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雪岡研究所、第十三実験室。最も頻繁に使われる実験室の一つで、主に人体改造のための機材が設置されている。
正午。現在この部屋にいるのは三名。研究所の主たる雪岡純子と、寝台に寝かされた本日実験台志願に訪れた男、それに植木鉢に首から上だけが埋まっている男。
植木鉢に埋まっている男の名は、赤木毅と言う。かつては安楽市の裏通りでも最大の卸売り組織『日戯威』の頭目であったが、純子と懇意にしている組織を陥れ、組織の吸収と純子とのコネクションを築こうとしたが失敗し、その結果、純子の敵対者と認識され、実験台にされてしまった人物である。
実験台にされたと言っても、最初は人間時計にされ、次に生首植木鉢にされて、研究所内のインテリア扱いにされているだけだ。動くことままならない日々は毅にとって苦痛であったが、ネットは覗けるようにしてもらったし、ゲームの類も多少はできるので、退屈という事もない。
以前はもう一人の生首鉢植え少女せつなと共にリビングに置かれていたし、話し相手にもなっていたが、最近は離れ離れにされて様々な部屋を転々としている二人であった。
現在毅は、目の前で行われている人体改造をただ眺めていた。角刈りヘアーで額に傷のあるたらこ唇の二十歳前後の男だ。全身麻酔をかけられる前、その瞳には憎悪がこもっていた。復讐目的の改造なのだろうと毅は判断した。
「戦闘用強化ですかね?」
「うん、そうだよー」
毅の問いに、植物とも内臓ともつかぬ奇妙なものを寝台の男の腹の中に詰め込みながら、純子は答えた。
「俺も戦闘用の改造してほしいなあ。いい加減動きたい」
「反省したらねー」
「いや、もう反省はしてますが……」
純子の言葉に、毅は渋面になる。
「反省ではなく後悔してるだけなんじゃない?」
「後悔はしてませんねー。俺なりに精一杯やれるだけのことをやったんだし。それに今はもう正直肩の荷が下りた気分だよ」
毅のその言葉に嘘は無かった。一見無為とも思われる植木鉢生活を過ごしながら、自分を見つめなおす時間はたっぷりあった。
「親父から受け継いだものっていう意識や、ボンクラな二代目として見られないようにっていう強迫観念で、すげーストレスな毎日だったしよ。言ってもこの気持ち、わかんないだろうなあ。俺が作ったわけでもないあの組織を、そっくりそのまま引き継ぐのは、嫌で嫌で仕方なかった。情けなくてたまらなかったんですよ」
「普通の人ならラッキーとか思いそうなもんだけどねー」
「プライドの無い屑ならそうだろうなー。金も権力も手に入ったし。でも俺が築いたもんじゃねー。親父の遺言もあったし、組織をより発展させるのも親孝行にはなるし、俺の人としての力の証明にもなるかと思ったんだが……。まあ、失ってすっきりしたさ」
憑き物が落ちたような顔で語る毅を見て、純子は口元に手を当てる。
(お、考えてる、考えてる。これで少しは扱いがよくなるかな?)
その純子の様子を見てほくそ笑む毅。
その時、扉が開いて、真とみどりの二人が部屋の中に入ってくる。
「そろそろ行く時間だぞ。まだかかるのか?」
今日の昼食は外食しようという予定であったのに、いつまで経っても純子が姿を現さないので、呼びにきた二人であった。
「すまんこ。ちょっと長引いちゃってさー。でもあとはこれを詰めて、拒絶反応が出ないかどうか見るだけだから」
「何ソレ?」
切開した男の腹の中に詰めているものを見て、みどりは眉をひそめた。何となくであるが、途轍もなく嫌な印象があった。
「アルラウネ――のリコピーだね」
純子が答える。
「ああ、純姉がよく実験台に移植しているっていうあれね」
アルラウネの名はみどりも聞いたことがある。
表通りでは都市伝説的にしか伝えられていないが、十年前、東京湾に現れた全長120メートルの大怪獣植物もアルラウネと呼ばれていた。『三狂』も含め、世界中のマッドサイエンティスト達が嬉々として、これの討伐にあたったという話だ。
さらに年数を遡れば、米中大戦が始まって日中国交が断絶する前に、日本と中国が合同で、地球外生命体を研究していたという噂がある。その研究対象のコードネームもアルラウネであった。
「体内に取り込まれた人間の思いのままに進化を促すんだっけ?」
「私が所持しているのはコピーと、そこから培養したリコピーばかりだけどねえ」
「オリジナルはあるわけ?」
みどりの問いに、純子は微苦笑をこぼす。
「どこかで生存しているとは思うよ? でも所在は不明。大戦が始まるよりも前にあの研究は頓挫していたんだよ。オリジナルが何者かによって持ち出された事でね。それを皮切りに、あの研究チームにいた技術者が一斉に、アルラウネのコピーを持ち出して逃げだしちゃってさあ。私もその一人だけど」
「何でそんなことになったんですかね?」
毅が尋ねる。
「そりゃあ合同研究が強制的に中断される事を予期したからだよ。それならアルラウネを取り上げられて追い出される前に、自分で勝手にやろうって思って、皆アルラウネのコピーを持って逃げ出す。当然の流れだよねー」
「ネトゲの中では取り逃げや即抜けなんてしないし、見返りも求めず手伝いもこなすし、目的アイテムが取れるまで他のPTメンバーにも最後まで付き合う紳士なのに、リアルの方はひどいもんだな。どうやったらそんな二重人格になるんだ?」
「あははは……」
真の突っ込みに、純子は頬をかきながら乾いた笑い声を漏らしていた。
「リコピーってことはオリジナルよりは性能悪いんだよね?」
みどりが尋ねる。
「うん。オリジナルからコピーを培養することはできるけど、コピーから培養できるのはさらに質の下がったリコピーだからね。私はアルラウネのコピーをクローン培養して、劣化したリコピーではなく、コピーと変わらないものを作れるけど、これは結構手間なうえに、拒絶反応も激しいんだよね。以前は性能面重視してコピーを移植していたけど、最近は移植するにしても拒絶反応がほとんど無いリコピーかな」
「で、それを移植するとどうなるのです?」
今まで何度も改造風景を見てきた毅だが、アルラウネの移植の意味そのものは知らなかったので、質問してみる。
「移植された当人の望みに合わせた進化が促されるんだよ。ま、最近はアルラウネの研究には、行き詰まりを感じているんだけどねえ。私の考え方も変わってきているし。できればアルラウネの力なんて借りなくても、人間が自由に進化して力を得ることができるようになるのが、理想だよねえ。で、アルラウネを用いた実験から、その方法を導き出せないかと模索している所なんだ」
「オリジナルもそんなグロいものなのか?」
真が問う。
「いいや、植物と人間が混ざった感じだったよ。自我もあったし、会話もしたよ? 本当宇宙人みたいな感じ。彼女も自ら進んで研究材料になってくれたしね。グロいのは移植しやすいように器官だけ部分的に取り出したからだよ。このアルラウネのコピーやリコピーには知能も魂も無い、ただの器官だよ。そうでないと私は実験台に使わないし」
人間以外の生物は実験台にしてその命を奪わないというのが、純子のポリシーである。
「自分から実験台志願て、そりゃまた何で?」
「曖昧な答えだったよ。命の探求のためって言ってた。それ以上は語ろうとしなかったしねえ」
みどりの問いに、軽く肩をすくめて純子は答えた。
「コピーの中にも稀に自我を持っていた子がいたけどねえ。それもほとんど持ち出されちゃった。さて、いっちょあがり、と。拒絶反応も無さそうだねえ」
お喋りしながらも、切開した腹部の縫合をしていた純子である。
胸ポケットの中で振動を感じ取り、みどりはポケットから携帯電話を取り出すと、ミニサイズでディスプレイを投影して、相手を確認する。
(犬飼さんか。何の用だろ)
電話の相手はみどりの父親の友人であり、薄幸のメガロドンにいた時には、幼い頃から頻繁に顔を合わせていた教団幹部、犬飼であった。
「へーい、久しぶり~。どったの?」
『久しぶりだな。えっとね、雪岡純子と接触したいんだ。訊きたいことがあってね。お前の口から頼んでくれないかなあ』
「どんな用よ」
『俺は今、八つ裂き魔っていう連続殺人鬼を追っている。知ってるだろ? その八つ裂き魔に殺された者の遺族達に、雪岡研究所に行って力を手に入れて復讐しろと、促している奴がいるらしいんだ。で、雪岡純子とも会ってその件で話を伺ってみたいと思ってさ』
犬飼の話を聞いて、みどりは難しい顔になる。一応純子とて守秘義務を守りそうであるし、改造した人間のことを、全く知らない人物に教えるとは思えない。
「一応、話はしてみるわ。でも期待しないでねえ」
『頼む』
電話を一旦切り、みどりは出かけようと仕度にかかる純子を呼びとめ、今の電話の話と、犬飼一という人物に関して話した。
「いいよ。明後日の午後なら空いてるから。その時でも」
「ありがと。伝えとくわ」
純子から了承が出たので、みどりは再び携帯電話を取り出し、メールを打つ。
「睦月を狙っている者の改造? しかもそれを煽ってここに来るように仕向けている者がいるって、お前はそれを知っていたのか?」
寝台のたらこ唇の男と純子を交互に見やり、真が問う。
「んー、全然知らなかったよー」
「知ってたんだな。お前は睦月を殺したいわけか。いや、まだ実験台にするのを諦めてないのか?」
屈託の無い笑顔で即答する純子に、真は少しキツめの口調になってさらに問い詰める。
「んー、殺そうなんて気はないけど、いい勝負はできるようにするつもりではいるよ? アルラウネの移植だけではなく、超常の力の付与とかもね」
「睦月を殺そうと仕向けている相手は、お前の知り合いか? そしてわざわざ復讐者を集めてそんな指示を出しているってことは、そいつは睦月の居場所も把握しているって事だな。そうでなければ、わざわざ復讐者達を集めもしない」
「私も同感だねえ。ま、真君が動くのを止めはしないけど、真君は睦月ちゃんを助けたいのかな? 睦月ちゃんは真君を恨んでいるんじゃない?」
楽しそうに言う純子に、真はからかわれているような気分になる。
「皆で飯を食いに行く前に、僕の神経逆撫でして嫌な空気作りたいのか?」
「……すまんこ」
真の思わぬ反撃に、純子は笑みを消して申し訳無さそうに謝った。




