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ほのかを連れて外に出たが、おすすめの場所と言われてもなあ。
個人的に好きな場所は褥通りだが、いくらほのかも裏通りの住人だからといって、あんな危ない路地に連れ込むのはどうかしているし。
そんなわけで絶好町の繁華街をぶらぶら。
「ここが遼二さんのおすすめですか? 正直言って新鮮味は有りません。安楽市で生まれ育った私には、子供の頃からよく来ていた場所ですし」
「今だって子供だろ」
隣を歩きながら、相変わらず思ったことを遠慮なく口にするほのかに、俺が言った。
「昔、俺と同棲していた女とよく来ていた。特に目的も無く歩いて、喋っていた」
「幸せな時間をお過ごしでしたのね。妬けます。昔の遼二さんを焼きます。ファイアーっ」
「それ、詩のつもりか……」
「ただの冗談ですが」
冗談にしても外しすぎというかズレすぎだが、もう突っこむのも面倒臭い。
「デートみたいですね。ちょっと戸惑いがあります。嬉しくもあるのですが照れと戸惑いの領域が大きい、今の私の心、一体どのようにして表現したらよいのか。しかもこの場所はかつて遼二さんと幸せを育んだ場所だというからさあ大変。私も幸せになりたい。幸せになっていいですか?」
歩きながら引っ切り無しに話しかけてくるほのか。いや、俺に話しかけているのか即興で詩を作ってそれを聞かせているのか、そこが曖昧で、受け答えができない。
「幸せとはそもそも何かという疑問もありますね。うーん……何気ない日常こそが実は幸せと語る方もいますが」
「自分がどれだけ多くの不幸な骸の上に立っているか、それに気がついて実感する――それこそが幸福感じゃないのか?」
俺の言葉に、驚いたように俺を見るほのか。その視線には、明らかに非難が込められている。
「遼二さん、憎まれ口を叩くにも限度というものがありますよ? それでなくても私は純粋な感性の持ち主なのですから」
「自分で純粋とか言うなよ」
「純粋であることは善というわけではありません。自分で自分をピュアと口にすることに、何故躊躇せねばならないのか、それもおかしな理屈です。それともイノセンスと言えば少しは格好いいですかね」
「ようするに多感てことか」
「あ、それです」
ぽんと自分の掌を拳で叩くほのか。
「遼二さん、結構ボギャブラリーが豊富なうえに、的確なポイントをついてきますね。しかしその豊富な語彙も、憎まれ口に用いては台無しでしょう。私と共に詩に費やしてみるのはどうでしょう。きっと心が洗われますよ」
「むしろ心を表す――だろ。それに、美辞麗句ばかりダベっても仕方が無い。俺の口にすることも世の中の真理の一つって奴だ」
それどころか俺は、上っ面だけの美辞麗句ばかり口にする奴が大嫌いだ。ほのかはそこまでひどくないが。
「先程の、幸福が他者の不幸を見て実感できるというものが、真理だと? 賛同できかねますし、口に出してほしい言の葉でもないですね」
「比較があって初めて不幸とか幸福は実感できる。間違ってないだろ」
口にしながら、俺は心の傷を自らえぐっている事を実感していた。
すぐに思い浮かぶだけでも三人、かつて俺の周囲でひどい死に方をした奴等がいる。あいつらの命は、死は、何だったのか。
「それに加えて、競争社会の負け犬の屍が無いと、社会はきちんと機能しないからな」
「共産主義に走るよりはマシですし、そもそも負け犬とかそういう受け止め方がよくありませんよ。どんな境遇にいようと、自分の目の前にある事にベストを尽くすのは、誰であろうと同じではありませんか?」
「甘いよ……。世の中には、どうにもできないことがある。どうにもできずに、運命の悪戯によってくたばるしかない奴がいる。それが負け犬でなくてなんだっていうんだ」
俺はそんな死を何度も見てきた――とは口には出さなかった。
「遼二さんはそういう不幸を沢山見てしまったのですね?」
そこまで語らなくても、ほのかには通じた。
「自分で振っておいてなんだが、この会話はやめよう。暗い気分にしかならない」
「だから安易に憎まれ口などたたくべきではないのです。とはいえ、父が語らぬ遼二さんのことを少し知ることができた気がします」
そりゃあよかったなと、皮肉げな口調で答えてしまいそうになったが、飲み込んだ。いつもならそんなノリの俺だが、今のほのか相手だと、嫌がりそうだ。これ以上不快な気分を味あわせたくもなかったし。
「そうか」
短く頷いたが、これはこれで味気ない気もする。ほのかにもそう思われてそうな気がする。
もしもほのかを恋人にしようとする男が現れたとしたら、相当難易度が高い気がするぞ。感覚が常人といろいろズレているから、どういった言葉で嫌がり、どういった言葉で気を惹くか、掴むまでがキツそうだ。そしてズレてはいるが、聡明でもあるので、安易な誤魔化しもできない。
「で、俺のデートコースが気に入らないなら、いっそほのかが俺をエスコートしてみるのもいいんじゃないかな」
「気に入らないとは言ってませんが、何事も経験ですし、それも面白そうですね。やります」
ほのかが俺を見上げ、微笑む。
「ああ、しかし……いざ言われてると頭がうまく回りません。安楽大将の森くらいしか」
すぐ近くだな。ここからなら歩いて数分だ。
「安楽市のデートスポットだな。そこでデートしたことあるのか?」
「先程も申しましたでしょう。彼氏イナイ暦年齢なのです。父に散々、くだらない男に引っかかるなと言われていましたし、私も選り好み激しいというか、父に散々聞かされていた遼二さんのヴィジョンと比較してしまうと、どうしても今まで出会った男の子が見劣りしまくりましたし」
おっさんは俺のことをどれだけ美化して伝えたんだろうか……
いや、問題なのはおっさんの言葉に影響されている、ほのかの方だな。
「実物を見てがっかりしてくれれば幸いだ」
また反射的に皮肉を言っちまった。うーん……
「皮肉が多いのは意外でしたし、そこは確かにマイナスポイントであると存じます。しかし落胆に至るほどではありません。遼二さんはまるで、落胆してくれた方が良いという口ぶりですが」
「本人の預かり知らぬ所で勝手にイメージ広げられても、気持ち悪いってのが本音だし、前もっても持たれたイメージ押し付けられるのも嫌だよ」
「イメージとの齟齬は前もって思慮にぶちこんでありますよ? 色眼鏡で見ようなんて失礼なことは思っていません。多少無意識のうちにやっているかもしれませんが、それは全部父のせいなので、後で存分に父に文句を述べてくださいな」
理屈で言うと確かにそうなるな。娘にべらべらと俺のことを全て喋った、おっさんが全部悪い。
喋っている間に安楽大将の森へと着き、中へ入っていく。
「遼二さん……カップルが、アベックが、ペアが、ツガイが沢山です……」
ほのかが嫌そうに言う。
「自分もその一つとして見られるのが嫌なのか?」
俺の問いに、ほのかは口元に手を軽く添えて思案する。
「そうではありません。いや、そうかもしれません。嗚呼……先程の遼二さんが仰っていた言葉が今実感できます。他人の幸福が妬ましさマックスです。昔ここに来た時は、そんな意識は無かったというのにっ」
「ここに来るのは久しぶりってことか」
「はい。まだ私が小さい頃は、よくここに両親に連れて来てもらったのですよ。父に肩車とかされて、うっかりあの店の低い屋根に頭を打ちつけられて、プロレスラーの如く大流血して、救急車で運ばれたのも、今となっては良い思い出です」
そう言ってほのかは、和洋折衷な売店兼喫茶店の『弾痕の安らぎ』を指した。
正直、俺はほのかに軽く嫉妬していた。俺はまだ小さな頃、保護者に遊びに連れていってもらった事が無いからな。
あいつには、憎まれ口叩かれながらも玩具を沢山買ってもらったし、それはそれで嬉しくはあったけど。




