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「ノオオオオオオっ!」
自室に戻るなり、アンジェリーナ・ハリスは憤怒の形相で髪の毛をかきむしり、ヒステリックな金切り声をあげた。
「ジャアアアアップ! ジャ、ジャ、ジャッ、ジャアァァアァアアアアップッ!」
変顔で叫びながら、部屋にあるものに当り散らしていくアンジェリーナ。時計を投げて壁にぶつけ、絵画を爪で切り裂き、枕を歯で噛み千切って中の羽毛をぶちまけ、証明を踵で叩き割り、テレビも膝蹴りで叩き割り、ベッドにはヘッドバッドを執拗に何度もお見舞いする。第三者が見たら発狂したかとも思わせるような有様だ。
「ああああっ! もおおぉ耐えられないわ! イエローモンキー共相手に愛想よく笑顔ふりまくとか、拷問以外の何物でもないわよおおぉぉ! 何で私がこんなことしなくちゃならないのおおオおォぉぉぉおぉぉおぉぉっ!? っざっけんじゃないわよおおおぉぉォぉおおぉぉっっッっ!!」
喚きながらアンジェリーナは、クローゼットの中から一体の人形を引きずり出す。
「ジャップ、ジャアアアッップ! ヘイっ、かかってきなさいジャアアアアップ!」
アンジェリーナ専用ウサ晴らし用特製等身大日本人人形に向かって、ファイティングポーズを取って喚き散らす。出っ歯眼鏡という、今時ではまるで見かけない古風な日本人像だ。
「ジャジャジャジャジャアアアアァアァァップ!」
叫びながら、人形に向かって何度もキックを繰りだすアンジェリーナ。人形はかなりの強度で作られているので、壊れる気配は全く無い。蹴る度に上体が大きくひしゃげ、すぐに元に戻る。中に仕込んである特殊バネによる仕掛けのおかげだ。
「ふぁああああぁぁぁぁっ!」
「おやおや、随分と御機嫌のよろしいことで」
突然かかった聞き覚えのある声に、アンジェリーナの興奮は一気に冷めた。
「失礼な男ね! ノックもしないで何なの!?」
憤怒の形相のまま扉の方に振り返り、醜態の目撃者二名を睨みつける。
「したけど? ついでに言うと鍵もかかってなくて、交尾中の猫のような声がけたたましい声が中からしたので、誰かに襲われているのではないかと心配になって、慌てて部屋に入って確認したんだがね。ま、お元気そうで何より」
おかしそうにけらけらと笑いながら、ジェフリー・アレンはぬけぬけと語る。傍らにはエリック・テイラーもいる。
「何の用!?」
「ミャー」
肩をいからせて問うアンジェリーナであったが、まるでそれに答えるかのようにエリックが満面に笑みをひろげて猫声を発する。あまりに不意打ちだったエリックの応答に、アンジェリーナは毒気を抜かれてしまった。
「あの荷物をね、できればホエールウォッチングが始まる前に、グリムペニスの他の船と接触して、この船から運び出してほしいと思ってね。予定より早く行われれば、それだけ安全だ」
「何故? まさかこの船にイエロー共のポリスが踏み込んでくると言うの?」
あの荷物とは、さらってきた日本人を指している。予定ではホエールウォッチング終了後の深夜に、グリムペニスの船とこっそり接触して、運びだす手筈になっていた。
「その可能性もあるが、それだけではない。この船にイーコが忍び込んでいる可能性が高いと言っただろう? 奴等は空間を操る。それを完璧に防ぐ自信は流石に無い。おまけにあの雪岡純子までいる、と」
「イーコがいるから貴方の兵士を入れたのに、今度は自信が無いですって? 番犬としての役目は果たせない、所詮はキャンキャン鳴くチワワでしかないってこと?」
たっぷりと嫌味をぶつけたつもりのアンジェリーナであったが、ジェフリーの口元に浮かんだ薄笑いは微動だにせず、視線も変わらない。全く痛痒に感じていない様子を目の当たりにし、逆にアンジェリーナの方がひるんだ。
「ソーリー、猟犬の役目なら自信があるんだがね~。俺は番犬の役目は苦手なんだ。だから確実な手段を取った方がいいと思って、直接進言をしにきたんだが、駄目だというのならそれはそれで構わんよ。俺には関係の無い話だ」
「わかったわ。無能なわんこの尻拭い、してあげる」
「サンキュウゥウゥベリィマアァァァッチ。どーもどーもそいつはどうもぉぉぉ。おし、行くぞ、エリック」
「ミャー」
ジェフリーとエリックは部屋を出る。アンジェリーナは大きく溜息をつき、室内の惨状を見て顔をしかめて舌打ちをした。
「ははははははは、どうだ? 面白かっただろう? エリック」
「ミャー」
心底愉快げに笑いながら、隣を歩くエリックに声をかけるジェフリー。
「絶対あいつ荒れてるだろうなーと思ったら、見事にだよ。いやー、いいものが見れたなあ、エリック」
「ミャー」
エリックも嬉しそうな笑顔で返事をする。
二人は関係者以外立ち入り禁止区域へと入り、積荷が積んでいる貨物庫の扉を開く。
中には積荷以外に、黒服グラサンの男達が十数人、サブマシンガンを携帯して警備している。
「異常無しか。ここだけにいるわけじゃないが、まあ俺の占いでも今日は何事も起こらんと出ているし、平気だろう。うん」
「ミャー」
喋りながらジェフリーは貨物庫の奥へと向かっていく。
「もう今夜は休んでいい――と言いたい所だが、少し俺に付き合ってくれんかな」
屈強な黒服の外人の男達に混ざり、床に無造作に座っているただ一人の日本人、ただ一人の女性に向かって、ジェフリーは流暢な日本語で声をかけた。
ひどく派手な風貌の女性だった。髪の毛は鮮やかなピンクに染められ、服装も黒とピンクの二色のみで統一されている。よく見れば美人だが、目つきがとろんとしていておかしいうえに、口が半開きなので、おかしな薬でもやって呆けているのかと、ジェフリーは最初に見た時に思ったものだ。
さらに異様なのは、彼女が手にした得物――銛だ。
「何なの? 仕事? プライベート? 後者なら御遠慮したいかな?」
「後者だが、せめて話くらい聞いてから断ってみてはどうかな。ま、大したことじゃない。ドタバタしていてすっかり忘れていたが、ミス鳥山、君の腕を見たい。俺と腕試ししてな」
「ふーん、それならいいけど? 寝る前の運動になりそうだし。寝る前の運動って大事だよね。交感神経と副交感神経のバランスが取れるものね」
意味不明なことを口走りながら、ピンク頭の女性――鳥山正美はすっと立ち上がる。
「えー? 逆ではないかな? 興奮して眠れなくなりそうな」
ジェフリーが笑いながら言ったが、正美は不思議そうな顔をする。
「興奮すること? ないよ? それは凄く強い人と戦えばそうなるかもしれないけど、そこそこな強さの人じゃ興奮なんて有り得ませーん。適度な運動が出きて頭すっきりで快眠て感じー?」
そう言って正美が右手で銛を構え、左手でコンセントを二錠、口の中へ放り込む。
「ねね? やっぱり銃は使わない方がいいんだよね?」
「使っても構わんと言いたい所だが、流れ弾が積荷や兵に当たるのも困るしな。ほんの余興程度だし、その銛で戦えるのならそれで頼むよ」
尋ねる正美に、穏やかに要求するジェフリー。
「こちらも趣向を合わせてみようかな……。黒き水、死を呼ぶ油、喉元から鉄の味、落ちる風景を見て楽しもう……」
胸の前にて、両手を20センチ程の距離で向かい合わせ、呪文を唱えるジェフリー。両手の間に、真っ黒なドロドロした液体の塊のようなものが出現したかと思うと、上下に棒状に伸びていき、上端部に刃が生まれ、やがて漆黒の鎌が形成された。
ジェフリーが鎌を振り下ろす。正美とは5メートル以上の距離があり、鎌が届くはずはないと思われたが、振った瞬間、鎌が水のように弾けて黒い飛沫となり、正美のいる位置まで飛ぶ。ジェフリーが掴んでいる柄の部分は、固体のままだ。
正美は軽く二歩下がる。正美のいた位置に黒い飛沫が届くと、突然固形化して鎌の刃の形状へと変化し、床に突き刺さる。
ジェフリーが両腕を引くと、刃が再び液状化して、ジェフリーの持つ柄へと吸い寄せられるようにして空を飛んで戻り、また元の刃へと――黒い鎌へ戻る。
持っている時は個体状である鎌だが、振る度に部分的に液状化し、振り終えるとまた固体へと変化する。その飛距離も、飛来する角度も、極めて予想しづらく、体術に自信のある者にも回避が困難だ。実際ジェフリーは、この黒鎌で何人も腕自慢を仕留めてきた。
鎌を横に薙ぐジェフリー、黒い飛沫が正美に襲いかかり、今度は鎌の刃が下から上へと現れて、正美がコンマ数秒前にいた空間を通り過ぎていく。
「ねね、腕試しとかいって本気で殺しにきてない?」
「これくらいで死ぬようだったら、必要も無いのでね」
のん気な口調で尋ねる正美に、ジェフリーはそう言いつつも称賛したい気分であった。回避困難なこの黒鎌の魔術だが、正美は全く慌てた様子を見せず、余裕をもってかわしている。これだけで、噂通りの逸材であるとジェフリーは確信できた。
「じゃあ、こっちからもいくよ? いいよね?」
正美のその一言に、ジェフリーはギクリとする。
「フギャーッ!」
エリックも不穏な空気を感じ取り、笑みを消してけたたましい叫び声を発する。
「海の如き鮮やかさ、空の如き爽やかさ、然れどその者、焦がし爛れをもたらす使者」
早口で呪文を唱え上げるジェフリー。それに構わず、一気に間合いを詰める正美。
正美がジェフリーに肉薄するその刹那、正美とジェフリーの間に、激しく燃え盛る青い炎の球体が出現した。今度は幻覚ではない。
その直後、青い火球が弾け飛んだかのように、黒服達にもジェフリーにも見えた。事実を知るのは、正美と、驚異的な動体視力で正美の動きをとらえていたエリックだけだった。
銛を高速回転させて炎を弾き飛ばした正美は、そのままジェフリーへと突っこむと、首根っこを掴み、2メートルほどジェフリーの体ごと移動して、壁に押し付けて吊り上げる。
「ぎ、ギブアップだっ」
鎌を消し、自分の首を片手一本で吊り上げている正美の手を、タップするジェフリー。
ジェフリーの戦闘力を知る黒服達やエリックからしてみれば、信じられない光景だった。敗走することはあったが、ここまで彼がはっきりと敗北を喫するのは初めて見る。多くの者が驚愕の面持ちでその光景を眺めていた。
「ミャーっ、ミャーっ」
正美が手を離した所で、ジェフリーの元に心配そうに駆け寄るエリック。
「大丈夫だ、エリック。ふー……どうやら俺は、想像していた以上に凄い戦士を雇ってしまったようだ」
壁にもたれかかり、首をさすりながら正美を見つめ、自分なりに称賛するジェフリー。
「それより教えてほしい。何でこの人は猫の真似をしているの? 猫が好きだから? すごく興味があるし疑問に残るし、考え込んで眠れなくなっちゃいそうだから教えて」
「オーゥッ、見てわからんのか!? エリックはにゃんこだ。君の目には人に映るのか!?」
正美の問いに、ジェフリーはオーバーに驚いてみせ、真顔でそう答える。
「そっか……猫なのか。なら納得。人みたいに見える猫だけど、世の中にそういう猫が一匹くらいいても構わないよね」
「ミャー」
自分を見ながら喋る正美の言葉を理解して喜んでいるかのように、エリックは嬉しそうな笑顔で鳴いた。




