36
咲は単独で雪岡研究所へ向かい、再び純子の診断を受けていた。
「へーい、純姉、どんな感じよ」
咲の来訪より三十分ほど経ってから帰宅したみどりが、研究室に入ってきて声をかける。少し遅れて、みどりと共に帰宅した真も入室する。
「いろいろ調査してた所で、まだ解決してないよ。これから処置する所」
純子が言いながら、くらげにいそぎんちゃくの触手がついたような、奇妙で有機的なデザインをした、得体のしれない半透明のぶよぶよしたものを取り出す。サイズは掌に収まるほどだ。
真にはそれが何であるかわかる。ヒーロー系のマウスで実験を行う際、よく用いられるものだ。精神の高揚や鎮静を司る機能を持つ有機装置である。
「私はモルモットにされるのか」
純子が持つ不気味なものを目にして、寝台に寝かされ、下着姿の上に、シーツだけかけられた状態の咲が、ぞっとしない気分で呟く。
「え? そのつもりはないよー? 私は自分から実験台になることを望んだ人か、私と敵対した人じゃないかぎり、実験台にはしないっていう、自分ルールがあるからねえ」
思ってもいないことを口に出され、純子は咲を見下ろして否定する。
「助ける代償は取らないってこと?」
「んー、アルラウネに寄生された人のデータを取らせてもらうだけでも、私にしてみれば随分な収穫だし、強いて言えばそれが差し引きかなあ? それに、私は実験台が欲しいんであって、今から私がやることは、ただの治療だからねえ。消毒したり絆創膏つけたり包帯まいたりして、それで高い代価を要求とかも変な話だし。もちろん、改造手術が必要なほどの治療となれば、話は別だけど」
そんなわけのわからないものを体内に入れられるのは、改造に等しいのではないかと、純子の手にある奇怪な代物を見て、咲とみどりは思う。
「前にも言ったとおり、アルラウネの分離は私にも不可能だけれど、精神を鎮める装置を取り付けて、アルラウネが苦しまないようにすることはできると思う。いや――正確には、君が心をコントロールしやすいようにするって感じかなあ」
「それだけでもありがたいよ」
純子の解説を受け、咲は小さく微笑む。
「雨岸百合と遊んできた」
咲に全身麻酔をしたタイミングを見計らって、真が話し出す。
「とは言っても、途中でケチがついて戻ってきたから、楽しい報告はできないんだけどな」
「何があったの?」
憮然としている真に、純子が尋ねる。
「奴の家が火事になった。火の回りからして放火だ。心当たりは誰も無い」
「私じゃないよー」
「別にお前だとも言ってないし、思ってもいない。それで中断食らって、シラけて戻ってきたが、多少は交戦した」
言いつつ、真は服の上をはだけて見せ、肩を見せる。
「ほぼ近接戦闘だけだったけど、折られた。やる前から何となくわかってはいたが、差は大きかった」
「咲ちゃんの移植より先に、真君の治療した方がいいね」
「そんな話をしたいわけじゃない」
不機嫌さを表情にモロに出して真が言う。
(最近、真君自然と表情が出る頻度が上がったなあ)
ただ、その自然と出る表情に、あまり好いものが無い事が残念だと純子は思う。
「もういいだろう? 僕は自力で突き止めて、エンカウントは果たした。包み隠さず話してくれ。僕もある程度は知っているが、お前の口から直に聞きたい」
「話すほどの事でもないから、何を話したらいいかわからないなあ。私と一緒に行動してた子だけど、私が面倒になって別れて、それを恨んで嫌がらせしている。それだけだよー。でもそれくらいの情報は、真君も掴んでるんじゃないの?」
真の肩の手当てをしながら、純子が言った。ビームでも出しそうな雰囲気のSFチックな銃のような形状の、怪しい超音波発生装置を真の肩へと当てている。
「どういうきっかけで行動を共にするようになったんだ?」
「最初は敵だったけど、やっつけたら勝手に私に心酔してついてくるようになったんだよ」
「お前はそれを受け入れたのか? ラットの連中も遠ざけているのに」
純子は自分に忠誠を誓ったり心酔したりするような輩を、逆に忌避するきらいがある。
「元々そういうタイプって何だかなーとは思っていたけど、百合ちゃんという前例があったせいで、余計に面倒になったんだよ」
「なるほど」
純子のその言葉に納得する。
「どんな能力や術を持つ?」
「死霊術師だよー。霊を操るのは妖術師や呪術師でもやるけど、百合ちゃんのは一味違ってね。死体を操ったり、霊を何かに宿らせて使役したりする事が得意だったねえ。霊の宿らない、人死体人形を作って操る術は、かなり凄いと思う。死体人形には心は無いけど、知能はあるからねえ。表情も作れるし、いかにも感情があるように見せるリアクションが出きるから、生きている人間と全く区別がつかないんだ。あれが一番凄いと思ったよ」
今の純子の話と、百合の口より明かされた、かつての担任教師が死体だという話が符合し、真の中で怒りと恥辱が渦巻く。
「あばばば、真兄、落ち着きなよ。真兄が感情的になるほど、あいつを喜ばせる事になるんだぜィ」
「怒りや憎しみを楽しまないようにね。あれらは本当に心地好い感情だけれど、あまりいい形でプラスになることは無いから」
みどりと純子、二人がかりで真をなだめにかかるが、二人共どう見ても、自分が珍しく感情を露わにしている事を、面白がって笑いながらなだめているのがわかるため、真は別の意味で苛立ちを覚えた。
「雪岡にもそんな感情があったのか」
今度は大きく深呼吸を二度行って、少し気持ちを収めつつ、真は話題を逸らそうと試みる。
「そりゃ私だって昔は、そこそこ正常な人間だったよー。体はともかく、心の方は」
「ふわぁ、体が悪かったの?」
みどりが尋ねる。
「生まれつき目が見えなかったからねえ。今のこれだって、ほら、人工魔眼だし」
自分の後頭部を右手でぽんと叩くと、純子の両目がぽろっと落ち、左手でそれを受け止める。
「うっひゃあ、面白~」
「シュールだな」
「んー、もっと別の褒め方してほしかったなあ。グローいとか」
みどりと真の反応に、両目をハメなおしながら残念そうに言う純子。
「で、他にはどんな力があるんだ」
話を戻す真。
「他にもいろんな術に長けているけど、もう別れて長いし、今の百合ちゃんがどういう具合に成長しているかとか、どんな新しい力を身につけたかとか、私にはわからないなあ。私の知る限りでは、一番警戒するのは死体人形ってくらいでさあ」
と、純子。
「過ぎたる命を持つ者は、一発屋じゃないからねえ。余りある時間を使って、あれこれ力を身につけているものだわさ」
純子のフォローのつもりで、みどりが言った。
「わかった」
他にも聞きたいことはあったが、この程度に留めておく事にする真。
「僕等の仇は必ず取る」
「う……うう……」
自分を真っ直ぐ見て宣言する真に、純子は呻きながら、なんとも言えない曖昧な笑みを浮かべる。
「純姉、そこは喜ぶシチュエーションじゃね? 自分のために戦ってくれるとか、こんな真顔で言われちゃうんだからさァ」
「いやあ……私は素直に喜べないというか、照れくさいというか」
決意の宣言も、女子二人に茶化されて台無しにされた気分の真だった。
***
百合は幾つか所有している家の一つへと、亜希子と睦月と白金太郎を連れて行った。途中で食料や服や、不足しているであろう個人の生活雑貨も買い揃えておいた。
「前の方の家が良かったわ~」
「贅沢はよろしくなくってよ」
不満を口にする亜希子をたしなめる百合。
「大事な書物や魔道具も皆焼けてしまいましたわ。誰の仕業かはわかりませんけど、やってくれましたわね」
「私なんて彼氏に買ってもらった服まで焼けちゃったのよ~。初めてのプレゼントで、すっごく大事な物なのにっ」
「俺なんか伝説のバリカン砥ぎ士に研いでもらった、お気に入りのバリカンを――」
口々に不満を述べだす面々の中で、睦月だけは無言だった。
「復讐って馬鹿のすることだって、真が言ってたよ」
新しい家のリビングに入って取りあえず落ち着いた所で、睦月が口を開く。
「百合は純子に、真は百合に、そして俺は真に。憎しみの連鎖かぁ。あはっ、確かに馬鹿げてるよねえ。俺に復讐しようとしていた人達は、百合のおかげで一掃されたようだけどさぁ」
「貴女が真を憎んでいるのでしたら、どうして共に行動していましたの? とても憎んでいるようには見えませんでしたわね」
からかう百合であったが、睦月はただ悠然と微笑を浮かべている。百合の揶揄も予測済みであったかのようだ。
(どうも掴みどころが無いというか……。亜希子も考えの読めない部分がありますが、この子もまた……)
底の見えない人間ほど、百合にとって魅力的な存在は無い。逆に底が割れた瞬間、百合の興味の対象外になりかねないが。
「真と仲直りしましたの? 貴女の大事な御友人を皆殺しにした子と仲良くできるなんて、私には理解しがたい神経ですわ」
「あはっ、そういう陳腐な煽りはいらないかなあ。ていうかねえ、的外れすぎ」
探りを入れるつもりでなおも突っこんだ百合であったが、睦月は意に介した様子を見せない。
「第一ねえ、俺の復讐心を消したのは百合なんだよ」
「私が?」
意外な言葉に、百合は目を丸くする。
「俺は百合に出された宿題やってるうちに、答えを悟っちゃった。復讐とか無駄なことに人生浪費する馬鹿馬鹿しさにさ。あまつさえ命を落とすとか、馬鹿の極みじゃない? あ、これって真と百合の両方にも、言えることだよねえ? 百合がいっぱい反面教師達を差し向けてくれたおかげで、俺はそんな馬鹿なことに情熱注がずに済みそうだけど、百合と真はいつ気がつくのかな?」
睦月の言葉の大半は嘘だったが、百合を誤魔化せる自信はあった。他人に対してはよく煽るくせに、本人はからわかれ煽られるとすぐにムキになる百合の性質を、睦月は見抜いている。
「私は――」
「ママも真も引っ込みつかないんでしょうね」
何か言おうとした百合であるが、亜希子がそれを遮る。
「私もママに復讐しようと思ったけど、やーめたっ。睦月の意見に全面同意だわ」
亜希子にまで追い込まれる形になり、百合は真顔で言葉を失くす。自分が今何を喋ろうとしていたかさえ、忘れていた。居心地が悪くて、睦月と亜希子の二人が憎らしくて、一刻も早くここから去りたい気分に陥っていたが――
「お前等、百合様のおかげで復讐の虚しさに気付くことができたなら、ちゃんと百合様に御礼を言えよっ。百合様はお前等にそれをわからせるために、苦労して復讐劇のセッティングしてくれたんだぞっ。俺も今やっと気付いた所だけどなっ」
壮絶にピントのずれたことを、大真面目に、かつ威張りながら告げる白金太郎の言葉に、嫌な気分が一瞬で吹き飛んで、吹き出してしまう百合。つられて睦月と亜希子も笑い出す。
「……何これ? いじめ?」
女子三人に笑われて狼狽し、泣きそうな顔で白金太郎は呟いた。




