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真と零は同時に立っていた橋から降りた。
とは言っても、下の橋へと飛び降りたわけではない。片手で足場だった橋へとぶら下がった状態で、もう片方の手は銃を相手に構えている。
完全に同じ動きをした二人であったが、二人共この動きを互いに予測しなかったわけではない。
橋からぶら下がると同時に、互いに銃を撃ちあう。二人共回避不可能なタイミングかと思われた。
実際零は回避できなかった。銃弾が防弾繊維を穿ち抜け、左肩の肉と骨を貫く。
しかし真の方はというと、即座に手を離して下へと落下する事で、かなり際どかったが零の銃弾を回避していた。
(馬鹿か? 自殺行為だろうが)
真の行動を見て驚き、かつ呆れる零。空中を落下している無防備な状態など、当ててくださいと言っているようなものだ。
落下していく真に向かって、零が銃口を向ける。真は落下中も顔を上げて、零の動きを見ていた。
零が引き金を引くのとほぼ同時に、真の落下が止まる。
銃弾は当たらなかった。まるで逆再生のように、真の体が上へと上がる。
(鋼線か)
橋を掴んでいた時の格好のまま、上に伸びたままの真の左手を見て、零はどういうことかすぐ理解した。真は橋に鋼線を引っ掛けておいたのだ。そのうえで落下し、零が撃つ瞬間に鋼線を伸ばすのをやめて、巻き戻して浮上することで銃弾をかわした。
そのまま上へと上りきるかと思いきや、真はフェイントをかけて再び落下した。落ちながら零に向かって二発撃つが、零は橋の上へと上がり、回避する。
真が一つ下の橋に着地する。零のいる橋とは角度が異なるため、前後に移動するだけでも銃撃を回避できるようになったが、それは零も同じである。
先に真が撃つ。零が反射的に身をかがめて、真から見て露出している部分を隠す。真がいる場所が零と同じ直線上であったので、零の足場の橋が遮蔽物の役割を果たした。
真が後退する。橋の角度が異なるため、前後に移動すれば、足場によって阻まれることも無い。
零が真の方を向くと、互いに垂直の位置で向かい合う格好となった。互いに向かい合えば、真は前後移動、零は左右に移動する事になる。
同じ橋でやりあった場合、ほとんど回避行動ができない状態であったが故に、今の位置取りは互いに余裕ができたが、それでも二方向に動くしかない。
戦いはそう長くは続かない。互いにあと一、二回の攻防の後で決着が着くと、二人共予感していた。
零が先に動いた。真の攻撃も予期しつつ、軽く左へと移動してから、真に向かって撃つ。
真は移動しようとはしなかった。零の銃口に合わせて左腕を顔と喉のまえにかざし、右手を上げて銃で狙いをつける。
零の銃弾が二発共、真の左腕に当たる。一発は防弾繊維を貫き、腕の中で止まる。
零が動き、銃を二発撃ったのとほぼ同時に、真も二発撃った。零の動きを予想したうえで、自らは動くことなく十分に狙い済ましたうえで、引き金を引いていた。
結果、真の銃弾の一発は零の腹部を貫き、もう一発は胸部に食い込んでいた。
(またか……しかも今度は……)
命を奪う衝撃を実感しながら、零は下にいる真を凝視したまま、ゆっくりと崩れ落ち、そのまま橋から落下した。
***
ある程度すり足で接近した所から、一気にダッシュをかけて、亜希子は塩田の懐へと飛び込むなり、小太刀を袈裟懸けに振るった。
「ブラッシング・ステップ」
満面に笑みをひろげ、ブラシで髪を整えながら警戒にステップを踏み、塩田は亜希子の刀をかわす。
「何か今の、すごくイラッとした」
半笑いで亜希子が言う。余裕をふかしているような回避の仕方に見えた。
「殺しはしないけど、少し痛い目には合わせてあげるねぇ~」
小太刀を胸元に構えなおすと、亜希子は小太刀に宿る怨霊火衣の力を発動させる。
「ええぇっ!?」
陰部を何者かに掴まれて、前方へと引っ張られる感触に、戸惑いの声をあげる塩田。
小太刀で下段から、峰打ちで陰部を殴りつけようとする亜希子。
睾丸を打てば、男性はそれだけで戦闘不能になることは知っているし、これで勝負はつくであろうと亜希子は思っていた。
しかし、思ってもみなかった固い感触によって、小太刀が弾かれる。
「剣呑剣呑」
小太刀の引き寄せ引力から解放されて、亜希子のすぐ前に立ちながら、塩田は眼鏡の位置を整える。
(えー……今のってまさか……)
とあることを想像し、凄まじく嫌そうな顔になる亜希子。硬化伸縮して操れるのが髪の毛だけではなく、体毛全てだとしたら、今、亜希子の一撃を防いだのは……
もし峰打ちでは無く、刃で切断しにかかっていたら、防ぐこともできなかったであろうが。
「うおおおおっ! 黒き龍よ、来たれ! 不毛なる肌色の大地を黒く焼き尽くせ! 最終究極奥義! グレイテスト・ブラック!」
裂帛の気合いと共に、塩田のふさふさヘアーが大きく膨れ上がり、黒い奔流となって、亜希子に襲いかかる。
その膨大な髪の量は、とてもではないが小太刀一振りでは防ぎきれない。この狭い足場において、前方から亜希子の体を埋め尽くさんばかりの量の髪から逃れる方法は、一つしかなかった。
亜希子は下の橋へと飛び降り、橋を埋め尽くさんばかりの勢いの黒い鋼線群の攻撃を回避する。
塩田からすれば、亜希子を串刺しにするつもりはなく、巻きつけて捕える心積もりであったが、かわされてしまえば同じことだ。
「よいしょーっ」
かけ声と共に、亜希子と同じ橋へと飛び降りる。
(あ、しまった。封印していた『よいしょ』を言ってしまった)
娘に気遣ってずっと我慢してきた言葉で、娘の死後も、口にしようとすると反射的に黙る癖が身についていた塩田だが、戦闘状態でテンションが上がっていたせいで、つい口走ってしまった。
その時である。
「えっ……」
頭が急に軽くなり、さらには寒気がした事に、塩田は戦慄した。
「あ……」
塩田の変化に、亜希子は口をぽかんと開け、構えていた小太刀を納めた。
恐る恐る塩田が頭に手をやると、つるつるぺたぺたとした感触があるのみ。
「くっ……よいしょの誓約を破ったせいか」
膝をつき、おでこを橋につけて絶望に暮れる塩田。実際にはただ髪を酷使しすぎたせいで、全て抜け落ちたのだが、塩田は別の理由だと思い込んでいた。
相手が戦闘力そのものを失い、勝負がついたと見なしてほっとした亜希子だが、上から何者かが落下し、下の酸溜りへと落ちていくのを見て、愕然とする。
「零……」
うつ伏せの状態で酸の中で溶けていく零を見下ろし、亜希子は力が抜け、膝をつく。
「知り合いだったのか」
塩田が声をかける。
「上で戦ってた両方、友達だったの……」
涙をぬぐいながら、亜希子は友人が溶けていく様をしっかりと見届けようとした。
***
仕掛けてあった水風船から降り注いだ酸の量は大したことが無かったが、問題はそれらが全て酸には変化せず、紺太郎の体液が混ざった水のままの状態でもあったことだ。
酸で溶けた部分から、紺太郎の体液も、睦月の体内へと混じる。そうすれば、睦月の体液そのものも酸へと変えられる。以前と同じパターンだ。
「ここでは吸える命は無いぞ」
紺太郎が笑う。
睦月も笑った。すでに別の対処法も考えてある。
睦月の体内から針金虫が何匹も伸びる。伸びた先から、水が噴出する。
混ざり合う前に、自分の体液以外のものを輩出する。そんな器用な真似も、他のファミリアー・フレッシュには無理だったが、針金虫だけであれば可能だった。
「あはあ。もう、俺の体を中から酸で侵蝕するのはほぼ無理だと思うよぉ?」
驚きの表情を浮かべる紺太郎に、睦月が笑いかける。
蜘蛛が紺太郎へと向かっていく。
紺太郎が舌打ちと共に、水風船を投げつけるが、蜘蛛には通じない。
水風船を投げた後、すぐさま紺太郎は手元にあった塩田の毛髪を引く。すると上の橋の裏に取り付けてあった、消火用のホースが降りてくる。それがどういう用途で使われるかは、想像に難くない。
「死ねっ!」
ホースを拾って構えて、歪んだ笑みを広げる紺太郎であったが、遅かった。ホースを構えたその時に、睦月より放たれた二つの茶色い塊が猛スピードで飛来し、紺太郎の頭部と腹部を打ち据えた。
ひるんで動きが止まった所に、蜘蛛が飛びかかり、紺太郎の両腕と両足を根元から切断した。
ばらばらになった紺太郎の体が、自ら作った酸の溜りに落下する。
「いろいろと準備していたようだけど、全部無駄骨だったねえ」
音を立てて溶けていく紺太郎を見下ろし、睦月がニヒルに呟いたその時、闘技場の扉が開いた。
そこに現れた人物の方に、睦月と、丁度勝負を終えた真と亜希子の三人が、一斉に視線を向ける。
「咲……?」
歪な笑みを浮かべた少女を見て、睦月は彼女の名を口にした。




