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安楽警察署。今日も梅津光器は、ややこしい事件に頭を抱えていた。
昨夜都心の警察署において、連続誘拐事件――世間では失踪事件という扱いで誤魔化されている――の被害者達が大量に保護された。安楽市を拠点に仕事を行う、裏通りの始末屋三名によって救出されて。
被害者達の事情聴取はもちろんのこと、警察としては救出にあたった始末屋達の話を詳しく聞きたい所であったが、彼等はあまり協力的とは言いがたい。事情聴取はあっさりと拒否されたあげく、情報もメールで最低限しかよこさない構えだ。
「とはいえ、表立って動けない税金泥棒よりも奴等の方が期待できる分、奴等の邪魔もしない方がいいという判断ではある」
松本完、芦屋黒斗の二人の刑事を前にして、手にした煙草の紫煙をくゆらせながら、梅津は自虐に満ちた台詞を口にする。
「あいつらとは直接会って、強引に協力をこぎつける形の方がいい。互いに連携が必要と判断すれば、自然とそうする。裏通りの住人は皆そういう風に動くからな。それまでは勝手に動く形でいいだろう」
黒斗が言った。黒斗は明日、グリムペニス主催のホエールウォッチングツアーへと乗り込むつもりでいる。
潜入する予定の警察官は黒斗一名だが、黒斗に全く協力者がいないわけではない。また、何かあればすぐに海上保安庁に要請し、船を急行してもらうための根回しも済ませている。
「凜も最近は丸くなったしね。無茶はしないだろうさ」
「しかし悔しい話ですね。うちらがおおっぴらに動けず、アウトローな彼等が市民救出の鍵を担うだなんて」
渋い表情で言う松本。
「権力の犬の哀しい所さ。それがわかっていて、財力を持った奴等は腐った豚共の頬を札束ではたいて、法を破る我を通して国民の命も脅かす。しかしまあ、そんな腐った権力者を権力の座に就かせているのもまた、国民であるが故、これは究極の自業自得と言えなくもないな」
「そんなわけがあるか」
皮肉げに言う梅津の言葉を、黒斗が不快を露わにした顔で否定する。
「盲目の羊らに責任が無いわけでもないが、個々がどうすることもできない腐った枠組みが、社会にすでに出来上がってしまっている。それを利用している腹の黒い連中こそが一番の悪だろうが」
その腹の黒い奴等を一人でも多く、永遠の眠りに就かせてやることが己の使命であると、信じて疑っていない黒斗であった。
「自分が安全圏にいると信じている奴等を潰すのは、楽しくはあるけどね。そういう奴等に引導を渡す瞬間は、たまらないカタルシスがあるよ」
そう嘯いて笑う黒斗を、松本は怖そうな目で見る。
上から如何なる圧力があろうと、黒斗は無視してそれを実践できるし、実践してきた。無視できるだけの権限を黒斗は備えている。その権限を得るだけの実績と力を備えている。
理解できない者には理解できないが、並外れた力が有る者は、何をやっても許される。それは単純な算数の計算の答えにすぎない。一組織の中にいようと、抑制することのできない巨大すぎる歯車、それが芦屋黒斗という存在であった。
***
翌日――凜、十夜、晃の三名は、グリムペニス主催のクルージングツアーに客という立場で、堂々と船の中へと入っていった。イーコは当然、亜空間トンネル越しの侵入である。
船の名前はドリーム・ポーパス。乗客人数1018人、日数は七泊八日のショートクルーズで、ホエールウォッチングを兼ねたツアーである。航路は沖縄方面へと向かい、そこで鯨を間近に観察するという話だ。
「結構人がいるんだねえ」
ドリーム・ポーパス号の前に並ぶ乗船の列を見て、晃が言った。
「毎回大々的に宣伝しているし、最近は日本でも環境保護ブームが盛んだし、そりゃ人も来るでしょうよ」
と、凜。
三人も列に並んでやがて乗船し、与えられた船室に向かった。
「結構廊下とか狭いんだな」
「思っていたのと違うねー。ホテルの中歩いているみたい。何か機械の音がずっとうるさいし、僕、夜寝られるかなー」
「俺は船が揺れるのがどんくらいのものかが心配だよ」
初めて船に乗る十夜と晃が感想を言いあう。凜は家族旅行で二度ほど船に乗ったことがある。
イーコ達もくつろげるように、家族用のスイートルームを借りた。十五歳未満が二人もいるので、凛が保護者という扱いになった。
「うおーっ、広いぜ。そして超豪華っ。よくこんな部屋とれたねー」
部屋に入り、晃が嬉しそうに声をあげる。
「かなりとんでもない値段だったけど、経費はイーコからかなりの額もらっているからね。それに、高い部屋だったからこそ前日ギリギリでもツアーのチケット取れたのよ」
経費の捻出の交渉を試みた所、ツツジは二つ返事で了承した。イーコがどうやって稼いでいるのかは不明だが、本人達も言うように、かなり裕福なようだ。オーマイレイプから最高値の情報を買い取った際の必要経費を聞いても、少しも嫌な顔をしなかったほどだ。
そのうえ部屋はもう一つ借りてある。もう一つの部屋には、誘拐された人達を奪還した際に、船が戻るまでの間に保護する場所用だ。
「凄いな。でっかいベランダまでついてる」
十夜が窓の方へと向かう。
「バルコニーと言いなさいよ。はしゃぐより前にやることがあるでしょ」
「あ、そうだった」
凜に注意され、十夜と晃は部屋を隅々まで探り出す。凜は早速ネットを開き、情報収集だ。複数の情報屋に依頼し、グリムペニスと海チワワに変わった動きがあれば、すぐ教えてもらうようにも手配してある。
「監視カメラや盗聴器の類はないみたいだよ。アリスイ、ツツジさん、出てきていいよ」
部屋の中を探り終えた十夜が声をかけると、空間の扉が開き、アリスイが勢いよく飛び跳ねて部屋に飛び出てくる。その後で普通に歩いて現れるツツジ。
「うおおおっ、これが船ですかっ! 凄いっ、素晴らしいっ、この感動を皆さんの前で伝えるのをずっと待っていましたが、待ちすぎて陳腐な言葉でしか伝えられないオイラがいますっ」
「何で待ちすぎると陳腐な言葉になるのよ」
早速興奮して騒ぎ出すアリスイと、突っこむツツジ。
「昨日といい、いろんな経験をさせてもらっていて、使命の途中なのにいいのかなって気分です。複雑です」
申し訳なさそうに言うツツジであったが、その表情は嬉しそうでもある。
「ですですっ、仲間達にも自慢しまくれますよっ」
「いや、何がですですなのよ……」
同意になっていない言葉を口にするアリスイに、今度は凜が突っこむ。
「ホエールウォッチングの際は、小さな船を出してもらって、鯨にかなり近づけるらしいね。一応アリスイとツツジの変装用の衣装も持ってきたから、その時は一緒に参加しようぜぃ」
「おおおうっ、素晴らしいっ! ますます仲間に自慢しまくれますよ、これっ!」
晃の言葉を受け、アリスイがさらに興奮した声をあげた。
「アリスイ……私達はさらわれた人達を救出しにきたのを忘れないでね?」
「わ、わかっていますよっ」
ツツジがかなり険悪な声を発したので、流石にアリスイも声をひそめた。
「今更こんなこと言うのもなんだけど、そもそも何の目的で誘拐されてるの?」
「えっとー、そこまではわかりません。何故なら、船に乗って追いかけた事まではないからです」
十夜の問いに、アリスイがそう答えた。
「しかもこんな大々的なツアーをやりながら、同じ船に誘拐した人達を乗せるなんて、普通じゃないわね」
誘拐した者は、船の中でマッドサイエンティストの人体実験にでも使われるのだろうかと、凜は想像する。海チワワはバイオウェポンの開発のために、人体実験を行っていることで有名だ。
「これからどうするのですか?」
ツツジが尋ねる。
「まずは船内をできるだけ探索して、船の構造を皆で把握しないとね。できうる範囲内でだけど。イーコ達は魔術師とやらに触れるかもしれないから、最初は控えていて。まあここに来るまでの間は亜空間トンネル使っちゃったけど。変装グッズもってきたなら、晃はそれを出してイーコ達に着させて、外にいる際はできる限り通常空間を移動させて。安全そうと判断できた場所だけは亜空間トンネルを移動で」
室内にあったインスタントコーヒーを入れながら、凜が今後の方針を語る。
「いえっさー」
凜の指示に、晃が微笑んで敬礼してみせる。
「いえっさーじゃなくて、こういう指示はここのボスであるあなたがテキパキと出すものなのよ。いつまでも私にやらせてるんじゃないの」
晃に視線だけを向け、コーヒーを口にする凜。
「でもさー、僕が何か言い出す前にいつも凜さんが指示だしているじゃない。僕、一応頭の中でシミュレートしているよ? 凜さんならこの場面でこう言うかなーって感じで、いつもの凜さんの発言も見習ってさ」
「へえ……何も考えてないと思ったら、ちょっと見直した」
真顔で告げる晃の思いもよらぬ言葉に、凜は感心の声をあげた。
「凜さんはとても気が回る方ですから、他のイーコ達にもお手本としてあげたいです」
ツツジが微笑みながらそんなことを言ってきた。ツツジはおべっかを口にするようなタイプではないから、本気なのだろうなと凜は思い、少し照れる。
「ですよねっ。凜さんはとても気が回りますし、素敵なお嫁さんになれますよっ。それどころか、オイラのお嫁さんに欲しいくらいですっ」
唐突にして堂々たるアリスイの台詞に、凜はコーヒーを吹きそうになるのをギリギリの所でこらえる。晃と十夜も目を丸くしている。
「お嫁さんて、イーコと人の間で異種族結婚とかあるの?」
思いっきり苦笑いを浮かべて晃が尋ねる。
「ありますよーっ、それどころかイーコは人間との間にも子供を作れるんですよ。生まれてくる子供は全てイーコになりますけどねっ。凛さんだったら、イーコの男達からもきっとモテモテですよ。気が向いたらイーコの里に是非どうぞ! 凛さんならいいお尻してて体格も立派だし、きっと元気なイーコの子供をポコポコ産めると思いまッ!」
言葉途中にツツジが拳でアリスイの頭頂を容赦なく叩いた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。何度も言いますが、イーコが皆あんな風だと思わないでくださいね。あれは特別おかしいんです」
「大丈夫。うちにも問題児はいるから」
頭を垂れて謝罪するツツジに、凜がやんわりとした口調で言った。もうアリスイに関しては諦めてわりきた方がいい存在だとして、凜の中では認識されていた。
「その問題児ってひょっとして僕のこと?」
晃の問いに、凜は無言でもって答える。
「今後も失礼な発言があるかと思いますが、どうか御勘弁を。私が変わりに殴っておきますから」
ツツジが言うものの、殴った程度でアリスイの無礼な発言は一時的にしか止まらないだろうと、凜は思う。
「本当失礼だよね。イーコにあげるくらいなら、凛さんには僕の子供をポコポコ産ませたいしなー。でも凜さんはこないだ生涯処女宣言していたから、無理っぽいけどさあ」
アリスイに感化されたのか、晃も余計なことを口にする。
「えーっ。それは差別発言ですよ。イーコだって凛さんに、イーコの子供をポコポコ産ませる権利はあると思うんです。何故なるァガッ!」
アリスイの言葉途中にツツジの鉄拳が火を吹いた。
「ついでにその子も殴っておいて」
「いえっさー」
冷たい声で凜の指示を受け、ツツジが晃の方に歩み寄る。
「えー? 僕、何か悪いこと言った? 正直に思ったこと言っただけなのにいだっ」
ツツジの拳が晃の腹部にもお見舞いされる。
「痛~……小さい体して結構なパワーだなあ」
晃が腹を押さえて顔をしかめるが、目は笑っている。
「生涯……いや、何でもないです」
何か言おうとした十夜であったが、凜に睨まれたので、視線をそらしてとぼけた。




