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日本の社会が裏と表にはっきりと分かれて認知されるようになってから、夜間における犯罪発生率も数十年前に比べて増加しているが、夜の街から人が姿を消すこともない。
美穂、武郎、國男の三人は、純子の後を追う形で夜の街の中を歩いていた。人通りは普通ににぎわっているが、ここは都内でも暗黒都市に指定されている都市の一つ、安楽市である。
裏通りの住人同士の揉め事が極めて頻繁に起こり、街中で銃撃戦が発生することもさほど珍しくない。
三人共、芥機関にいた時の白衣ではなく、純子が用意してくれた目立たない普通の衣服に着替えている。
一方で純子だけは相変わらず、悪魔を模した小さな刺繍が入った悪趣味なブラウス、赤と緑のストライプのネクタイ、短パンの上に白衣という目立つ格好だが。
「一応、狙撃されにくい場所を選んで歩いているからさー。私の後をなるべくぴったり沿って歩いてね。まあ狙撃って方法での殺害はあまりこの国では用いられないけれど、念のためねー」
純子の予測では、星炭は美穂達も芥機関の残党と見なし、必ず襲ってくるとのこと。また、襲撃者はおそらく、直接の戦闘を苦手とする星炭の術師よりも、彼等に雇われた裏通りの住人が多く含まれるとのことである。
「こんな人通り多い街中でも襲われたりするのかな? 考えにくいけれど」
武郎が辺りをきょろきょろと見回しながら、不安を隠せない面持ちでそう言った。
「襲われるぜ。俺も暗黒都市の出だからわかるが。とはいえ市民を巻き添えにするような襲い方は、極力避けるもんだがなー。カタギのモンを抗争に巻き込むのは、裏通りの住人からも忌避されている行為だし。と、知った風な口を叩いてみましたよっと」
そんな武郎とは対照的に、いつも通り飄々とした表情と口ぶりの國男。
「んー、そういう意味では、街の中の方が安全と言えるんだよねー」
こちらもいつもと変わらぬ屈託の無い笑みを浮かべ、純子が安心させるように言う。
「國男君の言う通り、裏の世界でもルールはあるからね。過度に表通りへ害を成すようなことはしないようにっていう、暗黙の了解がさ。そんなことすれば、警察だって黙ってないし。まあ、問題なのは星炭流の呪術の人達は、裏の存在とはまた違うから、裏通りのお約束に従ってくれるとも限らないってことだけど、それにしたって、こんな人通り激しい街中では襲ってはこないと――」
純子の言葉は、突然の銃声によってかき消された。
「来るっ!」
悪意に満ちた思念が幾つも自分達に向けられているのを感じ取って、美穂が叫ぶ。
「お約束には従ってくれなかったな」
國男が苦笑しながら軽口を叩いた直後、さらに銃声がたてつづけに鳴り響く。全て美穂達に向けられたものであることは疑いようがないが、銃弾は一発たりとも彼等に届いていない。國男の作った不可視のブロックが全て防いでいる。
襲撃者達は肉眼では見えなかった。見えないほど遠くに離れているのか、物陰に隠れているのか、何かしらの術を使って姿を消しているのかの三つが考えられたが、いずれにしても、美穂は敵の居場所を正確に察知する事ができる。
殺意の思念がどこから放たれているかで、自分を中心に半径五十メートル以内なら、誰がどこに潜んでいても、美穂にはその場所を知る事ができる。
「敵は六人! 道向かいのガードレールに二人! こっちの道路左右に一人ずつ! 道路の真ん中に二人!」
車道の二人ははっきりと肉眼でも確認できた。姿を消す類の術を使っていることはないようだ。
美穂の叫びに応じるかのように、武郎が弾ける様に車道に飛び出した。小太りな体型からは想像できない俊敏な動き。車道の真ん中にいる二人めがけて一気に詰め寄る。
二人は若干反応が遅れつつも、手にした拳銃を武郎に撃ちこんだが、武郎はものともしない。
確かに武郎の体には当たっているはずだが、衝撃に多少のけぞるだけで、そのまま襲撃者二人に手が届く範囲まで接近する。
正面からの武郎の右拳が、襲撃者の一人のこめかみにクリーンヒットする。
頭蓋骨がパカーンとよく響く音をたてて割れるのを、武郎は確かに聞いたし、何より自分の手で確認した。どちらも実に嫌な響きだったが、今はそんなことをいちいち意識している時ではない。
もう一人には左手による裏拳がストマックに決まった。口から大量の血を吐き出し、崩れ落ちる。胃袋だけでなく、幾つかの内臓が同時に破裂したと思われる。
倒れた二人を見下ろす武郎。襲撃者は二人とも黒ずくめで、ゴーグルと黒いニットキャップをかぶっていた。初めての殺人――というわけではなかったが、それでもいい気分はしなかったので、それ以上観察しようとはせず、車道の向かいにいると言われた敵の方へ向かう。
美穂達のいる歩道からも、同じような黒ずくめの襲撃者が、前後から挟み撃ちするかのような形で銃を撃ってきた。通行人が悲鳴をあげる。
恐怖と恐慌の思念が、幾つも美穂に流れ込む。そのうちの一つがかき消え、さらに側にいた一つが絶望と悲痛の『色』を放つ。目で見て確認しなくても、それが何を示すのかは美穂にはわかった。流れ弾が通行人の一人に当たって、死をもたらしたのだ。
國男が無言で、ガードレールの向こうにいる襲撃者二人の方へ手を伸ばし、振り下ろした。するとその手の動きにあわせて、先にいる襲撃者の一人の首が、音を立ててあらぬ方向へと曲がり、襲撃者は崩れ落ちた。國男の作った透明のブロックで押し潰されたのだ。
もう一人は、殺さないように手加減してある。身動きがとれないように、地面にうつ伏せの状態でプロックの下敷きにしてある。
「武郎っ! まだ生きてる!」
美穂の声に武郎は振り返る。内臓破裂したとおぼしき男が、ゴーグルを地面に落とし、大量の血を口から吐き散らしながらも、虚ろな眼差しを武郎に向け、銃を撃ってきた。
どう見ても戦闘不能――どころか死亡一歩手前だというのに、そいつがゾンビの如く襲ってきたことに狼狽する武郎だったが、気をとりなおして、フライングラリアットなどという派手な技でもって、襲撃者の首を胴体から吹き飛ばした。
武郎はこれといった超常の力はもたない。肉体そのものを純子によって極限に強化されただけである。
膂力、瞬発力、持久力、再生能力、全てが人間のそれを超越し、生物的なレベルでも異常な水準に引き上げられている。首を切断されても死なないほどの再生力も与えてあると、純子は言っていた。
「残り二人は逃げたね」
思念が遠ざかっていくのを感じて、美穂が息を吐いた。しかもどうやら思念の感じからすると、逃げた二人は術者だったようだ。
「いやあ……俺達って、ひょっとして無敵? 初めての実戦だったけど、もう死角無しって感じじゃん」
にやにや笑いながらうそぶく國男に、美穂が咎めるかのように鋭い視線を送る。
美穂達は芥機関で、超常の力の開発と育成だけをされてきたわけではない。荒事における対応の仕方のマニュアルも、一通り叩き込まれてきた。三人でチームプレイを組んでの訓練さえも何度も行った。
そして今、訓練の成果が見事に発揮されて、國男も武郎も興奮して喜んでいたが――
「いやあぁぁっ!」
「あ……」
痛々しい悲鳴があがり、國男は何で美穂があんな目で自分を見たのか、理解した。
流れ弾を胸部に食らい、倒れている十歳にも満たないであろう男の子を、その母親が泣き喚きながら必死にゆさぶっていた。
(私達のせいで……)
そう考えたくはなかったが、どうしてもそう考えてしまう美穂。
「この人達、国内で雇われた殺し屋さんじゃないね。軍人――傭兵さんかな。しかも……」
すぐ横の悲劇など全く気にもとめない様子で、不可視の塊に押し潰されたまま手足だけじたばたともがく黒ずくめの男に目を落とし、純子が言う。
「この人の顔、よく見てみて」
純子が男のゴーグルを外す。四人が交互に男の顔を覗き込む。
「何こいつ……」
美穂が呻いた。血走った目はめいいっぱい大きく見開かれており、憤怒の形相で歯をむき出しにして獣のように唸り、顔色は死体のように土色だった。
「さっき武郎君に倒された人だって、普通あれで立てるものじゃないよー。多分、逃げた二人が星炭の呪術師で、雇った殺し屋さんに外法の術をかけて、潜在能力を開放して、術師の命令に絶対服従させて、痛みも感じず襲いかかってくる、ゾンビ兵士みたいにしちゃっているんだと思う」
「そりゃまたひどい話だなあ」
呆れ声を漏らす國男。
「映画やゲームのゾンビは見慣れたけれど、現実だと生々しすぎるぜ。ま、ようするに、しっかりと殺さないとならないってことだな。生かしておいても、尋問も無理だろうしよ」
そう言ったかと思うと、國男は倒れている男に向かって腕を伸ばし、手を握る。
ぐちゃっと何かが潰れる音がした。目玉が眼孔から飛び出して、眼孔、口、鼻から血と脳漿があふれだし、男は痙攣しだした。ブロックが脳を潰したのだ。
無抵抗の相手をいきなり殺害した國男に、一瞬非難の言葉を浴びせようとした美穂だったが、思いとどまった。
國男の行動にも一理はある。ちょっとやそっとでは死なない兵士で、しかも殺人マシーンのようにまでされている相手では、生かしておく事もできないと悟ったからだ。
(早くまともな世界に戻りたい……こんな殺し合いやら、超能力だのと無縁の普通の世界に)
美穂は切にそう思った。今こんな弱気になっても仕方が無い事も、十分承知している。現実として彼女らは非日常にいるのだから。それを命がけで切り抜けなくてはならない。そのうえ美穂は、この三人の中ではリーダー格でもあったから、絶対に弱音は吐けない。
そんな美穂の思いを見透かしたかのように、純子が微笑みかけながら、美穂の背中を軽く撫でる。
「これさえ乗り越えれば、もう何の不安もなく、表通りの平穏な日常に戻れるよー」
美穂の想いを見透かして、優しい声音で囁いてきた純子に、美穂は驚きを隠せなかった。
美穂は心底落ち着いてしまった。純子という、頼れる甘えられる存在がいるだけで、美穂は自分が大分救われていることを再確認し、安堵した。
見た目は自分より年下だが、そう見えない。純子に励まされ、慰められる度にいつも思う。妹や弟が姉に甘える感覚というのは、こういうものなのだろうかと。
「とりあえず、ここにいても面倒だからすぐ移動しよー」
純子に促され、四人は足早にその場を立ち去った。立ち去る間際、武郎が一度だけ振り返る。血まみれの骸となった我が子に、泣きながら必死に人口呼吸を施す母親の姿を見て、武郎は心臓が無数の針で刺されるような痛みを覚えた。
***
『とりあえず、ここにいても面倒だからすぐ移動しよー』
室内の壁の上側一面を占める巨大なモニターの中で、真紅の瞳の少女がそう告げて歩き出すと、それにつき従うように三人の男女が足早に後を追う。
部屋の中央には円卓が置かれ、仮面舞踏会などでつけるような、様々な仮面を被った老若男女が、モニターを凝視していたが、そこで一区切りついたようで映像が切れて部屋に明かりが灯り、円卓に向かって座している仮面の集団が一斉にモニターに向かって拍手しだした。
室内は豪奢な洋風の内装が施されていた。シャンデリア、機能してない装飾品としての暖炉、赤いカーペット、壁一面を埋め尽くすほどの巨大な絵、その絵に劣らず巨大な水槽、騎士の鎧、壁から突き出た様々な動物の剥製。
「やっと動き出したというところですかね。芥機関の脱出シーンはいまいちでしたが」
タキシード姿に骸骨の仮面をかぶった男が、ワイングラスを手に取り、口を開く。
「これから面白くなるのでしょう。今回は個性豊かな面々で、中々楽しみですわ」
紫のドレスを身にまとい、悪魔を模した仮面を被った婦人が、骸骨の仮面の男に向かって言った。
「雪岡のこの手の見世物は最近マンネリ気味じゃない? まあ、超常の力を付与した奴等って部分が、また違った醍醐味だけれどさ。相手も怪しい妖術だか魔術だかの集団てゆーのもね。でもなんつーか、チープなSF映画見てる感はあるよなあ」
犬の仮面を被った肥満気味の男が、嘲るような口ぶりで言う。やはりタキシード姿である。声音からすると、男というよりは少年と言った方がいいかもしれない。
「まあまあ、今回の『仮面の宴』は、本来は我々への向けての目的ではないのです。私が無理を言って、仮面の宴の面々も混ぜてもらったのですからね。あまりいつもの調子でいると、主賓である『妊婦にキチンシンク』の霜根さんに失礼ですよ」
鳥を模した仮面を被った男がたしなめると、モニターが最も見やすい席に座った男を見やった。
鳥の仮面の男の視線の先にある人物は、他の男達がタキシードであるのに比べ、場違いとも映るスーツ姿で、仮面はつけていない。四十代にさしかかったかどうかという年齢の、精悍な顔つきの男だった。
彼こそは世界最大と言われる武器兵器密造密売組織、妊婦にキチンシンクの大幹部、霜根太一であった。
「いや、別に『ホルマリン漬け大統領』さんも商売ですし、せいぜい楽しんでいってください」
霜根が素っ気無い口調で言った。
「こちらはこちらで、商売としてしっかりと値踏みさせてもらえれば、それでいいんですから。じゃ、また」
無表情に告げると、霜根は立ち上がり、足早に部屋を出て行った。
「愛想のない人ねえ」
悪魔の仮面の貴婦人が肩をすくめる。
「ああは言ってますが、彼からしてみたらやはり不快かもしれませんよ。守秘義務は守るとは言っても、ただの娯楽のために、製品候補を見るような輩が混ざっているということはね」
と、鳥の仮面の男。仮面の下の肌や顔つきや皺などを見ると、かなり年配のようだ。
「こっちだって正式に招待されたゲストだろ。そんなに気遣う必要ないじゃんかよ」
甲高い声で犬の仮面の少年が反発する。鳥面の男は苦笑しただけで、彼の言葉を取り合おうとはしなかった。
「では、我々も解散しましょうか。翌日の同じ時間に、また最新の映像が届いているはずです。時間に余裕のある方は、是非いらしてください」
鳥面の紳士が立ち上がり、円卓に座した一同に向かって告げると、優雅な動作で一礼してみせた。
「あらあら、楽しみですこと。それでは今宵は失礼します」
ドレスと同じ色の扇子をはためかせ、悪魔の貴婦人も立ち上がる。
「余裕が無かったら余裕を作ってでも見に来ますとも。できれば相沢真君の活躍なども見てみたかったところですが」
「いやあ、それではかの死の商人殿の求めるものと、全く趣旨が異なってしまいますな」
退出しながら、羊の仮面の男と骸骨の仮面の男がそんなことを話し合っている。
部屋から鳥の仮面の男以外の全員が出ていくと、胸ポケットから携帯電話をつまんで取り出し、投影したホログラフィー・ディスプレイに向かってメールをうちはじめる。
『純子、本来の趣旨とは異なることになるだろうし、飛び入りで見物客として参加させていただいた俺達が言うのも恐縮だが、いつものようによい展開を期待している』
そう書き込んでメールを送信すると、十秒後くらいに相手から返信が返ってきた。
『まかしといて』
顔文字つきで返ってきたその返信を見て、鳥面の紳士は無言で、空中に投影したディスプレイを消去した。




