終章
葉山の襲撃のおかげで、おっさんが死に、日野がボスへと繰り上がった。
そして日野の指名で俺は、嫌だったのに無理矢理幹部に据えられた。冗談じゃねーよ。責任あるポジションなんてやりたくねーのに。
四葉の烏バー自体が中堅組織で、幹部も元から三人しかいなかったんだから、その三人が二人になっても構わないだろうと言ったんだが、二人のままだと残りの二人の負担が増えるし、放たれ小象との抗争で弱体化した組織の建て直しのためにも、以前のように幹部三人体制を敷くと、日野に推し切られてしまった。
現場に出向いて、うちの者の縄張りが荒らされていないか見張ったり小競り合いしたり、そういうことをしている方が俺に合ってるのにな。
慣れないデスクワークを日野にたっぷりと仕込まれる悲惨な日々を送って、二週間が経過した。
「幹部の自覚が足りん!」
何かあるとすぐこの台詞で怒鳴る日野。マジ最悪だわ。もうこの組織辞めちまおうかと思ったことも、一度や二度ではない。たった二週間の間で、だ。日々、ストレス貯まりまくりの俺。
「そもそも人手が足りねーよ。せっかく問題児の放たれ小象が半壊してくれたおかげで、安楽市のドラッグ密造密売組織の各縄張りが広がったってのに、うちらだけ人手不足で空白地帯作ってるんだぞ」
人員募集はしているんだが、ここでまた、立川を新たなボスに据えた放たれ小象との小さな衝突があった。放たれ小象の奴等も、俺ら四葉の烏バーと同時に人員大幅募集している。同じ安楽市内、同じ違法ドラッグ売買組織同士での募集がかぶってしまっている。しかもその人員募集の担当を俺がやらされているから、頭が痛い。
立川にはやめろと言ったが、あっさりと拒否された。流石にその程度の理由でまた抗争というのも面倒臭いので、互いに忌々しい気持ちを募らせながら、新人募集合戦を行っている。
「放たれ小象の方が明らかに条件いいんだぜ? いや、地理的な問題で言やあ、絶好町に居を置く俺等の方がいいかもしれねーけど、それだけだ」
「もう少し頭使え」
文句を言う俺に、日野が呆れたように大きな溜息をつく。
「給料や勤務時間は放たれ小象の方に旨味があろうと、こっちが抗争に勝利した組織であるということを、もっと大きくアピールするんだ。組織としての将来性もこっちが上だとな。抗争の末、旨味のある縄張りを死守もできたってことを、大々的に宣伝しろ。こんなこともいちいち言われなくちゃわからんのか」
なるほどなーと感心したが、日野の最後の余計な一言でイラッとする。
「縄張りの空白地帯となっている場所が、他の組織に奪われないのは幸いだけどな」
俺が言った。褥通りをはじめ、絶好町の歓楽街あたりの一番旨味のある場所は、複数の組織で分け合い、衝突することなく使っていた領域が多いが、もちろんその中には、四葉の烏バーの独占地域もある。
その独占地域に売人が赴くことのできない時間帯が増えてしまい、空白地帯となっているが、それにつけこんでくるような組織も個人も、今の所現れていない。
少なくとも個人単位ではともかく、組織単位でそんな仁義にもとる真似をする所は無いだろう。こちとら放たれ小僧と積極的に戦ったせいで、人員を失い、空白地帯となる時間を作ったんだからな。
「安楽市のドラッグ情勢はこれで完全に平和になったわけでもないぞ。薬仏市から渡ってきた、海外マフィアが最近、安楽に着々と根城を築いているしな」
日野が物々しい口調で語る。日野の言う通り、脅威は存在している。
「知ってるけど、ドラッグに限った話じゃあないだろう、それは。奴等は安楽市のあらゆる裏通りの組織にとって敵だ」
うちらだけが警戒すべき相手ってわけでもねーし、そんなもん引き合いに出されて説教されてもなあ。
まあ何にせよ、これまでとは違った意味で、面倒な日々になってしまったという事だ。
***
とはいえ、悪いことばかりではない。仕事の方は幹部に上げられたせいで、以前より面倒になっちまったが、私生活の方は――
家に帰り、二人分の食事の準備をする。そろそろ帰宅するとの連絡が入っていたしな。
「おかえり」
帰宅したほのかを一瞥し、声をかける。
「あ、また私をさしおいて料理している。確かに料理スキルは私よりも遼二さんの方が秀でていますが、私にやらせてくれないと、私もいつまで経っても上達しません。遼二さんは私にずっと料理させない気ですか?」
別にそんなに深い理由があるわけでもないのに、ほのかは俺が勝手に家事全般を行うと、あれこれと理由を詮索しつつ、不服を訴えてくる。
深い理由は無いがいろいろと理由はあるがな。一つはずーっとこの家で家事してきたのは俺だから、今更他の誰かにいじらせたくないという、ちょっと神経質な理由。一つは、ほのかは俺よりもさらに多忙なので、疲労の少ない俺の方が家事を勤めた方がいいだろうという判断。一つは、この部屋にかつて住んでいたあいつのことを意識して……
この部屋に住んでいたあいつ――清瀬のことを思い出す。
今、俺がこんな暮らしをしていると知ったら、幸福だと知ったら、清瀬はどう思うだろう。嫉妬に狂って俺を恨みやしないだろうか。いや、そんな性格じゃあなかったと思うが、それにしても、恨まれても仕方無い。俺はあいつを守れなかったんだから。
いっそ俺とほのかの子として生まれてくればいい。そうしたら今度こと守りきってやる。幸せな家庭とやらを築いて、強い子に育てて、あんな哀しい目を見なくて済むようにしてやる。
そんな先走った妄想と願望が脳裏に浮かんでいる自分自身がおかしい。俺はこんなこと考えるような奴だったか? ほのかと会ってロマンチストになっちまったのか?
まあ俺には元々、軟弱で甘っちょろい所はあったけどな。いつまでも子供の自分が泣きじゃくっている夢を見続けているし。
「何をにやにやとしているのでしょうか」
ほのかに指摘されてはっとする俺。
「幸福を噛みしめる男。しかし幸福は噛めない。だから口がほころぶ。顔の筋肉が緩む。にやにやにやにや、幸福を噛みしめるが故ににやける。にやにやにやにや。何て情けない顔。でも女は許す。その情けない顔は私のために創造されてものであるが故。でれでれでれでれ」
「やめてくれよ、そんな詩は……」
「同士討ちな詩ですよ。遼二さんがにやにや。私はでれでれ」
不意にほのかが料理中の俺に、後ろから抱きついてきた。
逆のパターンなら漫画で見たことあるが……うーん……
「正直私、自分のことを好きになってくれる人なんていないと思っていましたし、もう一生異性と付き合うことは無いんじゃないかなって思っていました。こんな電波入ってる女を好きになる男なんていないんじゃないかと」
俺に抱きついたまま、ほのかが唐突に語りだす。
「だから親父に、いい相手がいるから紹介する。電波なお前もきっと受け入れてくれる優しい男だと言われて――嗚呼、お見合いの類かー、でも私が将来大人になって結婚するとしたら、もうお見合いとかでないと無理そうだし、その見合い相手も逃げていきやしないかなあ――とか、悪いことばかり考えていました。なのに、遼二さんのような素敵な方が私の前に現れ、私を受け入れてくれるなんて、これは正に奇跡です。いつも節穴の親父の目が、この件に限って節穴ではなかったんです」
鬼籍に入った後も、ことあるごとに娘にぼろくそ言われ続けるおっさんが、草葉の陰で苦笑している様が目に浮かぶようだ。
「もし、私がこの先、この人のことを好きでなくなったら、そんな私を殺しに行きたい。タイムマシンで未来に行って殺しに行きたい。身の程を弁えず、この幸福の時を忘れた愚かな自分を殺したい」
ほのかがいきなり怖いポエムを口ずさむ。
「その理屈だと、俺がほのかに対して気持ちが冷めたら、俺も殺されなくちゃならないことになるな」
「それは当然ですよ。私の心の中に潜む鬼が、それを見逃すはずがありません。あんだをごろぢであだずもぢぬ~に決まってます。そういう厄介な女なんですよ、私は」
だからこそ俺にお似合いだよ――反射的にそう思ったが、口にはしなかった。
正直ほのかは自分を卑下しすぎだ。こいつを好きになる男が、俺だけであろうはずがない。しかし運命の導きか何かで、こいつは俺の所に来てくれた。
例え未来の破滅への布石だとしても、今だけは神様に感謝してやりたい。ほのかを俺の元に導いてくれたことだけは、な。
15 天に唾を吐いて遊ぼう 終
十六章は雪岡研究所の面々が中心の、ほのぼの話になる予定です。
いつも殺伐とした話ばかりですが、たまにはほのぼの話もいいかと。
ええ、本当にほのぼの話です。本当ですよ。




