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木村紺太郎はかつて裏通りのしがない組織に所属する、下っ端構成員だった。
所属していたのは、カテゴリー的には快楽提供組織。売春専門の組織であり、組織は構成員も規模も小さい弱小組織であり、しかも売春婦を薬や暴力で縛るようなあくどい鎬を行っていたため、紺太郎が所属してから一年後には、警察に御用となり組織はあっさりと壊滅した。
紺太郎は未成年かつ初犯であったがため、半年ほどの臭い飯で釈放となったが、一度手を染めた悪事と商いは、そのまま紺太郎の中に刷り込まれていたため、組織には属さずただのチンピラとして、家出した女子高生をたぶらかし、違法ドラッグで縛って、売春を強要して生活費を得るという生活を送るようになる。
世の中には馬鹿な女がいることを紺太郎は知っていた。自分のような最低の暴力男に惚れてしまい、依存してしまうような女。紺太郎はそうした女を利用して、使い捨てていく手法を覚えてしまったので、深くは考えず同じ事を続けたつもりだった。
しかし出所後、フリーのチンピラとなってから支配していたその少女は、組織にいた頃に利用していた他の女とは、違う意識が芽生えてしまった。
きっかけは彼女の不幸な身の上を聞いてしまったこと。そして自分と重ねてしまったこと。
よくある話。家庭は冷え切っていて居場所にならず、学校でもいじめられていた。同級生に男子に輪姦され、撮影されて脅迫のネタとして売春をさせられ、さらには彼等の性欲処理道具として使われていた。彼女にとっては、その相手が同級生から自分に変わった程度の話である。
しかしそれでも彼女の生活はマシになったという。紺太郎のことを話すと、同級生は自分に近づかなくなった。家に帰ることもなく、紺太郎の家に居つくようになったが、家族にも紺太郎の事を話すと、帰ってこなくていいと言われたので、それで救われたと。
暴力で縛る相手が変わっただけだというのに、彼女はそれで幸福になれたらしい。ちゃんと惚れさせたうえで支配するという、女を食い物にしているチンピラの常套手段であろうと、彼女にとってそれは、幸福の到来であったらしい。
紺太郎の中で、彼女への見方も変わり、やがて暴力も振るわなくなり、売春もやめさせた。紺太郎のろくでもない出生の話もした。
いつしか二人は、互いに夢中で貪りあって交わるようになった。紺太郎も真剣に彼女を愛していた。
「私、今、幸せを感じている」
ある夜、月明かりに照らされた彼女が、涙をにじませて笑いながらそう言っていたのが、紺太郎には忘れられない。
そんな彼女が、無残な死体となって、道に転がっているのを目の当たりにし、紺太郎は声をあげて泣き喚いた。
彼女が死んで数日後になって、ようやく紺太郎の中で怒りが芽生えた。運命に対する怒り。犯人に対する怒り。
元々裏通りの住人であったため、犯人が何者かはすぐにわかった。殺し屋組織『掃き溜めバカンス』に所属する殺し屋――睦月。自分にはどうあってもかなわない相手だと、すぐに理解する。
しかし理解しても諦めたわけではない。己の手で復讐するために、戦闘者として自分を鍛えあげることにした紺太郎は、海外の殺し屋育成機関へと入る。
しばらくの訓練の後、適正無しと判断されて追い返され、最早自爆して道連れぐらいしか手が無いと考えながら帰国した時、掃き溜めバカンスは壊滅し、睦月はタブー指定された後、行方不明になっていた。
裏通りにおける情報組織――オーマイレイプの高額コース以外の全てを使ったが、睦月の行方は知れなかった。振り上げた拳を降ろせない状態のまま、月日だけが流れていく。
その間も紺太郎は己の牙を磨く努力を怠らなかったが、殺し屋育成機関で見込みが無いと言われた事を意識すると、無駄な努力のように思えてならない。
そんなある日、とうとう復讐の女神が紺太郎に微笑んだ。
睦月の存在を教え、紺太郎が思ってもみなかった手段で、力を得る方法まで教授してくれた。
「二度も失敗しましたの?」
その復讐の女神たる白ずくめの女――雨岸百合は、蔑みの視線と言葉を紺太郎へと注ぐ。百合の両脇には、零と白金太郎が側近よろしくそれぞれいる。
紺太郎と塩田は敗北の報告と、さらなる助力を請うために百合の屋敷を訪れた。いつも家の中にも上がらせてもらうことなく、話は庭か門の前で行われる。
「邪魔さえ入らなければ……。あの向井を素手で殺すなんて」
塩田が弁解するように言う。一方紺太郎は、無言で百合を睨み返している。
「他の刺客がすでに準備を整え、向かうようですわよ。彼は中々の逸材故、貴方方の出番は無くなりかねませんわね」
「あと何人いるんだ? 復讐者は」
無言だった紺太郎が口を開く。
「貴方方を除けば、あと四人。いえ……五人かしら? 一人はあまりやる気が感じられませんしね」
その一人とは、咲のことである。
「当初の予定通り、俺がこいつらについていこう。身の程を知っただろうし、今度は反対もすまい」
零が言った。零の台詞にはムカッ腹が立ったが、彼の言うとおり、最早紺太郎も反対する気にはなれない。
「ただし、相沢真は俺の獲物だ。邪魔をしたら敵が一人増えると思え」
居丈高な零の物言いに、ますますムカッ腹が立つ紺太郎。しかし無言で堪える。
(これで実は大した事の無い奴とかいうギャグだけは勘弁してくれよな)
声に出さず毒づく紺太郎。
最初につっぱねたりせず、手段を選ばず殺しにかかっていれば、それで復讐を達成できたかもしれないと思うと、自分の落ち度でしかないのはわかっているが、それにしても腹立たしい。
(俺の時間も限られているし、まごついてはいられねえ。今度は念入りに、たっぷりと準備してかからねえと)
自分の体液を混ぜた液体を酸にする力を、フルに活かせる方法は無いかを模索する。方法を思いついても、その準備には時間がかかる。まぜた体液に応じた範囲しか酸にはできないからだ。
「睦月の回復手段も断たないといけない。近くに木や人や動物のいない場所に誘き寄せたい」
「それなら私が良さそうな場所を見繕ってさしあげますわ」
零に向かって言う紺太郎だが、答えたのは百合の方だった。
「他の復讐者達と協力はいかんのかね」
塩田が言う。
「全員ひとまとめにかかるというのはNGでしてよ。いくらなんでも露骨に戦力差があれば、睦月達も応戦せず逃げますわ」
じゃあ逃げられないような罠をしかけたうえで、ふるぼっこにすればいいとも考えたが、百合は方針を変えないだろうとも判断し、紺太郎は何も言わずにいた。塩田もそれ以上は何も言わない。
(こいつもただ俺達を利用しているだけ。俺達も利用しているだけ。しかしイニシアティヴはこいつの方に有るから、どうしょうもねえ)
単純な力関係で百合が勝っていることくらい、紺太郎にも判別がつく。気に入らなくはあるが、目的を遂げるまでは従うしかない。
***
紺太郎と塩田が去り、零も屋敷内の与えられた部屋へと引っ込み、百合は白金太郎とリビングで茶を飲んでいた。
「そもそもあの子は名前がよろしくなくてよ。あんなセンスの無い名前を親につけられたら、粗暴で浅はかな凡夫に育つのも無理もありませんことよ」
「名前?」
いつもながら脈絡無く話し出す百合に、誰のことを言っているのかわからない白金太郎。
「木村紺太郎のことですわ。紺太郎だなんて、太郎という名前におかしな色をつけるというネーミングセンスの無さ。あのような名をつける愚かしい親元で育てば、ろくな子に育つわけがありませんことよ」
百合が罵りの言葉を口にした直後、がしゃんと派手な音がたつ。カップに茶を注いでいた最中の白金太郎が、ティーポットをカップの上に落として割っていた。
「え……?」
百合が訝りながら見ると、白金太郎がショックを受けた顔で百合の方を見て、ぷるぶると震えている。
「ううう……うっうっ……ひぐっ……」
そのうえ涙を溢れさせ、嗚咽を漏らし始めている。
「え……? あ、あの……」
こんな白金太郎を見るのは百合も初めてであった。今までこの少年が、このように本気の本気でガチ泣きした場面は見たことがない。
「べ、別に貴方の事を悪く言ったのではありませんのよ。貴方は金属でしょう? 色ではありませんわ。私は桃太郎より金太郎の方が好みですしね。ええ」
自分でも意味不明だと思うフォローを口にする百合であったが、白金太郎はそれで十分だったようで、ほっとした顔で涙をぬぐう。
(気にしていたのかしら? それとも気に入っていたのでしょうか? いずれにしても鋼鉄の神経を持つと思われたこの子でも、柔らかい部分はありますのね。名前程度で泣く神経は、理解しがたいですが)
いつも白金太郎をいたぶって遊んでいるドSの百合ではあるが、一応は自分の側近中の側近と呼べる相手が、本気で傷ついて泣くような行為にまで及び、それを突きまわしては、信頼破壊になりかねないので控えておく。
「そういえば、他の復讐者メンツって、今どうしているのでしょう?」
気を取り直して、白金太郎が質問する。
「残り四人のうち三人は、単純に準備が整っていないようですわね。しかし残り一人は、そろそろ準備がよろしいようでしてよ」
と、百合。
「やる気の無さそうな咲はともかくとして、準備の整う彼――鯖島さんが復讐者の中で最も見込みが高いのは、疑いようがありませんわね」
「ああ、あの人ですか」
白金太郎もその鯖島という男とは面識があった。塩田同様、娘を殺された父親であるが、その復讐心と狂気は、復讐者の中でも群を抜いているよう、百合と白金太郎の目には見受けられた。
「鯖島さんは私と最も多く、そして綿密に打ち合わせをしましたわね。最も復讐に積極的な方でもありますわ。ありがちとはいえ非常におぞましいあの能力を用いて、念入りな準備をなさっている御様子ですしね」
話題に挙げている鯖島がどこまで奮闘するか、百合は最も楽しみにしている。
「あとは双子――野々田兄弟も中々のものですが。仕事の都合で遅れているようですわね。休日にならないと復讐しないとは、実にやる気の無い復讐ですこと」
そう言って百合は鼻で笑い、ティーカップを口につけた。




