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アンジェリーナ・ハリスはここにきてようやく認識した。現在自分達と相対する者が、単純な妨害者ではなく、自分達の首に手をかけてくる者であると。
拉致してきた日本人が救出されていくという報告が、立て続けになされる。日本警察のリーサルウェポンと呼ばれている芦屋黒斗が乗船しているという報告も受けた。
グリムペニス及び海チワワの宿敵とも言えるマッドサイエンティスト雪岡純子が乗船している話は、とっくに聞いている。海上保安庁の船が遠巻きにであるが、ゆっくりと近づいている、人工衛星を通じてチェックしている組織の本部から報告されている。
「破滅を乗せ、破滅へと向かって航行する、死神に魅入られた船――ドリーム・ポーパス。ふふふ……ふふふふ……あははは……」
うわ言のようにそんな台詞を口走り、虚ろな笑い声をあげるアンジェリーナ。
もう何度もジェフリーの携帯にかけているが、出ようとはしない。無視しているのか、出られない状況にあるのか、いずれにせよアンジェリーナの不安をさらにかきたてる。
おちゃらけた男ではあるが、その実績はアンジェリーナも認めているし、頼りにもしているからこそ、反応がないことが不安になる。
もしもジェフリーがすでに死に、海チワワも全滅していたとなれば、最早自分は丸裸の状態だ。
やがて不安は恐怖へと変わり、いてもたってもいられなくなったアンジェリーナは自室を出て、船内モニターを見にブリッジへと向かう。
ブリッジの中には立体画像が幾つも投影されているが、その多くは船外の様子を映したものだ。だがドリーム・ポーパスはこれを切り替えて、船内の様子も全てチェックできるようになっている。
「ジェフリー……」
何者かと戦闘中のジェフリーを確認し、アンジェリーナは息を唸った。近くにエリックの姿は無い。
さらに別の場所を見ると、まだ奪還されていない一人が残っている貨物庫に、エリックの姿が確認できた。海チワワの戦闘員達も健在だ。
(確かエリックはジェフリーと同様、見えない敵にも反応できるっていう話だったわね)
ふとそんなことを考えながら、だからどうしたと思うアンジェリーナ。もうここまで滅茶苦茶にやられて、完全に敗北ムードになっているというのに。
グリムペニスの救援の船が一隻、こちらに向かっているはずだが、最早どうにもならない。むしろ自分だけでも救援の船へと移って逃亡した方が賢明だと判断した。
(それまで身を隠しておかないと……)
ブリッジを出て、アンジェリーナは廊下を歩きながら、救援の船が来るまでの間、安心して身を潜めることのできる場所を模索しだした。
***
十夜晃イーコワリーコ五人組は最後のポイントへと辿り着いた。
貨物庫の中へと進入する。中には黒服の男達が何人もいる。亜空間トンネルの中にいる五人の存在には、当然気がついていない。
「変なのがいる」
晃が指した方を見ると、確かに変だと思える人物がいた。他が黒服姿なのに、何故かその人物だけ、上半身裸なのだ。そしてコンテナの上に腰かけて、妙に機嫌良さそうな顔でいる。
「エリック・テイラーだよ。海チワワ幹部ジェフリー・アレンと常に行動を共にしている男だってさ。結構腕が立つらしいよ」
暇な時間に調べ上げた海チワワの情報を披露する十夜。
「腕が立つのは、見てわかるよ。うん、伝わってくるね」
晃がそう言った直後、エリックが亜空間トンネルのある方――五人がいる方を向いて、にっこりと笑った。
「ミャー」
そのうえ猫のような声をあげてきて、戸惑う五人。
「こっちに気づいてる?」
十夜が警戒しつつエリックを見る。
「まさかですよっ。術師でもない人が、気がつくわけがありませんっ。仮に気がついたとしても、こちらに入ってこれるわけはありませんしっ」
「気がついているな。間違いなく」
アリスイの言葉を、ミサゴが即座に否定する。
「ていうか何を根拠に術師ではないと決め付けてるの?」
十夜が問う。
「だって上だけ裸じゃないですかあっ」
アリスイが意味不明な根拠を言った直後、エリックが立ち上がり、真っ直ぐこちらを指差した。黒服達が警戒しつつ、一斉に怪訝な視線を向ける。
「本当に気がついているみたいだねえ。あの人だけ」
晃が不敵な笑みをこぼす。
「扉を開くときは警戒せよ」
ミサゴが十夜と晃に向かって言う。その意味は二人ともわかっている。こちらの存在に気がついているということは、こちらが姿を現した瞬間、即座に仕掛けてくる可能性がある。
「僕が先陣を切る。援護をしてくれると助かる」
「そんな言い方せずに、普通に援護してくれって言えばいいじゃんよー」
ミサゴの台詞を受け、にやにや笑いながら晃はそう言った。
「頼む」
言葉少なにミサゴ。
「はいはい。言われなくても当然するんだけどね」
銃を構える晃。十夜も気を引き締める。
「開いていいのですか?」
緊張した面持ちで確認するツツジに、ミサゴが小さく頷く。
「開けます」
ツツジが告げ、扉を開いた瞬間、こちらを見つめていたエリックが凄まじいスピードで、亜空間トンネルの中へと突っこんできた。
あまりの速度に一同仰天する。扉を開いた瞬間を狙って攻撃されることは十分警戒していたというのに、誰一人として反応できなかった。
「ミャッ」
屈託無い笑みを広げ、文字通り目にも留まらぬ速さでエリックの腕が振るわれる。狙いは扉に最も近い場所にいたツツジだ。
硬直していたツツジを突き飛ばしたミサゴが、代わりにエリックの攻撃を受けた。伸ばした腕がへし折られ、さらには腕に垂直に数本の切り傷が走り、血が飛び散った。
いつの間にか、エリックの両腕に変化が生じていた。肘から先が人間のそれではない、猫の前足に変わっている。
「ミサゴっ!」
「戦闘に支障無し」
ツツジが顔色を変えて叫ぶが、ミサゴは平然とした顔で言った。腕を片方折られて、支障が無いはずがないだろうと、全員同時に思う。
晃が至近距離から銃を二発撃つ。この距離で、しかもこの狭い空間で回避は困難と思えたが、エリックは弾道を見切り、両手で顔と喉元を防いだ。
猫化した手に弾が食い込み、エリックは若干のけぞったものの、血は出ていない。腕を払うと、手に食い込んだ弾丸が瞬時に押し出されて、亜空間の床へと落ちた。
「この中でケリをつけるぞ!」
晃が叫ぶ。瞬時に亜空間の中に飛び込んできた、エリックのあの異常なまでの速度を見た限り、動きづらいこの狭い空間で戦った方がよいとの判断だ。そのうえここなら、他の黒服達からの援護も受けにくい。
「ミャー」
エリックは晃のその考えを読んでいたかのように、後方に跳んで亜空間の外へと出ようとする。
(よし、かかった。日本語わかるんだね)
だが晃はそれも予測し、エリックが移動した直後を狙ってさらに二発撃った。こちらの言葉が聞こえていて、意図が伝われば、敵も亜空間の外へと出ようとする。その際に隙が出来ると晃は読み、エリックを誘導したのだ。
一発はまた猫手で防がれたが、もう一発は脇腹を穿つ。
「ミギッ」
顔をしかめ、痛そうな鳴き声をあげて通常空間へと飛び出すエリック。
「あいつは俺が引き受けるよ」
十夜が宣言する。
宣言したものの、正直自信は無い十夜。スピードに関しては圧倒的にエリックの方が上回っている。
しかし負傷したミサゴでは荷が重いし、同じ超人同士の近接戦という組み合わせで、自分が最適と思える。
「タイマンにこだわることはないぜぃ。臨機応変にやっていこう。隙が見えたら他の奴にちょっかい出してもいいさ。僕も奴に隙が見えたら奴を攻撃する」
晃が歯を見せて笑いながら言い、十夜も微笑み返して頷く。




