18
マキヒメは相変わらず憂鬱な日々を送っている。
最近、両親から頻繁に電話が入る。
今まで自分にほぼ無関心だった両親であるが、元々親に反発していて疎遠になった長男と長女に続いて、次女も連絡が途絶えたというのだ。それで自分達の老後を憂いてか、今更マキヒメに声をかけ続けているという有様だ。
実に虫のいい話だ。かつて子供の頃は、親にかまって欲しいという気持ちもあったマキヒメであるが、今は全くそんな気持ちは失せている。それどころか鬱陶しいし腹が立つ。
自分の親がろくでもない親である事はわかっている。兄も姉も親の馬鹿さ加減にうんざりしたからこそ反発していたし、わりと従順だった次女も愛想が尽きて距離を置いたのだろう。体面ばかりを気にして、子供を思い通りにしようと腐心し、まるでペットか道具扱いにするような連中だった。
『何であんなに目をかけていたあの子達が、私達に刃向うんだ。そんな子に育てた覚えは無いのに』
そして電話でしきりにそんな台詞を繰り返していた。従順だった次女にまで見限られてなお、彼等は自分に全く非は無いと思っている。疑いもせず、被害者ぶって嘆いている。
(醜い。実に醜い。どうしょうもなく醜い。そしてこんな醜い奴等の血が私にも流れているなんて意識するだけで、頭が沸騰しそう)
親から電話がかかる度に、マキヒメは欝になっていく。
マキヒメも適当にあしらって電話を切っているが、それでも最早マキヒメしかいないとばかりに、しつこく電話をかけ続けてくる。
電話に出ないでおくという手もあるが、それはそれで厄介な事態を招きかねない。今、両親に自宅に押しかけられたら、旦那や姑が不在である事を不審に思われる。今、旦那と姑は、肉体から霊体は取り出されて電霊としてオススメ11の中に放り込まれ、肉体は廃人同様の状態でニャントンのホテルに横たわり、オシメの中に糞尿を垂れ流すだけの毎日を送っている。
そのために両親からの電話には一応出続けていたが、両親のあまりの頭の悪さと底の浅さ、何より卑しさに、気が狂いそうになる。
(世の中にはネナベオージのように、人間としての深みも厚みもある人もいれば、うちの馬鹿親みたいに、薄っぺらくてつまらなくて卑しい奴までいて……。どうして私の周囲のリアルには、後者ばっかりだったんだろ……)
人間の良い部分を見ていたい、信じていたいと常々思っていたマキヒメが、それに触れることができるのはネトゲの中だけ。その中でも最も輝いて見えるのが、ネナベオージだった。
マキヒメはドリームバンドを被り、醜い現実から逃れ、美しい仮想世界へインする。
最近マキヒメがインして真っ先にする事といったら、ネナベオージのサーチである。
ネナベオージの名が検索にかからず、小さく息を吐いたその時、見覚えのある二人組が、マキヒメの前方上空に浮かんだ。
電霊育夫と、育夫に最近連れまわされる形で監視されている明日香であった。
「お前にもう一つの能力を付与しようと思うぞ」
マキヒメを見下ろし、育夫が告げる。
「何のために?」
育夫を見上げて問うマキヒメ。確か育夫が与える力は二種類あって、一つは電霊を生み出して使役する力。もう一つはランダムで、どんな力が覚醒するかわからないという。
マキヒメは電霊化の力だけを授かった状態であり、もう一つの力の覚醒は行っていない。正直ランダムという時点で、マキヒメとしてはあまり気乗りしない。
オススメ11の中にもランダム要素が数限りなく有り、特に装備品につく数字や効果のランダム要素には、肯定派と否定派で綺麗に分かれている。マキヒメは否定派であった。不確定要素は省き、コツコツと確実に積み上げていって、良装備を得たいと考える。
「何かを得るためだぞ。もしかしたら、僕達にとって有用な力を得られるかもしれないぞ。そういう賭けをするだけの話だぞ。何も得られなくても、損はしないと思うぞ。多分」
「累のアテも尽きたから、今度は私をアテにしてくれてるわけ? 一か八かの賭けのような感じで?」
「そうだぞ。試すだけの価値はあると思うぞ」
博打は嫌いなマキヒメであるが、これはそもそも失うものが無い。得られるか、得られないか程度だ。拒否することもないと考えた。
それが間違いであった事は、後になって気がつく。
「わかった。やってみて」
「よし、じゃあいくぞ。はああああああっ!」
最初の覚醒の時とまるで変わりない簡単な儀式。育夫の叫びの後、マキヒメは軽い眩暈に襲われ、新たな力を得たことを実感する。
「これは……駄目みたいよ」
自分が如何なる類の超常の力を得たかマキヒメは理解し、その内容を育夫に伝える。
「うむむむ、確かに駄目みたいだぞ。その力は使わない方がいいぞ」
「使うわけないでしょ。使う意味も無いし」
呆れ気味に言うマキヒメであったが、使いたいという願望が無いわけでもない。
「む、誰か来るぞ。それじゃあまた」
育夫と明日香が消える。
「やあ、マキヒメ」
入れ替わりに現れたのはネナベオージだった。マキヒメの顔が自然とほころぶ。胸が高鳴り、頭の中がほんわりとして、嫌な気持ちが全て吹っ飛んでいってしまう。
(馬鹿みたい、私。いくら本気になってもネナベオージは……)
自分が幸福感に包まれていることを意識し、理性でそれを否定しにかかるマキヒメ。
理性で否定してから、自分がひどく惨めな存在であるかのように思えて、情けなくなってしまう。
「どうしたんだい? 僕の顔を見て嬉しそうに笑ったかと思ったら、急に沈んで」
心情の変化がモロに表情に出ていたようで、それを指摘され、マキヒメは顔を真っ赤にする。リアルより感情と表情の制御が難しいという、難儀なゲームである事をついつい忘れてしまっていた。
「こういうゲームなんだから、他人の表情の変化をいちいち指摘しないのがマナーでしょ」
冗談めかして言うマキヒメであったが、実際オススメ11には、そういうお約束は存在している。
「それはわかっているが、気にはなる。放っておけないから聞いたんだ」
自分を見つめて真摯な口調で語るネナベオージに、マキヒメは戸惑いと動悸の速さを覚える。また顔にモロに出ていないかと疑う。視覚的に自分の顔を確かめるシステムも存在するが、それを今用いるのも躊躇われる。
「言いたくないことだから。すごく恥ずかしいこと」
自分がネナベオージに懸想しているなど、絶対に知られたく無い事だった。しかしネナベオージの事だから、それすらも見抜いているのではないかとさえ、考えてしまう。
(それを知ったうえで、私に合わせて、かりそめの夢を見せてくれているってこと?)
それは妄想にすぎないが、ネナベオージの性格を考えれば、そうであっても不思議ではない。
「リアルのいろんな事情で、気が滅入っているだけ。こちらには持ち込みたくないしね」
口にしてから、嘘は言っていないと、自分に言い聞かせるマキヒメ。
「喋れば楽になるかもしれないが、喋りたくはないか」
「うん、いろいろ恥ずかしいことだし」
あんな醜い親のことなど、語りたくも無い。あんな醜い親の子であることを、知られたくも無い。
そして自分が今やっている事も知られたくない。電霊などというものを量産して、このゲームを維持しようなどと……
「例えばの話だけどさ、親しい人が道を外して大魔王になっちゃって、あなたは勇者だからそれを倒さなくちゃならないとなったら、どうする?」
後ろめたさを覚えながらマキヒメは、脈絡の無い話を喋りだす。
「倒す前に、目を覚まさせるよう努力するさ。道を外したからといって、それでおしまいではない」
累の元へと行った真のことを意識しつつ、ネナベオージ――純子は答えた。
(そして真君は、私の道も正すつもりらしいしねえ。ていうか、何でマキヒメちゃん、こんな話をしているんだろ。リアルで何かろくでもないことしてるのかなあ……)
勘繰る純子だが、そこまで触れるつもりはない。マキヒメも触れてほしくないのであろうと、見抜いていた。
マキヒメはネナベオージから視線を外し、しばらくの間、沈黙していた。言葉がうまく出てこない。ネナベオージの台詞が突き刺さる。もしネナベオージが自分の気持ちを知り、自分のやっている事を知ったとして、どう目を覚まさせるのかと。
「倒す前に説得して終わりで、ラスボス戦は無しとか、しまらないよね」
大分時間が経ってから、マキヒメは冗談ぽく言う。
「あの……よかったらでいいんだけど、謎の超巨大生物マラソン、私と二人きりでまわってくれないかな?」
急にまた話題を変える。自分でもおかしいと自覚はあるし、ネナベオージから見れば尚更自分が不安定でおかしく見える事だろうと意識する。だがネナベオージは自分を変な目で見ることは無く、優しく合わせてくれることもわかっている。
「いいとも」
思い切って誘ってみたら、あっさりと二つ返事が返ってきて、マキヒメは喜びで胸が満たされていく感覚に溺れる。
「本当に? 当日になって用事が出来たとか、ダブルブッキングするとか、実は私をからかってるとか、そんなことない?」
「フッ、悪いフィクションの見すぎだ。だが急用だけは仕方無いと思わないか? たとえば家人の訃報があっても、君とのデートを優先しろと言うのかね?」
「うん、優先してほしい。それくらい私にとっては大事なものになるから……」
真剣な口調でマキヒメは言い切った。おかしなことを言い続けている自分は、まるでネナベオージがどこまで付き合ってくれるのか、どの辺で愛想を尽かすか、試しているかのようだと思う。だがもう止まらない。混乱して暴走して止まらない。
「軽蔑した?」
「いいや。何か思いつめているということは伝わった。重ねて言うが、よければ相談にのるよ? 遠慮しなくていいんだ」
ネナベオージが手を伸ばし、マキヒメの頭を軽く撫でた。
例え仮想世界でも、セクハラが成立する行為。もちろんマキヒメが、そんな意識を持つわけがない。それどころか、嬉しくて涙が溢れそうになっている。
しかし言えるはずがない。話したいけど、話したくない。自分という人間の全てを知ってもらいたいという欲求と、知られることが途轍もなく恥ずかしくて怖いという感情が同時に存在して、どちらを取っても失うものが出てしまいそうな、二律背反を抱えている事の辛さ。
「話したいけど、話せないの……」
とうとう涙が溢れでる。仮想現実でも、感情の高ぶりにあわせて涙がちゃんと表現される世界。そのシステムが、今ほど疎ましく思えたことはない。
「わかった」
ネナベオージが小さく微笑むと、ゆっくりとマキヒメの体を抱きしめた。
「何も聞かない。何も言わなくてもいい。ならばせめて泣くといい。涙だけでも、僕が受け止める」
いくらRPとはいえ、恥ずかしげも無くこんなキザったらしい台詞を口にして、相手を抱きしめることが出来るネナベオージが、心底凄いと思えるマキヒメであった。
いくら大真面目でも、こんな恥ずかしい台詞は出せないだろうにと、そう思いながら、人の体の感触など無いネナベオージの胸に顔を埋め、マキヒメは声を押し殺して泣き続けた。




