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東京都内といっても、安楽市は東京の西多摩郡全域と南多摩群の一部市町村を合併したがために、面積だけなら東京の三割以上を占めているが、その面積比率は大半が山岳地帯である。
安楽市は暗黒指定都市の一つだ。市内の様々な場所に裏通りの組織のアジトや施設が無数にある。山の奥や森の中にも。
何故このような併合がなされて、しかも人口の多い都心部ではなく、田舎の方を暗黒指定都市にしたのかという疑問に対して、様々な説が有るが、東京都区部からずらした場所にならず者を集めた方が、管理する側にとっては都合がよいという説が有力だ。ようするに東京都区部の人柱である。また、地方都市に人口を集めるためにも役立つという理由もある。
破竹の憩いの本拠地は山岳地帯の奥にあった。
森林の中、車一台しか通れない狭い道の先にある、古ぼけた工場。ちょっと目には何を作っているのか、一般人にはわからないだろう。そもそも滅多に人が通ることも無い場所だ。
「裏口には誰もいなかった!」
単身偵察に出ていた美香が戻ってきて告げた。入り口にも見張りはいない。不自然なまでに人気が無いのを、弓男達は不審に思う。
「中で待ち構えているってことでしょうかねえ。彼等の情報、何かわかりません?」
眼鏡に手をかけながら、真に向かって尋ねる弓男。
「一昨日の工場にいた構成員は、全てこの本拠地に集められているはずだ。戦力を集中させていると見ていい」
真が答える。
「そんなこたー、俺らも判断つくんですがあ?」
揶揄する鷹彦に、真は無反応のまま、一人で工場の中へと歩を進めていく。
「あっれえ? 怒っちゃったのかなあ?」
真の後を追い、へらへらと笑いながら鷹彦。
「別に怒ってはいない」
歩きながら、ショットガンとサブマシンガンを構える真。
真、鷹彦、美香と弓男の順に建物の中へと入り、歩いていく。外観は古ぼけていてあまり綺麗ではないが、中は壁も床も新しく、清掃も行き届いている。
「ていうか、せっかく弓男好みの可愛い顔してるのに、いつもそんなつまらなさそうな顔してんのはどーよ。少し愛想よくしたらどーよ」
前を歩く真をしつこくからかい続ける鷹彦。
「鷹彦もいい加減にしないとね、私の方が怒っちゃいますよっと」
真に誤解されている気配もあって、弓男もいい加減そのネタのしつこさにうんざりしていた。
「無表情の件は触れてやるな! 皆に言われているようだが、真にとってはトラウマなんだ!」
美香が真をかばうニュアンスで言ったが、真からすると言わなくてもいい余計なことを口にしたように受け取られた。
「正確にはトラウマのせいでこうなったんであって、いつも無愛想なことがトラウマなんじゃないぞ。それに愛想は無いけれど、無感情ってわけじゃないし。ただ感情を表に出すのが下手になってしまっただけだよ」
と、真。
「児童虐待とか、そんなところですかねえ」
弓男の何気ない言葉に真の足が止まる。
「よくわかったな」
「それで感情表現が下手になるというのも、わりとよくあるケースですし」
弓男が言った直後、真がショットガンを撃った。
「ほう……」
真の様子を見て、感嘆の声を漏らす弓男。一昨日の戦いでは殺気の乏しかった真が、凶悪なまでに殺気を漲らせて、立て続けに銃を撃ちまくっている。
遮蔽物の無い通路に、ざっと見ただけで十人を超える破竹の憩いの構成員が綺麗に列を作って、通路の前方で待ち構えていた。真の銃撃によって次々と死んでいくが、すぐにまた新しい敵が後ろから沸いて出てくる。
「こりゃ不味い! マジ死ぬって!」
一目散に逃げる鷹彦。コンセントで銃弾の弾道を予期できるようになっていても、狭い通路に犠牲覚悟の敷き詰められた配置では、あっという間に蜂の巣にされる。
いや、すでに鷹彦は一発、弓男も二発、銃弾をその身に受けていた。全て防弾繊維で防がれたのは運が良かった。
「魂の死角! アンド、不運の後払い!」
壁際でしゃがみこんだ美香が叫び、逃げずに応戦する。
真の方はというと、隠れる場所も無い通路で隙間無く雨あられと降り注ぐ弾幕にさらされながら、身一つで弾と弾の隙間を縫うように動いていた。
弾丸の発射されるタイミングも、弾道も、真には全て見えている。読めている。わかってしまう。それに対応してどう動いたらいいか、目から、脳から、さらには第六感からの情報によって、すぐに全身へと伝達され、体が自然と動いてしまう。
どちらかというと視覚よりも、勘に依存しての先読みの比重が大きい。その気になれば目を瞑っていても、ある程度は避けれる。
「終わったぞ」
弓男と鷹彦の二人がかなり遠くまで逃げた所で真が呟くが、その声が届いたのは、逃げずに奮戦していた美香だけだった。
「むう……流石だ」
銃弾の雨の中を生き延びた真を見て、唸る美香。
美香は一発もその身に銃弾を受けていなかった。真は腕と脚に二発喰らって腕から出血しているが、かすり傷のようだ。
「おいおい、あれを逃げずに倒しちまったのかよ、お前ら」
通路の先で折り重なる死体の山を見て、鷹彦が舌を巻く。
「私は運命操作を二つほど使用したが、こいつは生身でほとんどかわしていた!」
美香が心なしか誇らしげに言う。
「大した化け物っぷりだねえ。本当にお前、生身なわけ?」
称賛や驚嘆よりも、呆れてしまう鷹彦。
「生身だよ。僕は改造されてもいないし、超常の力も無い。増長しているわけじゃないが、こいつらでは駄目だな。大して緊張感も無い。僕にもっと強い死の恐怖を与える相手とでないと、命のやり取りを楽しめない」
「はは、ありがちな戦闘狂さんですか。君と同じような人は何人も見ましたし、私自身もこういう世界に生きていますから、気持ちはわからないでもないですがね」
真の言葉を聞いて、自分と同じだと弓男は思った。結局の所弓男もこの世界にいるのは、死と生の狭間でスリルを楽しんでいたいという理由が大きい。
真からすれば、弓男の言葉には異があった。別に戦闘狂のつもりではない。それを自然だと思っている。
「不自然な事だとは思わないよ。全ての生物の中にある、自然の本能として備わっているものだろうから」
「命は生き永らえさせるためではなく、燃やし尽くすものだって思っちゃっているタイプですかね。ま、私もその類ですけどー」
反論に対し、弓男が口にした言葉は、また真が思っていることとは違う代物だった。
「僕はそんな死にたがりじゃあないぞ。絶対に生き延びるつもりでいる」
静かに、だが明らかに決意のこもった口調で言い放つと、真は再び先頭に立って、奥へと進んでいく。
「若い子に先に行かせて、後からコソコソついていく年配の革命家ってのも、しまらないもんですね。これ」
最後尾に陣取りつつ、弓男は呟いた。
***
「ぐぬぬぬぬ……どういうことかね……雪岡君」
相沢真が天野弓男及び月那美香と手を組む形で、このアジトに乗り込んできて、なおかつ残った構成員を殺害しまくった報を受け、福田が唸る。
「聞いての通り、裏切ったんだよー。真君が私をね。まあいつものことだし、気にしない気にしなーい」
純子はいつもと変わらぬ様子で、無邪気な笑顔のまま、軽い口調でそう返す。
「どうしたらよいのでしょうか……。例の三人に加えて、あの相沢真まで敵に回るなど、どう考えても私達では太刀打ちできませんが」
困り顔で、純子に指示を仰ぐ警備局長。
「逃げてもいいと思うけれど、あの子達の目的は、BC兵器を製造した破竹の憩いそのものを潰すことだから、逃げても見つけ出されて殺される可能性もあるねー」
「では戦うしかないわけですか……」
「分散せずに戦力集中した方がいいと思うよー。相手を殺すより殺されないようにすることを徹底して、なるべく時間を稼いでね。その間に私達でこれを完成させておくからさー。まあ、かなわないと見たら、一応降参か逃亡してみたらいいんじゃなーい? 革命家の子はともかく、真君や美香ちゃんなら、許してくれそうだと思うしさー」
指示を出しながら、診療台の上で拘束され、異形の姿へと変えられた柿沼に一瞥をくれる純子。
「わかりました。よろしくお願いします」
警備局長が悲壮な面持ちで頷き、ラボから出て行った。
「間に合わないのではありませんか? 脳波も心拍数もまるで安定していません。投薬の副作用で、細胞に異常も見受けられます。今、戦いに投入しては……」
研究員の一人が不安な面持ちで報告する。改造手術を施した柿沼のことだ。切り札として、弓男達に投入する予定であったが、明らかに調整しきれていない。無理に戦わせた所で、すぐ体組織が崩壊することが予測できた。
「んー、十分かそこらくらい、もてばいいと思うよー。一回戦闘できればいい程度で、あとは使い捨てって割り切っていいからさー。とりあえず動けるようになるだけでも頑張ろー」
屈託の無い愛らしい笑みを満面に広げて非情なことを告げる純子に、研究員達は息を呑むが、純子のその清々しいまでの悪逆非道っぷりに、何人かはつられて笑みをこぼす。
その直後、惨劇は起こった。
柿沼の体から伸びたチューブによって福田が右胸部を貫かれ、もんどりうって倒れる。
「麻酔が切れている!」
研究員の一人が引きつった表情で叫ぶ。
拘束を引きちぎり、柿沼がゆっくり起き上がる。先端に金属製の球体をとりつけられた無数のチューブが触手のように蠢き、ゆっくりと次なる獲物を探す。
「避難だ! 早く逃げろ!」
自分達が弄んでいた玩具の反逆に蒼ざめ、必死の形相でラボから逃げようとする研究員達。柿沼は覚醒したばかりで、意識も動きも鈍いようで、逃げ出す研究員達をすぐに追っていこうとはしかなった。
「こっちの言うこと聞かないようじゃ、あんなものを作るのは危険ですよ!」
腰が抜けて逃げ出せない研究員が、純子を非難するかのように喚く。
「んー、言うことは聞かせられるんだけれどねー。ちょっといきなりな展開だったねえ。あははは」
座ったまま、テーブルの上に置いてあったコーヒーカップを手に取り、危機感の無い様子を見せつける純子。
「よくも……俺をこんな化け物に……」
悠然とコーヒーを飲む純子を、柿沼は憎々しげに睨み付けて呻く。
「えー? かっこいいと思うけどなー。気にいらなかったぁ?」
全身の肌が黄色に変色し、左右の脇の下から黒く長いチューブのようなものが合計十本伸び、チューブの先には銀色の球体が取り付けられ、頭部は己の両手でも抱え切れないくらいの大きさの柿となり、その柿の前面に元々の柿沼の顔が憤怒の形相で浮かびあがっているという姿。そんな柿沼をじっくり見つめて、不思議そうな表情で純子。
「うん、何度見てもかっこいいよ。何が気にいらないのー? あ、やっぱり柿のヘタを股間につけて、プロペラ式に回転させた方がよかったかなー? 福田さん達に下品だからやめろって止められたんだけど」
「ふ……ざっけるなあああぁぁあぁぁ!」
怒りの咆哮をあげ、両手を大きく広げ、脇の下の黒いチューブを五本伸ばす。
伸縮自在のチューブが、目にも止まらぬ速さで伸びて、純子の体を貫かんとしたが、純子は笑みを張り付かせたまま、椅子から横向きに転がり落ちてその攻撃をかわす。
「そういえばさあ、真君を殺せば、私を守る者がいないとか考えていたらしいけれど」
起き上がる途中に、純子は宙にホログラフディスプレイを投影する。ディスプレイの中に怪人化した柿沼の姿が映し出され、純子はその頭の部分を指で触れる。
柿沼の動きが停止した。憎悪も怒りも瞬時にして消え、柿沼は己の意思を失っていた。
「真君に戦い方を教えたのは、私なんだけれどなー。何を根拠に、私が戦えないと思ったんだろ? って……」
呟いてから、純子は福田が血溜まりの中に突っ伏して倒れていたのに気づく。
「あれま、すまんこ。忘れてたよー」
全く悪びれた様子を見せずに純子はしゃがみこみ、福田の頭を自分の膝の上に乗せて介抱し始める。明らかに致命傷だ。
「もうちょっと麻酔を効かせておくべきだったねー。思いのほか、いい出来だったみたい」
「ひどい話だな……。私は……運が無かったということか」
純子の朗らかな笑顔を見上げ、つられて笑ってしまう。この少女のミスで自分がこんな目にあっているというのに、不思議と恨む気にもなれない。その笑顔を見ているだけで、そんな気持ちが沸かなくなってしまう。つくづく不思議な子だと思う。
「私は君のようになりたかった……。もっと研究に励み、すごい生物兵器を作って、マッドサイエンティスト界に知らぬ者無しというくらいに、私の名を轟かせたかった。君に嫉妬し……憧れていた。でも、これでもう……おしまいか……」
妬み、憧れていた人物に、せめて逝く前に胸の内を明かしておきたかった。短い間ではあったが、一緒に研究したり議論を交わしたりして、よい刺激にもなったし、やる気も注入された所で、こんな結果になった事が、福田は悔しかった。
「んー、脳さえ無事なら何とでもなると思うよー?」
そう告げると、純子は福田の首筋に注射を打つ。苦痛が消え、同時に意識もぼやけていく。安楽死させる薬品かと勘繰ったところで、福田の意識は途絶えた。
「じゃあ喜一君、一緒に遊びに行こっかー。せっかくクライマックスなんだから、いい思い出作ろうねー」
「ああ……やっ……で……やる……」
純子の弾んだ声に、柿沼はくぐもった声で応じ、共にラボを出ていく。今や柿沼の頭は、純子に対する機械的な忠誠心と、破壊への欲求、この二つだけによって支配されていた。




