24
ネナベオージとマキヒメも、真達とは別のエリアにて、巨大兎を追い回して延々と叩いていた。
「つまらねーぞ!」
「いつまで叩いてりゃいいんだ?」
「散々煽っておいてこの糞イベントとかもうね……」
「五年経っても安定の斜め下バ開発」
近くで参加しているプレイヤー達が口々に文句を垂れている。
「皆、不満みたいね。無理もないけど」
PT会話設定にして、PTを組んでいるネナベオージと自分だけに音声が聞こえるようにしたうえで、マキヒメが言った。
「今新たな情報が入った。どういう法則かは不明だが、兎を叩いていると、コカトリスや巨大蛙が稀に沸く事があるそうだ。そちらはダメージキャップが無いらしい」
兎を叩きつつ、眼前に出したディスプレイを覗き込み、ネナベオージが告げる。
「へえ……。その法則がわかれば、多少はスムーズにいくのかな」
「多分ね。発生まで時間がかかった所を見ると、完全なランダムではあるまい。それならばもっと早くに沸いていい。何かしら条件があるのだろう」
「でもその方法もややこしいんじゃないの?」
「だろうな。偶然条件を満たして沸いたのだろうが、イベント開始してからそれなりに時間が経ってから沸いたという事は、かなりややこしい条件と見ていい」
ただ追い回して殴るだけという単調なイベントなので、会話はわりと弾む。
「皆つまらないつまらないと文句を言いながらも、しっかりとイベントをやっているな。フッ、実に懐かしいよ、この空気。運営もこの空気を作ろうとして、わざとつまらないイベントをこしらえたのかもな」
ネナベオージの最後の言葉は、流石に冗談のつもりで口にしたものだ。
「確かにつまらないけどさ。つまらないならつまらないなりに、後々思い出として残るものだって、わかってるんだよね。昔からずっとこのゲームはそうだった。いろんなことがあって、中には嫌なことやつまらないこともあったけど、今振り返ってみると、皆いい思い出なんだ。だから今こうしてネナベオージと一緒に、つまらないイベントやってることも、私の中の思い出のアルバムとして、ちゃんと残るよ。きっと」
夢見心地な口調でマキヒメは語る。
「もっとも私……あとどれだけ生きられるかわからないけどね」
ぽつりと口にして、しまったと思って表情を強張らせるマキヒメ。
「病気なのか?」
ネナベオージはその台詞をスルーすることなく、突っ込んできた。
「最近君の様子がおかしかったのは、そういうことなのか……」
半ば誤解しているネナベオージであったが、相手の深刻な事情をスルーせずに、向かい合おうとしている所は、正にネナベオージらしいと、マキヒメは感心して尊敬の念を抱きつつも、ネナベオージのそんな性格を同時に羨ましく思い、疎ましく感じる。
「話したいことがあるなら聞こう。場所を変えようか」
そう促され、マキヒメは狼狽する。
「そんな……せっかくのイベントなのに、こんな私の……私のことなんかで暗い気持ちになることないし……」
発言してから、マキヒメは自分の口にした台詞がおかしいことに気がつく。己のあまりのうろたえ様に、笑いさえこぼれてしまう。
「その言葉からして、誰かに吐き出したくて仕方無いといった感じだぞ。相当追い詰められているようだね。僕なんかでよければ、いくらでも話を聞こう」
優しく微笑んでネナベオージはマキヒメの手を取り、巨大兎とそれを追い回す集団と逆方向へと駆け出す。
マキヒメは最初抗えず、しばらく共に走っていたが、途中で無理矢理足を止めた。自然とネナベオージも立ち止まる。
「嫌だよ。せっかくいい思い出作ろうとしているのに、こっちの世界にまで汚いものを持ち込みたくない」
半泣きになった訴えるマキヒメ。
「汚いかどうかはともかくとして、話せば楽になることもあろう」
「この前、何も聞かないって言ったでしょ。そのまま何も聞かないでいてくれていい。私も話したくないし、話せるようなことでもないから」
「しかし今の君は、誰かに聞いて欲しいように見える。一人で苦しんでいるのが耐え切れないように思えるぞ。僕でよければ遠慮なく吐き出すといい」
優しい笑みを絶やさず両手を軽くひろげてみせるネナベオージ。よくここまでキザったらしい台詞とジェスチャーができるものだと、マキヒメは感心する一方で、苛立ちも覚える。
「何を吐き出せというの? 何を話せというの? 私のリアルがどうなってるのか、全部喋れっていうの!? 今の私の状態なんて、とても人に話せるものじゃないし、話したって狂人扱いされるだけでとても信じてもらえない代物よ! いい人ぶってふざけんな!」
とうとうキレて、ぽろぽろと涙を流しながら、ヒステリックに喚くマキヒメ。
リアルの自分がどうなっているか、言えるわけもない。言ったとしても信じてもらえるはずがない。常識から外れた存在と化した自分は、常識の枠の中にいる人間に受け入れられるはずがないと、マキヒメは常識的に考えてそう結論づける。
「例えば君が毎晩宇宙人にさらわれて、UFOの中で人体実験されていると打ち明けてきても、僕はそれを狂人の戯言として切って捨てたりはしない。真実として受け止める」
大真面目に告げるネナベオージの言葉を聞いて、マキヒメはますます頭に血が上る。そんなわけがない。そんなことができる人間なんているわけがない。そこまで大きく優しく包み込んでくれる心の持ち主など、幻想かペテン師だけだと、心の中で吐き捨てる。
「調子にのらないで! あんたは私の何よ! たかがネトゲなんていう虚構で会うだけの、かりそめの友達モドキでしょ! リアルの私を助けてくれるわけでもないし、いい人ぶって満足しているだけじゃない! リアルの私がどんなにひどいことになっているか、見せられるものなら見せたいよ! 救えるものなら救ってほしいよ! ここで愚痴ったからってそれでどうにかなるものじゃないわ!」
ひとしきり罵り、喚いてから、マキヒメは一番大事なものを壊してしまったような、そんな感覚を味わい、絶望した。
(やっちゃった……。よりによってネナベオージにぶつけちゃった……。ここには持ちこみたくなかったのに。ここで汚く穢れた私なんか、見せたくなかったのに……)
腹の中に溜め込んでいた、己の理不尽な運命に対する怒りと呪いを、あろうことか自分の想い人へとぶつけるという愚行を犯した事に、激しく後悔した。
(終わった……。もうこれでおしまい。ネナベオージにも軽蔑されて……。私は本当にこれで何もかも失くした……)
マキヒメはそう決めつけて疑わなかった。このまま気絶してしまいたいと思う。もし意識を失ったら、そのまま強制ログアウトとなる。そうでなくても、さっさとログアウトして逃げたい衝動に駆られる。
それでも逃げなかったのは、決めつけながらも、微かな希望を抱いていたからだ。それでもなおネナベオージなら、優しい言葉をかけてくれるのではないかと。
「そこまで思いつめていることなのか。別に僕はリアルとネットできっちりと境界線を定めているわけではないし、リアルで何か助けが必要だというのなら、僕にできる範囲で助けるぞ」
いつの間にか自分を抱きしめていたネナベオージが、耳元で優しく囁いた言葉は、マキヒメの希望をはるかに上回るものだった。
「君の住所と電話番号を教えてくれ。君に会いにいく。助けに行く。ここまで思いつめて苦しんでいる君を放っておける道理はない。一応これでも僕にはそりなりの力があるからね。例えば君が宇宙人に毎晩さらわれてインプラントを埋め込まれているというのなら、その宇宙人もやっつけてやる。君の言葉を僕は疑ったりしないし、馬鹿にしたりもしないから、打ち明けてごらん」
マキヒメをしっかりと抱きしめ、頭を撫でながら、力強い声で囁くネナベオージ。
それを聞いて、マキヒメはネナベオージを抱き返し、大声で泣きわめく。
いかがわしい行為目的の防止も兼ねて、他のプレイヤーと触れても、体感的な温もりはほとんど感じないように出来ている。だがその時に限ってマキヒメはどういうわけか、熱く固い抱擁に包まれているような感覚を覚えていた。思い込みの錯覚かもしれないが、マキヒメはその感覚に身を委ね、これ以上とないくらいの安堵で満たされる。
「話せないよ……。ごめん……気持ちだけありがたく受け取っておく」
泣き止んでから、マキヒメは静かに告げた。信じてもらえないかどうかの問題だけではない。自分が人殺しになってしまったことを、知られたくないという気持ちが何より強かった。
「ネナベオージに優しくされたこと、忘れないから……?」
マキヒメはネナベオージが何かに気をとられているのを見て、振り返り、彼の見ている先に視線を向ける。
数体の電霊が空を彷徨っているのを見て、マキヒメは心臓が凍りつきそうな感覚を覚える。
「噂は本当みたいだな。ニャントン達が連れているプレイヤーとは異なる、浮遊霊のようなタイプの電霊が、全ての鯖に出現しているという話だが」
ネナベオージの言葉を聞いて、マキヒメは歯をならす。まさかそれが自分の仕業などと、彼は夢にも思っていないだろう。
そしてそれを知った時、慈愛の心でいっぱいの彼が、自分をどんな目で見るか、想像したくない。きっとネナベオージの優しさも、流石にそれ以上は続かないに違いないと、マキヒメは思っていた。
「ごめん……私、落ちる」
この場にいるのが耐えられなくなり、マキヒメはログアウトしようとした。
「助けが欲しいならいつでも言いに来てくれ。僕のメアドも送っておく」
最後に告げたネナベオージの言葉に、マキヒメは再び涙が溢れる。
(でも、二度ともうこの世界には来ない。私はここでいっぱい綺麗な思い出を作ったし、もうそれで十分)
ネナベオージの端正な面持ちを見つめながら、マキヒメは声に出さずに別れを告げる。
(さようなら、ネナベオージ。貴方が私の唯一人の……)
声に出さぬ別れの言葉も、嗚咽によって途中で止まりながら、マキヒメは最後のログアウトを行った。




