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姉と打ち解けても、叔母との確執が無くなって家族として笑いあえるようになっても、咲は自分の記憶が無いことをずっと気に病んでいた。
「転生で記憶は失くしちゃうけど、前世の記憶なんて思い出したいとは思わないでしょ? 私としては咲の中から昔の思い出が消えたことは寂しいと思うけど、咲は気に病まなくていいんじゃないかな?」
姉の華にはそんなことを言われたが、納得できない。
「何か思い出すかもしれないし、昔よく行った塵大植物公園に行ってみよう」
休日にそう言われ、咲は華に連れられて植物公園に向かった。
林の中を歩く。華曰く、ここで森林浴をしながら家族で昼食を取ったという。
その時初めて、咲は記憶を失う前の自分を感じ取った気がした。記憶に無いのに、懐かしく思える場所。初めて来たとは思えない風景の数々。
ここなら記憶が蘇るかもしれない。そんな気分になり、必死に自分の中の失われた記憶を呼び起こそうと、咲は懐かしさを覚える風景を頼りに、懸命に記憶を呼び起こそうとする。
「あー、そうだ。昔ここで、咲がおしっこ漏らしてわんわん泣いてさー」
記憶を呼び起こそうとしていた咲であったが、華のこの一言で中止した。
あの植物園にもう一度行ってみたいと、咲は思う。本当なら姉と一緒に行きたいが、それはかなわぬ願いだ。
しかし華の代わりに連れていきたいと思っている者がいる。彼女と一緒にいると、常に華を意識する。代わりとしてはうってつけだ。
***
安楽警察署にて、真、睦月、亜希子、咲、犬飼の五人は事情聴取を受けていた。
事情聴取は黒斗が担当し、話したのは真だ。他の四人は取調室の外で待機している。毅は行動不能の状態なので、彼を改造したマッドサイエンティスト霧崎剣の元へと送られた。
聴取の途中に、真の顔馴染みの刑事がもう一人やってきた。裏通り課の重鎮、梅津光器である。
「ずーっと行方知れずだったタブーの睦月が、目の前にいやがるんだがよ。まさかあれまで見逃す気か?」
黒斗の方を見て、梅津が不快さを露わにした顔で問う。
「見逃すが何か?」
済ました顔で梅津を見上げる黒斗。
「あいつがどれだけ表通りの人間を殺したか、知ったうえでか?」
「本当にあいつが殺したのかな? 俺には何かの間違いじゃないかとすら思えるんだ、これが」
黒斗は睦月を初めて見たが、あれが惨たらしい連続殺人を起こした八つ裂き魔だと、信じられなかった。毒気も無く、狂気も感じられない。人相も悪くない。黒斗はこれまで、途轍もなくゲスな輩や、狂った殺人鬼等を大量に見てきたが、それらと照らし合わせて、全く別の人種のように映った。
少し怯えているような目で黒斗のことを見返していたし、睦月が八つ裂き魔であることは確かなのであろうが、悪人にも狂人にも見えない。
「お前の目で見て悪人には見えないから、見逃せとか……まあ、いつもの事だがな」
諦めたように梅津は顔を押さえる。
「それにこいつが一緒に行動し、守っていることを考えてもな。今となっては危険なのは、睦月に復讐しようとしている連中の方だ。無関係な人間も洗脳して巻き込んで、特攻自爆するなんてやり方する奴まで出てきているし」
「その洗脳を説く前に、お前さんは皆殺しにしちまったそうだな」
報告する黒斗であったが、梅津もその話をすでに知っていて、苦笑いを浮かべながら言った。
「裏で糸を引いている奴も、警察の介入を知っただろうし、もう無茶はしないんじゃないか?」
と、真。
「無茶苦茶しない根拠としては希薄だぞ。そもそも無茶苦茶すれば警察も介入してくると、そこまで考えなかったような奴なんじゃないのか? その裏で手引きしているって奴はよ」
真を間近で見下ろして、梅津が言った。
「鯖島とかいう奴と、同じような真似をするイカれた奴が、そんなにいるわけでもないだろう。それとも警察が睦月を四六時中ガードしてくれるのか? 襲撃されたらさっきみたいに、すぐに助っ人にきてくれるのか?」
「あの時はたまたま近場に俺がいたからであって、俺もそんなに暇じゃない。もちろん他の警察官もね。うちらに厄介かけるような暴れ方はできるだけやめろよ。はい、帰ってよし」
真の問いに、黒斗は小さく息を吐いて答えると、真を解放した。
「あいつは見た目こそ可愛いが――つくづく殺戮の嵐の中でしか生きられない性質なんだな。血と死の臭いを嗅ぎ付けると、その中へと飛び込んでいっちまう」
真が取調室から出た所で、梅津が煙草に火をつけて言う。
「何千人――いや、何万人に一人かは、そういう奴も生まれてきちまう。人間の中の突然変異だ。平和な社会に生まれたはずなのに、平穏な生活が送れない。俺の価値観からすると、不幸としか思えないが……いつまで続けるつもりだ? 死体になるまでか?」
「あいつは自分を不幸だなんて、露ほども思ってないよ。それに、自分が死体になるとも考えていない」
露骨に煙たそうに煙を払ってみせながら、梅津の言葉を継ぐように、黒斗は言う。
黒斗の仕草を見て、梅津は顔をしかめると、黒斗の顔の前に向かって、輪っかなど作って煙を吐き出して嫌がらせをしてみせた。
***
睦月が八つ裂き魔だということがわかっていながら、警察が無罪放免で解放したという事実が、咲には信じられなかった。
「芦屋の胸先三寸でタブーも見逃されるって話は、聞いたことがあったけどねえ。どういう判断で見逃してくれたのやら」
当の睦月も不思議がっている。
「進行形で殺していたら、逮捕どころかその場で殺されていたぞ。芦屋が見逃してくれたのは、今のお前がそうでは無いという事と、あいつも言っていたように、一緒に行動している僕が、芦屋に信用されているからだ」
警察署を出た所で、真が睦月に対して言う。睦月が立ち止まり、それに合わせて他の五人も警察津署の前で立ち止まった。
「改心していればどんな極悪人も裁きにかけずに見逃すなんて、警察まで狂ってるわけか……」
咲がダークな声音で呟く。
「咲はそっちの価値観だからそう思うんだろうな。こっちの価値観は違う。芦屋黒斗の価値観も、こっち側なんだろう」
犬飼がにやにや笑いながら言った。犬飼自身は裏通りと表通りを行ったり来たりのポジションだが、どちらかと問われれば裏通りの価値観の持ち主だ。
(過去に連続殺人していようが、使えそうな奴だから生かしておく。ある程度好意や親近感を抱いたから生かしておく。それだけの単純な話なんだけど、表通りの住人の倫理観は、大きく違うものなんだな。僕にはもうそっちの方が理解できない)
咲を意識して真は思う。
「じゃあ、死んだ人の尊厳や命は、どうでもいいんだ? 殺されたから悪いで、それでおしまい? 死に損であり、殺され損?」
さらにダークな声で、今度ははっきりと喋る咲。
それを聞いて、真は純子とみどりの会話を思い出す。死刑制度は賛成しておきながら、凶悪殺人鬼だろうと、親しい者なら許す。関係無い奴なら社会正義のために死刑にしておけという、そんなことを平然と口にしていた。
(別にあいつらだけが特別なんじゃない。倫理より目先の感情に忠実な裏通りの住人は、大抵あんなもんだ)
無論、自分も例外ではないと、真は認めている。
「そんなことないよっ」
声をあげたのは睦月だった。
「俺は見逃してもらおうなんて思ってない。ただ……」
「別に睦月を責めてるんじゃなくて、裏通りの住人やそれに携わる警察が異常だって、私は言いたいんだ」
睦月の言葉を遮り、咲は少し冷静さを取り戻した口調で言う。
「睦月がどうしておかしくなったのか聞いているから、私の睦月に対する気持ちも複雑だよ。一番許せないのは、睦月を育てた人だ。こちらも改心したら許せるかと問われれば、絶対そんなことはない。どんな人物かも知らないけど」
咲の意識は、睦月よりもそちらの人物に向けられていた。
意図的に世界に恨みを抱かせるよう育てるなど、相当な悪意をもっていないとできない。そしてそんなおぞましい所業ができる者でさえ、裏通りの価値観に照らし合わせると、場合によっては許せてしまうことになる。
「許すか許さないかなんて、個人で勝手に決めればいいことだ。そして振舞えばいい」
真がいつも異常に冷ややかな声で語る。
「社会的通念でこうでなければならないとか、そんな押し付けは表通りだけで勝手にやればいい。僕にはそっちの方が狂って見えるけどな」
「絶対に分かり合えない間柄ってわけか」
真の話を聞いて、咲はせせら笑う。
その時、殺気を感じ取り、咲と犬飼を除く三人が警戒する。
犬飼も気がついていたが、戦闘要員三名が何とかしてくれるだろうと思い、また呑気に見学モードに徹しようと、真、睦月、亜希子の三名から少し距離を取り、咲に手招きをする。
(いや、いつも見学だけでも悪いし、俺もたまには活躍しちゃおう)
不意にそう思い立つ犬飼。
「あはっ、ここ警察の前だよ? こんなとこでおっぱじめるつもりなの?」
単身で現れた中年の復讐者に向かって、睦月がからかうような口ぶりで声をかけた。




