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「私もコンディションいいとは言えないからね。速攻で決着をつける」
ジェフリーを見据えたまま宣言し、凜は銃を抜いた。
「乾く世界。眠る宇宙。絶句する現し世。風は息を切らし、音は踊り疲れ、光もはしゃぐのをやめる」
詩を吟じるかの如く呪文を唱えるジェフリー。術が発動する気配を感じ取り、凜は自分の右側に亜空間の扉を開き、銃を抜き様に右手を真っ直ぐ横に伸ばして引き金を引く。
あらぬ方向に撃たれた銃弾は、亜空間トンネルを抜けて、ジェフリーの左斜め下辺りに現れ、そのまま腹部を貫くはずだった。
しかし銃弾はジェフリーに直撃する手前で停止していた。まるで時間を止められたかのように。あるいは空間に固定されたとでも言おうか。
ジェフリーが横に動いた直後、銃弾は消え、部屋の壁を穿つ。
「海の如き鮮やかさ、空の如き爽やかさ、然れどその者、焦がし爛れをもたらす使者」
さらに魔術を行使するジェフリー。
再度銃を撃とうとした凜だが、ふと思いとどまる。敵も何をしてくるかわからない輩だ。一旦防御に回った方が良いと直感で判断した。
青い火球がジェフリーの前より出現し、凜めがけて飛来する。
「みそウォールっ」
凜が小さく叫ぶと、凜の前方に天井まで届く味噌の壁が出現し、火球を防いだ。熱気が凜の顔に吹きかかる。すんでの所で凜の頭部に火球が直撃する所だった。
味噌の壁めがけて銃弾を浴びせる凜。敵の攻撃は防げるが、こちらの攻撃はただの味噌となって貫通できるのが、この味噌ウォールの利点でもある。
味噌の壁を消すと、ジェフリーは悠然と佇んでいた。青い炎の玉は一つではなく、さらに二つ、ジェフリーの左右に浮かんでいる。
「黒き水、死を呼ぶ油、喉元から鉄の味、落ちる風景を見て楽しもう……」
黒いオイルのようなものがジェフリーの両手からあふれだすと、それは長く伸びていき、やがて一振りの巨大な黒い鎌へと変わる。
ジェフリーがその場を動くことなく鎌を振るう。とても届かない位置ではあるが、凜は危険を感じ取り、身を引く。
鎌の柄が液状化し、空中で大きく伸びた。おまけに鎌の刃の部分も液体となって空中で飛散されている。それが凜のいる所まで届いた瞬間、固体の刃へと戻り、遠心力の勢いもついた状態で凜へと襲いかかった。
凜の左腕の肘から先が切断され、床へと落ちる。慌てて凜は味噌の壁の一部から、味噌を球状にして呼び戻し、切断面を塞ぐように味噌で覆って止血する。
「り、凜さんの腕が切られてしまいましたよっ!」
アリスイが甲高い声をあげる。
「大丈夫よ。後で味噌を塗ってくっつけるから」
冷静な口調で凜。
直後、今度は鎌ではなく火球が飛んできた。凜は飛び退ってかわしたが、火球は床に直撃し、側に落ちていた凜の腕が瞬時に炭化し、さらには床のカーペットに火がついて燃えだす。
「り、凜さんの腕が燃やされてしまいましたよっ!」
アリスイが甲高い声をあげる。
「大丈夫よ。味噌を塗っておけば生えてくるから」
冷静な口調で凜。
最後に残った火球が放たれる。それと同時に、ジェフリーが黒鎌を振るい、黒鎌が液状化して宙を飛ぶ。
火球はともかく、黒鎌の動きは不規則すぎて、かわすのは難しいように思えたが、防ぐだけならそう困難でも無い。
「ぐあっ!?」
背中から胸にかけて熱い衝撃を覚え、戸惑いの混じった悲鳴をあげるジェフリー。
液状化して伸びた黒鎌は、凜の前方に作られた亜空間の入り口へと斬りこみ、出口の扉はジェフリーの後方へと繋がっていた。結果、自分の振るった鎌で、ジェフリーは背後から袈裟懸けに斬られた格好となった。
火球の方は、凜は普通にかわした。晃が寝ているベッドに火球が着弾し、炎上するベッドから大慌てで逃げる晃の姿があった。
床やベッドを燃やす炎を、イーコ達がソファーのクッションではたいたり、花瓶の中の水をかけたりして、必死に消化する様を見ながら、ジェフリーはうつ伏せに崩れ落ちる。
「まあ……これでいいさ……。いや、こうなるってわかってて来たんだし。あっちに行けば、エリックとも……会えるから、これで……いい……」
満足げな笑みを浮かべてそう言い残し、ジェフリーは事切れた。
ジェフリーの死を確認し、久しぶりに歯応えのある敵とよい勝負が出来たことに満足しながら、凜は肘から先が無くなった腕の焦げた断面に、さらに味噌をぬりたくる。すると味噌がみるみるうちに増殖していき、腕の形を作り出す。
「完全に元通りになるにはまだ時間がかかるかな。で、十夜、ちょっと嫌なこと頼まれてくれないかな? そろそろ動ける?」
「何?」
訝りながら身を起こす十夜に、凜はナイフを差し出す。
「あなたの力ならいけるでしょ。こいつの頭部を切り落としてほしいの。もって帰るから」
そう言って凜はジェフリーの骸を指した。確かに嫌なことだと、十夜は言葉を無くした。
***
頭部が切り落とされたジェフリーの遺体をバスルームに押し込み、五人は海上保安庁の船の到着を待った。
『現在海上保安庁の船七隻が、ドリーム・ポーパス号の側に到着しました。お客様の安全のため、まことに申し訳ありませんが、船を乗り換えていただくよう、お願いいたします。なお、船内には海上保安官の方々が乗船してまいりますが――』
「おおう、やっときたぜぃ」
晃がベッドから跳ね起きる。
「ようやくこの部屋から出られますね」
ツツジが胸を撫で下ろす。隣に首無し死体があるという状況は、気分が悪くて仕方なかった。
と、そこにノックの音がした。一応吹き飛ばされたドアも元の位置に戻してある。入り口に立てかけて塞いであるだけだが。
「大丈夫よ」
警戒する一同だったが、凜が入り口に向かい、立てかけてあるだけのドアをズラす。
「よっ、お前達、おつかれさままま」
首をすぼめ、身長2メートル越えの女装刑事が入ってきて、明るい表情でねぎらいの言葉をかける。イーコ達は一応亜空間に身を潜めた。
「もう大丈夫だ。さらわれた人達はこちらで預かる手筈も整っているし、先に海保の船に移ってもらったよ。もちろんお前達も移るんだけどな」
黒斗が喋りながら、怪訝な表情になって凜の手を見る。
「どうしたんだ? その手……」
「ああ、そろそろいいかな」
味噌が弾けとび、中から凜の手が現れた。服までは流石に復元できなかったので、肘から先の素肌が丸見えの状態になっている。
「これにて一件落着でいいのかな?」
と、十夜。
「さっきも言ったでしょ。家に帰るまでがドンパチだって。こっちの顔が割れて、グリムペニスや海チワワの恨みを買っていたら、家に帰った後もドンパチの可能性が高いけどね」
凜の言葉に、十夜は小さく息を吐く。
「ホエールウォッチングできなかったのが残念だなあ。鯨、間近で見たかったのにー」
一方で晃はのん気にそんなことを言っている。その晃の携帯電話が鳴った。
「相沢先輩っ、無事だったんだー、よかったー」
嬉々として電話をとり、弾んだ声をあげる晃。
『お前達こそ無事で何よりだ。芦屋がそっちに行ったと思うが』
「今いるよー。さらわれた人も送り届けてくれるってさ」
話しながら晃は黒斗を一瞥する。
「こっちは海チワワのジェフリー・アレンとエリック・テイラーってのを倒しておいたぜぃ」
『殺したのか?』
「うん」
自慢げに晃が言うと、真は何故かそこで沈黙した。
『あのジェフリーとエリックをか……。よくやった。雪岡の手に落ちる前に僕が殺しておきたかったが、お手柄だ』
やや間を置いてから、真はいつもの淡々とした口調で称賛する。
「ははは、褒めてくれるのは嬉しいけど、ジェフリーとかいうのを倒したのは凜さんなんだよねえ。エリックは十夜だし」
『十夜が一人で倒したのか? ますますすごいな』
社交辞令で褒めているわけではなく、驚いているトーンを声に露わにする真。
「おーい、十夜―。相沢先輩が褒めてくれてるぜー。エリック倒したことをさー」
嬉しそうに声をかける晃に、十夜は何とも言えない苦笑いを浮かべていた。




