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真の提案で、五人はホテルワラビーに泊まることにした。
敵を誘き寄せるという目論見も含むとの事で、睦月は窓の外をしきりにチェックしていたが、ホテルの前でこちらが出てくるのを待ち、張っているような者の姿は見受けられない。
(こんなに大人数で固まって行動して、妙な気分だよ。しかもその中心にいるのが俺とかさ)
寝付けない睦月は、いろいろなことを考えてしまう。
(掃き溜めバカンスも俺のせいで皆殺されたようなもんだし、俺が中心になると、またろくでもないことになりそうな気もするんだけどねえ)
しかも今回はかつての仲間を皆殺しにした真が、自分を守る側に立つというおかしな構図。
そのうえ自分に身内を殺された咲までが同行し、墓場では助けられもした。
それら全て、睦月はどう受け止めたらいいかわからない。
百合は遊び気分で復讐者達を睦月に差し向けたのであろうが、全てを仕組んだわけでもない。他の四人と共に行動するようになったのは、百合にとっても予想外だったであろうと、睦月は考える。
(このまま流されてていいのかな?)
自分のために犠牲者が出ることを、睦月は密かに恐れていて。今更ながら、こっそりと一人でホテルを出て、単独行動しようかという考えも、脳裏に浮かぶ。
(いや、それは返ってややこしい事態になるし、亜希子も真も怒るだろうな)
マンガや映画でよくある駄目なパターンの一つだと思い、その考えを打ち消す睦月。
ノックの音がして、睦月は身構える。争い御法度のうえに、警備も強化されたこのホテルといえど、油断はできない。
「私よ。起きてる?」
咲の声がした。人質に取られているという可能性も考慮したが、声に怯えや緊張の響きは無いので、ドアを開ける。
「起きててよかった。少し話したいことがあって」
咲が神妙な口調で告げる。
「私はね、やっぱりあなたと戦って仇を討とうかどうか、まだ迷っているんだ」
室内に通された所で、咲は話し出した。睦月の鼓動が少し早まる。
「あなたが墓場で手を合わせている時も、あなたの心はちゃんと感じ取れた。それでもまだ私の中で気持ちの整理ができないんだ。でも、あなたが他の復讐者達に殺されてほしくないという気持ちもある。それに、あなたを守ろうとする友達もいるし、その子達を哀しませたくないという気持ちもある。復讐して憎しみの連鎖を生んで、今度は自分が復讐される立場になるとか、そんなことしたら姉さんがどれだけ哀しむかとか、いろいろ考えすぎちゃって、もう何が何だか、自分でもわからなくなってきている」
うつむきながらそこまで話した所で、咲は顔を上げ、ひどく物哀しい面持ちで睦月を見た。
「恨みや憎しみに捉われていると、自分が物凄く醜くなっているように思えてしまう。こんなことで苦しむのも、皆あなたのせいだ」
そう言う咲ではあるが、口調は言葉ほど責めているトーンではない。
「ごめん……」
「何を謝ってるの。謝らないで。全く……あなたがもっとどうしょうもない、極悪人の殺人鬼だったら、よかったのにな……」
あるいは、謝ってしるのも上辺だけで、本当は罪悪感など持っていない人間であれば良かったと、咲は思う。そうすれば、本気で恨んでいられる。憎んでいられる。
「憎しみを抱いても疲れる。憎みきれなくても疲れる。憎しみに染まった方が疲れないの? 憎しみに染まっていたあなたの意見がほしい」
「俺が憎んでいたんじゃない。沙耶の憎しみだよ」
そう答える睦月だが、その憎悪に共鳴したうえでの殺人であったので、真実が何であるかは理解している。
(憎んでいるのも疲れるよ。でも、その憎しみを喜びの一つとして受けとっている部分もどこかにあった)
それが睦月の正直な気持ちであったが、咲の前で伝えるのは躊躇われたし、今はもうかつての憎悪に浸っていた八つ裂き魔に戻りたいとも思わない。
「俺についてくる理由はその迷いが捨てきれないから? 俺をまだ殺したいから?」
「そう」
睦月の問いに、咲は即座に頷いた。
「睦月よりも、睦月を意図的に殺人鬼として作り上げた人が、悪いってこともわかっている。でもさ、殺したのはやっぱり貴女だよ。私の考えや気持ちが正しいのか間違ってるのかわからないけど、私はその事実から目が離せない」
咲が睦月の肩によりかかる。
「ねえ……何とかしてよ。苦しいよ」
呻くように言う咲の体を、睦月はそっと支える。
「俺の体も男だったらねえ。ここでエロいことして解決っていう流れなんだろうけど」
「何でそれで解決になるのかわかんないけど、私もそれで解決する気がする」
睦月の言葉に、咲は小さく笑った。
***
真は三十分置きくらいに、ホテルの入り口を出たり入ったりして、様子を伺っていた。
すでに時刻は夜十一時にさしかかろうとしているが、復讐者達が現れる気配は無い。
(あてが外れたかな……あるいは張り込むにしても、朝のチェックアウトを狙うか。しかしそれなら夜から様子を見にきても良さそうだが。いっそ睦月を囮に出入りさせるかな)
まだ起きているだろうかと思いつつ、睦月にメールを送る真。
メールを送り、ホテルの中に入ろうとした真だが、その足を止めて振り返る。明らかに闘気が迸っているのを感じ取ったのだ。
ホテルの前に現れたのは、彫りの深い顔の茶髪の青年二人組みだった。二人共、同じ顔をしている。同じデザインのジャージを着ているが、片方は青、もう片方は赤のジャージだった。
その二人の顔も名前も、真は知っていた。
「裏通りの息がかかったホテルだって聞いた。この中じゃ戦うのは御法度だとな。もし破れば裏通りのそのものを敵に回すと」
双子と思われる内の一人が、真に声をかける。
「表通りの羊が、僕を狙うとは恐れ入る」
「裏通りの者は皆そうやって、真っ当な社会人を見下しているのか? 一応裏通りのこともいろいろ予習してきたが、そんな話は聞いてなかった」
真の言葉に対し、もう一人が真顔で言い返してくる。
「君が八つ裂き魔の仲間で、腕の立つ奴だってことだけわかれば十分だ。そいつが単独行動してくれたのもな」
赤いジャージの男が進み出る。
「ジャン・野々田だ」
「俺はニコラ」
「わざわざ名乗った方が格好いいから名乗るようにと、裏通り初心者用マニュアルに書いてあったのか?」
名乗りをあげる二人に、真はさらに挑発する。
「俺らの名を知らない、か」
青いジャージのニコラが息を吐く。少しがっかりしたような感じであった。
「いや、知ってる。最近売り出し中のプロレスラーと格闘家の双子だろ。ニコラ・野々田の方は、試合も何度も見てるよ」
「おお、嬉しいね」
ニコラがにんまりと笑う。
「お、俺の試合は?」
自分に指を指して尋ねるジャン。
「無い」
真の答えに、がっくりとうなだれるジャン。
「でも名前は知ってたからいいだろ。それより人を殺したことがあるのか?」
観て楽しむ限りで言えば、プロレス以外の格闘技はあまり興味の無い真であったが、プロレスが総合格闘技と絡む事もあるので、自然とそちらの方の造詣も深くなってくる。
「あるわけがないが、覚悟は決めてきた。殺す覚悟も、死ぬ覚悟も。できれば八つ裂き魔以外は手にかけたくないけど、お前も引かないだろう? 他の復讐者もすでに何人も退けているって話を聞いた」
と、赤ジャージのジャン。
「俺達ももう普通の人間じゃない。妹を殺された恨みは晴らすために、怪しい人体実験を受けて、普通じゃなくなっちまった」
「あいつがいたからこそ、俺達はここまで這い上がれてきたんだ。あいつの仇を取るためなら――」
「くだらない復讐に人生投げ打った言い訳はいいよ」
双子の話を遮る真。
ジャンもニコラも表情は変えていないが、すぐに襲い掛かってこない辺り、まだ覚悟が決まりきっていないことと、できれば無益な殺し合いを回避したいのだろうと、真は見てとる。
ついでに言うと、見た目は自分がずっと年下に見えるので、躊躇しているようにも感じられた。
(その辺の感覚が、未だ表通りのそれでしか無いと言えるな)
頭の中で溜息をつく真。
「お前こそ死ぬ覚悟はできてるか? 俺達は八つ裂き魔だけじゃなくて、邪魔する奴も殺す覚悟は決めてきたし、裏通りに足を突っこむ時点で、死ぬ覚悟も決めてあるぞ」
今まで淡々と喋っていたが、突然凄みを利かせて睨んでくるニコラ。この辺も、できれば戦いを回避したい気持ちの表れだと見つつも、真はそれに付き合ってやる。
「無いよ、そんな役に立たないもの」
何度口にしたかわからない台詞を、真はまた口にした。
「僕は絶対に生き延びるからな」
嘯くものの、真は相手を軽んじて見る事はしないし、緊張感を失うこともない。常に危機感はまとわりつかせている。それらは以前にも増している。
二度の敗北のおかげだろうと自己分析する。
敗北から学べることは大きく、多い。真もそれは認めている。最近で言えば、李磊に敗れ、バイパーに負けた。そこから得られるものは果てしなかった。成長の礎となった。
李磊との戦いの敗北は、学ぶものこそ多かったが、いまいち悔しいとは感じられなかった。相手がかつての戦友であり、自分に様々なことを教授してくれた人物であったからという理由もある。
バイパーに完膚なきまでの敗北を喫したのは、久々に敗北の苦さというものを嫌と言うほど味わった。それでなくとも負けず嫌いの真のプライドは激しく傷つき、その反動で、真の向上心と闘志に激しく火をつけた。思い出す度に、心が焼き焦げそうになる。
焼けて溶けてドロドロになった鉄のイメージ。この溶けた鉄の中から、どんな熱にも溶けない鉄を鍛え上げて、新たな自分として再生して生み出したい。そんなことを思っている。二度と敗れぬように。二度とこんな苦い想いをしないように。
しかし何より重要なのは生きている事だ。それは真もわかっている。この世界で敗北してなお生き延びる事ができるなど、途轍もない幸運である。自分を殺すことなく敗北の苦さを教授してくれたバイパーには、密かに感謝もしている。
(言い換えれば、死以外は敗北ではない。ようするに、死ぬ覚悟っていう言い方が気に入らないんだろうな、僕も、サイモンも、あの馬鹿も。言い換えれば、死に至るラインが見えるかどうかって所だ)
真は常にその線を見ながら、内側にいる事を意識している。外に出れば全てが終わる。終わらせないために内側にいる。
闘志も危機感も忘れずにありながら、一方でそんな余計なことを考えて冷静に自己分析するだけの余裕もあった。逆に言えば、その程度の相手であると、対峙して察してしまった。油断していたら足元をすくわれる事は理解している。油断はできないが、格下の敵を過大評価する事も無いし、必要以上の緊張状態になる事も無い。
(こいつらは……覚悟とか言ってるけど、軽々しい。死を積み重ね、強敵と合間見えて、何度も死の際までいった僕でも、そんな言葉は容易く口にできないのに。それは言葉に出すものではないし、わざわざ意識して気持ちを昂ぶらせるためのものでもない。常に自然と備わっているものだ)
口の中で呟くと、真は静かな怒りと共に殺気を解き放った。裏通りの強者すらひるませる強烈な殺気をあてられ、ジャンとニコラの顔色が変わる。
(線のこっち側に来るつもりなら、そのまま――覚悟した場所へ送ってやる)
声に出さず、殺気でもって告げる。
己の死など意識しない。殺す意志だけで戦いに臨むのが、真の常だ。
「俺が行く」
恐怖を押し殺し、ニコラが前に進み出る。
「二人で来いよ。遠慮する必要は無い。殺し合いなんだ」
真が警告したが、ニコラはかぶりを振った。
「それでも二体一なんて卑怯な真似はできないんだよ。俺達二人は」
ここで初めてニコラが笑ってみせる。
「馬鹿馬鹿しい。でも、そういう馬鹿は嫌いじゃない」
吐き捨てるも、フォローと敬意のニュアンスも込めて真は付け加え、懐に手を入れた。




