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俺とほのかと雪岡の三人で、雪岡研究所のあるカンドービルまで移動した頃には、すっかり空が明るくなっていた。
雪岡研究所――ここに来るのは随分と久しぶりだ。
かつてここに来た時の俺は、復讐心で魂がドス黒く染まっていた。路地裏に捨てられていたあいつの仇を取るために、俺はここに訪れた。
再び来るとは思っていなかった。しかも今度は俺以外の誰かが実験台になりに行く付き添いだ。まさかこんな日が来ようとはね。
以前に俺が改造された時と同じ部屋にと通される。寝台、怪しい機材と器材の数々、並べられたガラスの瓶と、その中に入った内臓めいた意味不明な器官。いかにもって感じの部屋だ。
俺は携帯電話を取り出し、ほのかと雪岡にわからないように電話をかける。
「じゃあ改めて確認するよー。私の実験台になって、どんな結果になっても文句言わないでねー。いわゆる、死んでも文句は言いませんっていうアレね」
「死んだら文句は言えませんし、詩も作れませんし、覚悟のうえです」
相変わらず場にそぐわぬ笑顔で確認する雪岡に対し、ほのかもどこか危機感に無い顔つきで応じる。
「あと、悪のセクシー女幹部路線はちょっと……。それはほのかちゃんに似合わないっていうのもあるけど、そういうデザインの装備は用意してないんだよねえ」
「願いをかなえてくれるという話なのに、それでは嘘をついているということになりますよ? 私は情報組織の一員ですし、そうなったら私が雪岡純子は嘘吐きだという記事をまとめることも、覚悟していただきたいと存じます」
言いづらそうに言う雪岡に向かって、ほのかがムッとした顔になって、さっきの俺と同じような脅迫をする。
「いやいや、セクシー路線はやめろよ。お前に似合わないのは確かだし、おっさんもきっと悲しむぜ?」
『おう、それだけはやめろ……』
電話をかけて、今の会話をおっさんに聞かせていた俺。
「遼二さん、こっそり父に電話をかけて会話を聞かせるとは、実はわりと卑劣な方だったのですね。何と抜け目無い。いや、如才無いと言った方がいいでしょうか? どっちも意味同じですか? どちらが言葉として美しいでしょうか。いずれにせよ、見直しました」
見損なうんじゃなくて見直すのかよ……
「おっさんよ、そもそも娘の改造自体を止めてやらないのか?」
すでにここに来る前に、こっそりとメールで事情は説明してある。しかし今まではっきりとした返事をもらっていなかった。
『ほのかが決めたことなら、仕方無い。自分の命がかかっているんだしな。遼二一人で危険を背負い込めとも言えないだろう』
まあ確認を取るまでもなく、おっさんの性格を考えると、こういう答えが返ってくるのはわかってはいたんだが。それにしても、この割り切りの早さは流石親子。
『しかし、だ。黒いラメ入りの露出度高め衣装で、ハートのタトゥーとか入れて、マスクとか被って、鞭を手に取ったほのかなんて、俺は断じて見たくないな。それだけはやめてくれ』
思わず想像しちまったが、ロリ体型に近いほのかには全く似合わんな。
「わかりました、親父」
懇願するおっさんに、諦めの溜息と共に渋々折れるほのか。
ていうか……親父って……。これまたほのかのキャラに似合わん呼び方だ。
『実験が失敗して死なないように祈ってる。無事だったらちゃんとすぐ連絡寄越せよ』
おっさんらしくない悲痛な響きの声を出し、電話は切れた。
おっさんとて本心では人体実験で力を手に入れるなど、やめて欲しいに決まっている。当たり前だ。しかし現実の状況を見てそれを飲み込み、対処するための的確な判断としてほのかがそういう選択をしたとして、割り切ったうえで尊重している。
いっそおっさんが改造されてもいいんじゃないかとも思ってしまったが、それは言わないでおこう。あるいはおっさんもそう言い出したかったが、ほのかがそれに反対して折れないであろうことも、見越していたのかもしれないな。
「運悪く死んでしまう可能性もあるので、言っておきたいことがあります」
熱っぽい視線で俺を見上げ、今までに無い凛然たる表情で、ほのかは思いを伝えてきた。
「私は遼二さんに、会う前から憧れていました。父から何度も話を聞いて……」
第三者もいる前で突然そんなことを言われて、えらく恥ずかしい気分もあったが、ほのかの真剣さにあてられて、俺はほのかから視線をそらすことなく、動揺も表に出さぬように抑えて、彼女の言葉を受け止めんとする。
「実際に会ってみて、父の言うとおりだったという部分と、思い描いていたのと異なる部分が見えました。憧れの人に会えて、話ができただけでも、とても嬉しかったです」
会ってもない奴に憧れるとか、わけわかんねえ……。ほのかには悪いが、俺には理解できない。しかしもしここでほのかが死ぬことになると考えると、馬鹿にすることもできない。
「生き残れ。ていうか、こいつを殺すな。殺したら俺がお前を殺す」
雪岡の方を睨みつけて宣言する俺。
「私だって別に殺したいわけじゃないし、できれば生かしたいし、そのために最善は尽くすつもりだよー?」
こちらの気持ちなど全く斟酌しない軽い口調で、雪岡は言った。
何が『できれば生かしたいし』だ。本当にこいつはほのかのことを、実験動物程度にしか見ていやがらねえ。それがムカついて仕方が無い。
「おぞましい奴だよ、てめーは。人の弱みにつけこんで、好奇心だかなんだかで、命を玩具にして弄ぶ。最悪の存在だ」
「んー? 私のやってることってそんなに悪いことかなあ?」
頭にきて言いたい放題言ってやる俺だったが、雪岡は全く堪えた風も泣ければ、怒りも戸惑いもせず、微笑みをたたえたまま、そんなことをぬかしている。
「いや、理屈のうえでは悪だとわかってるし、意図的に悪の側に身を置いているけれどさー」
全く悪びれてはない口調。
「でも罪悪感はさっぱり感じないんだよねー」
そりゃそうだろうさ。罪悪感があるくらいなら、何年も人体実験なんて続けていないだろうし、笑いながらそんなことも言えないだろう。こいつは正真正銘のサイコパスに違いない。
ま、そいつに俺も人体実験志願して、力を得た身だけどな。
「だってさ、この国って年間交通事故で何万人死んでると思う? 私に言わせれば車なんてとんでもなく危険なものだけど、それが大声で言われることはないし、皆諦めてるよね? だって世の中に必要なものだし。なのに一方で、車に比べれば事故死率が低いものが、過度に危険視されたりさ。すごく矛盾してると思わない?」
「その持論はわかる気がします。人とは、都合の悪いことからは目を背けたがり、叩きやすいものを傘にかかって叩いてしまう、攻撃的で臆病な生き物。人とは、周りが認めているものであれば、そこで思考停止してしまい、黒いものも白と認識してしまう、哀れで愚かな生き物。嗚呼、人の欺瞞、人の偽善、人の疑点、人の議論。何が善で何が悪か、人の観念で決めることそのものが傲慢ではないの? でも、それでも人は、人の基準にすがって生きるしかない生き物。違いませんか?」
若干ポエム風な口ぶりで、雪岡に同調しつつも、反論も混ぜてみるほのかであった。
「んー、例えば私達よりずっと知性も精神性も進んだ宇宙人が、地球人のことを見れば、ものすごく原始的だと思うんじゃないかなあ?」
「自分はその猿共の中でも、少し宇宙人に近づいた存在だとでも言いたいのか?」
「あはは、それは中々いい例えだねえ。そうあろうとしていることは事実だよー?」
俺の皮肉に、雪岡は笑いながら言った。
「私のやってることも、人類の進歩に貢献していると信じているし、そのために、私が決めた必要最低限のルールで人体実験しているだけなんだから、全然大したこととは思えないなあ」
「どんなに理屈つけようと気に入らない。むしろ理屈なんかつけない方がいいわ、この悪魔」
そう罵るものの、ただの悪魔である方がマシに思えてきた。己の大儀と信念を掲げて人の振りをしているのが、余計に気に食わないとでもいおうか。
「遼二さん、それくらいにしましょう」
いつまでも噛み付く俺を、ほのかがたしなめる。
「どんなに理屈をつけたって、どんなに気に入らなくたって、私は、私達は、赤い目の可愛い悪魔と取引をする。赤い目の可愛い悪魔に体を委ねる。赤い目の可愛い悪魔が私の体を侵蝕する。しかし私はそれを受け入れる。生きるため。守るため」
夢見るような表情と歌うようなポーズで、即興の詩の朗読をするほのか。こいつ、ひょっとして自分に酔っているのかな……
「ほのかの後に俺ももう一度改造してパワーアップしろ」
雪岡を見据えて俺が言う。
「えっと、それは――」
「遼二さん、それは駄目です」
雪岡が口を開きかけたところで、ほのかがぴしゃりと言った。
「リスクがさらに大きくなります。私一人の改造でも、リスクを負ってパワーアップを計るわけですが、遼二さんが同じことをして失敗した際、私一人で戦わなくてはならないハメになります」
「それに遼二君にはすでに二つも能力付与しているし、しかも結構体に負担をもたらすものだったから、これ以上改造するのは危険かなあ」
ほのかと雪岡の二人がかりでダメ出しされ、俺は歯がゆい気持ちで引き下がるしかなかった。




