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夜。義久は真と純子と共に、裏通りの住人達が集うバー、『タスマニアデビル』へと向かった。正確には連れていかれた。
「ここは争い御法度の中立指定の場所だよ。情報交換や仕事の取引でもよく使われているねー。もちろん取引は、人前で見られたり聞かれたりしても平気なことに限るけどねー」
ボックス席へと歩きながら、純子が解説する。今後裏通りで活動する際に、活用するようにという事なのであろうと、義久は受け取る。
「争い御法度って、争いを起こしたらどうなるんだ? 警察にしょっぴかれるのか?」
席に腰を下ろし、義久が尋ねる。裏通りの住人や組織が集中している『暗黒都市』にもよるが、大抵のパワーバランスは警察の方が裏通りより上であるし、基本的に裏通りの住人は警察には逆らわないという事は、義久も知っている。
咎められることはこっそりとやる。ただしホルマリン漬け大統領のように、政界財界メディアにまで影響を及ぼす大組織となれば、話は別になる。警察の目も気にせず、おぞましい商売にも平然と手をつける。
「何だ、勉強不足だぞ。『中枢』も知らないのか」
真が言う。言った直後、真は自分のその台詞にデジャヴを覚える。
「裏通り用の公的機関みたいなもんだ。裏通り共通のルールも定めている。多くの組織はそれに従っているし、背けば警察より先に中枢から刺客が送られるよ」
「うーん、後で勉強しておく……」
真の話を聞いた限り、結構重要そうな知識であったにも関わらず、予習不足で知らなかった事を恥ずかしく思い、義久は曖昧な表情になる。
「それにしても、見た感じ上品なバーだな。広いし。裏通りの酒場とか、もっといかにもヤバそうな雰囲気な場所を想像していたのに。未成年がやたら多くて、平然と酒かっくらってる所だけ違和感だけど」
感想を述べる義久。
「あそこでピアノ轢いてるのは累か。ヒキコモリじゃなかったのか?」
「そのヒキコモリ克服のために、夜ここでバイトしているんだよー。累君は裏通りの住人相手だと、まだ安心できるんだってさ」
累を発見して尋ねる義久に、純子が累の事情を語る。
「いろいろ複雑なんだな、裏通りも。イメージしてたのと全然違うわ」
裏通りに堕ちる前の義久は、裏通りそのものが悪以外の何物でもないと考えて、妹を殺した組織と一緒くたにして憎んでいたが、一歩足を踏み入れ、そこの住人達と触れ合って、そのイメージが完全に吹き飛んでしまった。
「先に来ていたか! こんばんは!」
三人のいる席の前に美香が現れて叫ぶと、そのまま義久の隣へと座る。
「美香ちゃん、昼間はおつかれさままま。ところで美香ちゃん、ひょっとして、自分のクローンがあるかどうか確認しに行ったのー?」
「……んぐっ! うぐぐ……!」
純子の問いに露骨に鼻白む美香。
「その目的が無いといえば嘘になるが、まずは依頼優先!」
「美香ちゃんのクローンが無かったのは残念だねえ」
「何が残念か! ほっとしている! まだ油断はできんが!」
「冗談だよー。まあすでに販売されているクローンの中に、美香ちゃんもいるかもしれないけどねー」
「冗談ではない! 想像しただけでぞっとする! むしろ言うな! 想像してしまうだろうが! 想像させるな!」
からかう純子に、美香はわりと本気で嫌がっているように義久には見えたが、台詞だけ聞いていると何故かおかしくて笑ってしまう。
(この子も相当変わり者だな。吹雪も結構な変わり者だったけど、生きていたら裏通りに堕ちていたとかは……ないよな。いや……わからん)
ふと妹のことを思い出す。何をしでかすかわからない子だったので、生きていたとして、裏通りに堕ちないという確信は持てない。どんなことにでも首を突っこむ怖いもの知らずの性格だった。
「何をにやにやしている!」
隣でにやつきながら自分を見下ろしている義久に気がつき、美香が問う。
「すまん。妹のこと思い出してね。それと美香ちゃんがテレビと同じように、面白い子だからさ」
「私と妹さんが似ているのか!?」
「変わった子……という共通点だけだよ。いや、失礼。もう死んでしまったけどね」
義久の一言に、美香は口をつぐむ。
「ホルマリン漬け大統領に殺されて、その仇を討ちたいそうだ。ただ興味本位で首を突っこんで、記事にしているわけじゃない。この男にはちゃんと信念があって、最近裏通りに堕ちてきた。いや、これが裏通りに堕ちて初の仕事だ」
突然真が美香に向かって、フォロー気味に義久の経緯を語ってくれたので、義久は意外そうに真を見た。
(昼間のタクシーの中でのやりとりを気にしてんのかな? 復讐に否定的な発言していたのに、みどりや運転手さんに逆のこと言われて、少し考えが変わったとか)
真を見て義久はそう推測する。
実際、義久の推測は当たっていた。義久に対し、余計なことを言って不快な気分にさせたと引け目に感じていたので、その借りを返すニュアンスも込めて、マスコミという立場だけで義久を不審がっている美香に対し、フォローした。
「みどりも人相見ろと言っていたが、一緒に仕事するかどうか、こいつの人物を見て判断しろよ。というか、その判断をするためにこの席に来たんだろ? それに、この件はお前一人の手には余るし、僕やこいつの力があった方がいいんじゃないか? マスコミにどんな嫌な思いがあって信用できないか知らんが、僕は信じていいと思うがな」
「むうっ!」
真に説得され、美香は唸って腕組みし、思案する。
「君ね、年上捕まえてこいつ呼ばわりはないだろ。でもありがとな」
にっこりと微笑んでウインクしてみせる義久に、真は内心うげっとなる。この男のウインクが、どうしても生理的に受け付けない。
「妹が遊びで殺されて、その映像が糞野郎相手に販売されてさ。そいつを見て、何もかも反吐が出る思いだった。裏通りのことも憎んだ。悪が堂々と存在し続けていて、妹はその悪に食い物にされた事実が許しがたくてさ。それに対抗しようとして、俺は美香ちゃんの言うマスゴミっていうもんになったんだよ」
「んぐぐぐ……すまなかった……」
やんわりとした口調で語る義久に、美香は申し訳無さそうに謝罪する。
「結局駄目だったけどな。表通りのペンの力は及ばない。でも俺はあくまでペンを武器にしたいと思った。暴力で封殺するんじゃなくて、多くの人の心に訴えるペンの力が、有効だと感じた。ペンの力ってのは心の力だと、俺は信じたいのさ。青臭いこと言ってると笑われちゃうかなー。ま、俺は裏通りに堕ちることで、ペンと剣の両刀使いになろうとしているわけだがね」
三人の少年少女は、義久の主張を否定する言葉を一切返さず、小馬鹿にしたような目でも見られることが無かったので、義久はほっとした。
(社内にいた時は、先輩らの多くは俺のことを理想論振りかざす青二才だと、小馬鹿にした目で見ていたからなー)
ほんの数日前まで、自分は常に侮蔑の視線を向けられていた。もちろん義久のことを理解して認めてくれていた同僚記者もいたし、そういう人達は全く逆の、温かい視線で義久を見ていた。
(こいつらからも、先輩やあの人達と同じ、温かい視線を感じるよ。だから俺はこいつら信じて頼るわ)
そう義久は心に決める。
「ところで美香ちゃんの依頼者はどんな人なんだ?」
義久が尋ねる。
「守秘義務を犯せるか! しかも記者相手に!」
「元だけどなー。まあ馬鹿なこと聞いてすまなかった。めんご」
片手を顔の前に上げ、片目を瞑って愛嬌のある笑顔で謝罪する義久。
「多分、友人の芸能人に、自分のクローン作られていないかとか、そういう依頼があって調査なんだろうな」
「当てるな! 馬鹿!」
真の指摘に、美香が怒ったように叫ぶ。
「美香ちゃん、そこであっさり認めるのもどーかと」
純子が突っこんだ。




