奴等を操っているのは、グリムペニスという、真っ当とは言えない組織だ。雪岡、どう対処するつもりだ?)
真が視線を向けると、まるでそのタイミングを見計らったかのように、純子も笑顔のまま真を見る。
「正直……彼等は幼すぎますね……」
累が口を開く。
「ネット上での……彼等の普段の言動を見た限りでも、あまりよい印象は……ありません。特に気に入らないのは、自分達を絶対的な標準基準だと信じて疑わず、異論は全て……排除するという姿勢です……」
「あー、わかるかわる、それ」
みどりが同意する。
「自分達は普通ですと、必死に普通アピールしつつ、普通という層を意識してその層から賛同者と仲間を少しでも増やそうとしている。んで、自分達に反発するものは、敵視して環境破壊推進派だ悪魔的文明急進派だと、レッテルを貼り付けて悪者扱い。こんな凄い矛盾と欺瞞は無いのよォ~。普通の人間から見れば、デモなんかして喚きたててる連中は、自己満足したがりのキモい暇人にしか見えないっていう」
侮蔑を露わにして語るみどり。
「その普通の人達にも、とっくにその本性を見抜かれているしねえ」
と、純子。それ故に、彼等の思想はこれ以上この国に蔓延する事は無いと見ている。
「お前の宗教だって、似たようなものじゃなかったか?」
真の指摘に、みどりはしかめっ面になった。
「へーい、真兄。みどりの信者達の方がずっと上ッ等っよ。一緒にしたら怒るよっ。みどりの信者達は、死ぬ覚悟も殺す決意もあって、実際に死んでいった。でもこの間抜け共はどうだ? ただ喚きちらして歩くだけで、それで何がどうなるってんだよォ。半端者共の遊びじゃん。本当に世の中変えたいなら、デモに集まった奴等全員、死ぬ覚悟も殺す決意も備えて行動しなけりゃ意味ねーっスよ。暴力こそが世の中を変える。暴力こそ絶対真理。歴史も証明している。暴力の無い口だけ集団なんか、誰も脅威なんて思わんでしょォ~」
「確かにそれは一理有るな」
素直に認める真。累も同じ想いであり、自分と同門の妖術師であるみどりが、全く同じ思想である事が、嬉しかった。
「何よりあいつらはちゃんと人々を楽しませてくれたしさァ。特に伴さんとかは、電波ジャックして糞コメンテーターや糞番組ディレクターを公開殺人して、国民皆を楽しませてくれたじゃんよ」
「うんうん、『薄幸のメガロドン』の大暴れ、せつなも見てて楽しかったヨ」
みどりの言葉に、笑顔で同意するせつな。
「あれを楽しいと言っていいものか……」
渋面になる蔵。
「へーい、蔵さん。あれ見て楽しいと感じた奴の方が圧倒的多数だし、人間なんてそんなもんだわさ。基本、他人の不幸は蜜の味ってね」
そう言って蔵に向かって、歯を見せてにかっと笑ってみせるみどり。
「私の人生もあまりいいものではなかったし、その不幸が誰かに知られて笑われるのは嫌だな」
寂しげに微笑む蔵であった。
「雪岡、あいつらが中にまで入ってきたのはどうする気だ? 去るのをずっと待っているのか? ていうかパスワードくらい変えておけよ」
真が純子に尋ねる。
「そう言われても、実験台志願なのか、敵なのかもわからないしさー。まあ大丈夫だよー。あの入り口の強化ガラスは、対戦車ロケットでも砕けない強度だし」
お気楽な口調で純子。
「入ってこられなくても、我々が出ることもできないぞ」
「ふえぇ~、カンドービルからも追い出されちゃうんじゃなーい?」
「せつなは元々動けないからどうでもいいけどー、追い出されるのは嫌だー」
蔵、みどり、せつなが続け様に言う。
「一応他にも手を考えているし、あの子達はすぐ撤退すると思うよー」
純子のその発言に、一同注目する。何をしでかす気なのだろうと、全員好奇心と不安の視線を純子に浴びせている。
「どんな手だよ」
「まあそれは見てのお楽しみー」
嫌な予感を覚えながら問う真に、純子はいつもの屈託のない笑みを満面に広げてみせた。




