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ジャン野々田とニコラ野々田は、貧しい家庭で育った。
父親は五つ年下の妹のマリアンヌが生まれる前に事故死したため、母親一人によって兄弟三人は育て上げられた。
父親はプロレスラーだった。母は父のことをいつも褒め称え、父のような強い男になるようにと二人に言い聞かせていた。いずれ自分達も父のような格闘家になることを夢見て、また、女手一つで自分達三人を育ててくれる母親にも強さを見出していた。小学生高学年の頃には特例でバイトをする傍ら、様々な武道に打ち込むようになった。
妹のマリアンヌはそんな兄達とは別の夢を抱いていた。
マリアンヌは漫画家になって、劇画調でバトル漫画を描くという夢があった。そして兄二人がデビューした暁には、二人をモデルにしたキャラもやられ役で描くと、約束していた。
三人がそれぞれ夢に向かって歩みながら、成長していき、ジャンとニコラはマリアンヌに先駆けて夢の扉を開き、ニコラはジュニアヘビー級のレスラー、ジャンは格闘家としてデビューしたが、マリアンヌは夢を果たせずに終わる。
世間で八つ裂き魔と呼ばれる謎の連続殺人鬼によって、マリアンヌは十四歳で生涯を終えた。
ジャンとニコラ、それに母親は、この殺人鬼がどうしてこんな残忍な方法で人を殺して回るのか、よく話したものだ。マリアンヌだけではなく、数多くの少女が殺されているのに警察が全く足取りを掴めずにいるのも不思議であった。
八つ裂き魔が消えた後、二人は裏通りの情報にまで手を出し、八つ裂き魔の正体が、裏通りの殺し専門の危険な組織に属していた殺し屋である事や、裏通りでも問題視されており、抹殺指令が出されていた事を知った。組織のボスが警察の上層部にも顔が利くので、警察も抑えられていた事も知り、二人は社会の理不尽さに歯噛みした。
マリアンヌの仇を討てるものなら討ちたいと、ジャンもニコラも考えていた。マリアンヌだけではない。大勢の命を惨たらしく奪い、さらに大勢の人達の心に傷を残した連続殺人鬼。そんな奴がのうのうと生きている事が許せない。しかし同時に、何を思ってそんな殺人を繰り返したか、何故突然やめたかなど、その理由も知りたいと考える。
その機会は唐突に訪れた。人体実験の死のリスク。自ら殺人をする覚悟。それらを踏み越えて、ジャンとニコラは八つ裂き魔への復讐の話にのった。
恨みを晴らしたいという気持ちもあったが、それ以上に、真実を知りたいという気持ちが二人にはあった。八つ裂き魔がどんな人物で、何を思って殺し続け、何故突然殺しをやめたのか。できれば改心し、悔いていてほしいと、二人は密かに思っていた。
***
ニコラがジャージの上下を脱ぎ去る。
(変身する怪人タイプか)
ニコラの挙動を見て、即座に真はそう判断する。服を破いて変身しないためだ。とはいっても、流石に下着まではここで脱がないようだが。
「はあああああっ!」
気合いの雄叫びと共に、ニコラの筋肉質な体が膨張していく。
身の丈3メートルを優に越す巨人と化し、筋肉もそれに比例して大きく盛り上がり、さらには肌の色が灰色に変色しているのが、ホテルのライトに照らされてわかる。
「覚悟か……。化け物に改造される覚悟があった事だけは認めてやる」
呟くなり、真はニコラの喉元を狙って銃を二発撃つ。フェイントは入れずに二発とも喉を狙った。
弾は二発とも弾かれ、衝撃すら効いた気配が無い。
ニコラが一気に真との間合いを詰める。
真は街路樹を遮蔽物にするかのように動きながら、ニコラと距離を取ろうとする。ニコラは勢い余って街路樹にぶつかり、一瞬動きが鈍る。
(力と重量は、技を凌駕する。普通はデカい奴の方が勝つ。それが当たり前だ)
さらに距離を取りつつ真は、傭兵時代の仲間の黒人の言葉を思い出す。
(しかしこいつは技すらも僕と同等か、上かもしれない)
まだ戦いは始まったばかりだが、ニコラの動きを少し見ただけで、真はそう判断する。
ニコラはその巨体からは想像できないような猛スピードで、真に迫っていく。徒手空拳のニコラからすれば、接近を試みるのは当然の流れだ。
人間よりはるかに大きく重い動物は、その体の大きさや重さにも関わらず、人間以上の速度を出すことができる。筋肉量や体の構造が、そのように出来ている。
一方で人間はその体の構造上の問題によって、体がある一定以上の大きさと重さを越えれば、どうしてもスピードが殺されるように出来ている。いや、人間に限った話ではない。全ての動物に、最も適した体格と重量の比重というものが存在し、その増減によって力と速度も変化する。
ニコラは明らかに人間の規格を超越しながら、巨体に見合わぬ速度を出していた。
真の脳裏に、バイパーとエリックの存在がよぎる。あの二人も、体格に見合わぬ速度であった。特にバイパーに至っては、自分を大きく上回っていた。
(今まで戦った中でも上から数える強さだが、あの二人ほどではない)
体をひねって、ニコラの巨体から繰り出される右フックをかわしながら、真は思った。反応速度も敏捷性も、自分の方がニコラに勝る。
だがその破壊力はエリックに勝り、リーチはバイパーにすら勝る。常に一定の距離を取らないといけない。一撃でも食らったら、真はひとたまりもない。
ニコラが連続で攻撃を仕掛ける。パンチ、キック、その両方をいかしたコンビネーション。受けてガードすれば一撃でお陀仏なので、全てかわしていく真。ただかわすだけではなく、時折街路樹やガードレールを盾代わりに使う。
「あいつ、すげえ……」
思わず呻いて、真を称賛してしまうジャン。
「逃げるなよっ」
一方で思わず叫ぶニコラ。一方的に逃げられ続け、追い詰めることもできない状態が続いている。
「いや、逃げるよ」
ひたすら逃げを決め込み、あっさりとした口調で答える真。まともにやってかなう相手ではない。巨体だけなら、よりデカいバトルクリーチャーと何度もやりあったが、あんな獣とはわけがちがう。中味は人間で、洗練された技術の持ち主でもあるのだから。
真は防戦一方に回りながらも、心地好い緊張感で満たされつつ、反撃の機会を伺う。
『ミャー』
頭の中でどうしてもあの鳴き声が再生されてしまう。今まで幾度となく近接戦を仕掛けてきた相手――エリック・テイラー。
まるで遊び心地のように笑顔で真を殺しにかかってきた、あの猫真似男のおかげで、真は近接格闘も真面目に習得せずにはいられなかった。そしてそのおかげで、今こうしてニコラの猛ラッシュも何とか凌いでいられる。
(僕の中であいつが生き続けている)
かつての好敵手を意識しながら、それまで防戦だった真は突然反撃に転じた。
ニコラがトーキックを繰り出そうとした矢先、その膝めがけて銃を撃つ。
先ほどは喉を撃たれても弾いたというのに、今度は銃弾が膝の下部分から膝裏へと貫通し、ニコラは仰天する。
そのうえ撃たれた膝の周囲の肉が溶け出して、ニコラは青ざめて跪いた。
「何で……」
思わず真を見上げて問うニコラ。銃弾も通さない肉体だと改造した際に言われていたし、実際に最初の銃撃は通さなかったというのに、突然銃弾が通った事が理解できない。
「戦場でバトルクリーチャーの中にも似たようなタイプがいて、散々やりあった。関節部分以外、銃弾を通さない奴はいっぱいいた。角度にもよるが、関節まで脆くない奴は、ほとんど見たことが無いし、お前もそこは弾が通ったっていう話だ。攻撃が激しくて、中々狙いがつけられなかったけど……巨大化は余計だったな。おかげでレスラーだった生身の方の持ち味も殺されているし、攻撃が単調になった。振り下ろすようなフックと、トーキックやローキックばかりだ」
生身のニコラは、派手な空中技が得意なジュニアヘビー級のレスラーである。その事を引き合いにされ、照れ笑いを浮かべる。
「ああ、俺も感じていたよ。当てにくいと思ったし、見切られていると感じたよ……。それに狭いリングと違って、際限なく逃げられていくし、地形も利用されていたし……。うまく追い詰めることもできないし」
真の解説に納得がいき、笑いながらニコラは言った。
「経験の差か……」
今まで常に死地で戦ってきた相手に、死ぬ覚悟どうこうなどと問うた自分を恥ずかしく思うニコラ。
「次」
片足を負傷し、最早ニコラに戦闘力は無いと判断した真は、ジャンの方を向く。
「殺さないのか?」
元の大きさに戻ったニコラが、撃ち抜かれた膝を押さえて問う。
「運良く殺さずに済んだだけだぞ。次もうまくいくとは限らない。それと、さっさと止血した方がいい」
ジャンを見据えたまま言い放つ真。
「こっちも……ニコラを殺さずに見逃してくれたからといって、殺さずに済む保障は無いぜ」
不敵に笑い、ジャンがジャージの襟首に両手をかけたその時――
「君らの狙う八つ裂き魔は俺だよぉ? あははっ、こっちを狙いなよ」
ホテルの入り口の方から、おどけた声と共に睦月が現れた。
「お前が……」
ジャンが睦月の方を向く。予め画像で容姿は確認しているが、実物の愛嬌のある睦月の顔を直に見ると、とても凶悪な連続殺人鬼とは思えない。
「一対一が望みらしいから、僕は手を出さないぞ」
「あはっ、いいねえ、そういうの」
前もって告げる真に、睦月は笑顔で頷き、ジャンと向かい合う。




