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(うっひゃあ、こいつぁすげえ。普通ならもうこれで動くことはできないっしょー。多分これ、動くことはおろか、呼吸もまともにできない有様だぜぃ? もう死んでるかも)
真の目を通して、限定空間内だけで吹き荒れる猛吹雪を見たみどりが、感嘆の声をあげる。
「確かにな……。これはキツそうだ……」
頭痛と違和感をこらえ、気を紛らわすように、声に出して喋る真。
(真兄……なるべく早くやめた方がいい。真兄も危ない)
珍しくみどりが鋭い声を発する。
低温の空気が凶器と化して肌を切りつけ、体温を奪う、氷結の世界。
吹雪が吹き荒れている空間から脱出するにはそう大した距離ではないはずだが、正美が中から出てくる気配が一向にないのを見ると、この中では動くこともままならないのだろうと、真とみどりは思う。
真の手の中にあった二枚貝が、粉状になって崩れ落ちた。精神増幅装置であるこの魔道具が、強制的にフル稼働させられ、あっさりとその限界を迎えてしまった。
「こっちも限界だ」
眩暈と吐き気を催し、真は術を解いた。嘘のように吹雪が収まったが、床に雪と氷の粒は大量に残る。
正美は体中を雪で覆われた状態であったが、しっかりと立っていた。立ち往生しているわけではない。体を揺らし、明らかに呼吸している。
だがその目つきは全く異なる。いつものどこからとろけたような目つきではなく、血走った目を大きく見開いて虚空を見上げている。
「がああああっ!」
突然正美が咆哮をあげた。真は銃口を向けたものの、引き金は引かなかった。正美は明らかにこちらに意識を向けていない。
「熱い! 暑い熱い暑い熱い熱い暑いっ!」
思ってもみなかった言葉を連呼し、正美は必死の形相で体についた氷雪を両手ではたきおこし、上着を脱ぎだして上半身下着姿にまでなり、さらには己の体までかきむしりはじめた。
「暑いーっ! 熱い暑い熱い!」
喚きながら爪で肌を激しく傷つける様は、狂気を感じさせる。
(コンセントの過剰服用で凌いだのか? それによって体温を急上昇? いや、暑いと感じているのは他が原因か?)
突然錯乱しだした正美を見て、真は考える。
(低体温症じゃないかな~。そのせいで自律神経がイカレて、寒いのに暑いって感じちゃうらしいんだわ。冬の登山で遭難して死んだ人が、裸で死んでいるケースとかあるんだよ。八甲田山の雪中行軍でも、裸で死んでた人がいたっていうよォ~。あのまま放っておけば死にかねないけど、真兄どうするぅ?)
みどりの最後の言葉を聞いて、真は気力をふりしぼって、正美へと近づいていく。
真も上着を脱いで、正美の背に上着をかける。さらに正美の体を正面から力いっぱい抱きしめ、氷のように冷たい肌を一生懸命こすっていく。
その間にも正美は喚いて暴れていたが、大して力も出ないようで、真の抱擁をふりほどくことはできなかった。
「あ……あれ?」
やがて正美は正気に戻り、ぼーっとした表情ながらも、暴れるのも喚くのもやめて、自分を抱きしめ、擦り、必死に体温を戻そうとしている真の姿を認識した。
「一応命の恩人ってことになるんだけどな。まだやるか?」
正美の耳元で真が囁く。
「いや、負けでいいよ。でも私がそれでも仕事は仕事と言って、油断しているあなたを殺そうとしたら、どうしてた? 是非聞きたい。後学のためにも教えて」
「そんなことする奴ではないと確信していたから、助けたんだよ。それに、お前を殺すより、ここで貸しを作っておく方がいいという打算もある」
「ふーん。でもさ、それなら、まだやるか? なんて確認はいらないと思いまーす」
微笑みながら正美が言った。会話の間も、真は正美の体温を上げる作業を行っている。
真自体も倒れそうな辛い中での作業であった。
(勝つには勝てたが、際どい所だった)
声に出さずに呟く真。
(頭痛いし気持ち悪いしで、みどりの力を引き出した時より格段にキツいぞ。増幅装置一つ壊しておいてこの様か)
真が今回用いた精神増幅装置も、そうおいそれと入手可能な代物ではない。それをあっさりと使い潰してしまった。
(ふえぇ……今の時点で扱うのはかなり危険だわさ。あたしが真兄を依代にして術を使った時もそうだったけど、全ての術師は訓練の過程で、脳のある部分が鍛えられているんだよね。真兄の鍛えられていない脳で、強力な術の行使は無理ありすぎだよォ~)
(前世の力を引き出して、安易にタナボタチートパワーアップとはいかないってことか)
何故かみどりの話を聞いて、真は安心した。
(あたしは門と鍵の役を果たしているから、コントロール事態は真兄がしないと駄目だもん。制御するには相当な修行が必要だと思う~。才能の問題もあるけど、そう楽に使いこなせるもんじゃないでしょ、これは。ようするに前世の力を完全に使いこなすには、前世と同じくらい修行して、力の底上げが必要ってことだわさ。ま、術を編み出す手間は無いし、同一人物だから習得は速いかもだけどね~)
(それでいい。楽に手に入った力じゃ価値が無い)
頭の中で不敵に笑う自分を思い浮かべる真。
(引き続き、雪岡の目につかないようにこっそりみっちり特訓だな)
***
人間が海の上を飛んでくるという光景を目の当たりにし、船員達は唖然とした。自分が夢でも見ているのではないかと疑う者すらいた。
この船はアンジェリーナ・ハリスの要請により、さらった日本人の受け渡しと、ドリーム・ポーパス号に援軍を送るために派遣された、グリムペニスの船である。
戦闘特化した海チワワの兵士達に比べて錬度こそ劣るが、乗船している兵士の数は、ドリーム・ポーパス号に乗っている海チワワの兵士の三倍以上。戦力としては決して見劣りしない。
「おじゃましまーすっと」
船の甲板に着地し、黒斗は朗らかな笑顔で言い、周囲を見渡す。
侵入者は排除せねばならない。しかし、背中からロケット噴射口と鉄の翼を生やした、2メートル越え美女が、空を飛んできて船内に降り立つというシチュエーションに、甲板にいた者は一人の例外も無く固まって、遠巻きに黒斗のことを伺っている。
「ん? いいのかな? 先に仕掛けなくて。外道のお仲間なんか俺は一切容赦しないよ。それが俺の意思だ。つまり日本警察の意思だ」
笑顔かつ軽い口調で喋っていた黒斗だが、最後の一言で表情も口調も一変させる。声のトーンが急に低くなり、顔から笑みが消え、殺気が迸る。
黒斗は両手を顔の前でバツの字に交差させると、勢いよく両手を前方に振り下ろして斜め下脇横へと広げる。
腕が振り下ろされている間に、黒斗の肘から先が消失していた。
腕を振り下ろしたと同時に、甲板にいた男達全員の頭部が、一斉に横から後ろから前から見えない力で粉砕された。
黒斗の腕が元通りになるのとほぼ同時に、今まで立っていた男達が一斉に崩れ落ちる。
しばらくすると、異変を察し、船の中から武装した兵士が大量に沸いてくる。
先頭の兵士達のアサルトライフルが火を噴く。無数の弾丸が黒斗に降り注いだが、黒斗は涼しい顔で兵士達を見ている。
銃弾は確かに当たっているのに、血がしぶくこともなければ、服に穴さえ開かない。それどころか、まるで黒斗の体をすり抜けるようにして、背後の床や手すりが銃弾で穿たれていることに、気がついた者もいた。
黒斗はその場を動くことなく、腰を落として正拳突きの素振りを行う。
拳を突き出した瞬間、また肘から先が消失し、それと全く同じタイミングで、船の中から現れたアサルトライフル持ちの兵士ほぼ全員の胸の中心が、見えない何かで貫かれ、ぽっかりと穴が開いた。
見えない攻撃を逃れたのは、たまたま黒斗の視界には入らない兵士であった。突然、大半の兵士の胸に大きな穴が穿たれて倒れていく様を見て、彼等は恐慌をきたす。
「どんどん来いよ。この船にはあと何十人いる? 何百人いる?」
嘯きながら、黒斗はアッパーの素振りを行った。生き残っていた兵士達の顎から顔面にかけて、下から上へと吹き飛ばされ、顔無しの状態になって倒れていく。
「皆殺しにしてやんよ。それが俺の意思。つまり日本警察の意思と知れ」
誰ともなしに宣言すると、手前に大量の兵士達が血を撒き散らして倒れている、船の中に続く入り口に向かっていく黒斗。
その後起こった事は、甲板で行われた事と全て同じだ。




