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マキヒメの中の人である厚木真紀は人間不信がひどく、リアルでは全く知り合いを作らなかったが、事業に失敗した家族が抱えた借金の返済目的で、お見合い結婚をすることになった。
三十歳で結婚をして、結婚直後からずっと冷えた家庭で暮らしていた。
夫は五十歳過ぎで、名家の一人息子だが、ヒキコモリのオタクだった。マキヒメと結婚するまで、風俗以外で異性と触れたこともないし、付きあった事もないという。結婚するまでは働いていたが、結婚してすぐに会社をやめた。聞けば、結婚前後だけ相手に体裁を整えるために、親戚の会社に入れてもらったらしい。それを知り、マキヒメは呆れ果てた。
裕福な家庭であるが故、死んだ父親の残した財産が腐るほどあり、生活には困らない。
夫はゲーム、アニメ、マンガと、マキヒメと同じ趣味であったが、非常に我が強いうえに、まともに人とコミュニケーションがとれない人物であった。はっきり言って、これならあのタツヨシの方がずっとマシであると、マキヒメは断言できる。だからこそタツヨシと付き合いもした。
家には姑もいた。姑からはグチグチと嫌味を言われる日々であった。「どうやら孫の顔も見られそうにないね」「何のためにうちに来たんだか」「食事と掃除だけなら、人雇えばいいんだよ」「いつも陰気な顔して、その顔見たくもないよ」等。
姑の言葉に、女は産む道具という差別的フレーズがマキヒメの脳内をよぎる。実に前時代的な考えの持ち主であった。他人の顔にケチをつけるわりには、姑の顔も底意地の悪さが人相に如実に表れている。
離婚したくてもできない。家族が抱えている借金を返してもらった事や、家族が哀しむという理由がある。
しかし定期的に、夫も姑も殺してしまいたい衝動に駆られる。
そんなどうしょうもないリアルで追い詰められたマキヒメは、オススメ11というネトゲに逃避することで、何とか精神を保っていた。
オススメ11をするきっかけとなったのは、夫だ。夫がオススメ11を始めたのだが、コミュニケーションを必要とするネットゲームは合わなくて辛いので、一緒にやってくれとせがまれて、仕方なく始めた。
そうしたらマキヒメは異常にハマってしまった。彼女も元々、人とのコミュニケーシヨンは苦手だったにも関わらず、何故かネトゲの中では人との繋がりを持つのが容易だった。相手の本当の顔が見えないということと、リアルよりずっと親切なプレイヤーが多いということで、人間不信だった真紀が、安心して人付き合いができた。
マキヒメがフレンドをどんどん増やして、ゲームにのめりこんでいくのを見て、夫は妬ましさを覚えてオススメ11を辞めて、もっと手軽にできる課金ガチャのソーシャルゲームにハマるようになった。
ネトゲに逃避したマキヒメは、ネトゲ内にわりと主婦が多い事を知った。そしてその中には、自分のように家庭に問題を抱えて、現実逃避目当てという者も何人かいて、それらのプレイヤーとはすぐ打ち解けた。中には喧嘩をして、よくない別れ方をした者も何人かいたが。
その日もマキヒメは、姑の言葉に殺意を催すほどの怒りと絶望を覚えた。
夫は部屋に引きこもっているので会わずに済むが、姑はそうはいかない。いつも顔を見合わせる度に、憎悪に満ちた視線をマキヒメに向けてくる。マキヒメもネトゲ効果でそれなりに気が強くなってしまったので、最近は視線を逸らすことは無い。
「正直、あなたが事故か病気で死んでくれれば、あの子は再婚もできるのよ。離婚なんて親族の手前みっともないからできないし、させないから、死んでくれるのが一番いいの。わかる?」
マキヒメはゲームの中に入っても、姑のその言葉によるダメージが尾を引き、まともにプレイもできない状態で、人気の無い場所で一人うずくまっていた。
「あんたこそ死んでくれれば一番いいのよ……。もう本当に殺しちゃおうかな」
そう口にして、できもしないことだと自嘲してせせら笑うマキヒメ。
我慢しているのは――我慢できる最大の理由は、この環境を手放したくないという気持ちが強いからだ。この心地好い世界があるからこそ、耐えている。その維持のために耐えている。
「あいつらを殺してしまえば、この世界も失ってしまうからね。それがわかっている? この世界のおかげで、あんたら、命拾いしてるのよ?」
憎悪に満ちた嘲笑を浮かべ、マキヒメは呟く。誰も聞いていないと信じて疑わずに。
「この世界が大好きだからこそ……命拾いしてる。私も、あんたらも。ふふふ……いっそこの世界にずっといられればいいのにな。私も噂の電霊とかいうのになれば、この世界にずっといられるのかな?」
その一言さえ無ければ、マキヒメの今後の運命は変わっていたかもしれない。いや、間違いなく変わっていただろう。その独り言を聞かれさえしなければ。
「電霊になるより、電霊を作る力はいらないか?」
突然声がかかって、マキヒメは仰天した。だがその後、さらに驚くこととなる。
声のした方向を見ると、人が浮かんでいた。このゲームに有り得ない装備――リアルの服装の人間がそこにいた。このゲームには空中浮遊の魔法など無いので、浮かんでいる事も有り得ない。
「今の呟き、全部聞いちゃったぞ。電霊になんかならない方がいいぞ。俺が電霊だが、いいものじゃないぞ」
電霊を自称するその男は、アンニュイな面持ちでマキヒメを見下ろしていた。
「俺もこのゲームが大好きだけど、死んで完全に電霊になってしまったから、プレイはできないんだぞ。この世界を漂うだけなんだぞ。いや、俺は他人に力を与えることはできるけど、それだけだぞ。ニャントンやタツヨシが連れている電霊は、実はまだ死んでなくて、体はリアルにあって生きているんだぞ。生霊だぞ」
タツヨシの名が出されて、一瞬顔をしかめるマキヒメだが、目の前に現れた電霊が何者なのか、何となく判断できた。
「あなたが……電霊の黒幕?」
「そんな所だぞ。ニャントンとタツヨシに電霊を作る力を与えた者だぞ。育夫っていう名前で呼んでくれればいいぞ」
電霊を作る力を与えたと言われ、育夫とやらが何のために自分の前に現れたかも、マキヒメは予想できた。
「そろそろ新しい下僕が欲しかったけど、信頼できそうな人でないと駄目だし、そういう者を探すのは苦労したぞ。これは運命の導きに違いないぞ」
マキヒメのほぼ予想通りの内容の言葉が、育夫の口から発せられる。
「信頼できる条件は、この世界を何よりも愛し、ここが存続して欲しいと願う者だぞ。そしてそのためなら、現実世界を壊すこともいとわぬ者だぞ」
現実世界を壊すという一言に、マキヒメの心臓が大きく跳ね上がる。
それはマキヒメの強い願望の一つである。しかしそれをやったら、こちらの世界にも来られない。だからずっと我慢していた。
「リアルを壊したら……この世界にだって来られないじゃない」
「大丈夫だぞ。俺には他人に超常の能力を授ける力があるんだぞ。しかも二つだぞ。一つは確定している能力――他人の体から霊体を抜き取り、この世界に封じて意のままに操る力だぞ。それが電霊の正体だけど、それには生身の体にドリームバンドを装着し、オススメ11にもちゃんと登録して課金させる必要があるぞ。霊魂を抜き取られても生身の体は生きているから、そっちの管理も必要で、中々面倒だぞ。で、もう一つの力――」
ここで一旦言葉を区切る育夫。
「これはニャントンだけに与えた力だぞ。もう一つはドリームバンドを利用して、ランダムに超常の力を覚醒させるんだぞ。そういう話、聞いたことないか? ドリームバンドの違法改造により、身体能力の向上と、超常の力を覚醒させるって話。前者は危険な違法プログラムとされていて、裏通りでこれを実行している者もいるって話だぞ。違法ドラッグ組織や個人で販売されることもあるらしいぞ」
ドリームバンドで身体能力を向上させる話は、マキヒメもテレビの特番で見て知っている。しかし肉体の衰退を加速させる代物で、老化を早めるとか。だが超常の力云々は聞いたことが無い。
「ランダムだから、どうなるか俺にもわからないぞ。しかも危険性もあるぞ」
電霊育夫はこの方法でもって、リアルで強力な下僕を増やしていくつもりでいたが、下僕は信ずるに足る者でないと駄目だ。オススメ11というゲームを維持したいと願い、それを第一に考えてくれる者でなければ、力を引き出す意味も無い。
「お前にその覚悟があるなら、お前のくだらないリアルも破壊できる力が手に入るかもしれないぞ。ただし、この世界の維持のために働いてもらうぞ。オススメ11に人を増やして、このゲームにかつての繁栄を取り戻すのが、力を与える条件だぞ」
「力を……頂戴」
マキヒメは興奮に震えた口調で、要求した。
まるで悪魔との取引だとマキヒメは思った。本当にこんなことが有り得た事に、興奮しまくっていた。しかもその目的が、マキヒメが大好きなこのゲームを救うことなどと、これほど素晴らしい話はない。
「では力を引き出すぞ。はああああああっ!」
悪魔との契約じみた儀式は一瞬で終わった。マキヒメは軽い眩暈を感じた後、自分に超常の能力が身についているのを実感した。
「イベントまでにできるだけ人を集めて欲しいぞ。ニャントンとタツヨシの働きは褒められたものではないぞ。何とか良い手を考えてほしいぞ」
ニャントンは自分の欲望も絡めているとはいえ、一応はちゃんとリアルで廃人を生産して電霊を増やしているが、ゲームにいる時間の方が長めで、焼け石に水レベル。タツヨシはひたすらゲームにどっぷりで、協力する気配などほとんど見受けられない。人選を間違えたとしか思えない。育夫からすると、マキヒメに彼等以上の働きを期待したい所である。
「一応、ニャントンとは接触しておくといいぞ。ニャントンはタツヨシの分まで、リアルで生身の管理をしているからな。俺の方からもニャントンに伝えておくぞ」
そう言って育夫は姿を消した。
マキヒメはログアウトすると、すぐに姑と夫を電霊化した。
相手に触れることもなく、近づいて能力を発動すれば、霊魂を抜き取れる。使い方によってとんでもない能力であるし、別の利用法を幾つも考え付くが、マキヒメはこの力を何に使うか決めてある。いや、選択肢など無い。
育夫に言われたとおり、オススメ11というゲームの維持のためにのみ、力を用いる。
「世話をみるのも、世間の目を誤魔化すのも大変そうだけど、それでもこれで、今までよりはずっと良い暮らしができそう」
霊魂を抜き取られた夫と姑の体を一つの部屋へと引きずりながら、呟く。ゲームの中だけではなく、リアルでもいろいろと動く必要がある。彼等の生命維持もしないといけないし、親族が訊ねてきたらどうするかも問題だ。
「電霊化の力を使いこなせば、何とかなりそうではあるけど」
今後のプランを組み立てていくマキヒメ。生き甲斐を感じる。まるで自分が世界を救うために働いているような、そんな感覚で彼女は満たされていた。




