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その日の雪岡研究所の朝は、三人で食事になった。鉢植えにされたせつなと毅は、純子の食事が終わった後に与えられる。
「久しぶりだねー、この三人だけで御飯するの」
茶碗と箸を手に取りながら微笑む純子。
「みどりと蔵さんは……どうしたのですか?」
累が尋ねる。
「蔵さんは親戚に不幸があってお通夜だって。みどりちゃんは薄幸のメガロドンの方に三日くらい泊まりに行ってくるってさー」
「みどりは何のかんの言って、ほっぽらかしてきた薄幸のメガロドンが心配みたいだな」
真がそう言った直後――
(へーい、別に心配ってわけじゃないよぉ~? たまには顔見せにってなだけさね。一応あたしが生まれ育った場所だもんよォ~。周りの大人だって、小さい頃からの知り合いいっぱいなわけだしさァ)
真の頭の中でみどりの声が響く。真と直接精神を繋げてあるため、真の行動も思考もほぼ筒抜けの状態となっている。
(つまり心配ってことだろ。照れる必要はない)
(え~、照れてるわけじゃないのに~)
頭の中でみどりに向けて台詞を送ると、みどりがそれこそ照れ笑いを混ぜたような響きの声を、真に返してくる。
「実は今まで黙っていたけど、かなり衝撃的な真実があるんだ」
ややトーンを下げた思わせぶりな口調で、純子が言う。
「ねー、聞きたい?」
「別に」
自分の顔を覗き込んでくる純子に対して、全く感心無さそうに食事を続ける真。
「累君は聞きたいよねえ~?」
「え……は、はい……」
テーブルの上に身を乗り出して顔を近づけ、満面に笑みをひろげる純子に、多少引きながら頷く累。
「実はねえ、真君はクローンだったんだよ」
純子の言葉に、真も累もノーリアクションで食事を続ける。
「しかも四体目くらい」
なおも言葉を続けるが、二人共反応しない。同じノーリアクションでも、累はただただ反応に困り、真は反応する気が最初から無い。
「でも君がたとえオリジナルでなくても、君の記憶がたとえ作り物だとしても、君は君なんだからね。嘆かないでね」
「ああ、忘れないうちに言っておこう。蔵さん、海老はアレルギーでダメらしい」
大げさな口調で言う純子に、全く関係の無い話を振る真。
「あ、そうなんだー。じゃあ今後蔵さんのだけには入れないようにしないとね。そうだ、今夜は何が食べたい?」
「ジンギスカンとか」
純子の問いに、真はそう答える。
「えっと……今のそれって、冗談のつもりだったんでしょうか……?」
累が問う。
「僕は冗談のつもりだったけど、お前はどっちに対して言ってるんだ?」
累に向かって真が聞き返す。
「純子の方……です。真が実はクローンとかの……」
「こいつは普通とズレているから、今のが意表をついたつもりという感性なんだろ」
どうでもよさそうに言った真の言葉に、純子の笑みが固まる。
「私ってそんなに人とズレてるのかなあ……。そう言われると何か哀しいし、理解に苦しむよー。今ので驚かない方がおかしくない?」
「いくら雪岡でも、そんなことするわけないとわかりきってるレベルだろ、今のは。もう少しリアリティ近づけろよ。飛びすぎだろ」
がっかりした感じで御飯に箸をつける純子に、何が駄目なのか説明する真。
「ああ、そうだ二人共、後でちょっと頼まれてほしいことがあるんだけどー」
すぐに気を取り直して別の話題を振る純子。
「私が半世紀以上にわたって収集した秘蔵のグロ動画コレクションの中から、特に見応えあるのを編集して繋ぎ合わせてダイジェスト動画作ってたのが、さっきやっと完成してさー。動画サイトに送ろうと思っていたんだけど。真君に私の感性がズレてるっていうから、ちょっと不安になっちゃって……。ちゃんとした仕上がりになっているかどうか、動画ファイル投稿する前に二人にチェックしてもらいたいんだけど」
「そんな動画を……半世紀も貯めて編集し、なおかつ挙げようとする……時点でズレてますよ」
「今のも冗談のつもりなんだろ。冗談でも相変わらずズレてるし面白くないけど」
二人の少年の反応がまたも芳しくなかったので、純子は疎外感のようなものを覚え、虚ろな視線を虚空に向け、乾いた笑みを浮かべる。
その時、純子の携帯電話が振動する。
「おや、実験台志願者のメールきたけど、差出人が零君だよ」
携帯電話から映像を宙に投影し、意外そうに言う純子。
「あいつはすでに改造済みだが、また改造しろってのか?」
真が胡散臭そうに問う。メールの差出人の早坂零という男を、真は好ましく思っていない。
「そうじゃないみたい。零君はただのエージェントで、希望者は別だって」
喋りながら純子はメールをうち、返信する。本人がちゃんと書くように促す内容であったが、さらに返ってきたメールを見て、純子は携帯電話を白衣の内にしまった。
「本人を直接連れてくるってさ。何か事情が有りそうだね」
肩をすくめ、純子は食事を再開しだしたが、また携帯電話が振動する。
「おやおや、続けざまにもう一件、実験台志願が来たよー。名前も書いてある。ワリーコのミサゴ? ハンドネルームか何かかな?」
「ワリーコは……イーコの掟を破って、イーコの社会から追放された者です……。その存在を知る者は……滅多にいませんが」
累が反応して解説する。
「ネーミングの安直さはともかくとして、実質的にはイーコなんだよな? 累が東京ディックランドで会ったっていう」
真が尋ねる。
「ええ……イーコは稀に人の手を借りることもあるようです……が、よりによって純子の手を借りに来るとは、余程……切羽詰った大事なのでしょう」
「すごく興味あるなあ。イーコの体をいじれるなんてさあ」
うきうきした表情の純子を見て、どうにかして妨害してやりたいと思う真であった。
***
亜希子は百合の指示で、早坂零という男と共に行動することになった。外の世界を何も知らない亜希子のお守り係として、零が指名されたのである。わからないことは全て零に聞き、困った時は助けてもらえと、百合に言われた。
二人は今電車の中にいる。百合の指示を受け、ある場所へと向かっていた。
「何もかもが新鮮に映るわ」
電車の窓から、外の風景を無心になって眺めていた亜希子が、口を開いた。
亜希子は白と黒が入り混じった、ゴスロリファッションの服を着ている。当然、百合が用意したものだ。亜希子が何も知らないと思って、着せ替え人形感覚なのだろうと、零は思う。
「私、ずっとあの屋敷の中にいたから。外に出たいとも思ったけど、外に出たら誰も守ってくれないし、誰も言うことを聞いてくれない、何も思い通りにならないって教えられてたから。それでもいいから出たいって気持ちもあったけど、怖い気持ちの方が強かったの。でも、外の世界って素晴らしい……」
夢見心地な口調で語る亜希子。
それを聞きながら、こいつは極力睦月とは二人きりにしない方がいいなと、零は思う。似たような環境の睦月がその話を聞けば、睦月が百合に疑いの矛先を向けかねない。
睦月は幼い頃の境遇が百合によって作られたことを、未だに知らない。百合はそのことを隠している。しかし百合も睦月も同じ家に住んでいるから、いずれバレそうな気がしてならない。
最近睦月は遠出しているので、亜希子と面識こそあるが、大して言葉は交わしていない。
「世界っていろんなものがあるのね。あの狭い世界と違って、完全に平和な場所じゃないのはわかるけどさ。ふつーの人達は、いろんな辛い想いもしながら生きているってことも、そりゃわかるよ。でもさ~……そのふつーの人達、私と同じような環境で、屋敷の中でだけ不自由なく、外には一切出られない不自由な環境で、生きたいと思う?」
「人によるかな。かなり追い詰められたヤバい奴は、そういうのも望むかもしれないが」
「あははははっ」
零の答えに、亜希子は何故か声をあげておかしそうに笑った。
「何がおかしい?」
「私は普通の人達がどう思うかって尋ねたのに、何で普通じゃない人のケースの話が出てくるのよ~」
亜希子に指摘され、零も自分で変なことを口にしたと、自覚する。
「それにさ~、やっぱり私、幸福なようでいて不幸だったってことになるじゃん。誰とも比べられなかったから、幸福なつもりでいただけで。パパからそう言われていたから、そう信じ込もうとしていただけで。だって普通の人達は望まない場所なんだよ? 追い詰められた最底辺の人くらいしか望まない場所なんだよ? じゃあ私、不幸だったってことじゃん」
その考え方もどうかと零は思ったが、いちいち突っこむのもダルかった。
「って、あれは別にパパでもなんでもない、ママの操り人形の死体だったのよね。あははは……」
力なく笑う亜希子。目は笑っていない。笑っていない所か、明瞭な憎悪の輝きが宿っている。
「私はママのこと、許せない。道楽のためだけに私を作って、あの狭い世界で育てて、弄んだ最悪の糞女。絶対に許せないわ。今は言いなりになって従ってあげるけど、隙を見て絶対に殺してあげるんだから。地獄を見せてあげる。ママは私のこと玩具程度にしか見てないんだろうけど、その玩具に痛い目に合わされたら、ママ、どんな顔すると思う? 楽しみよね~」
(お前には無理だ……)
口には出さずに零は呟く。どう考えてもそんなヴィジョンは見えない。亜希子の目論見など、百合は全て見抜いた上で、最後は絶望の奈落へ叩き落そうとしているに違いない。
やがて二人は安楽駅に着き、電車を降りた。
「さっきと比べて大きな駅ね」
亜希子がきょろきょろと辺りを見回す。電車に乗る際の駅では、駅購買店であれこれ買おうとして、周囲に奇異の目で見られ、零は頭を痛めた。
「ここって動物の名前の店が多いのね」
駅内にあった絶好町の案内地図を見て、亜希子は言う。
「安楽市は以前オーストラリアのどこかの都市と姉妹都市だったからな。その名残だろう」
零が言った。姉妹都市になった当時、記念に多くの店がオーストラリアの動物の名をつけたものの、市長の毒田切子の『移民や犯罪者の子孫の国だから民度が低い国』という、悪意に満ちた発言が原因で、姉妹都市の提携は短期間で解消されてしまっている。
駅を出て、二人はとある場所へと向かう。
「これから会う子って、ママの敵なんだよね? ママのことも一切喋るなって、ママから言われてるけど。じゃあ何でその敵の所に行くように、私に言ったんだろ」
「正直俺にもわからん……。百合が何を考えているのか」
亜希子に問われ、零は小さく息を吐いて答えた。間者として送り込むという考えもよぎったが、間者に起用するには、世間知らず所の騒ぎではない亜希子は不適任すぎる。そもそも零ですら、純子に百合のスパイだとバレしてしまっている。
「ま、別にどうでもいいわ~。願いをかなえてくれる所だっていうなら、願いをかなえてもらえばいいしね。ママが何企んでいようと、私の願いまでママに見透かせるとは思えないしさー」
(正直、俺にもわからんしな。お前がどんな願いをかなえてもらおうとするか)
口に出さずに呟く零。まさか百合を殺してくれとストレートに望むとも思えない。せいぜいそれに繋がる力を得ようとする程度だが、何となく零の勘では、亜希子はそれさえも望まないような気がした。




